誇りとは


2へ|ノヴァTOPへ





「レーニエ様!」

長い廊下の向こうから黒髪の少年が駆けてくる。

明るい中庭に面した回廊は一方が吹き抜けになっており、規則正しく並ぶ円柱が簡素ながらも軽快な様式美を醸し出している。

王立のトリストラム士官学校。

貴族の子弟や、荘園領主等の推薦を受けて地方からやってきた優秀な若者が、軍事だけでなく、希望に応じて広く様々な事柄を学べるところであった。



「フェール!」

レーニエもぱっと気色を浮かべて両手を広げた。しかし、さすがに嘗ての様には少年は腕の中に飛び込んでこようとはしなかった。何しろもう一回り以上も彼の方が大きいのだ。彼は主の一歩手前で立ち止まり、(うやうや)しく騎士の礼をする。緩やかな波を描く黒髪が背後の緑に映えた。



フェルディナンド・ジィン・シュヴェリーズは15にならんとする少年だった。



「やっとお許しを頂けた。ずっと楽しみにしていたの」

フェルディナンドが身を起こすのを待ちかねてレーニエはその首を抱きしめる。少年は逆らわなかったが、主の肩ごしに彼女の保護者で夫たる背の高い男と目が合った。

「今日は俺の方がバードン殿に用があってな」

やや挑戦的な少年の視線を鷹揚に受け流し、将軍の略式軍服を着たファイザルは頷いた。

バードン卿とは士官学校の校長で、ファイザルの元上官である。卒業生の赴任先の振り分け方の事でたまたま彼に用事のあったファイザルが、レーニエのフェルディナンドが学ぶ場を見たい、と言う希望を叶えてやったという訳だ。先日の街歩きの埋め合わせにと。



しかも―――



呼ばれもしないおまけつきで。

「あなたも用事がおありに?セルバロー殿」

フェルディナンドは胡乱(うろん)な目つきでファイザルの横に立つ赤毛の美丈夫を仰ぎ見た。

「いんや?あ、でも、ここでセンセイやってる昔の連れからは、一度稽古を見に来てくれといつも矢の催促だが」

しれっと「雷神」のジャックジーン・セルバローは答える。

「お前が何を頼まれようと構わんが、今日はやめておけ。レーニエ様がいるんだ、騒ぎは困る」

「なんで俺が稽古を見ると騒ぎになるんだ?」

「お前の存在自体が騒ぎだからな」

面白くもなさそうにファイザルが言った。

「まぁまぁ、ヨシュア。いいではないか、私もここでの稽古は見たいし、いろんな教室も見たい。・・・それにほら今日は目立たない服装だろう?」

レーニエは褒めて貰いたそうに胸を張った。

確かに本日の姫君のイデタチは、この間の様な凶悪な町娘の装いではなく、長い銀髪をきりりと(くく)り上げ、黒い夏用のマントに白いシャツ。ずらりとボタンの並んだ胴着もきちんとつけている、立派な少年貴族の夏の装束だった。

「・・・」

これで絶対に目立たないと思っている妻にこれ以上何を言う事が出来ようか?

ファイザルは誰にも分からぬようにこっそり溜息をついた。こんな男の苑で、目立つなと言う方が無理だと何故思い至らないのか、この人は。

「ええ、よくお似合いです」

ファイザルは力なく言った。

「うん。今日はフェルディナンドの後見人のワルシュタール子爵という事で、私は男だからフェルもそのつもりで」

「はぁ」

フェルディナンドも仕方なさそうに言った。この点でこの二人の男たちは同類である。

確かにレーニエの男装は長い間、そう振舞ってきたからある意味、非常に板に付いているし、胴着とマントのおかげで胸の膨らみもそう目立ちはしない。高い位置で結んだ髪は凛とした表情をさらに際立たせ、何も知らないものが見たら気品に溢れた立派な貴公子である。

「うん、いいぞ。レナちゃん!その意気だ」

セルバローだけが上機嫌で(はや)したてた。

「お前は黙ってろ、この方をこれ以上煽るんじゃない」

「そうです。ただでさえあなたは目立つんですから大人しくなさってください」

ファイザルが苦々しく(たしな)めるのを、今日だけは応援したい気持ちでフェルディナンドも頷いた。

「ふふん。おお、この辺りは懐かしいねぇ。あの小さい後ろの扉から良く脱出したもんだ。退屈な講義を抜け出してね」

「ジャックジーンは勉強が嫌いだったの?」

「さ、教科書など一度読めば十分です。大意が分かれば細かい解釈はドーデモ」

無意味に威張ってセルバローは豪華な赤毛をゆすった。

「こんな奴の言う事などお聞き流しになられるよう」

「んん〜〜〜?・・・とりあえず学校長殿にご挨拶を。さぁフェル、案内して」

何やら意気投合しているレーニエとセルバローの後から、フェルディナンドとファイザルがやや厳しい面持ちでついてゆく。丁度、前方の教室の講義が終わったのか、二つある出入り口から若者たちがわっと廊下に湧いて出た。

「指揮法の講義が終わったようです」

フェルディナンドが説明する。

行き交う若者たちは年齢も体格も様々だが、一様にこの目立つ集団を唖然として見送った。誰も彼も脇に避け、銀髪の少年(に、見える娘)と派手な赤毛の男を見ている。そして―――



――おい、あれって・・・



――ああ、ファイザル将軍だろ?「掃討のセス」の・・・



――うわ、すごい・・・俺、祝賀の観兵式で見た事あるけど、まさかこんな近くで・・・




――じゃあ前にいる赤毛は「雷神」か?二人揃ってなんて豪華な・・・いったい何であんな有名な方々がこんなところに?



