障壁

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「いよいよ、ですね?レーニエ」

「はい。母上、行って参ります」

瑠璃宮はその日も静かな朝を迎えていた。



この後、停戦使節の一行は首都ファラミアを発つ。昨夜の会議ではようやく休戦、講和の条件が纏まったところで、女王はこの五日間延々と続いた会議のほぼ全てに参加し、状況を逐一娘に伝えていた。レーニエは初めて知る政治の裏工作や駆け引きに驚いていた様子だったが、黙って聞いていた。

「今現在収集できる全ての情報を分析し、結論を出してあります。あなたにも大筋は掴めましたね」

「はい」

「ザカリエの側の使者はヴァン・ジキスムント宰相にほぼ決定です。彼は百戦錬磨の政治家です。向こうの出方次第ではこちらの出す条件も微妙になってくるでしょう。ドルトンもそこは承知です。ただ・・・ジキスムント殿は不実な人間ではないと私は思っています。敵国の宰相だったとはいえ、人を悪意で見てはなりませぬ」

「はい。全ておっしゃるとおりに致します」

「レーニエ」

「はい」

「もしかすると、あちらはお前に直接内々の事情を訴えてくるかもしれません」

「内々の・・・?」

「はい。その事情と言うのは、いくつか考えられますが、おそらくあなた個人に直接関わる様な事」

「私個人に、ですか」

レーニエはどういう事かと考えを巡らすが、自分などに何の話を持ちかけてくると言うのか見当がつかない。

「そうです。でも、もしその時が来たら、先ずはあなた自身で考える事です」

「・・・」

「そして、考えが決まったらその事をドルトン達に相談しなさい。彼等はあなたの意志を最大限に尊重しながら、折衝を進めていくでしょう」

「私の意志・・・そんな物を通していいのですか」

訳が分からない乍らレーニエは母を見た。

「構いません。とにかくしっかりと自分の思いを伝えることです」

「分かりました。私などに何を持ちかけられるかは想像がつきませぬが、もしその時が参ったらよく考えて見ることにいたします。ご示唆、感謝いたしまする」

「それでよい。・・・それから、くれぐれも御身辺には気をつけられるよう」

女王は母の顔に戻り、娘の額に口づけを落とした。

「承知いたしました。この私にこのような役目をお許し頂き、本当にありがとうございます。母上もどうか・・・」

「ええ、この母もこの王宮でやるべきことがある。あなたが戻られたら分かると思います」

「やるべきこと・・・」

「ええ、あなたのお戻りをただ漠然と待っている訳にもいきませぬ。・・・ですがあなたは・・・」

「はい」

「彼の地でもし、想うお方と巡り合われたらどうされるおつもりですか?」

単刀直入に女王は尋ねた。

「・・・わかりませぬ。おそらく驚かれると思います。お叱りを受けるやもしれませぬ。ですが、まずはお会いしてみないと・・・」

「軽挙はお慎みなさい。ですが、自分を偽りすぎてもいけません。」

「はい」

レーニエは母をまっすぐ見つめて答えた。

「よいお顔になられた・・・では・・・行かれよ」

「・・・行って参ります!」

レーニエはすっくりと立ち上がった。立ち姿の美しい娘であった。深々と一礼すると、長衣の裾を翻して部屋を出てゆく。女王は扉が閉められるまでその後姿を見送った。



――ご存分に振る舞われるがよい。我が愛しい娘



それから南に面した窓辺に向かい、薄青い空に向かって低く呟く。



「レスター・・・どうか、あの子をお守りください」










「お前・・・一体お前どうしたんだ?あの麗人を知ってるのか?」

セルバローは険しく眉間を(ゆが)めた戦友の後を追った。彼は背中に怒りを(たぎ)らせてどんどん廊下を進んでいく。戦場以外で彼がこれほど感情を露わにするのは、流石のセルバローにも記憶にない。

「知らん!」

ファイザルは乱暴に言い捨てる。

路上での儀礼的な挨拶の後、休戦使節団の主だった者たちは将軍達に案内されて市庁舎に入り、用意された部屋にひとまず落ち着いていた。あの不思議な黒衣の若者も付き添いの者達と一緒に一番警備の厳重な二階の奥の部屋で休んでいる。

馬車の中には女官と高級文官しか乗っていず、王族らしい者はどこにも見えなかった。してみるとあの銀髪の若者が「王族」なのだろうか?馬車にも乗らずに、街道を馬に乗ってここまでやってきたのだろうか?

