キセキ 2



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「待って!」

「・・・?」

「これを・・・あんたに」

鬱陶しそうに振り向いた男に差し出されたのは一枚の布。

それは絹でも繻子でもなく、ただの縦長の木綿の布切れだったが、厚手の丈夫なもので青い縞模様が横に入っていた。端に赤い縫い取りがあり有名な寺院の名が記されている。

「これはね、先だっての休みの時にシュトルムのお寺に皆で参ったときに貰って来たのさ。ほら、あそこは縁結びとか招福祈願で有名なところじゃないか」

女は男に去られるのを惜しむように(まく)し立てた。彼は黙って聞いている。

「あんたにあげるよ。あたしはこんな商売だし、縁結びなんて意味ないしね」

「要らん・・・あんたが持っていればいいだろう」

「そんなこと言わないでさ。あんたに貰って欲しいんだよ。ほらこれって、結構丈夫にできているよ。今日みたいに寒い時は首に巻いたり、物を包んだりもできる。あんたは兵士なんだろう?戦場で怪我した時なんか包帯の代わりになるよ」

「・・・」

「ねぇ、貰っておくれな。お情けでいいからさ。幸せが来るかもよ」

押しつけられたそれをファイザルは仕方なさそうに受け取った。掌にごわごわする感触が伝わる。幸せなど俺にだって縁がないと言いかけて、彼は止めた。ここで、問答したってしようがない。

「礼を言う・・・」

「いいんだよ!こっちが押しつけてんだしさ。何でこんなことするのかって言うと、あんたにちょっとだけ惚れちまったんだよ。あっちが上手って意味じゃないよ。それは確かにそうだったけど、何て言ったらいいのかな?久しぶりにあたしを欲の捌け口じゃない、普通の女として扱って貰ったような気がしたもんで。・・・額に接吻されたのだって何年振りだろう?優しいんだよ、触れ方とか、話し方がさ。いつか、あんたにさ・・・あんたに愛される女は幸せだね」

「俺に・・・?」

「ああ、あんたにもいつか心から愛しいと思う女ができるよ・・・羨ましいね」

「・・・行く」

ファイザルは貰った布を上着のポケットに捩じ込みながら、再び別れの言葉を告げた。

「ああ・・・ああ、そうだね。戦に疲れたらまた来ておくれ。あたしは当分ここにいるから」

「・・・」

最早答えず、ファイザルは扉を潜った。



「あんたと縁を結びたかったよ・・・」

女は閉ざされた扉に向かって呟いた。





「おお、出てきたか。他の連中は泊まりだってよ」

戸口で声を掛けてきたのは燃える様な赤毛の美丈夫。彼は寒いのにも拘らず、壁に凭れて夜空を見上げていたようだった。何処にいても、どんな格好をしていても目立つ朋友にファイザルは肩をすくめて見せる。

