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「忘れてもらっては困るのだけど」
「シザーラ様!」
燃えるような金褐色の髪の娘が扉を塞ぐように立っていた。フェルディナンドは衝立の後ろで珍しい人物が現れたと息をひそめる。フェルディナンドも名前を聞いているだけで初めて見る人物で、名はシザーラ・ヴァン・ジキスムント。若干24歳の現在、隠棲を強いられているザカリエ宰相、オシム・ヴァン・ジキスムントの孫娘であった。
婦人たちは驚いてお茶を飲む手を止めた。中には腰を浮かしている者もいる。
――これは珍しい人物がやって来たものだ。ザカリエ建国の名宰相とされるオシム・ヴァン・ジキスムントの孫娘か・・・初めて見る
フェルディナンドは部屋の隅につつましく控えながらこっそりこの闖入者を観察した。娘は堂々と部屋を横切り、譲られた席に当然のように腰を下ろした。
「突然ごめんなさい。今日こちらでお茶会があると小耳にはさんだものだから・・・招かれてもいないのに、大変失礼なのだけど」
シザーラはザカリエ人特有のきつい巻き毛の頭を振った。毛先が蔓草のひげのようにふわふわと揺れる。フェルディナンドの見るところ、彼の主レーニエよりも些か小柄で、小枝のように細い手足の姫君であった。パニエを入れてスカートを思い切り広げた、フェルディナンドの洗練された目には少し旧式な衣装を身につけている。やや浅黒い肌が引き立つようにドレスの色は淡い桃色だった。
「いいえ。そんな事は決して、シザーラ様ならいつでも歓迎ですわ。ただ、このところシザーラ様には公式の場にお姿が見えなかったので、もし何かのご事情でもあって、障りがあってはいけないと・・・敢えてお呼び立てしなかったのですわ。堪忍して下さいまし」
ドローレスは熱心に答えた。他の婦人たちもそれぞれに頷き合っている。してみると、この小柄でキツそうな話し方の娘は、それなりの人望はある様だった。正直に言ってさほど美しくはない。しかし、眉がきりりとつり上がり、琥珀色の瞳が強い光を放っている様子は不思議な魅力があった。
「ですが、お出ましになって大丈夫なのですか?」
「そうですわ。ついさっきもこの近くのお部屋でオーラリア様が騒ぎを起こしたと・・・こう申しては失礼ながら、お顔を合わせてはまずうございましょ?」
「大丈夫よ。この間の件のほとぼりが冷めるまで、少し大人しくしていただけだから。会ったところで特に問題はないわ。少なくとも私にとってはね」
シザーラは勧められた椅子に腰を下ろした。すぐにフェルディナンドがお茶の盆を差し出すが、彼女は黙ってカップを受け取りながらも彼に目もくれなかった。
「戦況が悪くなっているようね。なんでもエルファラン側に新しく着任した司令官が恐ろしくキレ者なんだとか」
てきぱきとシザーラが会話の主導権を取る。まめまめしく菓子を皿に取り分けている小姓の肩がその言葉を聞いてぴくりと上がったのに気づくものは誰もいない。
「さぁ・・・私どもには戦のことは詳しくはわかりかねますが・・・」
「ただ、ドーミエ将軍がこのところ王宮に姿をまったくお見せにならないのは、あちこちで負け戦が続いているからだとは、父からこっそり聞きましたが」
こう言った娘の父親は外交を担当する貴族であった。
「この国の起こしたことはこの国が責任を取らなければいけないのだわ」
シザーラはきっぱりと言い放った。
「この十数年、この国は始めるべきではなかった戦争に明け暮れていたのだから」
「ですが・・・そんなことをおっしゃられては、お祖父様と同じに、シザーラ様のお身まで危うくなってしまいますわ」
「さようでございます。今この国はドーミエ親子のものなのですから。国王様や王弟殿下でさえ頭が上がらな・・・」
「アラメイン殿下は聡明な方です。少しお気が弱くてあられるだけで・・・」
――アラメイン・・・病弱とされる王の弟か・・・この婦人とは親しい仲なのだろうか?