「何を見え透いた事を言っている。あの人を見た時のお前の様子はハンパなくおかしかったぜ」

セルバローはその鋭い観察眼で、彼等の視線が一瞬絡まり合ったのを見とっていた。

「――黙れ」

ファイザルは振り向きもせずに低く言った。

その声はさしものセルバローでさえ、ちょっとたじろぐほど苦々しい響きがあった。彼は肩をいからせ、セルバローの鼻先で高級士官用に提供された部屋の扉を荒々しく閉めた。





「おい、ジャヌー。いったいあいつはどうちしまったんだ?」

セルバローはおろおろしながら彼等の後を追いかけて来たジャヌーを振り返った。この青年も戦場での勇敢さはどこへやら、明るい青い目に当惑を一杯に浮かべている。

「あの・・・それが・・・・・・」

すっかり途方に暮れたジャヌーは言い澱んで閉ざされたままの扉を見つめた。

「なんだ。はっきり言え」

「いえそのぅ・・・申し訳ありませんが、言えません。少将殿が話されないものを俺が言えるはずがありません」

「何?この俺の命令でもか?」

「俺は・・・少将殿の部下ですから。ご勘弁ください」

「ふん・・・なるほどな。いい部下だよ、お前は。・・・なら、俺が勝手に喋る。返事はいいから黙って聞いとけ。するってぇと――ふむ、あの変な色の目をした美人・・・だか美少年だかを、お前たちは知っているんだな?」

「・・・・・・」

表情を読まれないようにジャヌーは目を逸らしたが、それが却ってセルバローに確信を抱かせる。

「ふん、なるほどそうか。お前たちは知っていると」

「・・・う」

「それで、あの麗人が『王族』だっちゅー訳か?だが、なんで王家の人間をお前達が知っているんだろうなぁ、ふつーじゃ考えられんしな。どっかに接点があるはずなんだがなぁ」

ジャヌーは頭を垂れたまま苦行に耐えている。

「ふぅ〜〜ん・・・まぁいい」

これ以上ジャヌーを苛めても何も得られそうにないと思ったセルバローは、とりあえず詮索の矛を収めた。「雷神」の射るように光る金色の目から解放され、ジャヌーはほっと肩を落とした。赤毛の男は今度はこちらに問いただしてやろうと将軍達の部屋に向かう。



――こいつらの元の任地は確か北の辺境だったよな・・・しかし、そんなところに王族方がいるはずもなし、いったいどういう経緯であの麗人と知り合ったんだか・・・まぁ、それはいい。



――気になるのはあいつの、ヨシュアの動揺の仕方だ。めったなことであんなになる奴じゃない。いったいあいつと麗人はどういう関係なんだか・・・まさかとは思うが・・・惚・・・いやいやいや、あいつに限っては・・・ありえない。部下のためには命を張れるやつだが・・・



セルバローはふと、立ち止まった。



――待てよ、本当に「ありえない」かな?



殆ど櫛を入れない、入れなくても十分美しい真っ赤な長髪をばさりと振りながら、セルバローは突然浮かんだ自分の考えを反芻する。だが、彼は人を愛することを極端に恐れるファイザルの心情をよく知っていた。それなら一体何があったのか?

振り返るとジャヌーが忠実に士官室の扉の前に佇立(ちょりつ)している。可哀そうに青年はしょんぼりと項垂れていた。



――まぁアレだ。要観察ってやつだわ



その日はそれで事もなく終わった。美しい使者は夕刻、二人の将軍と少し話をしただけで疲れているからと早々に休んでしまったからだ。








翌朝―――



ジャヌーは酷くぴりぴりしながら朝食の給仕を終えた。幸い、尊敬する彼の上官は不機嫌の極みと言うだけでジャヌーに対しては何も言ってこなかった。ファイザルはひたすら黙りこくって食事を摂った。

「では・・・失礼いたします」

「ジャヌー」

ほっとして盆を下げようと、いそいそと部屋を出る背中に、鋼鉄の声が掛けられる。

「は?」

「余計な事は言うな。誰にもだ」

「は・・・はっ!」

片手に盆を捧げ持ったまま、ジャヌーは敬礼するとそそくさと退出した。扉を閉めると一気に緊張が解け、はぁ〜〜〜っと大きな息が漏れた。しかし、彼にしても、昨日から悩みは尽きないのだ。



――セルバロー大佐ではないが、俺にもさっぱり訳が分からない・・・一体指令官殿は何をあんなに立腹されているのだろう。レーニエ様に会えて嬉しくないのだろうか・・・一年以上ぶりだって言うのに



