夏の休日 3

2へノヴァTOPへ





さやさやさや



窓辺の(とばり)を揺らせて涼しげな風が入ってくる。夜の最も暗い一時は夜明けの直前と言われるが、月も出ていないこの夜の暗さは格別で、寝台に横たわる佳人の白い肌ですら闇色に染め上げている。

ひたひたひた

その闇の中を進む影。

闇の中の筈なのに闇よりも濃い色を纏い、それは確かな足取りで佳人の眠る寝台の傍らに立った。上掛けをかけているが、薄い肩はむき出しで、結わえていない髪が敷布に渦を巻く。

そっと腕が伸びる。

それは枕に片頬を押しつけている、その人の細い首を掬いあげ―――

薄く開けられた唇に自分のそれを押しつけた。

上下の花弁を啄ばみ、舐め、吸い上げると苦しいのか、眠りながらも眉を顰めて顎を反らせる。代わりに差し出された耳と首筋も遠慮なく舌でなぞり上げると、再び顎を掴んで向き直らせ、唇を歯列を割って差し入れる。

「ん~~」

流石に違和感を感じるのか、猫のように喉の奥で抗議の声を上げたが、佳人は未だ眠りの国の住人である。それをよい事に影の無体は大胆さを増してゆく。甘い口腔内を(あまね)く蹂躙すると、上掛けを剥いで薄い夜着の上から乳房を掴んだ。掌にすっぽりと収まる柔かな半球の手触りに思わず満足の吐息が漏れる。彼はしばらくその感触を楽しみ、その頂に咲く蕾を指の間に挟んで擦った。

「あんっ」

甘い刺激に漸く佳人は長い睫毛を瞬かせた。

「姫君にはお目覚めかな?」

「ヨ・・・!ぐ」

大きな掌がさっきまで貪っていた唇を覆った。

「しぃ。大きな声を出すとサリアさんがすぐに飛んでくるから」

「う・・・どうしたの?こんな夜更けに・・・あなたのお戻りは明日だと聞いていたから・・・」

「夜更けというか、もうすぐ夜明けですがね。ま・・・これは所謂(いわゆる)、夜這いと言う奴かな?・・・う~ん、ちょっとちがうか」

「何を言っているの?」

「さ、出かけますよ?ガウンを着て」

「出かける?今から?何処へ」

身を起こしながら首を傾げる。

「上の湖です。行きたかったのでしょう?」

「そうだけど・・・」

「昨夜は新月でした。何を言っているのか分かりますね?」

「・・・」

レーニエは少しの間考えていたが、直ぐに顔を輝かせた。夜目の利くファイザルにはその様子がよく分かる。いそいそと立ち上がり、椅子に置いてあるガウンを肩にかけた。

「さ、こちらへ。門衛は見て見ぬふりをするでしょうが、なるべく静かにね」

「うん・・・!」





明けきらぬ山道は剣呑この上ないが、ファイザルの愛馬ハーレイの歩みは確かだった。彼は上機嫌で主とその妻を逞しい背に乗せ、朝の空気を楽しんでいる。

「寒くはない?」

一応彼の大きなマントで包んでいるが、夏とは言え山の夜は冷え込む。ファイザルは腕の中の娘を抱き直した。

「ううん、ちっとも。あなたすごく温かいし」

「ふむ、さもありなん。ああ、ほらレナ、夜が明ける。山の稜線が赤くなって来た」

「本当だ」

「湖が見えてきた。下りだから俺にしっかりしがみついて・・・少し駆けます」

「素敵!」

レーニエは夫の腕の中で伸び上がった。

空は城を出る頃から射干玉(ぬばたま)の闇が藍色に変わろうとしていたが、今はその底辺が浅葱に染め分けられている。一番明るい部分は金色に輝き、周りの山々をくっきりと浮かび上がらせていた。程なく今日一番の夏の光が見られるだろう。

「きれい・・・きれいね、ヨシュア」

「ああ。黄金の朝だ」

湖の少し手前でファイザルはハ―レイを下り、手荷物の袋だけ取ると、その辺りの柔かい草を自由に食べられるように放してやった。彼は決して遠くにはいかないし、いざという時の鋭い見張り役にもなる賢さを持っている。

