障壁

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「きゃ〜〜〜〜!!!レーニエ様〜〜〜〜!」

漸く戻ってきた二人が市庁舎のホールに入った途端、悲鳴を上げてサリアが駆けてくる。

「おや、遅いお帰りで・・・」

回り道をしていた二人より、余ほど早く帰りついていたセルバローは厭味ったらしく朋輩を出迎えた。やや後ろにジャヌーも控えている。

「なかなかお戻りにならないのですもの、大層心配いたしましたわ〜〜〜!ん?まぁ・・・レーニエ様、お顔が赤ぅございますわ。よもやお熱でも・・・?さぁ、お部屋にまいりましょう。御髪も乱れてございますわ」

早速サリアはいそいそと主の世話を焼きはじめる。

「・・・え?あ・・・うん」

サリアが鋭く指摘したようにレーニエの頬は幾分紅潮しており、瞳が潤んでいる。

「さ!さぁっ!さぁさぁ!」



「あ〜〜あ。あの子叱っかられるぞぉ」

泣く子も黙る「掃討のセス」に必殺の凄まじい一瞥(いちべつ)をくれ、プイっと背を向ける忠実な侍女に追い立てられ乍ら階段を昇る娘の後姿を見送って、セルバローは大げさに溜息をついて見せた。ファイザルも苦笑してどちらが偉いんだか分からない主従を見送っている。



――畜生・・・生まれ変わったような顔をしやがってこの野郎、今まで一体何をしてたんだか



「・・・でもなんで、王女殿下のほっぺたが赤いんだろうなぁ」

セルバローは意地悪い流し目を朋友にくれた。

「季節のわりに肌寒い日だからな」

しれっとファイザルは応じ、背を向けて自室に向かう。

「・・・それにあの、うるうるした瞳は一体・・・」

「今日は風も強いし」

「(てんめぇ・・・)あの侍女、さっきまで大騒ぎしてたんだぞ。可哀そうに、お前の従卒は首を絞められて責められてたんだぜ」

「・・・ほんとうか、ジャヌー?」

ファイザルは流石に驚いて振り返り若い従卒を見たが、ジャヌーは真っ赤になって両手を振る。

「えっ!?いえっ!大したことではございません。・・・ですが、司令官殿・・・それでは、そのぅ・・・仲直りされたのですね・・・」

「・・・お前にも心配をかけたようだな・・・済まん」

「いえっ!いいえ!俺は嬉しいです。あの方のあんなに嬉しそうな顔を見られて・・・本当に・・・俺は・・・」

若々しい顔の片側がぐしゃりと歪み、彼は慌てて顔を反らした。夏の空のように澄んだ瞳の縁に光るものがある。それを振り切るようにジャヌーは白い歯を見せて笑って見せた。



――ジャヌー・・・



忠実についてきてくれたこの青年に自分は何を返せただろうか・・・

「済まん・・・」

ファイザルは繰り返した。

「迷惑をかけたな」

「・・・おい」

「なんだ」

「どうでもいいが、その締まりのない顔を何とかしろ、気持ちが悪い・・・。おい、今夜話して聞かせろな。洗いざらい」

「ご免蒙る」

相変わらずこの朋輩にだけは素っ気ないファイザルである。

「ふぅん・・・なら、お前が今日アローウィンの城壁の上で何をしてたのか言いふらしてやる。確か赤ちゃん抱っこで降りてきたよなぁ・・・それでな、ジャヌー・・・」

「・・・おい」

慌てるファイザルを見ないようにジャヌーは下を向いて黙っているが、さすがに好奇心がその背中から滲み出ていた。

「なら、諦めろ。酒は上等のを俺が用意してやる。まさか、こんな場所でお姫様の寝所に忍び込むわけでもなかろうに・・・。飲み明かそうぜ。おおっと、剣に手を掛けるのはやめろ。くぉら、鯉口(こいくち)を切るな!ここを何処だと心得るこの無礼者!」