――知るものか。それにしても二人とも長身だな。見ろよあのすごい剣。お前の脚の長さほどあるぞ。



――あの後ろにいる人は誰だ?銀髪の・・・あんな人は見た事が無い・・・なんて・・・



――まさか季節外れの入学生か?



―― 一緒にいるのはフェルディナンド・シュヴェリーズだろ?全科目主席の・・・一体どういう集団だ?



長い廊下を颯爽と進んで行く四人を両側から眺め、皆口々に囁き合っている。その背後から―――

(うるさ)いな、お前たち。宮廷雀じゃあるまいし、さっさと次の講義に行けよ。ほら邪魔だ、どけ!行くぞオーベール!」

小柄な少年が、従者らしき長身の少年の肩を乱暴に叩いた。その緑の瞳は憎々しげに通り過ぎてゆく四人、特にフェルディナンドに注がれている。



――ふん、成り上がりの田舎者が!



少年は肩を(そび)やかすと、彼らとは反対の方向に足早に歩み去った。





◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「お話よくわかった」

学校長のバードン卿に挨拶をし、士官学校の概要について一通りの説明を聞いた後、レーニエは深く頷いた。

「学園は理想的に運営されているようだ。このような場所で学べる若者たちが羨ましい。バードン殿、お忙しいのに私などの為に時間を割いて頂き、恐縮であった。ここからは我が従者、フェルディナンドに案内してもらう。部外者が突然まかり越して、お邪魔いたした事をお詫び申し上げる」

「何を言わっしゃる。ワルシュタール殿。あなたの従者は大層優秀な学び手でございまする。学問は元より、武芸の方も先々楽しみで・・・ハルベリ殿のお目にとまり、先の戦では重要なお役目を果たして参った事はご存じで御座いましょう。詳しくは私とても知らされておりませぬが・・・」

「ええ。ただし、軍事機密の事とて詳細は敢えて聞いてはおらぬ。この点はご安心召されよ」

「いえ、そのような事を懸念致してはおりませぬ。それに、ワルシュタール殿のことは委細伺っておりまする。ただ・・・甚だ微妙な事柄故、こちらでも公には致してはおりませぬ」

何事にも抜かりの無いハルベリがどこまでどのように伝えたものか、バードン校長の物腰はレーニエに対し、大層丁重だったが、必要以上に畏まったり、尋ねたりしてこないのがレーニエにはありがたかった。初老の物腰の穏やかな紳士だが、元は勇敢な戦士だったという。ファイザルやセルバローと同じ、乾いた感情を持つ男の好意にレーニエは好感をもった。

「ありがとう。その方がよい。・・・そうだね?フェル」

「はい。お計らい感謝いたします」

少年は優美に校長に向かって辞儀をした。それを機にレーニエは席を立つ。後ろに控えていた二人の男たちも立ち上がった。

「ん。くれぐれも我が弟・・・フェルディナンドをよろしく頼みます。では・・・」

「レーニエ様、もう少しお待ち下されれば、私が案内致しますものを」

ファイザルが心配そうに腕を伸ばしレーニエを引きとめようとするが、彼女はやんわりとそれを制する。

「よい。将軍はバードン殿と大事なお話があられるのだろう?お二方ともお忙しいのに、これ以上私の事で(わずら)わせたくはない。なに、ジャックジーンもいるし、ここは学園内だ。何も心配はないよ」

「しかし・・・」

それだから心配なのではないか、という言葉をファイザルはようやっと飲み込んだ。ここで余りに自分の危惧を周囲に見せつけるのも(はばか)られたからだ。

だが、ここは若い男の苑。しかも、案内役は誰よりもド派手で目立ちたがりのセルバローとくれば、いかに妻が少年の格好をしていても、彼の憂慮は当然だったかもしれない。

「だーいじょうぶ!俺がちゃぁ〜んとレナちゃんを案内するから。それにここは俺の母校でもあるし!」

セルバローの天衣無縫は噂に聞いてよく知っているはずなのに、レーニエを前にしても変わらない傍若無人な物言いにバードン卿は目を丸くする。

「ご案内は現役生の私が致します。おじさん達は引っ込んでてください」

いつものように上機嫌で請け合うセルバローに、すかさずフェルディナンドが口を挟んだ。

「なにおぅ?この雛っこ!」

「あなたはさっき剣術指南を頼まれていたでしょう」

「それは昼から!」

「お前たち!レーニエ様が困ってらっしゃるぞ」

フェルディナンドにおじさんと呼ばれた事には目を(つぶ)って、ファイザルは穏やかに角突き合わす二人を(たしな)めた。実際のレーニエはそれほど困っているようには見えず、面白そうに二人のやり取りを眺めている。