フェルディナンドは衝立の蔭で気配を消す。
「ですが、オーラリア様は・・・」
ドローレスは言いにくそうに口を濁した。これは何かありそうだとフェルディナンドは耳をそばだてた。
「あの方が何を狙っているのかは知らないけれど・・・たぶん思い通りにはならないでしょうよ」
「ですが、ここ数年のあの親子の権勢は決して侮れないものがありましてよ」
「情けない話ですが、私共もこうして悪口は言えますけれど、面と向かってはなにもできません」
「だけど、あまりにあからさまな男漁りは何とかならないものかしら?かつての夫を放逐して、将軍の威光を背景に陛下に迫ったのはいいけれど、陛下が一向に
靡かないのに業を煮やして、今じゃあ立派な漁色家ですわね」
「あら、漁色家って男性に使う言葉じゃなかったかしら?」
「え?そうですの?」
「ですが、陛下もお気の毒にね。次にドーミエ将軍が宮廷に戻って来た時には良い返事をって、暗に将軍に恫喝されたって」
「まぁっ!」
「それは本当に!?」
「あなた方!」
噂話がいい具合に乗ってきてご満悦の婦人たちがぎょっとするような冷たい声が午後の談話室に響いた。
「あまり無責任に噂話をするものではないわ。しかも王室の私事などを・・・」
「あ・・・そうでした・・・」
「すみませんわ。つい調子に乗って・・・」
「そう言えば、殿下のご容態はいかがなのですか?ご病気と言う事でしたが、私どもも最近はお姿をお見かけしないので、それは心配して・・・」
「大丈夫。皆の前に出ると気を遣わせるからとおっしゃられて、なるべく出ない様にされているだけだと思うわ」
「・・・と言う事はシザーラ様は、最近アラメイン殿下にお会いになって・・・」
「当然ですわよね。もともと殿下とシザーラ様は幼馴染ですし」
「陛下はシザーラ様のことをそれは頼りになさって・・・だって嘗てのこい・・・」
ガチャン!
かなり乱暴にカップが皿に戻され、皆は一瞬にして押し黙る。
「無責任な事を言ってはいけないと言ったはずだわ。そこのあなた!」
衝立の後ろのフェルディナンドに向かって鋭い声が飛んだ。フェルディナンドは悪びれた様子も見せずに恭しい態度で、姿を見せる。
「そんなところで何をしているの?」
「申し訳ございません。お嬢様。お菓子の替えを準備しておりました」
「あ・・・シザーラ様、フェルディナンドはいいんですの。私があえて呼んだのですわ。シザーラ様はご存じないだろうけど、彼はしばらく前からこちらで小姓を務めているんですの。とても気がきくいい子ですのよ」
「・・・・・・」
「申し訳ありません。ご用があればと控えておりましたが・・・私はこれで失礼いたします」
フェルディナンドは特に卑下もせず、きれいな所作でシザーラに辞儀を返した。
「こちらへ!」
再び厳しい声が放たれる。大人しくフェルディナンドは前に進んだ。
「色が白いのね。北の出身なの?」
内心ぎくりとするが、そんなことはおくびにも出さずにフェルディナンドは微笑んだ。
「いいえ。ですが、私の母がセイラム市の出身でございまして」
「そう・・・セイラム市の・・・」
セイラム市と言うのは自由国境地帯の北に位置する宗教都市だった。緯度的には、エルファラン国の首都、ファラミアより北に位置する。総じて北の人間は皮膚の色が白い。それに対してここ、ザカリエの国の民は概ねやや濃い色の皮膚をしていた。
「はい。母の伝手でセイラム市の南、マイル地区の司教様から推薦状をいただいて、こちらでお仕えすることになった次第で・・・」
フェルディナンドはつるつると言ってのける。セイラム市の司教から貰った推薦状は本物で、見せろと言われても、一向に構わない。その辺りのハルベリ少将の手配は完ぺきだった。
「そう・・・いいわ。気がきくと言うのが本当ならばあなたのとるべき態度は分かるわね?」
「はい・・・決して他言は致しませぬ。ではこれにて失礼いたします。ご用があれば廊下で控えておりますのでお呼びくださいませ」
そう言って再び辞儀をして部屋を出てゆく。廊下は寒いからかわいそうだわと言うドローレスの声を背中に受けて。
――驚いた。一瞬バレたかと思ったじゃないか・・・
フェルディナンドは扉をゆっくり閉めてから大きく息をついた。
――だけど、あの人がドーミエ将軍に疎まれて、無理やり隠居のような形で引退させられたヴァン・ジキスムント宰相の孫娘なのか・・・さすがに鋭いな。しかも、さっき聞いた感じでは、どうやら彼女はアラメイン王弟の幼馴染で、もしかすると・・・これは面白い事を聞けたかも。もう少し聞けなかったのは残念だけど・・・
多分まだ手はいくらでもある、そう思い直してフェルディナンドは自分にあてがわれた居場所に甘んじた。
それから数日、フェルディナンドはいつものように卒なく仕事をこなしながら、情報を集めた。それは暇を持て余している貴婦人達であったり、同じ小姓仲間であったり、下働きの女中たちからであったが、それによるとどうやら王弟アラメイン・とジキスムント宰相の孫娘シザーラは三つ違いで、彼女は幼い頃から宰相について王室の私宮殿にも出入りしていたためか、アラメイン王弟とは乳兄弟のような間柄だったと言う事だった。
そして、ザカリエ建国当初の功労者であるジキスムントは、戦功をタテに台頭してきたドーミエ将軍にうとまれ、王都ザールの郊外の僧院に事実上、軟禁されているという事も。
――王族は無理でも、なんとかしてシザーラ嬢に近づけないものだろうか?