「それでは上がられる時にお声を掛けてくださいませ。それから今夕の晩餐の儀は、お断りになられると申し伝えてよろしいのですね」

「そうして」

「ではそのようにいたします。ごゆるりと」

「ああ、ありがとう」

レーニエは湯船にゆったりと身を伸ばした。領主館の浴室ほど大きくはないが、この施設の中で一番良い部屋を自分が独占している。そのことに対する後ろめたさはあったが、ゆっくり湯に浸れることは風呂好きのレーニエにとって素直にうれしい事だった。

「ん・・・」

つい先ほどファイザルが触れた場所をレーニエは指で辿ってゆく。

「ぁ・・・ん」

湯の中で彼と同じように自分の胸に触れてレーニエは身を捩った。自分の物でないような声が漏れ、驚いてしまう。



――だって・・・だって思い出すと変になるんだもの・・・



このまま変になってしまったらどうしよう・・・とレーニエが真剣に悩み始めた時「失礼いたします」という声と共にサリアが顔を覗かせる。途端にじゃぶんと大きな音がした。

「レーニエ様?あれ?どうかなさいまして?」

「なんでもっ!」

「はぁ・・・あの、シザーラ様がお目通りを願っておられますが、如何いたしま・・・あら、随分お顔が赤いですわ。もう上がられた方が・・・」

着替えと体を拭う布を脇に置きながらサリアは怪訝そうに主人を見た。彼女には大方の想像はついていた。大切な主に今日、何があったのかを。このところ伏せられることの多かった瞼を久々に凛々しくあげて、見つめる先に誰がいるのか。

「レーニエ様・・・」

「そうするっ!・・・え?シザーラ殿が・・・!?」

かなり混乱してレーニエは勢いよく湯船から立ち上がった。





「晩餐の前のこんな時間に失礼いたします」

シザーラはすっかり晩餐用に衣装を整えて部屋に入って来た。対してレーニエは湯あがりの髪も乾かさぬまま、急いで身につけたいつもの通りのゆったりした黒の平服だ。

「私こそ、このような成りで申し訳ない。さっき湯を使ったばかりで・・・今日は少し遠出をしていたものだから・・・あの・・・晩餐の儀は今夜は断ろうと思って・・・先ほどそう申し伝えたのだ」

「あら・・・存じませんでした。それなら私も断ればよかった・・・」

「え?お身体の具合でも・・・?」

「そうではなくて・・・あの・・・失礼を承知で申し上げますが、私はレーニエ様と少しお話がしたいと思いましたの・・・レーニエ様さえよければなのですが・・・」

「ああ・・・、私は構わない。ちょうど一人で身を持て余して・・・あ、いや、その・・・サリア?」

「はい」

「今ならまだ間に合うかもしれない。ドルトン殿にシザーラ殿と私はここで夕餉を摂るからと伝えてもらえないかな?」

「かしこまりました。それでは厨房にもそう申し上げた方がよろしいですわね」

「ああ、そうか。ありがとう」

サリアはレーニエが同年代の娘と仲良くなるのを、自分の事のように喜んで身軽に部屋を出て行った。



「・・・で、シザーラ殿、お話とは?」

椅子を勧めながらレーニエは尋ねた。

「・・・・・・」

シザーラは相変わらずうっとりとレーニエを見つめていた。長い髪は早く乾くように解きほぐされ、滝のように背中に流れている。湯上りの頬が上気して白い肌に際立ち、同性ながら惹きつけられずにはおれない妖艶さだ。そのくせすらりとした身に纏う男物の服が大変よく似合い、美しい王弟アラメインを見慣れているシザーラですら見惚れてしまう。