「そうそう。教授方もご高名な雷神殿に是非稽古をつけて頂きたいと、手ぐすね引いておりまするぞ。私からもお願いいたします。午後の訓練の時間までに軽く体慣らしをされてはどうです?よければ練武場へおでましを」

「う〜ん、そこまで言われるとなぁ。そんなら、行くか!」

バードンも熱心に頼んだので、(おだ)てに弱いセルバローは満更でもないようである。

「じゃあ、俺は軽く汗を流してきますから、それがすんだらお昼をご一緒しましょう」レーニエの耳元でそう囁くと、セルバローは大股に部屋を出て行った。

「それでは私はもう少し構内を見て回ろう。・・・ではバードン殿、ファイザル殿、世話をかけた」

レーニエはもう一度礼を言うとしなやかな動作で立ち上がる。

「これがすんだら直ぐお迎えに上がります。それまで・・・」

未だ心配そうにファイザルが言いかけるのを、レーニエは砂糖菓子の様な頬笑みで遮った。

「分かっている。大丈夫だから」

「絶対にフェルディナンドの傍を離れないように」

尚もその背にファイザルが声をかけるのへ軽く手を上げて応じ、レーニエはフェルディナンドとともにセルバローの後を追った。



――危ないもんだが・・・



その青い瞳はまだ憂慮を浮かべて扉の方を見ている。その様子を興味深く見ていたバードンはおかしくて堪らぬように言った。

「ふ〜〜〜ん、なるほどな。フローレスとドルリーからも聞いてはいたが、お前がそんな風になるなんてなぁ、ヨシュア・セス。しかしまぁ、それにしても、大変な方を妻に迎えたもんだ。同情はするが愉快でたまらんよ、わしもな」





◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「ここは薬草学の講義が行われています。午前の最後の授業になります。後ろの扉からどうぞ」

練武場に向かうセルバローと一旦別れた後、温室と隣り合った教室にレーニエを導き入れたフェルディナンドが説明する。そこでは大きな教卓に鉢植えの苗や、乾燥した植物の根や葉をたくさん並べて、白髯の老教授がその効能や使い方について説明していた。

「これは興味深い」

薬草について少しは知識のあるレーニエだったが、遠慮して後ろの空いた席に静かに座った。その傍に座っていた青年たちがぎょっとしてレーニエを見つめたが、さすがに講義の邪魔になるような声は立てない。

やがて愉快そうな顔つきの老教授は、薬草の選別の仕方を実地に指導するために皆に手招きをした。薬草の選別は書物の知識だけでは難しいため、実際の標本を示して行われる。遠くから見ているだけでは分からない事が多く、学生たちはぞろぞろと大きな教卓の周りに集まった。

レーニエも思い切って前に移動する事にする。フェルディナンドがいるので心強かった。

「さぁ、お若い衆、この二つの苗の区別がつくかね?」

茶目っ気たっぷりに教授は同じような二つの植物を掲げて見せた。見た目は全く変わらないような葉をつけている為、どの学生も首を捻っている。

「植物というものは、花や実をつけてないと見分けにくいものだ。特にこのような苗で種名を同定するのは至難の業だよ。お立会い」

ふむふむとレーニエは頷く。教授の話術に魅了されている。

「しかももし間違って毒草だったら一大事だ。机上にあるこの二つの品種は特によく似ているのだからね。よく見ておおき。区別する場所はここ!」

教授は二つの苗を並べ、茎の生え際を示した。

「こちらのやや赤いほうがジキリス。紫がかっているのがニセジキリス。ジキリスの方は煎じて飲むと熱冷ましになるが、偽物の方は激しい嘔吐を誘発するぞよ、お立会い。ご注意召されい」

おおお、とどよめきが走る。レーニエもジキリスの効能は知っていたが、いつも乾燥したものばかりを見ていたため、このように似たような近似種があるとは、はじめて知ったので驚いた。しかし――

「恐れながら教授殿」

思わずレーニエが発した言葉に全員が一斉に振り向く。そして一様にその目立つ風貌に目を見張る。なにぶん経験不足でこうなる事を全く予想していなかった娘は大いに驚いたが時すでに遅く、目を瞬かせた教授までもが面白そうにレーニエを見つめていた。

「あ・・・済まない・・・ご講義のお邪魔をするつもりはなかった・・・今すぐに出てゆくので・・・」

フェルディナンドの陰に隠れるようにレーニエが後ずさるのへ、「お待ち!」と教授の声が掛った。

「見かけぬ御顔だが聴講の方かな?何構わんよ、何がお聞きになりたいのかな?」

「・・・」

レーニエがどうしたものが戸惑っているとフェルディナンドが励ますように頷き、小声で促す。

「レーニエ様大丈夫です。この先生はとても闊達(かったつ)で見識の高いお方です。思われた事をご質問なさって」

「う・・・そ、そうか・・・あの・・・」

「おっしゃいな。お若い方」

教授も微笑みながら促した。

「では・・・失礼して。私の拙い知識では毒草というものは使い方を誤りさえしなければ、薬としても役に立つと・・・そのニセジキリスという植物は全く役には立たないのだろうか・・・?」