「お前は泊まらんのか?」

「俺?俺が泊まったらこの娼館中の女が俺に抱いて貰いたがって他の連中が迷惑するじゃないか!そんな鬼の様な事はできんよ・・・って、おい待てって!マテコラ」

調子よく喋り続ける赤毛の男を置き去りに彼はさっさと往来を歩きだす。冷たい風の吹きすさぶ裏通りは真っ暗で物騒この上ないが微塵も気にする様子もなく。

「ったく、冗談の通じない奴だな。それだから女にもてんのだ」

「少し黙れよ」

「へいへいって、おや?何だ、それ」

赤毛の男はファイザルがポケットからはみ出している布に目を止めた。ここに来た時にはこんなものは持っていなかった筈だ。

「・・・貰った」

この男に見つけられたら誤魔化しようがない。朋輩の目聡さに辟易したようにファイザルは答え、布をポケットの奥に押しこんだ。

「あらら、お前もなかなか隅に置けないじゃないか?普通、玄人の女は客に物を与えたりしないぜ?よっぽど気に入られたな」

「知らんわ」

「ちょっと見せてみ?」

男はひょいと長い腕を伸ばし、布の端を摘まんで引っ張り出す。

「おい、返せ!」

奪い返そうとするファイザルを、まるで舞踏の様な優雅な動きで赤毛の男はひょいひょいとかわしてゆく。暗がりに白い布がひらひらと舞った。

「や~だね、減るもんじゃなし。どら、ああ・・・なんだ、お寺の縁起もんじゃないか・・・っと」

「まったく油断も隙もない」

なんとか男を捕らまえて、ファイザルは布を奪い返す。

「そんなに大事なものなの?」

「いや?だがお前に渡す理由もない」

「だけど、女に貰ったもんだ。大切にしないと。それ、縁結びの縁起ものだろう?」

「知らん。これはたまたま貰ったものだから使い終わるまでは持っている。それだけだ・・・縁とか、愛だとか、縛られるのはいやなんだ。物にも人にも」

執着したくない。人も物もいずれは消えてゆくものだ。なら失う物は少ない方がいいに決まっている。

「寂しい奴だなお前。そんなんじゃ誰も愛してくれんぞ」

「構わん。俺だって誰も愛したりはしないさ」

誰かを愛し、長い時を供に過ごす未来は必要ないし、そんな日々は絶対に自分に訪れないだろう。

「生涯?」

「生涯」

背中を向けて歩き出した青年から、取り付く島の無い返答。返事があるだけマシか、と赤毛の男は広い肩を竦めた。

「・・・そうかねぇ。まっいいや、休暇もあと二日だからな、又来る地獄の日々の前にゆっくり楽しもうぜ!兄弟!」

ずしぃと思い腕が肩に乗る。

「兄弟?」

根っから嫌そうにファイザルは眉を顰めた。









              ◇◇  ◇◇  ◇◇  ◇◇  ◇◇










――こんなものがまだ残っていたのだな・・・



彼は長持の前に座り込んで古びた布切れを眺めていた。



「それはなぁに?」

可愛い声と共に後ろから首に絡みついてきた細い腕。持ち主は言わずと知れた彼の新妻であり、この地方の領主レーニエである。

「おや、お戻りでしたか。驚かせないでください」

ファイザルは頬を寄せるレーニエの頭に腕を回した。頬どうしがひっつく。男の骨ばったたそれと、柔かい菓子の様なそれが。

「嘘。私があなたを驚かせられる訳がないではないか」

「いや、今のは本当に驚いた。ぼんやりしていたので・・・だが、お帰り。子ども達と遊んで楽しかった?」

「うん、とっても。あなたもお帰りなさい」

後ろから抱きついているレーニエをくるりと抱き直し、膝の上に乗せてファイザルは口づけた。何度味わっても飽きない甘い唇は自らうっすらと開き、彼を迎え入れた。柔かく絡め取り、子猫の様な小さな舌を吸い上げると、くくと喉を鳴らしている。

「いけない子だ。こんな接吻を覚えてしまって」

唇の触れあう距離で彼は妻に訴えた。ああ、まだ足りない、もっともっと欲しい・・・しかし、レーニエは首に回した腕を突っぱねて体を離してしまった。

「あなたが教えてくれたのではないか」

ちょいとむくれて文句を言っている。甘えているのだ。

「そうだったかな?」

「そうだよ。でも、口づけ・・・好き!大好き!とってもあなたを近くに感じるから。ヨシュアは?」

「好きですよ」

さらりと言ってしまえる自分がここにいる。昔は生理的な嫌悪すら感じていたのに。

「ただしあなた限定ですが。・・・困るのは口づけている内にどんどん先に行ってしまいそうになる事かな?」

「え~~~」

「ふ、冗談。今はね」

「む~~・・・それはそうと、これは何?」

ひょいとファイザルの鼻先に突きつけられたそれ。床に落ちていたものをレーニエが拾い上げたらしい。

「随分しげしげと眺めていたね。なぁに?大事なものなの?」

「いいえ、そう言う訳では。ただ、使い勝手がいいもので長いこと使っていました。随分昔に貰ったのです。」

「おんなのひとに、でしょ?」

きらりと赤い瞳が光る。珍しくレーニエの女の勘が働いたようだった。普段はどうしようもなく鈍いくせに、とファイザルは苦笑を洩らす。

「そうでしょ?」

「まぁ・・・そうです。珍しく当たりましたねぇ。何の気なしに貰ったものですが、意外にいろんなことに役に立ち、重宝しました。ああ・・・手に取るのはおよしなさい。洗ってはあるが、あんまりきれいなものではない」

その布は丈夫な代物で、使いやすい大きさだと言う事もあり、いつの間にか彼に馴染んで長い年月彼と共にあった。額に巻いて汗止めにした時もあったし、手足に負った傷を縛ったりもした。時には血で汚れた体を拭う役目までも果たした。