「シザーラ殿・・・?」

「えっ?ああ・・・これはご無礼いたしました。つい見蕩れてしまって」

「何に?ま、とりあえずお座りになられるがよろしかろう」

「はい・・・では」

シザーラははす向かいに置かれた婦人用の椅子に腰を掛けた。目線が同じ高さになり、今度は鋭い観察者の目でレーニエを見つめる。

「あの・・・レーニエ様?」

「なぁに?」

「レーニエ様は先日お慕い申し上げておられる殿方がいるとおっしゃられて・・・私要らぬお節介を申したでしょう?」

「え!?ああ。でもあれはお節介ではなくて、ご忠告だと・・・」

一体何を言われるのだろうとレーニエは目をぱちくりさせた。。

「この間のお話ではその・・・その殿方に厭われているとか・・・あの」

「ああ、それはもういいんだ」

晴々とレーニエは宣言した。

「まぁ!それでは・・・きちんとお話ができましたのね!」

「え、うん、まぁそう。それで・・・そのぅ・・・その方も私を・・・」

「まぁ!そうなのですか。それはようございました。・・・実は私、余計なことをしたのではないかとずっと気に病んでおりましたの」

「いいや?シザーラ殿のご助言は大層役に立った」

「あ、ああ・・・その事は。でもそれだけじゃなくて・・・」

「は?」

レーニエが襲われた日の夜、ファイザルに喧嘩を売ったとはまさか言えないシザーラである。おまけに啖呵まで切ってしまい、あの後どうなるかと内心ドキドキしていたが、上手くいったんだからまぁいいやとこの事は伏せておこうと心に決めた。



――あの人は女の悪口を言うような男じゃないし・・・レーニエ様には絶対にばれないわ



「いえ、あの・・・お顔のご様子が全然違います。・・・お幸せ?」

「・・・たぶん」

「ふ・・・ようございました。これで私もお節介のし甲斐があったというもの。・・・でも、それではやっぱりレーニエ様の想われるお方はお近くにいらしたのね?」

シザーラはそんなレーニエを微笑ましく見つめて言った。

「あ〜〜〜あの」

打ち明けたものかどうなのかレーニは居心地悪そうに、椅子の上でもじもじと指先を弄っている。

「勿論お名前を伺おうと思っている訳ではありませんの・・・ただ同じ恋する女として嬉しかったので」

「ありがとう」

「私も・・・同じ思いをしておりますから」

シザーラの率直なものの言い方はレーニエの好みに合った。

「アラメイン殿はどのようにあなたに接するのですか?伺ってもよければ」

「殿下は・・・お優しい方です、でもお優しすぎて・・・よく迷われますの。ドーミエがずっと宮廷や政治を牛耳ってきたので仕方がないのかもしれませんが・・・今回の事も随分迷っておられた・・・以前申し上げた通り、私を諦めようとさえされて・・・それは私も同様なのですが」

「うん。よくわかる。あの方もそうだったから」

「まぁ・・・」

「自分の生まれや経歴に一人で苦しんでおられた。だけど・・・私にとっては・・・」



――あの人の生き方、心のかたち・・・そんなものがどうしようもなく好きで・・・瞳に自分を映してほしくて、ここまで追いかけてきてしまった・・・



レーニエは込み上げる想いの大きさに言葉を無くした。そんな彼女を理解のある眼でシザーラが見つめる。

「ええ、そうですわ。女にとっては恋しい方と供にあること以上の幸福はありませぬ」

「・・・その通りです」

「ですが、私は・・・あの、お話したい事があるのですが」

シザーラはちょっと居住まいを正した。

「なんでしょう?」

「私は・・・レーニエ様と共にエルファランの首都、ファラミアに赴こうと思いますの。おじい様の許可は既にとってあります」

恋する乙女の顔は消え失せ、宰相ジキスムントの後継者としてのシザーラがレーニエの前にいた。

「あなたがファラミアに?」

驚いてレーニエは腰を浮かせる。

「はい。かの地で我が国代表の一人として、平和条約締結の準備をお手伝いさせて頂きたいと・・・」

「・・・シザーラ殿は政治家になられるのだったな」

「はい。我が家に生まれた者の宿命にございますれば。父も兄もドーミエのために既に鬼籍に入っておりまする。残ったものは私しかおりませぬ」

「それだけであのジキスムント殿が後継に指名するとは思えぬが。あなたには優れた資質があられるんだろう・・・脳なしの私などから見れば、大変ご立派だ」

「レーニエ殿下こそご立派ですとも・・・ともあれ私はファラミア行きが楽しみになってきました。彼の地では学ぶ事が多くありましょうが、レーニエ殿下と・・・大変無礼な事を申しますが・・・お近づきになれることが嬉しゅう存じます」

