戦場

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「フェルディナンド、いるの?」

甲高い声が廊下に響いた。

「はいっ!ただいま!」

観音開きの扉を肩で押し開け、両腕いっぱいにリネンを抱えた黒髪の少年が、声の主の方へやってくる。廊下は寒々しいほどに人気がなく、少年と、彼を呼んだ若い婦人の他には誰の姿も見かけない。ちょうど午後のお茶の直前で人々は、各各にあてがわれた部屋でゆっくり過ごしているに違いなかった。

「どこに行っていたの?フェルディナンド。今日は私の主催するお茶会を手伝ってくれる約束よ」

「申し訳ありません。ドロレスお嬢様、こちらが済み次第直ぐに」

フェルディナンドはリネンの端から、顔を覗かせて申し訳なさそうに謝った。

「まぁ、なぁに?その荷物は。何であなたがそんなものを抱えてるの?そんなのは部屋付きのメイドの仕事でしょ?」

尊大な態度で腰に手をあてたのは、年の頃二十歳過ぎかと思われる紫のドレス、褐色の髪の女性だった。

褐色の髪はこの国――ザカリエで一番ありふれた髪色だが、高々と結い上げれられていて見栄えがする。瞳も同じ色で、顔立ちは美しくないこともないが、やや派手めの衣装や髪形はフェルディナンドの目にあまり好ましく映らない。

彼にとっては少しぐらいの見かけの美しさなど、何ほどの事もないのだった。遥かな北の地で暮らす彼の主人に比べたら、このような田舎の国の貴婦人など、女性とも思えないほどだった。そう言う意味では、フェルディナンドは14歳の少年にしては、不幸にも目が肥えすぎていると言っても差支えないだろう。彼の審美眼は厳しすぎる。しかし、彼は如才(じょさい)なく小声で答えた。

「はい・・・ですが、オーラリア様からそれは厳しく仰せつかりまして・・・今すぐに部屋の中をきれいにしろと・・・」

「まぁっ!このお部屋の中にオーラリア様がいらっしゃるの?」

ドロレスと呼ばれた娘はとたんに声を落とし、右手の扉を恐ろしそうに見つめた。。



「なんでいまごろこんな所に・・・?」

今にも観音開きの扉から誰かが出てくるのを恐れるように、ドロレスは柱の陰にフェルディナンドを引っ張って行く。

「さぁ・・・私にはわかりかねますが、先ほどオーラリア様から急にこちらのお部屋に二人分のお茶の支度をと言われまして・・・すぐさまご用意差し上げたのです。それでオーラリア様はお部屋に入られ、もう一人の方はお庭の方から入られたご様子で・・・私は廊下で控えておりますと、しばらくして急に室内から物音がして・・・」

ここで意味ありげにフェルディナンドは口をつぐんだ。案の定、ドローレスは興味を強く惹かれて話の続きを催促した。



ここはザカリエ王宮の東側にあたる芙蓉宮と呼ばれる建物の一翼で、一階の部分は平貴族たちが多目的に使える大小の談話室が並んでいる。このあたりは王やもっと高位の貴族たちの住まいである青蘭宮からは少し離れていて、身元さえ確かなら、比較的軽い身分のものでも出入りできる。現在、彼らがいるのはそんなところだった。



「物音を聞いてく直ぐに私はお部屋に入ったのです」

フェルディナンドはしたり顔で話を続ける。

「ええ、ええ。それで?何の音だったの?」

ドロレスは今や好奇心をむき出しにしている。

「はい。驚いて私が顔を出しますと、お部屋の中は花瓶が倒れたり、壁に掛けられていた装飾品が床で割れていたり・・・それはもう、大変な有様で・・・それらはいましがた片付け終わったばかりですが」

「まぁ!そこにオーラリア様が?お一人で?」

「え・・・ええ。まぁ、それは・・・」

フェルディナンドは、よく躾けられた召使の常でその辺りは曖昧に口を(にご)したが、やれやれいつものことですよ、と言う態度を言外に巧みに(にじ)ませている。相手は噂話に目がない田舎の国の有閑貴族である。フェルディナンドの話にたっぷりと密会の匂いを嗅ぎとったドローレスは、ますます目を輝かせた。

「ふぅ〜〜ん、きっと他に誰かがいたのね?そうよねぇ。そうでもないと、いつも人の出入りの多い広間ばかりをうろうろ徘徊しているオーラリア様がこんな静かな場所には来ないわよねぇ・・・で、不首尾に終わったと。ほほほ、いい気味だわ。あのろくでなしの父親の権力をカサに着るしかない年増女が!」

この言葉の後半は口の中で呟かれたものだが、ドローレスの顔つきに言いたいこと以上の感情が滲み出ていた。フェルディナンドは如才なく、気がつかない振りで手際よくリネンを点検している。

