ファイザルは薪を割っていた。領主館の厨房の裏口の脇には薪を割るための大きな切り株が据えられており、納戸の壁際には若い兵士が外の森で切って来た丸太が山と積まれている。
昨夜の雪は激しくはなかったが、戸外のすべての物を白く覆いつくし、今朝の朝日に反射して眩しく輝いていた。
カン!
シャツを思い切り捲りあげた逞しい腕が振り下ろされるたび、丸太は鮮やかに真っ二つに割られる。もう半分に割って薪にするのだが、すでにこなされた薪は彼の足もとに山と積まれていた。
カン!
乾いた音と共に最後の丸太が割られ、小気味よい勢いで木片がさくっと新雪に突き刺さった。
「ふぅ、ま、当分これで事足りるだろう」
斧を勢いよく切り株に突き立てるとファイザルは額に浮かんだ汗をぬぐった。既に上着は脱いで傍に引っ掛けてある。しかし体がまだ熱く、しばらくは着る気にならなかった。
「おや・・・お姫様がいない」
ついさっきまで、きゃらきゃらとファイザルにまといついていたレーニエの姿が見えない。
ファイザルが妻の姿を探して周りを見渡すと、小さな足跡が森の中に続いているのが見えた。
彼女は薪を割るファイザルをしばらく横で見ていたが、自分もやってみたいと身の程知らずなことを言いだし、もちろんきっぱりと断られ、おまけに木材の破片が飛んで危ないからと近寄ることも禁じられた。
「それは?」
不満そうなレーニエをきれいに無視して、地面の雪にファイザルは箒でなにやら書いている。
「進入禁止の線です」
素晴らしい箒さばきで半径5リベルの円を書き上げた彼は、満足そうに自分の仕事のできばえを眺めた。
「もぅ」
「いいですね。この線から内側に入ってきてはいけません。大人しくそこらで遊んでいなさい」
つい先ほど交わされた会話。
「こら、待て!」
レーニエはもう少しで取り逃がした雪うさぎに向かって言った。せっかくじわじわと距離を縮めてあと少しで捕まえられそうだったのに。側面に目がついたうさぎの視界の広さを知らないレーニエは悔しそうに拳を握った。
ぴょんぴょんとうさぎは跳ね、ちょこんと後足で立ちあがると、少し離れたところから赤い目でレーニエを振り返った。まるでからかっているように。
「別に捕まえてスープにしようとか思ってない。ちょっとだけお前の毛皮に触らせてくれるだけでいいんだ・・・」
性懲りもなくレーニエは再びゆっくりゆっくり近づいてゆく。
あと少し・・・もう少し・・・
ひくひく動く桃色の鼻先にもう少しで指先が届きそうになり・・・・・・
「・・・っ!」
それっとばかりにレーニエはうさぎに飛びかかった。
ドサドサドサ
「何をなさっておいでで?」
呆れたようにファイザルは雪まみれになったレーニエを覗き込んだ。
「・・・・・・」
飛びかかった拍子に前方の針葉樹にぶつかり、枝から落ちてきた新雪を頭から嫌と言うほど被ってしまったご領主様は、じろりと大きな軍人を見上げた。そのまま白い手袋をはめた手で右手の方を指差す。
そこにはまんまと逃げおおせたうさぎちゃんが、不思議そうに小首を傾げてこちらを眺めている。彼(彼女?)はレーニエを笑うかのように鼻とヒゲをひくひくさせると、そのまま跳ね飛びながら森の奥に消えていった。
「うさぎか・・・成程」
正確に事情を察したファイザルは頷くと、頭に積もった雪を優しく払い落してやり、レーニエを助けて立たせながら笑った。
「そんなに雪まみれになって・・・まるであなたが雪うさぎではないですか」
「ん?」
今日のレーニエは銀狐の毛皮の外套を着ている。同じ毛皮で帽子と、肩かけの付いたその白い外套はレーニエを真っ白に見せていた。聞くところによると、それは17歳の誕生日に彼女の母親からレーニエに贈られたものだという。それは主に顧みられず、長い間衣装箪笥の奥で眠っていたものだが、この冬初めて袖を通す気になったとレーニエは言っていた。
「さぁ、もう中に・・・」
ファイザルは拾い上げた帽子を被せようとする。
「嫌」
勿体なくも大変ヘソを曲げられた領主はプイと顔を背け、雪の上に点々と続く足跡を追いかけて走りだした。少なくとも本人は走っているつもりなのだが、すぐに大きな影に追いつかれてしまう。