「・・・私もあなたともっと語り合いたいと思う。だが、私はいずれ領地に帰らねばならない」

「ご領地・・・国王陛下の一人娘の殿下が王都にお住まいになられないのですか?」

「・・・王都には私の居場所はない。だから母上に乞うて北の辺境に領地を頂いた・・・そこで名ばかりの領主に納まっているのです」

「北の辺境・・・でございますか」

先日その話を聞いたシザーラはレーニエの表情から、さぞかし素晴らしいところなのだろうと感じる。

「いつか行ってみたいですわ・・・ええ、本当に」

「ああ、ぜひ来られるといい。冬が長く、貧しい土地柄だが人々は懸命によく働く。心は美しく、皆穏やかに暮らしている。・・・心安らぐ場所で」

「レーニエ様はその土地を・・・人々を愛しておられるのでございますね」

「・・・ああ・・・とても・・・。早く帰りたいと思っている・・・あの人と一緒に・・・」

夢見るような瞳は遥かなノヴァの地を思い浮かべるように窓の外に馳せられた。





「しかし・・・驚いたなぁ。お前がおぼこにヤられるとは流石の俺も想像できなかったわ。しかも、国王陛下の隠し子たぁな。・・・まぁ、かけろや」

「もうすぐ公けになる」

上着を放り出し、シャツ一枚になったファイザルはどっかりと朋輩の勧めた椅子に腰を下ろして足を組んだ。

「ふぅん。・・・で、どうするつもりだ」

セルバローは彼の故郷でとれる最高級の蒸留酒をファイザルの杯に注ぎながら言った。

「さぁて」

乾杯もせずファイザルは強い酒を一気に煽る。美味だと思ったか、向き合う派手な男ににやりと頷いて見せた。

「ふん。言ってやろうか?ハルベリに会うつもりだろう」

ハルベリ少将は軍の暗部の顔とも言える男であらゆる情報に精通し、ドルトンの上官でもある。下級貴族出身のハルベリの方が伯爵であるドルトンよりも上官にあたるのは通常では考えられないが、それは彼があの(・・)ドルトンよりも更に上を行く喰わせ者だと言う事だろう。

「・・・ふん、まぁな」

「色々噂のある男だぞ。書面で面会を取り付けるのか?」

「そんな事はせん。嫌でも向こうから接触を図ってくる」

ファイザルは自信ありげに頷き、腕を伸ばしてセルバローに二杯目を要求した。大振りな杯は直ぐなみなみと満たされる。

「へぇ?お前がここしばらく、忙しくしてたのは知ってたけどな。・・・何を考えてる?」

「・・・」

ドルトンとの会見後、ファイザルは南部自由国境に隈なく放ってある部下たちを呼び戻し、ドーミエの残党の情報や治安情勢、争いの火種となるいざこざがないかどうか、武人の立場から調べつくした。それらは戦を(じか)に経験したものでなければ収集できない微妙な事柄が多く混じっている。それは今後のザカリエ国はじめ、どちらかと言えば遅れている南部諸国との国交を推進する国の指導者にとって貴重な情報となるはずだった。勿論各国の軍備や部隊の配置についても出来るだけ調べてある。これは守備の左右や背後を突かれることの無いように、彼が戦場に戻ってからまず手を付けたことの一つであった。勿論抜かりのないハルベリの事だから、そのくらいの情報は既に持っているかも知れない。しかし、ファイザルにも彼独自の着目点で集めた情報とその分析に自負があった。

