すっかり日が暮れるのが早くなった師走も後半のわびしい帰り道。

平凡な会社員、柴崎俊介は家路を辿っていた。

家路というあたたかい言葉の響きからは程遠い、誰も待たぬ家に。

郊外の住宅街はところどころに明るく電飾がされていたが、俊介には何の興味もわかない。

自宅は、なくなった父親から譲り受けた平屋だが、庭を含めて40坪はあり、独身男が一人で地味に暮らしていくには充分すぎるほどの広さであった。

家に帰るには必ず、彼の兄の家の前を通らなくてはいけない。今日も斜め向こうにその家が見えてきた。明るく灯がともっている。

兄は忙しい身だ。まだ今夜も帰ってはいまい。

そんなことをぼんやり思いながら、日の落ちた住宅街をぬけてゆく。



つまらない風景。

つまらない自分。



と、兄の家の壁際に路駐していたワゴン車の陰から、靴音がして二人の人物の影が見えた。

一人は彼の姪の絵夢(えむ)、もう一人は知らない若い男だった。

二人ともこちらに背を向けていて、俊介がいることに気づいていない。

「・・・ごめん、泣いているの?」

男が尋ねる。

どうやら少年のようで、学生服のブレザーを着ている。背は長身の俊介と同じくらいだが、まだ成長途上らしく、骨ばった体格だ。

「・・・」

絵夢はうつむいたままで、少年の言った通りどうやら泣いているようだった。

(おいおい・・・まさか・・・修羅場かよ・・・)

このまま、通り過ぎるときっと二人に見つかってしまう。

少年はともかく、絵夢はきっと嫌がるだろう。

出るに出られなくなった俊介は、息を潜めて斜め前の家の路地に身を寄せた。

といっても今時、隙間の開いた路地などはなく、路地についている小さな扉の前に張り付いただけだったが。

「ほんとにごめん、泣かすつもりはなかったんだ・・・。でもきっと考えて見て欲しい。・・・真面目に君の事好きだった・・・。ずっと前から。」

「・・・」

絵夢は答えない。

さらに深く顔を伏せたようで、長い髪がゆらゆら揺れた。

「・・・ごめん。」

もう一度少年は言い、深く頭を下げるとくるりと身を翻し、駅の方角に走り去った。



しばらくして絵夢はやっと顔を上げ、彼の去った方向に目をやった。

ふと、人の気配に気づいたのか体を傾げ、俊介の方に顔を向ける。

(やばい、見つかる。)

「・・・俊(しゅん)さん?俊兄さんなの?そこにいるの。」

せっかく苦労して大きな身を縮めたのに、一番見つかって欲しくない相手に見つかってしまった。

仕方がないのでバツの悪そうな顔をしながら姿を現す。

絵夢はもう泣いてはいないようだったが、通りの暗い街灯の下でも、大きな瞳がきらきらと潤んでいるのがよくわかった。

絵夢は11歳年の離れた父の弟を、子どもの頃から「俊さん」と呼ぶ。

「・・・いや・・・その・・・偶然通りがかったもんだから・・・その・・・。」

もごもごと言い訳しかかった俊介を制するように絵夢は彼に近づいた。

「俊兄さん、今帰り?今日は割合早かったんだ。ご飯まだでしょ?」

「・・・いや別に・・・。」

「いいの。待っててね、おかぁさーん!」

わざとらしく明るい声を上げながら絵夢は玄関の引き戸を勢いよく開けた。

今気が付いたが、彼女も学校帰りらしく、鞄を手にしている。

―――してみると、さっきの出来事は彼に送ってもらった直後のことだったらしい。

(おおかたまた付き合いを申し込まれたんだろうが、学校帰りにしては遅いじゃないか。もう8時前だぞ!ったく、今時の高校生は・・・)