「おお、妥当な疑問だぞよ、皆の衆。お若いの、お名前は?」

「ワルシュタールと申す」

「そうかそうか、ワルシュタール殿。お手前の疑問は尤もであるぞよ。たとえば幼い子供等が他の毒物を誤飲した場合、嘔吐を誘発する薬草と言うのは役に立つものだ。しかし、このニセジキリスは些か毒性が強すぎてな、胃を荒らす事がしばしばだ。毒物を吐瀉(としゃ)させるのであれば、もっと適切な薬草がある。何か分かるかね?」

「ええと・・・オオブセリとか、クラナタスとかであろうか?」

「お見事!皆、聞いたかえ?その二つは次の講義で解説しようとしていたところじゃ。よくお学びであったぞよ」

にこにことして老教授は褒めたので、レーニエは髪の根元まで真っ赤になった。その様子はいかにも可愛らしく、横に立った青年などはぽぅっとして見とれている。

「いえ・・・我が領地にはその薬草が多いというだけの事で・・・」

レーニエがおろおろと言い訳しようとしたのへ、近くで聞えよがしにフンと鼻を鳴らす音がした。

レーニエは気付かないが、フェルディナンドがきっと見やると、そこにはまっすぐな金髪を後ろで結わえた少年がいた。眉の高さで切りそろえた前髪の下の緑色の瞳がこちらを嘲るように見つめている。言うまでもなく、先ほど廊下にいた少年である。

「単に田舎者だというだけの事じゃないか」

教授には聞こえないように、だが憎々しげに彼は呟く。フェルディナンドも負けずにそちらをきっと見返した。

「フェル?」

何も聞こえていなかったらしいレーニエが小首を傾げた。

「いいえ、嫌な奴と目が合ったので・・・」

「嫌な奴?」

その時教授が講義の終了を告げたので、若者たちは一斉に席を立って教室を出て行ったので、その話はそれきりになった。先ほどの少年も皆に紛れて部屋を出たらしく、フェルがこっそり窺っても姿が見えない。皆昼食を取るべく、食堂に向かっているようだ。

「レーニエ様は校長室で召し上がられますよね?」

一番最後に教室を出ながらフェルディナンドは尋ねた。ファイザルがきっと待っているだろう。だがレーニエは首を振った。

「ううん、いい。私も食堂で皆と一緒の物を食べてみたい。あの様子ではきっとジャックジーンもそちらに来られると思う」

大勢で食事を取るなどと滅多にない事だった。以前、北の砦を初めてファイザルに案内してもらった時、大勢の兵士たちと一緒に食事した事がある。あの時は余り気が進まなかったように記憶している。



――今はちっとも嫌ではない・・・これって私が少しは大人になったと言う事なのかな



そうだといいが、と、レーニエはくすりと笑った。

「レーニエ様?」

「ん?なんでもないよ」

「ですが、食堂では皆結構自由にふるまっています。お見苦しい点も多々あるかと・・・」

「そう言うのを見てみたい。でも、ヨシュアに伝言をしておかないと・・・後で叱られるかもしれないから。誰かに頼めるかな?」

「ああ、それはできます。・・・おい、君!」

フェルディナンドは丁度通りかかった下級生らしき少年を呼びとめた。

「あっ、フェルディナンドさん。はい、何でしょうか?」

その少年は顔を赤くして(かしこ)まった。

「済まないが、学長先生のお部屋まで伝言を頼めるかな?」

「はいっ!勿論です。何でもおっしゃってください」

「では、私たちはこれから食堂に向かいます、と。それだけ言えばわかる。悪いな、君も食堂に向かうんだろうに」

「いっいえっ!とんでもありません。今すぐ行ってきます。では!」

ピンと背筋を伸ばして一礼すると、少年はあっという間に廊下を走っていった。

「すごい・・・フェル。尊敬されているんだ」

「いえ、俺が彼より年上ってだけですよ。割と旧弊(きゅうへい)なんです、この中は。現場では実力主義だといいんですが」

少し苦い顔をしてフェルディナンドは言った。その様子をレーニエは不思議そうに眺める。

「そうかなぁ・・・あの少年はフェル自身の事をとても崇拝していたようだったけど・・・まぁ、いいや。行こうか」

「はい。でも本当にいいんですか?」

「大丈夫だ。皆礼儀正しい。流石は優秀な未来の士官候補生達だね」



――そぉですかぁ・・・



声こそ掛けられなかったものの、教室や廊下で皆好奇心一杯にレーニエを見ていた。食堂でもきっと注目されるだろう。後で自分は質問攻めになるのに違いない。フェルディナンドはその時の事を想像すると気が滅入る。いったい何と説明したものだろうか。しかし、普段王宮の奥で大人しくしている(先日の街ゆきは別として)主の望みを叶えてやりたい彼は、奥の出口から入って隅で食事をする分には、広い食堂内ではそんなに目立たないだろうと判断した。