持ってきた小さなサンダルをレーニエに履かせると、ひょいと抱き上げて水際まで下る。

「あん、歩けるよ」

「いーや、信用できない。あなたはハ―レイと違って、手綱を解いたらどこかへ走って行ってしまうだろう。それに抱いていた方が眺めがいいでしょう」

「そうだけど・・・」

レーニエは何か言いたげだったが、諦めて夫の腕に身を委ねた。彼は重さなど感じさせぬように自分と同じ目線に妻を抱え上げる。



夜明けだった。



どんどん空の赤みが増したかと思うと、山の間から大きな太陽が昇って来た。湖面を渡る涼しい風が水面を撫でると鏡のようだったそれに(さざなみ)が立ち、その一つ一つに太陽の分身が宿る。

「きれい・・・」

「ああ・・・」

ファイザルはレーニエを見ている。空と湖をうっとりと見つめる瞳は今は濃い飴色。白銀の髪は金色に染まっている。夜と朝が交差する刹那の時、世界は黄金に輝く。魔法の一瞬。

「きれいだ」

あっという間に日は高々と昇り、生まれたての色を急速に失ってゆく。やがて空はいつものように薄い青色に落ち着いていった。

「・・・あなたはこれを見せに来てくださったの?」

「そう。それもある」

そっとレーニエを水辺の砂の上に下ろしながらファイザルは応える。

「だが、本当の目的は2年前の俺達を辿る事」

「2年前?・・・あ」

レーニエは思い出した。

新月の夜。伝説の女神像を求めて起こした初めての冒険。ただあの時は恋しい人に会いたくて、会いたくてそれだけだった。愛して貰おうとも、ましてやずっと一緒にいるなんて思いもしなかった一途な恋。それはただ幼くて、だけど初めて何かを欲しいと(こいねが)った。

「あの時・・・」

「そう、俺は水面に女神が現れたと肝を潰したんでした。でもそれはあなただった」

「うん、後でとっても怒られた」

「そんなことしか覚えてないんですか?あの後、色々した筈なんですが」

「え~・・・」

本当の事を言うと、レーニエはその時の事を全部覚えていた。彼が何を伝えようとしていたかや、その指先が初めて乳房に触れた事など全て。

「水に入る?」

恥ずかしくて俯いてしまった妻。だが、そんな事をさせる為に連れだした訳ではないファイザルは、当初の目的に注意を向ける。案の定、レーニエは直ぐに嬉しそうに彼を見上げた。