玄関先に突っ立ったまま、訳もなく腹立たしくなる。

「終業式の日なのに遅いのねえ。」などと、のんびり屋の彼女の母が応対しているのが聞こえる。

それさえも、彼を不機嫌にさせた。





程なく、紙袋を持って絵夢と彼女の母(つまり俊介の兄嫁)が表に出てきた。

「あらぁ、俊介さん、久しぶり〜。」

「あ・・・義姉さん、ご無沙汰しています。」

しょうことなく、ぺこりと頭を下げる。昔からこの兄嫁には頭が上がらない。

「お母さん、ありがと。じゃ行って来る。」

「あんまり遅くまでお邪魔したらダメよ〜。じゃ俊さん、お願いします。」

「はぁ?」

間の抜けた俊介の返事を聞くこともなく、兄嫁は奥に引っ込んでいった。どうやら大好きなドラマの途中だったらしい。

「じゃ、行こ。」

絵夢が紙袋を俊介に押し付けて、玄関脇のフックからコートを取って歩き出す。

もう制服は着ていない、簡単な家用のワンピースに着替えている。

「・・・ちょ、ちょっと待てよ。どういうことだよ?」

あわてて先を行く絵夢の後ろを追いかけ、俊介は聞いた。

「どうって・・・俊兄さんのうちで一緒にご飯食べるの。コレはおかず、ご飯もあるよ。」

紙袋の中をのぞくといろんな大きさのタッパが入っている。

兄嫁の詰めてくれたものらしい。

どうせひとりで家に帰っても、コンビニ弁当か、もうめんどくさくて食べないかどっちかだったから、おかずをもらうのは嬉しいし、初めてでもない。

でもなんで、絵夢までついてくることになったのか?







                    ◇◆◇◆◇








絵夢の家から俊介の家まで5分もかからない。

味噌汁の冷めない距離とはよく言ったものだ。



俊介の母と父は再婚同士で、彼は母の、兄は父の連れ子だから、その娘の絵夢とも姪とはいえ、血はつながっていない。

兄とは20歳近く年が離れていたが、血を分けた弟同様に可愛がってもらった。

父が小学生の時になくなり、中学3年で母も亡くなったが、そのとき既に結婚して近所に住んでいた兄はよく世話をしてくれ、ほとんど兄の家に入り浸っていたようなものだった。

学生だった俊介を気遣い、一緒に住もうとまで言ってくれたが、独立心の強い俊介はそれを断り、父の家で一人暮らしを始めた。

しかし、当時受験生だということもあり、夕飯はおろか弁当まで兄嫁に作ってもらい、日常のことでも世話になりっぱなしで闊達な性格の兄嫁からは息子ができたようで嬉しいとよく言われたものだ。

だから、姪っ子の絵夢のことも小さい時分からよく知っている。

彼女は俊介によくなついていたが、おとなしい性質で、わがままを言って困らすようなこともなく、彼のそばでいつも絵本などを読んでいた。

そんな風に4人家族のように過ごしていた一時期もあったが、俊介が就職した頃から少しずつ自分で家のこともやり始め、その内一通りのことはこなせるようになり、兄の世話になることが少なくなった。それでも絵夢が中学生の頃までは毎日夕飯をもらっていたのだ。