「・・・では、こちらから裏を通って参りますね。近道ですから」

「うん」

主従は中庭に面した廊下から逸れて建物の裏手に回った。大方の学生は既に食堂に行ってしまったのだろう、廊下も、その裏の小道にも人影はない。フェルディナンドがほっとしたその時―――



「やぁ、田舎者の諸君!」



横柄で甲高い声が背後から響いた。





◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「ん?」

レーニエが結った髪をさらりと流しながら振り向く。

そこにはフェルディナンドよりもずっと年下に見える小柄な金髪の少年と、それよりは4、5歳は年嵩(としかさ)と思われる従者の服装をした浅黒い肌をした長身の少年が立っていた。金髪の少年の方は明らかに挑戦的な目つきで、レーニエ達を睨んでいる。

「グザビエ・ドゥー・ファーデリアン!」

「え、誰?友達なの?」

フェルディナンドが忌々しそうに呟いたのにレーニエが答えると、少年はいっそういらいらしたように鼻を鳴らした。顔立ちは整っているが、その様子は繊細で神経質そうな印象を与える。

「僕の名も知らないのか、余程の田舎地主か何かだな。ワルシュタールとか言ったか?聞かぬ名だ、一体どんな辺境出身だ?」

「おい、ファーデリアン!絡みたいなら俺一人の時にしろ!」

フェルディナンドが語気荒く言い返すのを全く無視し、少年の目はレーニエに向けられていた。

「ノヴァゼムーリャ」

レーニエは素直に答えた。

「何?何だって?ノヴァ・・・?ああ、地図の一番はしっこに乗っている大辺境だな、これは驚きだ。いったいどんなコネを頼って何しに都へやって来たのやら」

「・・・?」

訳の分からないレーニエは、茫然と自分より頭半分ほど小さな少年を見つめ、そして自分の従者を見た。

「ご無礼いたしましたレーニエ様。こいつは大貴族の出なのを(かさ)にきて、いつも俺に絡んでくる嫌な奴なのです。年は13歳で、この学校では一番年下なのですが、自分が一番偉いと思っている。特別扱いだか何だか知らないけど、学問の講義だけしか受けないし・・・こんなのはほっといて行きましょう」

フェルディナンドはレーニエの耳元で小さく囁き、腕を取って先を急がせようとしたが、彼女はやんわりとではあるが、それに逆らった。常に聞き分けのいい主としては珍しい事であった。

「レーニエ様?」

驚いて見つめる先には興味深そうにグザビエを眺める主が。

「コネって何?」

「・・・は?」

グザビエと呼ばれた少年はぐっと詰まる。どんな反撃を予想していても、この問いだけは想定の遥か外であった。

「馬鹿かお前は。コネって言うのは・・・縁が・・・その・・・」

「なぁんだ、お前だって知らずに使っているのか。それにしても、先ほどからのものの言い方から思うに、お前はフェルの事が嫌いなのか?」

「お前だって!?」

とたんに勢いを盛り返してグザビエは怒鳴った。

「僕を誰だと思っている。ファーデリアン侯爵、つまり僕の祖父は現元老院副議長だ!母は筆頭公爵ブレスラウ公家の出身なのだぞ!」

「何と申される?」

「何?」

「だからそなたの母上の名だ。ブレスラウ公家のご出身だという」

お前と言って怒鳴られたレーニエは、別の二人称を用いて淡々と尋ねた。しかし、少年は言い換えられたことにも気付かないようで、今度は別の怒りに顔を真っ赤にして憤慨している。

「そんな事を聞いてどうする。お前などが聞いてどうにもなるまいが。・・・でも、教えてやろう、僕の母の元の名はカミーラ・レン・ドゥー・ブレスラウ、ブレスラウ公家の二女で、現ブレスラウ公、バルバラ伯母上の妹になるのだ」

「・・・」

言うまでもないことだが、先ブレスラウ公はレーニエの父レストラウドである。彼は複雑な経緯により、ブレスラウ公家に養子に迎えられ、公家を継いだ。しかし、彼もまた22歳の若さで戦死したため、現在は直ぐ下の妹、バルバラが公爵家を継いでいる。レーニエとは血縁関係はないが、義理の叔母という事になる。しかし、彼女は政治的な野心はなく、女王と同じく独身で、義兄とは違って極めて地味な性格であった。常に広大な領地に籠りきりで王宮に滅多に参上せず、レーニエですらまだ会った事はない。

そして、目の前の傲慢な少年、グザビエは、その現ブレスラウ侯バルバラの妹を母に持つと言う。レーニエは巡り合わせの不思議を思った。

「ふぅ〜〜ん」

ふぅん、だと!?」

レーニエの静かな応えに、益々激高したようにグザビエは細い体を反らした。

「この物知らずの田舎者!フェルディナンド・シュヴェリーズ、お前も大概気に入らんが、下僕が下僕なら主人も主人だわ。なぁ、オーベール」

それまで黙って後ろに控えていた少年の従者はひっそりと頭を下げた。それは同意というよりも、この居丈高の主人を宥めるような仕草のように見える。だが、従者のそういう態度に慣れているのか、グザビエは後ろを振り向きもしない。