また、彼が実際に指揮をとったこの一年余りの戦闘について、その全貌や詳細を知る者はファイザル以外にはないのである。戦闘地域の天候、地形、敵の将の性格、癖、部隊配置から、戦闘の経過、陣の移動、両軍の被害状況まで全て彼の頭の中に記録されていた。ハルベリがその情報を手に入れたがる事は必至で、絶対に彼の方から自分に接触してくる、ファイザルはそう読んでいた。

「まぁ、大方は分かるんだが・・・お前の記憶力は軍じゃ有名だしな」

セルバローは自信ありげな朋友の様子から彼の考えを察して、気楽そうに言った。自分の杯に()いだ琥珀色の酒をこれも一気に煽り、濡れた唇を舐めた。粗暴なようでいて、一つ一つの動作が絵になる男だ。

「だが、万が一書面で渡せと言われたらどうする?」

「まずないな」

「ふん」

「俺なら絶対に直に会う。会って話を聞く。それから記録を要求する」

三杯目の杯もいとも容易くカラになる。

「確か一度会ったことがなかったか?」

「昔、一度。だからこそ奴がわかる」

「ふむ、喰えない男同士のお見合いと言う訳か。で、見返りに陛下への接見が条件か、やるねぇ」

「・・・」

単に女王に会うのなら将軍達を通してもいいし(実際過去には頼んでいる)、ハルベリよりも彼の部下のドルトンの方が女王には近しい位置にいる。しかし、それでは彼の意図までは女王に伝わりにくいだろうし、時間もかかる。それにファイザルにはある見通しもあった。

「果たして陛下が個人的に会ってくれるだろうかね」

セルバローの感慨ももっともで、普通なら戦勝功労者として公の席で声をかけて貰うのがいいところなのである。

「・・・よく考えれば分かったんだ」

「は?」

「あの方の意図が」

謎のようなファイザルの言葉を測りかね、セルバローは杯を止めた。

「あの方って陛下のことか?」

「ああ、そうだ」

「どういう意味だ?なんで陛下がお前なんかに?」

「・・・」

ファイザルにも実のところうまく言える自信がない。

しかし、彼には女王がファイザルの事を、そしてレーニエとの経緯を既に見通していると思っている。ドルトンはあからさまには伝えていないと言った。しかし、レーニエが危険を顧みず大使となる事を無心したというのなら、母親なれば必ずその訳を問うたはずだ。そうなればあのレーニエが隠し通せる訳もなく、その心情を吐露したと読むのが正しいだろう。



――訳を知って女王は謎を掛けられたのだ。レナに、そしてレナを通じて俺に。



自分の意志を貫けと女王はレーニエに伝えたという。そして豈図(あにはから)らんや、レーニエはそれを貫徹した。だから、謎はファイザルに回って来たのだ。



――陛下は俺を挑発なさっている



老練な政治家だと聞く、エルファラン国国王、ソリル二世。レーニエの生母。



「そんな気がすると言うだけだ・・・」

ファイザルは好奇心ではち切れそうになっている戦友に謎めいた視線を送り、再び杯を空けた。

既に瓶の酒はかなり少なくなっている。このくらいでファイザルが酔うはずもなかったが、長く酒を絶っていたためか、いつもより少し饒舌になっている事は付き合いの長いセルバローには分かった。

「・・・で?」

頃はよし、と彼は最後の酒をファイザルの杯に注ぎきる。最後の一滴まで。



「もう抱いたのか?あのお姫様を」









翌日



南の門を抜けて一人の若い旅人がウルフィオーレの街を訪れた。夕刻ほどではないが昼前の広場も人々で大いに賑わう。彼は人込みをいとも容易く掻き分け、すいすいと広場を横切る。正面にひときわ大きい市庁舎と正面階段。戦火の痕も残ってはいるが、かなり修復されつつある。言うまでもなくセルバローの仕事の成果だった。