ジャヌーの見た限りではレーニエとファイザルは一回も言葉を交わしていない。

おおっぴらには出せないだけで、レーニエとサリアに会えて内心素直に大変嬉しいジャヌーは、雷雲のような雰囲気を漂わせる上官に対し、些か後ろめたい気持ちになった。



――しかも、レーニエ様は・・・ご領主さまは、やっぱり王家の方だったんだ・・・。あんなにおきれいで、気品があって・・・俺なんかには想像もつかない尊い方だってことは薄々感じてはいたけれど・・・



――あ、そうか!もしかすると・・・それで指揮官殿は・・・やっぱりご身分の格差は如何ともしがたくて・・・。いくらなんでも相手が王族じゃお慕いしたところで、幾重にも望みなんてない。だからあんなに・・・?でも・・・



とりあえず自分なりには納得しようとはしたが、ため息は禁じえないジャヌーである。

肩を落とし、とりあえず盆を所定の場所に下げる。堂々巡りの思考は何か動きがあるまで解消されそうにない。がくりと項垂(うなだ)れたところへ不意に背後から肘を掴まれた。

「!」

ジャヌーとて武人である。とっさに体を捻り、掴まれた腕をもぎ離すと、剣の柄に手を掛けて身構える。流石に市庁舎内での抜刀を控えるだけの分別はあったが、目の前の人物を見たとたん、青い目が驚きで満たされる。

「サリアさん!」

「騒がないでよ」

ジャヌーの隙のない構えにも怯まず、サリアは自分よりよほど大きなジャヌーを睨みつけた。

「こっちへ!ここでは人目があるわ」

サリアはそう囁いてジャヌーの腕を引っ張ると、どんどん奥へ進み、裏の階段を駆け上がると更に廊下を進む。そこここに警備の兵士が立っているがサリアは気にもしない。二階は使節団の居室になっていてサリアは一番奥の小さな扉を開けた。どうやらそこはサリアの私室になっているらしい。小さな部屋だが奥にも扉があり、婦人の部屋としてなかなかきちんと(しつら)えられている。

「ここならいいわ」

サリアはきっと青年を振り返った。

「・・・すみません。昨日はちらりとお見かけしたものの、ご挨拶もできずに・・・いろいろ立て込んでいまして・・・」

ジャヌーは深々と体を折った。

「知っているわよ。立て込んでいたのはこっちも同じだわ。ってゆーか、あなた達は私たちが来る事を知らされてなかったのでしょ?」

「実は・・・そうです。王家の方が停戦の使者に立たれたと、それだけは伺っておりましたが・・・そのぅ・・・まさか、ご領主様が・・・」

「そうね。黙っていて悪かったわ。でも、レーニエ様がお望みだったのよ。ノヴァの地でも、今回の事も。理由は違うのだけども」

「よく分からないのですが・・・俺などが伺ってもよければ・・・あの・・・」

何をどのように聞いたらいいのか、朴訥なジャヌーには適切な言葉が見つからない。

「そうね。・・・もうこうなってしまったら仕方がないわ。あなたにも分かった通り、レーニエ様は王家に属される方。それもかなり直系のお血筋の。2年前、一領主としてノヴァの地に赴かれたのは、ご身分やご出生に(まつ)わる桎梏を全てお捨てになられるご決心をされての事だった。理由は私の口からは言えないけれども」

「・・・」

「だけど今回、このお役目を(にな)われたのは、初めてご自分のお立場を利用されてのことなの。このお役目をレーニエ様は望んでお受けになられた。――あの方にお会いするために」

「・・・そうなのですか」

我ながら間の抜けた相槌だとジャヌーは情けなく思いながら、驚くべきサリアの打ち明け話に聞き入る。

「だけど、レーニエ様の存在はあまり多くの人に知られていなくて。要らぬ憶測を避けるためにも敢えてギリギリまでご自分の事を秘された。まぁ、これは女王陛下の命でもあるのだけどもね」

「じょおう・・・って、女王――国王陛下ですか?」

「ええそう。まぁ、そのことは今は突っ込まないでね」

「ええっ!ここまで言っといて、後はなしですか?」

ジャヌーは悲痛な声を上げた。

「悪いわね。昨夜二人のお爺さん・・・なんとか将軍と、かんとか将軍にはレーニエ様が陛下の手紙を見せて御事情を打ち明けたんだけど・・・お二方とも卒倒しそうなほど驚いていらしたわ」