「・・・そぉなの」

夫が制止する言葉にも構わずレーニエは両手で布を広げ、赤い瞳で不思議そうに眺めている。確かにすっかり色褪せ、あちこち解れたり裂けたりしている。ファイザルの言うとおり長い間使いこまれたのに違いなかった。

「いつどんな人に頂いたの?記念の品?」

「はぁ、いつになく追求しますな。別にそんないいものではなく、どこかの寺の縁起ものだとか・・・そうだなぁ・・・二十代の初め頃だったかなぁ・・・戦に明け暮れ、(すさ)んだ遊びをしていた頃の事で・・・春を売ると言ったらあなたにわかるかな?・・・そんな商売の女が多分俺の身を案じてくれたんだと思います。もう顔も覚えちゃいませんが」

「・・・ふぅん・・・」

レーニエはファイザルの言葉を聞いて自分も薄汚れた布をしげしげと眺めた。

布の端にある赤い縫い取りはかつては寺院の名前が表されていたのだろう、長い年月の果てに最早判読不可能な程(ほつ)れ果ててしまっている。所々にある微かな染みは、血・・・だろうか?ファイザルはこの布を身につけて幾多の戦いを潜りぬけてきたのに違いない。



――その女の人はどんな気持ちでヨシュアにこれを渡したのだろう?この人の事をお好きだったに違いない。私の知らないずっと若い頃のヨシュアを・・・今もお元気でいるのだろうか?まだ想われているのだろうか?



――ヨシュアはあんな風に言ったけど、もしかしたらその時はその方の事が好きだったのかもしれない・・・だってこんなになるまで使いこんで、大切に仕舞いこんで・・・



チクリと胸が痛んだ。



「・・・すみません。不愉快でしょう?今処分しようと思っていたのです」

レーニエの心中を察したか、そうでないのか、ファイザルはレーニエの手から布を取り、丸めて暖炉に投げ込もうとした。

「いけない!」

慌てて上げられた腕に取り縋る。

「レナ?」

「これは今のあなたを構成する大切な要素。あなたが歩んでこられた軌跡。私の小さな焼きもちなんかどうでもいいくらい大切なものなの。捨ててしまってはダメ」

「焼きもち?」

「うん・・・だって私の知らないあなたを、その方はご存知なのだろう?戦士であるあなたに、このような品を贈ったって事は、あなたの事愛しておられたに違いないもの」

「一夜限りの関係でしたが」

「でも・・・きっとそうだよ。なんとなく分かる・・・これは持っていてあげて」

「はぁ、では今までの様に一番底に仕舞っておこう。・・・でも、レナは寛大なのですね」

「そう言う訳ではないけど・・・。うん・・・でも・・・もうそう言う事はしないでね?」

レーニエは少し心配そうに夫を見上げた。



――ああ可愛い



自分の膝にある奇跡。

真珠を紡いだような髪も、紅玉の瞳も、猫のようなしなやかな動作も―――



――可愛くて、愛しくてどうしようもない



『あんたにもいつか心から愛しいと思う女ができるよ』



最早顔すら覚えていない女の言葉が蘇る。



――あんたの言うとおりになったな。俺は奇跡の様な巡り合わせでこの人と出会った



「ね?」

彼女に見蕩れて即答できなかった夫に不安を感じたのか、レーニエは再び彼の首に両手を巻きつけた。一瞬で彼は娼館の粗末な小部屋から、重々しくも広い領主館の寝室に引き戻される。ここが二人の閨なのだ。気を利かしたのだろう、お茶を運ぶと言っていたセバストは未だにやってこない。

「承知仕りました」



――本気で俺の目が他の女に行くと思っているのだろうか。全身全霊で愛されているのに。この()はちっとも分かっていないのだろうけど。



ふわりと抱きしめる。



縁を結ぶと言う古びた布、その物自身に何の意味もない。しかし、二人でこうしている今、この時、レーニエとファイザルを結び付けているのはこの薄汚れた布なのかもしれないのだ。



「愛している―――」



何の迷いもなくその言葉をできる自分。うっとりと差し出される唇は誰にも触れさせない。





奇跡は確かにあるのだった。








◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇






若かりし頃の兄さんのエピを織り交ぜて、語ってみました。タイトルのキセキには軌跡と奇跡の二つの意味があります。久々のノヴァでしたが、どうでしょうか?良ければご感想など!

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