「・・・で、そなたは矢張り、フェルのことが嫌いなのだな」悲しそうにレーニエは呟いた。

「勿論、嫌いだとも!あったりまえじゃないか。身分卑しい下っ端のくせに、ちょいと武勇が優れているだけで、ものを見抜けない教授方に取り入り、優等生面を晒している。ああ、虫唾が走るほど嫌いだ」

「・・・」

「レーニエ様、俺は構いません、こいつにこんな事を言われるのは常で、慣れてますので・・・さぁ行きましょう」

「いつもこんなことを言われているのか?」

驚いたようにレーニエはフェルディナンドに向かって問いただす。主人の改まった口調にフェルディナンドは余計な事を言ってしまったかと口を歪めた。

「・・・」

「フェル?」

「・・・ファーデリアンと俺は同じ日にここに入学したのですが、身分が低い俺の方が成績が良いのが納得いかないようで。こいつは武芸の訓練には出ないし」

主の促しに渋々とフェルディナンドは答える。

「煩い!僕は参謀になるんだから武芸など出来なくてもいいんだ!お前が成績がいいのは出自が悪すぎると同情を買い、お情けで加点してもらって貰っているからじゃないか」

「そんなことはない!」

レーニエの前で公然と侮辱され、フェルディナンドも負けじと言い返す。

「そうだとも!その証拠にどの教授にもお前はぺこぺこしているじゃないか!」

「それはただの礼儀だ!」

「・・・しかし、グザビエ殿、成績は本人の努力が(もたら)すもので、身分云々は関係ないと思うが・・・」

何とか割って入りこむ隙を見つけてレーニエは己が従者をかばう。しかし、いつになくその表情は険しくなっていた。

「煩い!僕に意見するのか、この田舎者!」

「レーニエ様にそんな口をきくな!」

「田舎者を田舎者と言って何が悪い!大体、お前など田舎者の卑しい下男の分際で、この学園にいる事すら僕には目ざわ・・・ぐっ・・・!」

その瞬間、グザビエは何が自分に起きたか理解できなかった。味わった事の無い衝撃と共に、いきなり視界が低くなったからだ。芝の生えた地面にへたり込んだ彼は、睫毛の長い大きな瞳をこれ以上ないと言う程見開いている。

グザビエだけではない、後ろのオーベールも――いや、フェルディナンドでさえ、あんぐりと口を開いて、尻もちをついたグザビエと、ピンと腕を伸ばしたレーニエを見比べていた。



「いい加減にしろ!」





◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





レーニエは彼女にしては大きな声を出したが、怒りで我を忘れている風ではなかった。グザビエを殴った握り拳は既に下ろされている。

「そなたも貴族だと言うのなら、貴族らしく振舞え。先ほどからのそなたの言動は我が領地の幼子にも劣るぞ。恥を知れ」

「な・・・な・・・な・・・」

グザビエの白い小さな顔ははじめ赤かったが、その内青くなってきた。

「よくも・・・よくもこの僕を殴ったな・・・それもぐーで!」

「それがどうした。殴ると言ったら普通ぐーではないか。ジャックジーンはそう言っていたが・・・え?違うの?」

レーニエはフェルディナンドを振り返って聞いたが、いきなり話を振られた彼は青い顔をしてぶんぶんと首を振っている。

「お・・・おのれぇ!この無礼者!おい、オーベール!何を馬鹿のように突っ立っている!何のために僕について一緒に士官学校に通わせてやってると思ってるんだ!僕を殴ったこの田舎者をやっつけろ!今すぐ」

オーベールは突っ立っている従者に向かってきぃきぃと甲高い声で怒鳴ったが、こちらの従者も直ぐには動けない様子である。

「・・・・・・う」

「何をしている!早く」

主人である少年を助け起こしていたオーベールは仕方なく半歩踏み出そうとしたが、漸く己を取り戻したフェルディナンドがレーニエの前に立ち塞がり、腰を落として構えた。しかし、レーニエはするりと前に出る。

「え?レーニエさ・・・」

「なぁんだ、そなた、自分の事も自分で決着が付けられないのか?まぁ、私も以前はそうだったが・・・お前を殴ったのは私だ。だからお前も私を殴る権利がある。・・・もっとも私が殴ったのには理由があるから、謝らぬが」

「・・・貴様・・・」

きらきらと緑の瞳が燃え上がった。

「まずは立ったらどう?」

そう言ってレーニエが差し出した手をグザビエは乱暴に払いのけた。続いて背を支えていたオーベールの腕も振り払い、一人で立ち上がる。さっきは不意を喰らって思わず尻もちを突いてしまったが、別に殴ったレーニエの力が強かったわけではない。余りに唐突だったのと、グザビエが同じ年の少年たちに比べても非常に小柄で、レーニエの方がまだしも体格では(まさ)っていたせいでもなる。