「いいの?」

「少しだけなら」

ファイザルはそう言うと手早く自分の服を脱ぎ捨て、纏めてその辺に放る。次にレーニエのガウンの紐を解き、を肩から滑り落とすと傍らに延びた木の枝に引っ掛けた。

「寝巻きも脱ぐ?」

「うん」

肩ひもに指をかけて引くと、緩やかな衣は音もなく砂の上に落ちて足の周りに輪をつくった。

「ん、気持ちがいい」

「目の保養だ・・・いや毒か・・・」

朝靄の中に白い裸身を晒し、うんと伸びをする妻に仕方なさそうに笑う。二人して一糸纏わぬ姿で、誰かが見たら腰を抜かすに違いなかった。

「この湖は湧き水なので、そうは冷たくはない筈ですが、流石に水面の水温は冷たい。俺にしっかりつかまって。寒くなったら直ぐに言う事」

そう言うとファイザルは再びレーニエを抱き上げた。

「はい」

レーニエは大人しく逞しい首にしがみつく。胸と胸がくっついて互いの熱が伝わって来る。ほんの数歩で水音がし、ファイザルの足に水が絡んだ。

「わ、結構冷たいな」

「あん、早く私も浸して」

徐々に水深は深まり、レーニエの足の指先が水面を掠めた。水面に銀糸の髪が流れる。

「女神像はまだあるかなぁ」

「あっても、もう、願い事は叶えてくれないのでしょう?」

「そうなの?」

「あれは確か一生一度。しかも処女の娘の願い事でなければならないんじゃ。あなたはその意味ではもう処女ではない」

「・・・」

「俺が奪った」

ファイザルはにやりと笑って真っ赤な耳たぶに唇を寄せて囁く。

「女神はもう言う事を聞いてくれない」

意地悪そうにファイザルは言った。別の意味では永遠の乙女なのだが、見る見るうちに染まる頬を見てそう思う。

「う・・・でも見るだけなら・・・」

「見るって、潜らなくては見えませんが」

呆れた様な溜息が頬を掠めた。

「潜りたい」

「もう仕方ないなぁ・・・じゃあ少しだけ。それで上がるんですよ」

「うん」

ファイザルはすいすいと深みまで進むと、レーニエの両脇を支えて身を起こしてやった。深い所に行くほど水温が上がる。一番寒いのは水面に出て濡れた部分だった。

「深い?」

「ええ、あなたの足が立たないくらいには。じゃ行きます。せーの」

すっと挟んでいた手を退けてやる。レーニエが潜るのと同時に自分も水に身を沈めた。



水中は非常に明るかった。光線を遮るものがないのだから当たり前なのだが、蒼玉を溶かしたような水が何処までも広がり、水底の白い砂が湖面の漣を映して揺れている。


――あの時もこうだった。


レーニエはゆったりとした水に身を任せて思った。二年前の朝もこんな風に伸びやかな気持ちになって・・・

――水に溶けてしまいそう・・・

小魚が寄ってきて肌をくすぐる。嬉しくて、それを伝えたくてファイザルをみる。彼は少し離れた正面に立って自分を見ていた。

長い脚はどっしりと水底を踏みしめ、湖と同じ瞳の色は水中でも鋭い光を放って。全身を覆う筋肉の鎧は、彼がいかに優れた戦士であるかを語っているが、こんな風に見たのは初めてだった。うねる波の光が肌を滑る。どこまでも雄々しくて、美しい。


――ああ、きれい。あの人はなんてきれいなんだろう



ファイザルもレーニエを見つめている。


――なんという生き物だ・・・


彼の身の丈より少し深い青い世界。つんと背筋を伸ばして小柄な女神が立っている。両手を少し広げ、長い髪を周りに漂わせて。うっとりとした顔は夢見るように青い世界を見ている。

ここは彼女の世界。

一瞬本気でそう信じ込みそうになってファイザルは愕然となった。



見つめ合っていたのはほんの一瞬の事だろう。ファイザルは湖底を蹴って間を詰めるとさっと腕を回し、レーニエの腰を掴んで伸びあがった。



「は・・・はぁっ!ああ、気持ちがいい。もう一回!」

息を上げながらもレーニエははしゃぎきっている。水中にいたのは僅かな間だったが、見つめ合った時間は永遠と同じくらいの奇跡。

「女神に会えなかった。もう一回」

「駄目。俺は会えたから」

「ええ~~、どこ?何処なの?なんでヨシュアにだけ見えたの?」

「さぁね?ほら、こっちを向いて」

名残惜しそうに水面下に目を凝らすレーニエを上向かせると、強引に唇を重ねる。それは少し冷えていたが十分に柔らかかった。

「む・・・」

足が地に付かないレーニエは抗えない。濡れた胸同士がぴったりと合わさり、擦れる。レーニエは腕と足を彼に巻きつけ、口づけに応じた。舌を絡め、水とも唾液ともつかぬ液体を啜る。

「・・・っ!」

水中に潜っていても息も乱れなかった男が、今は荒い吐息を零している。

「ここでは・・・駄目だな。流石にあなたを冷やしてしまう」

そう言うと、ファイザルはレーニエを抱えてさっさと水から上がってしまった。荷物の入った袋から柔かい布を取り出し、濡れた髪と肌を拭いてやる。そして自分のシャツとマントを被せると、自分もざっと身体を拭いた。

「あの・・・?」

「こちらへ」

不思議そうなレーニエの手を取り、砂地を少し入ると平らな岩場に出る。既に高く昇った太陽に暖められて石は程良く温まっていた。濡れた足跡をつけながら歩いても直ぐに乾いてしまう。ファイザルはマントを敷くとそっとレーニエを下ろした。

「ここは・・・あの時」

陽を反射して照り返る岩場。隙間から覗く若い芽。後ろの灌木は白い花をつけ、あるかなきかの風に揺れている。何もかもあの時と同じ。

「そう、あの時はあなたを泣かせてしまった」

「そう・・・そうだよ!私はとっても悲しかった。あなたを好きになってはいけないと言われて・・・あの後一杯泣いたんだから」

思い出したのか、レーニエの顔がくしゃりと歪んだ。もう二度と来ないと思っていた場所。同じ場所にこうして今、二人でいる。これは一体どんな奇跡なのだろうか?