「およしなさい。あなたに捕まるような(おっとりした)うさぎはいない」
「失礼な。絶対捕まえてやる」
「捕まえて如何される?」
「・・・・・・可愛がる」
「・・・成程」
一層愉しげな相槌にレーニエはぷいと横を向き、どんどん先へと進んでいく。
――あなたが一番可愛いのじゃないか
森の中は明るく先が良く見通せる。しかし、うさぎは藪にでも入ってしまったのか、もう何処にも足跡は見つからない。レーニエがきょろきょろと立ち止まったところでファイザルはやっと帽子を被すことができた。
「よく似合う」
毛皮を着て全身ふわふわの真っ白で、その瞳だけが赤い。赤い瞳の者はあまり眩しいところが得意でないそうだが、彼女はそれほど苦にしているようではない。それは雪の反射を受けて透き通るように輝いていた。寒さで鼻の頭と唇もいつもより赤く染まっている。
「本当に、雪うさぎそっくりだ・・・」
うさぎに触れなくて、不満そうな領主をあやすように自身の体で包んでやる。思わず身を引きかけたようだが、勿論それは叶わない。腕の中の小動物はしばらくじたばたしていたがやがて大人しくなった。
「・・・私はうさぎじゃない」
「だけど、小さくて柔らかい。鼻先も桃色で濡れているし・・・」
顎を捉え、上を向かせると唇を重ねる。すっかり冷えてしまった柔らかいそれを温めるように、自分の熱い部分で覆ってやる。触れては離れ、離れてはきつく押しつけ、口づけは続いた。
「あん・・・」
どんな男でもくたばってしまいそうな鼻声を洩らし、ご領主様は広い胸にしがみついた。
「うさぎ・・・逃げてしまったではないか・・・」
汗の香りがするシャツから男の体温が直に頬に伝わってくる。逞しく動く筋肉も心臓の音も。自分にはない大きくて強いものが大好きなレーニエは、両腕をまわして彼を抱きしめた。彼女の細腕では回りきらない大きな背中を。
「俺は捕まえました」
長身を屈め、毛皮の襟から覗く白い項に鼻を埋めながらファイザルは答えた。生え際を唇でなぞると、腕の中のうさぎがびくりと体を震わせるのを感じる。その反応に満足し、彼はますます細い腰を引き寄せた。
「おっしゃる通り、捕まえたら可愛がりたくなる」
「あ・・・」
鼻孔をくすぐる甘い体臭に雪の香りが加わり、彼は捕えた獲物を離すことができない。舌先で首筋に刺激を加えるとうさぎはますます縮こまって震える。彼が腕を解くとそのまま雪の中に崩れ落ちてしまいそうだった。
「さぁ・・・すっかり冷えてしまいましたね。部屋に戻りましょう。雪まみれになった御髪が湿っています。放っていては風邪を引いてしまう」
優美な曲線を描く耳に唇が触れる距離で、吐息をかけながらファイザルは囁く。
「・・・大丈夫だ。もう少し外にいたい」
半分ぼぅっとなりながらも、うさぎを捕まえることを諦められないレーニエがいやいやをする。
「ダメだ」
「あなたは・・・そうやってすぐ私を甘やかす」
レーニエは彼にしがみついたまま文句を言った。
「俺が甘やかしたいのだから仕方がない。諦めなさい、せっかくの休みなんだから・・・あなたをウサギなんかに横取りされたくはない」
「よいしょ」
彼の獲物はそのまま赤ちゃん抱っこでのしのしと運ばれてゆく。
「ん、もう!じゃぁ、後で村の方に行かない?」
「行かない」
「それならフユコウジの実を採りに・・・」
「こないだもう行ったでしょ?却下」
「え〜〜〜〜・・・」
「何がえ〜〜ですか。まったく、大人しそうに見えて活発なお姫様だ。今日ぐらいあなたを一人占めさせなさい」
彼はわざと大きな音をさせて額に口づけた。
「・・・」
領主はもう抵抗しない、彼の腕の中におとなしく収まっている。
「さぁて、可愛い雪うさぎをどうやって食べてしまいましょうかね・・・」
不埒な猟師はそう言ってにやりと笑った。
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このお話はおととしのクリスマス企画で公開したものに手を加えたものです。