彼はしばし逡巡した後階段を昇り、市庁舎の扉の正面に立った。

「誰だ!こちらは現在ただ今、民間人の立ち入りを禁じられていると知らぬのか」

二人の歩哨が立ちはだかって誰何した。

「・・・知ってますよ。エルファラン国の休戦使節の代表がご逗留されているのでしょ?・・・まぁいいや。俺の事はいいからとりあえず、この書状をドルトン様にお渡し願えませんか」

「何?ドルトン様だと・・・?お前は一体」

彼はふと笑って頭を振った。ゆるく毛先の遊んだ黒髪が肩の上で揺れる。兵士たちは驚いて自分の息子のような年齢の少年を見つめた。





「フェル・・・おお!フェル!」

レーニエが長衣のすそを翻して階段を駆け降りてくる。

「レーニエ様!」

少年は約二年ぶりに会う彼の主を見上げた。一日も忘れることのなかった記憶にあるそれよりも彼女は更に美しく、輝いている。嬉しいはずなのにフェルディナンドは何故か心が痛んだ。

「フェル・・・よく・・・よく無事で・・・」

レーニエは不意に立ち止まり、すっかり自分を見下ろす背丈になった少年を見上げた。一瞬どのように振る舞えばいいのか分からなくなった。

「ご心配をおかけしました」

綺麗な所作は昔のままで。

「ああ・・・なんて大きくなって・・・」

レーニエは長年忠実に仕えてくれた弟とも、友人とも言える少年の両肩に手を置いた。かつて彼女の腕に収まった細身の体はそのしなやかさを残しながらも逞しくなっている。美しい黒髪と青灰色の瞳はそのままだが、少し面長になった面ざしと低くなった声は、この少年が既に子どもの域から脱しつつあることを示している。

「フェル・・・よかっ・・・」

「レーニエ様」

指先から主の逡巡を感じ取ったのかフェルディナンドは顔を上げ、にっこりと笑った。それはレーニエの記憶にある笑顔に似ていた。

「俺、結構頑張ったんですよ。どうぞ褒めて下さい」

昔のままの生意気な態度で。

「・・・!フェル!ああ・・・フェル・・・!」

変わりのない弟の様子にレーニエは破顔し、腕を伸ばしてその頭を抱いたく。ぎゅうぎゅうと胸に抱きしめられ、フェルディナンドは少し困ってしまった。顔をあげるとレーニエは静かに泣いている。またしてもチクリと胸が痛んだ。

「レーニエ様にはお変わりもなく・・・?」

フェルディナンドは万感の思いを込めて主の頬に唇を寄せる。

「私なんかの事より・・・フェル、立派になって・・・・・・先年の秋に手紙を貰った時は心臓が止まりそうになった・・・・・・セバストが認めなければ絶対に許さなかった。フェル――」