フェルディナンドは頭を巡らせた。
しかし、
迂闊な行動は怪我の元だ。シザーラは決してお喋りばかりの宮廷雀ではない。ある小姓の話では、宰相ジキスムントに女ながらも一番自分に近い政治手腕を持っていると言わしめた娘だったと言う事だ。
そんなある日。
思いもかけず、フェルディナンドはある貴婦人からシザーラへの届け物を頼まれたのだった。
シザーラは貴婦人達の暮らす芙蓉宮には部屋を持っていない。
王宮の外れ、ほとんど隅っこと言ってもいいような棟に、母親とひっそり暮らしている。かつては一族で王宮内に一つの屋敷を賜って暮らしていたほど、力のある家柄だったのだが、祖父は失脚、父は病死という不幸な事態が続き、今では領地もほとんどドーミエ将軍に取り上げられて王宮に
侘び住まいと言ったところか。
だが、フェルディナンドの見るところ、この名家の人々に対する宮廷人達や国民の尊敬と信頼はいまだ失われていない。人々は戦の勝利に熱狂していたものの、この十数年は一向に止む気配のない戦争に既に
倦んでいるのだ。
「どなた?」
フェルディナンドはかなり古びた殆ど召使い用の棟と言った風の小さな建物の扉を叩いた。
「お届けものにあがりました」
扉を開けてくれたのは侍女だったが、かなり年輩だ。
「エカード子爵令嬢様より、シザーラ様に頼まれたご本だとか・・・」
「あら・・・」
困ったように侍女は呟き、とりあえずこちらへ、と言ってさほど広くもない客間にフェルディナンドを通してくれた。節約のためだろう、部屋は火も入れられず、空気が寒々しい。
「シザーラ様はただ今、別のお客人と会われているのです。申し訳ありませんがしばらくこちらでお待ち願えますか?・・・しばらくかかるかもしれませんが。それとも、私がご本をお預かりいたしましょうか?」
「構いません。くれぐれもよしなにと仰せつかった物を、直接御本人にお渡ししなければ、使者の役目を全うしたことになりません」
これはもっともな意見だったので、侍女は大人しく下がった。しばらくして茶が運ばれてくると、もう一度お待ちくださいと念を押され、フェルディナンドは一人になった。
庭からよく晴れた冬の光が背の高い窓から射し込む。この国はエルファラン国より南に位置するため、冬の寒さはそれほどではない。だがさすがに暖炉も焚かれていない部屋は冷え冷えと陰気だった。
フェルディナンドはゆっくり庭に面した扉を開ける。庭はあまり広くないが、たくさんの木が植えられており、手入れもほとんどされずに置かれていた。雪が降らないのはいいが、色あせた木々や草がそのままになっているのは、あまり見場がよくない。
フェルディナンドは外に出て二階部分を見上げる。彼には大体どの部屋が貴人の部屋かがわかる。うまい具合に彼がこのあたりと目星をつけた部屋の窓は細く開けられていた。おそらく換気のため、風を入れようとしているのだろう。
――不用心な造りだ。これが国の恩人の孫娘に対する仕打ちなのか
少年はしばらく佇んでいたが、不意にはっと息を潜めた。
風の音に掻き消されるほどの微かな声が上から聞こえてきたのだ。
フェルディナンドは壁際に植わっているよく茂った常盤木に足をかけた。幹には夏の名残の蔓草が絡みついており、さしたる苦労もなく窓際の枝までよじ登ることができる。勿論窓から中を覗き込むわけにはいかないが、よく茂った葉と窓際に飾られた観葉植物がうまく少年の体を隠してくれるはずだ。フェルディナンドは絶対に見つからない自信があった。
――よし、さっきよりよく聞こえる。・・・間違いない。この良く通る声はシザーラ様の声だ。もう一人は・・・男か・・・一体誰だろう・・・もう少し窓際に来てくれないかな?
フェルディナンドは体をずらして壁際ににじり寄った。ほとんど壁に耳をつけないばかりに近寄ることができたが、これではもし窓から顔を出されたとき身を隠す術がない。しかし彼は躊躇わなかった。あの年老いた侍女以外に、この屋敷に仕える者はまずいない。先ほど案内された部屋の様子や、玄関の佇まいから彼はそう判断していたのだ。
フェルディナンドはしばらくそのままじっと耳を澄ましていた。
やがて形の良い薄い唇の端がうすく引き上げられた。
◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇
スパイ(間諜)フェルディナンド君です。
最近ノヴァの番外編のネタをよく思いつくんですが、ことごとくエ○いんで、困っています。お話が完結したら日の目を見ることもあるかもしれませんが。どうなんだろう・・・。
次回、ついにあの人が・・・。