「ふ・・・あの時は俺もあれが精一杯だったから。だから、今度は・・・こうする」

そう言うと裸の男は娘を抱きしめた。


――もう誰にも邪魔はさせない








「あっ、あれは!」

ジャヌーが驚いたように前方の山道を指差す。

「まぁ!レーニエ様!将軍様も」

サりアとシザーラは異口同音に叫び、自分達の馬を急かした。

あっという間にファイザル達は何時もの面々に取り巻かれる。

「閣下!閣下の置手紙を見て、俺は皆さまを湖までお連れする所なんですが!これは一体・・・」

「ああ、御苦労。サリアさんも朝から済みませんでした。おお、その籠はお弁当ですかな?これはいい」

サリアとジャヌーの乗った馬には大きな籠が二つも括りつけられていた。

「だ、だって、レーニエ様のお部屋に置いてあった書置き通りに・・・まぁ、レーニエ様、水遊びをなさいましたの?お髪が濡れておりますわ。まさか、こんなに早くから?」

「うん。御来光を見たよ。ヨシュアが見せてくれたの。泳いだのはほんの少し」

「左様。俺たちはこのまま帰ります。レーニエ様を湯に浸けなくてはならない。皆さんは、どうぞ楽しんできて下さい。頼むぞ、オーフェンガルド。奥方様もごゆっくりされるがよい」

「あ?ああ」

同じ馬に乗ったオーフェンガルド夫妻は、事態が良く把握できないままに頷いた。後ろに控える警護の者たちも然りである。

「では」

ファイザルが通り過ぎようとする所に強引に割り込み轡を寄せて来た一騎。

「シザーラ様?」

レーニエが無邪気に問うのへはにっこりと微笑み返しシザーラはファイザルを睨みつけた。、

「謀られましたわね?将軍様、レーニエ様を一人占めなさるおつもり?」

「御意。シザーラ閣下、ゆっくり湖をお楽しみください。・・・ああ、ジャヌー」

「は!・・・わ!」

慌ててジャヌーが寄せて来る。その胸ぐらを捕まえてファイザルがずいと顔を寄せた。

「いいか、たっぷりゆっくりしてくるんだぞ。俺の思う時刻以前に戻ってきたら、今度はレースの前掛けとボンネット付きで雪隠掃除だ!いいな」

「ひいっ。りょ、了解であります」

ジャヌーはようやく事態を呑みこんだ。

「なぁに?」

「いいえ、なんでも。レナの食事は俺が作るからご心配なく」

「ええっ、本当!?私も手伝う~~」

「それは勘弁して下さい。食べられなくなる。それ!」

ファイザルは軽く馬の腹を蹴ると後も見ずに山道を駆けていき、あっという間に見えなくなった。





「覚えてらっしゃい。あのおじさん!」

シザーラは振り返ったまま口の中で毒づく。

「このままじゃ済ませないわよ」







ハ―レイは軽快に山を下ってゆく。

♪~~

世にも珍しい『掃討のセス』の鼻歌に、レーニエは驚いて夫を見上げた。

「ヨシュア、どうしたの?」

「いやなに」

目尻に皺をよせてファイザルは笑い、妻を抱き寄せた。



休暇は始まったばかりなのである。











将軍が早馬で届けられた手紙を手にしたのは、その数日後。

「!」

ファイザルは手紙を握り潰した。

「なぁに?どなたから?」

「だ、誰でも!」

覗きこむ妻から手紙を隠したが、時既に遅く。書面の内容はしっかり記憶に焼きつけられた。



『明日着く。温泉とやらが楽しみだわ。もてなしよろしく J・J』


――あの小娘!(はか)ったな!





シザーラの高笑いが聞こえたのは気のせいだったのだろうか。










◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇



兄さんの泳ぎはかなり達者です。昔、海で鍛えました。端折った場面ありますね~~、少しお待ちくださいね~~(近日公開)。
シザーラ嬢は一体いつ画策していたのでしょうか?




web拍手 by FC2


Powered by NINJA TOOLS






2へノヴァTOPへ