彼の崇拝してやまない赤い瞳が涙の膜を孕んで潤み、自分を映している。

「レーニエ様・・・レーニエ様こそ・・・このような場所にお出ましになられるとは思ってもみませんでした・・・知らせを受けたのはついこの間でしたが・・・私は・・・」

フェルディナンドは整った唇を噛みしめた。

「驚きました・・・あの――ノヴァゼムーリャの地で待っておられると思っていたので・・・」

「私も・・・フェルやヨシュアのように何かしたかったのだ・・・もっとも飾り物の国使だけど・・・」

ようやくレーニエは微笑む。

「フェルの消息が掴めないので、シザーラ殿に頼んで探してもらおうと思っていた。」

「レーニエ様・・・・・・」

「これで皆で帰れる。フェルとサリアとヨシュア・・・皆でノヴァゼムーリャに」

「・・・」

フェルディナンドが背後を見ると、遠巻きに見守っている人々の中にその人物がいた。静かな表情で彼等を見つめている。長らく続いた戦争を勝利で終わらせた張本人―――。



――ヨシュア・セス・ファイザル司令官・・・「掃討のセス」



二人の眼が合った。



「レーニエ様。俺はまだまだ半人前ですけれども、どうかこれからもお仕えさせて下さいませ」


少年は改めて向き合うと優雅に騎士の礼をとり、片膝をつくとレーニエの手を額に押し戴き口づけを落とした。





「おいおい、またまた王女殿下に似合いの美少年が現れたぞ。どうする?斬るか?」

抱擁を交わす二人を眺めてセルバローはニヤニヤしながら横に立つファイザルをからかった。二人とも昨日の酒の余韻など微塵も感じさせない。

「言ってろ。彼は殿下の大切なご家族だ。俺などよりよほど昔からの・・・」

「へえっ!ご家族・・・か・・・だけど、あの少年はそう思っているのかな」

セルバローの洞察は相変わらず鋭い。





「よかったですね、サリアさん」

ジャヌーももらい泣きししそうになりながら、既に泣いているサリアの肩に手を置いた。

「ほんとに・・・!後でとっちめてやらなくっちゃ。こんなに心配させて・・・」

「いやぁ・・・もう子ども扱いはダメっすよ。フェルディナンドはもう大人だ」

「・・・・・・」

「男は大人になる時があるんですよ、年じゃなく」

「あんたはまだ子供っぽいけど?」

「アイタタ、酷いです。これでも頑張って努めたんですよ。サリアさんをお守りすることぐらいはできますよ」

「本当?」

「はい。まだまだ司令官殿のような訳には参りませんが、俺だってサリアさんの為なら粉骨砕身、鋭意努力いたします。どうぞ試してみてください」

「まぁ・・・そんな風に真顔で言われると、少しだけ嬉しくなっちゃうわね」

「少しだけなんですか!?」





「・・・ラルフよ・・・どう思うな」

ドルリー老将軍のはげ頭は今日も血色がいい。

「何がだ、サイラス」

フローレスは上品な白髪頭を傾けた。

「あの・・・王女殿下の事だが」

「お美しい方だ。聡明でもあられる」

「ふむ・・・真実、陛下は公にされるおつもりかな?」

ドルリーはここ数日間の疑問を口に出した。彼等もドルトンから事情を聞いていた。

「思うも何も、陛下自身がお決めになられたのだ。あの方の意志は強固だ」

「それは確かに。だが、ブレスラウ公はその出生にも、死にも謎の多い伝説の人物だ。かつて囁かれたあの噂もある・・・」

「私は信じておらん。あれはただの醜聞だ。口さがない奴ばらのな」

元来慎重なフローレスにしては断定的な物言いだった。ドルリーはこの30年来の友人に一歩先んじられたような気がする。

「何故そう言える?」

「先王陛下はこう申してはなんだが、老獪な政治家ではあられた。が、反面猜疑心の強い、狭量な方でもあった。その方のご子息があのように大らかで天衣無縫なレストラウド様というのは解せん。第一それほど似ておらん。私は昔から信じていなかった。」

「言うわ。だが、アンゼリカ様とてあの方のご息女だぞ。あの方は女ながら肝の据わった方だ。そなたの理屈はおかしいではないか」

「だから陛下と先王陛下は仲が悪かったではないか。アンゼリカ様は早くからお父上と離され、お母上の元でお育ちになったからな。先王陛下は失礼ながら誰の事も信用なさらなかった」

自らも元老院の一員であるフローレスはドルリーよりも政治の裏面に詳しい。

「・・・確かに先王はあまり人気のないお方ではあった。だがあの方の治世の間に内政問題の多くは沈静化し、国力は上がったことも事実だ。人好きはしなくても政治家としては一流だったのだろうよ」

「沈静化なぁ・・・ややもすれば独裁と言う言い方もできるが・・・自由国境にまで鉱山開発を求めた結果、国力は確かに増したが、反面うまい汁を吸おうと隣国から狙われる事にもなったからな。この戦争の遠因とも言える。ともかく・・・先王陛下もブレスラウ公もとくに亡くなったお方達だ・・・我々は今を見なければならん・・・」