「お前・・・ただで済むと思うなよ」

「別に思わぬが・・・おまえはいくつになる」

「13だ、それがどうした」

「そうか、そんな子供を私は打ってしまったのか」

「子どもだと!?」

「・・・十分子供ではないか。私ははたちだもの」

レーニエは威張って見せたが直ぐに反省した。カンカンに怒ってグザビエは仁王立ちになっているが、手も足も細く、どう見ても10歳ぐらいにしか見えない。レーニエは幼い頃の自分を思い出してふと憐憫の情を覚えた。

「だが・・・フェルを悪しざまに罵ったから悪いとは思わぬが、感心はできぬな・・・」

「子どもじゃないと言うに!」

そう叫ぶと今度こそグザビエはレーニエに跳びかかってきた。レーニエは足を一歩引いて身構える。

「レーニエ様っ・・・・・・わ!」

慌ててグザビエとレーニエの間に割って入ろうとしたフェルディナンドの腕が、背後からものすごい力で引っ張られる。不意を突かれた彼は仰のけに後ろの藪の中に突っ込んだ。

「な・・・?」

そこには大きな体を縮こめた、「雷神」ジャックジーン・セルバローの姿。面白くて堪らぬような様子で金色の目が爛々と光っている。彼はがっしりと少年を抱え込んだ。

「おい・・・やめろ、レーニエ様が・・・」

フェルディナンドは思い切り体を(よじ)ったが、巻きついた腕はびくともしない。それならば、と大声を出そうとすると今度は顔の下半分を大きな掌で覆われてしまった。

「むがっ・・・!」

「こら、ジタバタすんな、小僧。いいから見てろって!」

「!?」

フェルディナンドが見ると、同じように引き倒されたオーベールが傍らに転がっている。彼も同じように藪に引きずり込まれたらしい。

「こんなに愉快な見世物は滅多に拝めやしない。なに、姫様は大丈夫さ。見てみろ、なかなか勇敢に相対しておられる。流石はお父上のお子だな」

「・・・」

「まぁあのクソガキ相手じゃ、まだしもレナちゃんの方が強いかも知らんわな。度胸もあるし・・・うん、良い構えだ。俺が教えたからな」

「〜〜〜〜〜〜っ」

呑気に解説するセルバローに首根っこを押さえつけられた二人の従者の少年は地面に這いつくばってもがきながらも、それぞれの主を固唾をのんで見つめている。

二人の睨み合いはまだ続いていた。跳びかかったものの、空振りに終わったグザビエは一瞬体制を崩したが、直ぐに顔を上げた。普段なら可愛らしいと言える少年の顔が怒りで歪んでいる。

「・・・お前・・・さっきの将軍がいるから平気だと思っているだろう?」

「・・・ファイザル殿の事か」

レーニエは静かに尋ねた。

「ふん、あいつだって同じだ。英雄だ、将軍だと皆は(はや)しているが、その実生まれも知らぬ平民出の野良犬だっていうじゃないか・・・そんな奴、僕の・・・うわっ」

今度こそグザビエはまともに押し倒されていた。



「ヨシュアの悪口を言うな!私が許さぬぞ!」

少年の華奢な体に覆い被さるようにレーニエが乗っかっている。

「!」

フェルディナンドは言葉もなく目を見張った。目の前にはあり得ない光景。崇拝する優しい主があろうことか、本気で喧嘩をしているのだ。二人はお互い(つか)みあったままぽかすかと取っ組みあっていた。

「恥を知れ!」

「なにを!下賤のものが!」

二人は仔猫がじゃれあう様に組み合ったまま、ごろごろと草の上を転がった。

喧嘩慣れしていないのはお互い様だが、レーニエはここ二年ばかり領地で様々な経験をしていたし、兵士たちの訓練を目にする機会もあった。ファイザルが不在の間に若い兵士に頼んで護身術を教わったこともある。レーニエとて決して体格の良い方ではないが、それでもグザビエより背は高く、手も足も長かった。公平に言うなら分は彼女の方にありそうだった、

「お前の振る舞いは貴族にあらず!」

レーニエはグザビエの腹の上に馬乗りになって、両手で顔をぎゅうぎゅうと掴んでいる。少年の白い頬に幾筋ものみみず腫れがはしった。

「ふご・・・おのれっ!」

グザビエも負けじとレーニエの腕に爪を立てている。金と銀の髪を逆立てた、まさしく仔猫同士である。

「謝れっ!フェルとヨシュアに謝れっ」

「誰が謝るもんか!お前なんか父上に言って領地を取り上げてやる!」

「謝れと言っている!」

ぽかすか



「おおっ!レナちゃんがんばれ!」

「ふがっ・・・(放せ、コノヤロー!レーニエ様を助けるんだ)」

「そこだっ!行け!」

「〜〜〜〜っ(はなせぇっ!この馬鹿力!)」

藪の中でも密かな攻防戦が行われている



「成り上がりのクソ将軍がっ!」

ぱしっ!