それがだんだんと足が遠のいたのには、しつこく縁談を勧める兄夫婦に遠慮があったのと、そして・・・。





「まってね、すぐ暖めるから。」

「いいよ、タッパのままで。」

着替えをしに隣の部屋へ行きながら俊介はぶっきらぼうに答えた。

「よくないよ、ちゃんとお皿も洗ったげるから・・・。」

「・・・」

居間に戻ると、絵夢はエプロンをして手際よくお膳立てをし、お茶を入れてくれている。

わびしい一人住まいが彼女のおかげで、ぱぁっと明るくなるような気がする。

「ビールは?」

「いい。」

ふたりはそれから、絵夢の母の作った夕飯を黙々と食べた。

食事中はなぜか、お互い目を合わせようとはしなかった。



食事が終ると絵夢はすぐに片付けを始める。

簡単なワンピースの腰をエプロンで縛り、そのすぐ上で真っ黒なストレートヘアが揺れている。

「お前・・・高3だろ?勉強はいいのか?」

「いい、どうせ短大の推薦入学だから。」

「え?成績いいんだろ?なんで4年制に行かない?」

「・・・別にやりたい勉強ないし・・・いいの、これで。」

「ふーん・・・。」

かちゃかちゃと食器が鳴る。

「・・・で?」

「ん?」

「何で、来たんだ?」

「・・・」

「どうせ、またさっきの男の事なんだろ?」

「・・・」

「絵夢?」

「・・・うん。」



高校に入って、それまで子どもこどもしていた絵夢は一気にきれいになった。

色が白く、博多人形のようだと俊介は思う。

当然、付き合いを申し込む男も今まで何人かあって、その度絵夢はもじもじと断っていたようだ。

そして、その都度俊介のところに話を聞いてもらいに来る。

「・・・で、また断ったのか?」

「・・・返事はしてない・・・。」

ふきんを洗いながら絵夢は小さな声で答えた。

「お、進歩じゃないか。付き合うのか?」

「・・・付き合わない。」

「じゃ、なんできっぱり断らなかったんだ?相手は期待してしまうぞ。」

「だって、ホントに今までいい友達だと思ってたコだったから・・・友達を失うかもしれないって思うと・・・。」

「でも、恋人としては見れないんだろ?」

「うん・・・でも・・・。」

「いい奴なんだろ?」

「うん、とっても・・・でも友達だって思ってたのに・・・。」

「迷ってるんなら一度付き合ってみたらどうだ?相手の別の面も見えるかもしれないし・・・。」

「・・・。」

「そうだ、そうしろよ。絵夢は美人なんだから、今まで彼氏がいないのが不思議なくらいだぞ。」

発破をかけるように明るく言い放つ。

食器を片付ける手がゆっくりと止まった。

「絵夢?」

絵夢はシンクに両手を突き、肩を震わせている。

「・・・おい、急にどうしたんだよ?泣いてるのか?」

俊介は立ち上がり、細い肩を取って振り向かせた。

黒くて大きな瞳からぽろぽろぽろぽろと大粒の涙が白い頬を伝う。

その様があまりにきれいで俊介は思わず言葉を失った。

「・・・っ!何でわかってくれないの・・・!?」

「絵夢・・・。」

「わっ、私がどんな思いで今日ここにきたと思ってるの・・・」

「・・・」

「佐倉君にキスされたとき、私・・・」

「!佐倉?さっきのあいつか!?あいつがお前に・・・?」

俊介の中に急に訳のわからない感情が沸きあがる。

話として聞いていた時は冷静に聞けたのに、先刻、車の陰で二人の影が揺らめいていたことが生々しく思い出され、絵夢の肩を掴む手が強くなる。

ぱさり、と不意に絵夢の細い体が俊介の胸に飛び込んできた。長い、黒い髪が彼の腕に流れてくる。

「・・・絵夢・・・?」



「大好き・・・俊さん・・・。」







                    ◇◆◇◆◇







俊介はしばらく反応することが出来なかった。

腕の中の柔らかい生き物はシャツにしがみついて一向に離れようとしない。

髪から甘い香りが立ち上り彼の鼻孔に届いた時、痺れるような刺激が駆け抜け、逆になんとか自分を取り戻すことができた。

「ちょ・・・ちょっと待て、絵夢。とにかく体を離せ。」

必死の思いでしがみついている肩を掴んで押しやると、絵夢は素直に顔を上げた。

涙に塗れた目がまっすぐに俊介を見つめている。

「俊さんのことが好き。」

「お、おい。」

「・・・俊さんは私のことが嫌い?」

「嫌いとかそういう問題じゃないだろう?・・・身内なんだから・・・。」

「身内だったら好きなの?」

温厚な性質の絵夢だが、めずらしく食い下がってくる。

「そういうわけじゃないが・・・。」

なんと答えたらいいというのだ。この思いつめた瞳に対して。

「俺は来年三十路を迎えるただのオヤジだぞ。お前ならこれからいくらでも将来有望なイケメンを選べるんだ。そんなバカなことを思いつめるのはよせ。」

「バカなことなんかじゃない!本当にずっと好きだったの。」

「・・・」

「・・・小さい時から俊兄さんのことが好きだった・・・。でも・・・高校生になったぐらいから俊さんは急に冷たくなって・・・。悲しかった・・・とても。」

「それは・・・お前が急にキレイになるから・・・どう扱っていいかもわからなかったし・・・。」

「男の子のことで相談に行ったら、少しは私のこと気にしてくれるかと思ったの・・・。」

「・・・」

(そりゃ、気にしてたさ・・・腹立たしいくらいな。)

「誰か付き合ってる女の人いるの?」

「・・・今はいない。」

「じゃ、誰か好きな人がいるの?」

「いない。」

「・・・私を恋人にしてくれない?私じゃダメ?」

「・・・だから俺は出世にも興味のないただのオヤジで・・・、お前には・・・。」

「私がこんなに好きでもだめ・・・?」

いつの間にか再び顎を彼の胸につけて見上げてくる黒ガラスのような瞳。

(だめだ・・・押さえるんだ・・・!)

「絵夢・・・頼む・・・俺を試さないでくれ。」

「じゃあ、言って!姪っ子以上には見れないから帰れって・・・。そしたら・・・そし・・・た・・・」

再び涙が静かに溢れ、黒髪の幾筋かが頬に張り付く。

唇がどうしようもなく震えるが止めようもなく、絵夢は目を閉じ、その言葉を待った。





11歳の時に絵夢が生まれてからずっと彼女の成長を見てきた。

初めは兄のように家族に対する感情で。

いつごろからだろう?