それは勿論ドルリーとフローレスの両将軍のことである。サリアはてんで名前を覚える気がないらしい。

「・・・そんなに大変なご身分の方なのですか・・・」

「そうね・・・多分ね。まぁ、その内あなたにも分かるわよ。でも、これで大体の事情はわかったでしょう?」

「・・・」

とてもそうは思えないジャヌーだったが、今ここで物分かりの悪い頭を露呈(ろてい)しても仕方がないのでとりあえず黙っておく。

「そう言う訳で、レーニエ様は休戦調停を担う大使としてこの地に来られた。先日の大決戦の折は都におられたの。レーニエ様はあの方の事がご心配で見ちゃいられなかったくらいだったけれど、今はご立派に振る舞われている」

「・・・」

「激しい大戦だったのでしょ?私なんかには想像もできないけれど」

サリアは複雑な表情で大柄な青年を見上げる。

「それはもう・・・ですがもう済んだ事です」

それに対してはさばさばとジャヌーは応じることができた。心からそう思っているからである。

「・・・あなたも無事でよかった。だけど痩せたわね。怪我とか、病気とかは大丈夫だったの?」

サリアは少しだけ顔を緩める。

「大丈夫です。俺なんか頑丈だけが取り柄ですから。そりゃ小さい怪我はいっぱいしましたけど、この通り五体満足だし。だけどお言葉嬉しいです。あ、でも司令官殿はこの間の決戦で敵の将と一騎打ちされた時に、脇腹に負傷されましたが」

「え?そうなの?レーニエ様がお聞きなったらなんと・・・」

「あ、でも、もうかれこれ三週間以上経ちますし、お元気です。っていうか、お怪我などものともせずにずっと立ち働いておいででした。どうかご安心を」

「・・・そう。それはまぁ、とりあえず良かった。レーニエ様はいつも心配されてたの。あの方の事もだけど、あなたの事もね・・・・・・私もだけど」

「・・・俺だって皆さんの事を思い出さない日はありませんでしたよ。砂の上で立ったまま、硬いパンを水で流しこむ度、サリアさんの作る甘くて美味しいお菓子を恋しく思っていました」

「なによ、胃袋で私の事を思い出していたの?」

途端にサリアは柳眉を吊り上げて見せる。

「いえ!決してそんな事は!あの、そうではなくて俺はずっと・・・お会いしたいと・・・いやその」

「ふ・・・まぁ許してあげる―――会えて嬉しいわよ、ジャヌー」

サリアはやっと微笑んで大きな瞳を煌めかせた。みるみるジャヌーの頬が染まるのを満足そうに眺める。

「お・・・俺だってそうです」

ジャヌーはますます赤くなりながら思わずサリアに一歩踏み出したが、すぐにサリアの表情が厳しく変わる。

「ところで本題だけど・・・」

まだこの上に本題があるのか?という顔をジャヌーはしたが、勿論サリアはそんな事に頓着しない。ぴしりと青年を見据えた瞳は今度は怒りでキラキラしていた。

「あの態度は一体何なの!」

「・・・は?」

ジャヌーは自分が叱られたと思って姿勢を正した。

「わからないの?あの方の態度よ!ファイザル大・・・今は少将様なんだってね!殿方って御出世されたら、元の任地の領主様のことなんか、きれいさっぱり忘れてしまえるものなのかしら?」

「いや・・・それは・・・」

ジャヌーは口ごもった。一体自分がおかしいのか、サリアが変なのか。とにかくどこから突っ込んでいいのか分からないほど、今日のサリアは支離滅裂だ。確かにレーニエは田舎領主だったが、身分を隠した直系の王族なのだったら、どっちが偉いかは明らかだ。もし、レーニエがファイザルを召喚したら、彼は一も二もなく従わなければならないだろう。

「レーニエ様はこの一年それはそれは、お心を痛めておられた。決戦が勝利に終り、ファイザル様がご無事だと知った時のお顔は忘れられないわ。そして陛下から使者のお許しを頂き、あの方に会えるのをずっと待ち望んでいらしたの。だけど、あの方ときたら、昨日はちらりと目を合わされただけで、後はお顔を合わすのさえ避けていらっしゃる。公式の場では仕方がないけど・・・」

「それはしかし、レーニエ様の方からお召しがあれば・・・」

「したわよ。レーニエ様は御公務中はご遠慮されたけど、昨夜私がこっそりお部屋を訪ねたのよ!だけど・・・扉を開けても下さらなかった・・・勿論声もかけて頂けず・・・部屋には明かりが漏れてたのに!」

思い出しても腹が立つのか、サリアの大きな瞳は泣かんばかりに見開かれ、ジャヌーをねめつける。

「そんな事が・・・存じませんでした・・・」

「遅い時刻だったからね・・・。で、何にも応答がないんで、仕方がないから走り書きを扉の隙間から投げてきたけど、今になっても無しの(つぶて)