フローレスは孫娘のようなレーニエと、その小姓であった少年との涙の再会をつくづくと眺めた。

「確かに。だからこそ陛下は今回の件でレーニエ殿下の事を明るみに出されるおつもりだろう。と言う事はお二人は血の繋がった関係ではなかったという事だ。それを公明正大になさりたいのであろうよ、レーニエ殿下の為にも。今頃は王宮内に根回しができているのであろうな」

「私に文句はない。レーニエ様は立派にお役目を全うされた」

老将達は美しい娘を中心に喜び合う、若々しい人々を頼もしそうに見守り、頷きあう。

「ふむ―――これからは彼らの時代であろうよ」









未明の風は未だ湿り気を含んで広場の上を流れる。まだ日は明けきってはいないが、後四半刻もすれば人々は起きだし日々の活動を開始するのだろう。市井の人たちにとって夏の一日は貴重である。

「もう起きられたのですか」

背後の気配を察し、ファイザルは振り返った。市庁舎の正面の広い露台。ファイザルは剣こそ腰に帯びていたが上着は身に付けていない。朝の風に長くなった鉄色の髪が揺れている。彼が視線を向けると歩哨に立っていた兵士達がさっと身を隠した。

「うん・・・目が覚めてしまった」

レーニエは白い寝間着の上に同じ色のガウンを羽織っただけで二階のホールに立っていた。素足に華奢な上ばきを履いてふわふわと広い露台を横切ってくる。

「また、そんな姿で・・・」

ファイザルは困ったように淡い肩を引き寄せた。

「俺がここにいなかったらどうするつもりだったんです」

「ただ、街を見ようと思って」

「兵士達も若いんですからね。少しは思いやってください」

仕方なさそうにファイザルは薄いガウンの胸元を合わせた。



とん



触れるだけの軽い口づけ。

「あなたは夜通しここに?」

「いえ、昨夜は流石に休みました。今日はいよいよ出立ですし。・・・ここには先ほど来たところです」

この日、朝餐後すぐ大使一行は都に向け出発する事になっている。

「あなたは・・・もう少し休まれたほうがいい」

「へいき。馬車の中で眠るから・・・よい天気になりそうで良かった」

レーニエはファイザルにもたれて街を見渡した。先ほどより空が明るくなっている。

「この街はあなたの故郷なのでしょう?」

「俺に故郷と言うものがあるとすればね」

静かに応えた声には何の感慨も伺えなかったが、それが却って哀しいものにレーニエには感じられた。この街には彼だけしか知らない思い出がいっぱい残っているのだろう。街のそこここに残る戦の傷跡はそのまま彼の心なのだった。

「いずれ美しく甦る・・・この街も」

「――ええ、多分・・・きっと」

応えた声はやはり静かで。



――この人の過去も聞いてみたい・・・いつか話してくれるだろうか・・・



レーニエは自分を抱く腕をぎゅっと握った。

だが、今は―――今からは



「・・・帰るんだ」

レーニエは遥か北の空に目をやった。

「ええ」



そっと唇が触れ合う。レーニエのそれより少し熱いそれが啄ばむように上下の唇に触れた。それはただ触れるだけの交わり。

掠めるだけの口づけが幾度も幾度も繰り返される。レーニエが焦れて身じろぎしてしまう程それはまだるっこしくて―――。

「んん・・・嫌」

「ダメです。今はまだ・・・」

ファイザルは指を滑らせて柔らかい輪郭をなぞった。



「あなたをこの腕に閉じ込めるまでは」





ウルフィオーレの街はようやく目覚めの時を迎えようとしていた。










◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇








これにて9章終了。
いろいろ不十分な部分はあろうかと思いますが、モトサヤ。様々な人間模様も織り込んで。10章ものっけからお久しぶりのあの人が出てきます。

この項で語られていない小エピソードがあります。こちら








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