日々美しくなる絵夢をまともに見れなくなってきたのは。

もう人の世話になる歳ではないからと、兄の家から足を遠ざけ、なるべく彼女と会うことを避けてきた。

平気だと思っていた。なのに・・・





「・・・言えるわけがないだろう・・・。ちくしょう・・・」

「・・・え?」

絵夢が顔を上げる間もなく、のしかかるように強く抱きしめられた。

「こんなはずじゃなかった・・・。」

眉がくっつくほど眉間がしかめられ、歪んだ唇から搾り出すような言葉が漏れる。

「くそっ!シラを切り通すつもりだったのに・・・!お前にも自分にも。自信はあったんだ・・・。」

「・・・・・・?怒ってるの?」

「ああ!自分自身にな!」

「・・・」

「お前が怖かった・・・あんまり無防備に俺に近づくもんだから・・・。」

「俊さん・・・?」

「好きだ、めちゃくちゃ好きだ。絵夢。」

「しゅ・・・!」





いったい、どのくらいの間抱きしめていたのか。

ようやく体を離したとき、絵夢はもう泣いてはいなかった。

びろうどのような瞳がまっすぐに俊介を射抜いている。

「・・・俊さんのお嫁さんにしてくれる?」

「・・・ばか。俺の台詞を取るな。」

「高校を卒業したら、この家に来てもいい?」

「ぐ・・・!そりゃダメだ。兄貴に殺される。」

「お父さん?大丈夫、私が話すから。」

「俺の役目を取るなって言ってるだろ?とにかく大学には行くんだ。」

「行くよ。ちゃんと勉強して卒業もする。でも、俊さんのお世話もしたいの。」

「な・・・こないだまで赤ちゃんだったクセして。」

「今は?今は違うでしょ?」

「・・・」

確かに、この美しい娘は赤ん坊ではない。異性の魔力を全身から発して俊介を魅了していた。

「俊さん?」

もう少しで唇に触れそうになり、彼は必死で自分を押しとどめた。

このまま口づけをしてしまったら暴走し兼ねないほど、切羽詰った自分に内心驚いている。

「ああ!もう、確かにこんなお前を野放しにしてたら、世の男がかわいそうだ。」

「なに?それ?」

「この正月に兄貴に話す。」

「ほんとう!?」

「ああ。だけどもう遅いぞ。」

「何が?」

「後でいい男が現れてそいつを好きになっても、俺はもうお前を離せない。」

「なんだ、そんなこと。」

「なんだとはなんだ!現に今日だって・・・。」

「キスされたこと?・・・びっくりしたけどでも、ある意味佐倉君には感謝してるの。」

「なんだって!」

若い男にキスされて感謝してるとは不愉快の極みだと俊介が問い詰めようとした時・・・

「だってその時、俊さんの事が頭に浮かんでどうしようもなく悲しかったもの。それでわかったの。私は俊さんしか考えられないって・・・。」

「・・・」

「だから・・・」

「う・・・」

「・・・キスして?俊さん・・・。」





―――――この誘惑をはねつけられる男がいるのだろうか?







                    ◇◆◇◆◇







夜空はよく晴れていた。

「そんなに寒くない冬だね?」

「そうだな。」

絵夢の家までのわずかな道のりを二人は並んで歩いていた。

「俊さん、今日は何の日だか知ってる?」

「ん?・・・ああ、さっき義姉さんが終業式だとか言ってたな・・・。ひょっとして成績下がったのか?」

「ん!もう!クリスマス・イヴだったら!」

「あ!そうか!・・・ごめん。」

「なんで?」

「・・・何にも買ってやらなかったし・・・。」

「なーんだ。」

「ツリーもケーキもないし・・・。」

「いいの。最高の物を貰ったから。」

自宅近くまで来ているのに絵夢は大きく回れ右をした。

「絵夢・・・」

「・・・なーんて。えへへ。」



「・・・愛してる。」





今日何度目かのキスを交わす。





聖夜は恋人達の夜であった。






                   ☆☆☆☆☆☆☆






初の年の差カップルです。(コテコテですけど)
俊さん(柴崎俊介)のモチーフは俳優の筒井道隆さんです。彼のボーっとした感じ結構好きです。俊さんは彼よりはも少しシャープかも。
絵夢ちゃんの名は、同僚の娘さんから頂きました。風花ちゃんよりかしっとりした感じの美少女なイメージ。
ぱぁくす、初の企画モノでしたが、いかがでしたか?
楽しんでいただけたなら幸いです。


                            2004.12   ぷんにゃご




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        イヴ
立ち止まった聖夜