少年の頬が鳴った。

「あ〜〜ららら、やるねぇ姫様。だけど、そろそろあの坊やを助けに行ってやらんと顔が腫れあがっ・・・・・・あ〜〜あ、来ちゃったよ」





◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「何をしている!」

鋼鉄の声の響きに、レーニエもグザビエもぎょっとなって凍りついた。赤煉瓦の校舎の角で長身の男が仁王立ちになっていた。

「ヨシュ・・・ア・・・」

「レナ!あなたは・・・っ」

自分の妻が少年とはいえ、れっきとした男の上に馬乗りになっている。人通りもない、こんな建物の裏で、結わえた髪も衣服も乱し、頬を真っ赤に染めながら。

「・・・・・・っ」

言葉もなく彼は走り寄った。

「きゃっ!」

あっという間に太い腕に掬いあげられる。



「・・・ヤだねぇ、いっつもおいしいトコ持っていきやがるんだから。どら、坊主ども、撤収だ。行くぞ」

「〜〜〜〜っ!(放せっつってんだろ!息が詰まる)」

強力な腕に首ごと抱えられ、口を塞がれた少年たちは抗議の呻き声を発しながら引きずられて行く。

「あ〜〜はいはい。後でお前たちのご主人様はちゃんと帰って来るって。心配な〜〜〜い!」

セルバローは茂みの中をごそごそと後退すると、二人の少年の襟首を引っ掴んで足早にその場を去った。



「・・・こいつは誰だ!?」

「こいつだと!?」

重しが無くなったのを幸い、グザビエはがばと身を起こした。頬は赤く、幾筋かのみみず腫れが平行線を描いている。にもかかわらず彼は、自分の倍ほどもある男に食ってかかった。

「この成り上がりがっ!」

「黙れ!ヨシュアにそんな口をきくなら、オリイの一番太い針と糸でその口縫いつけてやる!」

レーニエはファイザルに腰を抱えられ二つ折りになったまま、出来る限り身を起して怒鳴り返した。

「・・・・・・」

世にも珍しい姫君の怒鳴り声。

どうやら思い描いたような事態ではないと瞬時に理解したファイザルは、今度は唖然として二人の若い貴族を交互に見比べる。これは・・・一体・・・まさか・・・しかし、ひょっとして・・・

「ケンカ・・・・・・か?」

信じられない。この温和な大人しい子が。

「この悪い子があなたとフェルの事、思い切り悪口を・・・」

「煩いっ!お前たちなど糞くらえっ・・・オーベール、オーベールはどこだ?」

悪い子と言われた事に再び激高しかけたグザビエだったが、突然はっとしたようにあたりを見渡して自分の従者を探した。

二人のやり取りで大体の事を把握したファイザルは、そっとレーニエを下ろすと顎を捉え、怪我がないか左右に首を傾けて調べた。見た目には顔にも手にも傷痕は無い。

「お怪我は・・・?どこか痛いところはありませんか?」

「ひとつも無い。私の方が強かったようだ」

勝ち誇って少年を見下す。まだ、怒っているようだ。

「威張る事でもない。だが、あなたに傷があったら、例え子どもでも厳しく処するところだった・・・お前は大丈夫か。見たところ、大したことはなさそうだ。顔にみみず腫れがある他は」

自分の胸までもないような少年を観察しながらファイザルは言った。

「何故こんな事を?・・・俺の悪口を言ったそうだが?」

「国王陛下のお情けで、身の程知らずな地位に就いた将軍と言うのはお前か?」

ファイザルの威厳に気押されながらも、誇り高い少年はきっと顎を上げて傲慢に言い放った。

「まだ言うか!」

再びレーニエが柳眉を逆立て前に出ようとしたが、さっと伸びた腕に制される。

「放っておきなさい。この少年の言う事はあながち間違っちゃいない」

「間違ってる!」

「いいんですよ、俺は慣れてるし、何を言われたって別に構わない。あなたが腹を立ててくださるのは嬉しいが、これ以上気持ちを乱されない方がいい。・・・そのように怒ったところも可愛くはあるが」

「・・・!」

ファイザルはさらりと言ってのけると目を細めて笑い、まだ赤いままの娘の頬をちょんと指で突いて速やかにレーニエの怒りを鎮めた。そうしてゆっくりとグザビエに視線を滑らす。少年も一瞬毒気を抜かれたのか、茫然と大きな軍人を見つめていた。

「お前の従者なら、先ほどセルバローに引きずられて行ったのが見えたぞ」

「そう言えばフェルもいない・・・どこに行ったんだろう?」

レーニエも今気づいたようにあたりを見渡した。

「だから、あの馬鹿が抱えて行きました。今頃きっと食堂にいますよ。とりあえず我々も行きましょう。さぞフェルディナンドが気を揉んでいるはずだ。・・・お前も来るか」

ファイザルは穏やかに立ち尽くしているグザビエに言葉をかけた。

「・・・断る!」

少年は顔を背けると、くるりと身を翻すとバタバタと駆けだし、校舎の向こうへ姿を消した。





◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇








2へ|ノヴァTOPへ
Copyright (c) All rights reserved.