「・・・」

「酷いと思わない?レーニエ様は食事さえお摂りになれないくらい悲しまれて・・・」

「・・・なにか―――きっとご事情が。・・・そう、司令官殿には何かお考えがあるのだと思われます。レーニエ様のご身分の事を知って案じられているとか・・・戸惑って・・・」

「あの方はとっくにご存じなのよ。レーニエ様がそうおっしゃったもの」

ぴしゃりとジャヌーを遮る。

「え!?」

「ご領地で一緒に過ごされた時に打ち明けられたとか。私は詳しくは聞けなかったけど。だから、今更あの方は驚いたりしてないはず」

「・・・そう・・・そうだったので・・・」

「そうよ!だからこんなに腹が立つんだわ!」

「きっと何か他に理由が・・・」

「じゃあはっきり言ったらどうなのよ!きっと自分がどんどん出世するものだから、日蔭者のレーニエ様の事などめんどくさくなってしまったんだわ!ひどい男!」

怒りが頂点に達したサリアはきれいに結い上げた鳶色の髪を振り上げた。



「サリア・・・もうよい・・・」

その時弱々しい声が背後から聞こえ、ジャヌーははっと振り返った。

いつの間にか開かれた奥の扉の奥に佇むのは、忘れようにも忘れられない美しい影。

「レーニエ様!」

ジャヌーは打たれたように立ち竦んだ。

「ジャヌー・・・久しぶりだね・・・」

レーニエはゆっくり部屋に入って来た。髪を流し白く長い部屋着の裾を引く彼女は、長らく男たちばかりの戦場を駆け抜けてきた若者に夢のように思える。それは記憶にあるものより一層儚く、美しい姿だった。



「あああレー・・・ニエ様・・・ご・・・ご無沙汰をしております。ご挨拶が遅れ、まことに申し・・・申し訳・・・」

這いつくばるように片膝を折り、感極まった若者は言葉に詰まった。

「よい・・・私こそ済まない・・・こんなに突然現れて・・・力もないのに休戦使節の長などと・・・」

レーニエも体を屈めてずっと仲が良かった青年の肩に触れた。

「何を仰せられますか!」

がばと、頭をあげてジャヌーは白い顔を見上げる。

「身の程知らずは充分わかっている。あの人もそれをお怒りなのだろう」

レーニエはふ、と淡い微笑をもらした――それは大層儚く、哀しげなのに見蕩れてしまう程の―――

「・・・そんな、そんな事は決して・・・」

「何かしたかったのだ」

ジャヌーがおろおろと言いかけるのを遮り、レーニエは言った。

「私にでも役に立てるかもしれないと・・・・・・私の家の事を聞かれた?」

「・・・王家の方だとしか・・・」

「そう・・・この事が片付いたら、ジャヌーにもきちんと話をするから・・・それまでは許してほしいのだけれど」

「俺・・・私の事などお気にかけられることはありません。どうぞ、レーニエ様の思うようになさってください」

「ありがとう・・・私は・・・あの人に嫌われても仕方がない・・・でも、この事に関しては自分の役割を全うするつもりだ・・・私をここに寄こして下さった方の恩に報いるためにも」



――まるで戦乙女のようだ・・・あの人はそう言ってくれた。だから、無様なまねだけは見せまい。決して



「この役目だけはやり遂げる」



レーニエは顔を振り上げてきっぱりと言った。








ジャヌーは悄然と部屋を出た。

そして大階段を下りた途端、廊下の辻でこちらを見ているファイザルとがっちりと目が合う。その瞳は何の感情も映してはいなかった。

「・・・司令官殿・・・あの・・・」

ジャヌーは慌てて大股で上官に走り寄る。

「・・・」

ファイザルはジャヌーの背後を見、彼が出てきた方向を確認すると物も言わずに、近づいてきた自分の従卒を力任せに殴り倒した。

「ぐっ・・・!」

大柄な青年が吹っ飛び、床に横倒しになる。すごい力だった。

「し、司令官殿・・・」

打擲(ちょうちゃく)された頬を押さえながら身を起こそうとするジャヌーに氷のような一瞥を投げると、彼はそのまま興味を失ったように踵を返す。



「いったいどうしたらいいんだ・・・」





ジャヌーは切れた唇の血を拭いながら、途方に暮れたようにつぶやいた。










◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇









漸く再開した二人。だけど、波乱含みの幕開けです。とりあえずファイ兄さん、ヒナンゴウゴウ覚悟ですわ。










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