「フェルディナンドもかわいそうね。あんな女に気に入られたばかりに、こんなしなくていい仕事まで言いつけられて。あなたは芙蓉宮のすべての貴婦人のものなのにね。皆が言っていてよ。ここのお小姓たちの中で、あなたが一番機転がきいて、美しいって」

芙蓉宮の二階以上はザカリエ王宮の貴婦人達が住まう所である。彼等は勿論それぞれの領地に屋敷を構えているが、一年の殆どを王宮で暮らす者も少なくはない。彼等の夫や父は、宮廷貴族として王宮にそれなりの役職を持っているが、王宮そのものの規模はそんなに大きくはないので、住まう貴族や婦人の数もそれほど多くはない。

フェルディナンドは、ハルベリ少将の用意した非の打ちどころのない推薦状をもって、まんまと王宮内で小姓を務めている。生来の頭の良さと度胸で、今では小姓頭にも一目置かれる存在になっていた。

「ありがとうございます。ですが、私は一生懸命お勤めさせていただくだけで・・・」

大変殊勝(しゅしょう)なそぶりでフェルディナンドは辞儀をした。彼は動きも話し方も優雅で、まだこの宮廷に仕えて三か月しか経たないが、既に王宮の貴婦人たちの間で大変な人気者だった。

「まぁフェルディナンド。お前はいい子ね。・・・それでオーラリア様はどちらへ行かれたの?」

「はい。私にお部屋の始末を申し渡されたあと、中庭の方から外へ出て行かれました」

「そう・・・ならもう当分ここには戻って来られないわね。それは大変都合がいいわ。さぁ、フェルディナンド。そんなリネンはさっさと片付けて、今度は私達の楽しいお茶会の支度をして頂戴。今日は久しぶりに楽しいお話ができそうだわあ。もちろんお前も一緒に楽しんでいいことよ」

「・・・ありがたき幸せに存じます」

優雅な仕草でフェルディナンドは一旦その場を辞し、今度はドローレス主催の茶会の支度を整えるために芙蓉宮に設けられた厨房に向かった。





秋の終わりにフェルディナンドがザカリエ王宮に仕えるようになって三か月、ザカリエ国の首都、ザールは冬の一番厳しい季節を迎えていた。とは言っても、エルファラン国より南に位置するザカリエ国は一年で一番寒い季節と言えども雪は滅多に降らない。代わりに乾いた強い風がびょうびょうと高い空を吹き抜けてゆく。





「ふぅ〜」

フェルディナンドは厨房の窓から、うす青い空を見上げて大きく息をついた。ドローレスのような貴婦人の相手なら訳もなかった。しかしつい先程、こちらの部屋で修羅場に遭遇した時には、さしもの肝の座ったフェルディナンドでさえどうしようかと、身が竦んだのだった。

少し早い午後のお茶の用意を言いつかったフェルディナンドが支度を整えて部屋に入った時―――



先程の話の主、オーラリア嬢が怒り狂いながらテーブルの上の物をものすごい勢いで払い落していた。彼女はきつい美人であったが、(まなじり)は逆立ち、豊かに縮れた黒髪は乱れ、紅は滲んでさながら夜叉のようであったが、フェルディナンドが入ってきたのに気がつくと、さすがにバツが悪かったのか、乱暴に部屋を片付けるように命じると、中庭に続く硝子戸から立ち去ったのだった。



――なるほど。噂には聞いていたが、ドーミエ将軍の一族の横暴はかなりのものだな。そして、嫌われようも・・・



フェルディナンドは開けっぱなしの硝子戸から寒風が入り込んでくるのも構わず、貴婦人らしからぬ足取りで遠ざかるオーラリア嬢を見送りながらにやりと笑う。





「・・・でね、フェルディナンドは何も言わなかったけども、アレは絶対に何かあったわね」

ドローレスが手柄顔に声を上げた。白と青色で装飾された室内は明るく、それなりに洗練されている。ここはしつらいが美しいのでご婦人たちがよく使う談話室である。

「まぁ〜〜。でも嫌なお話ね。今回はどこのお気の毒な殿方が犠牲になったのかしら?ああ、フェルディナンド、いつもながら上手なお茶の淹れ方ね。このお菓子も美味しいわ」

「お気に召していただいて嬉しゅう存じます」

上品に微笑んで少年は辞儀をした。丁寧に入れた茶と、焼き菓子が配られ、それほど規模の大きくないお茶会は、10人もの貴婦人達のお喋りで盛り上がっている。

「さぁ・・・フェルディナンドは殿方の顔までは見ていなかったらしいから。だけど、オーラリア様を袖にしたとなればただでは済まないわね。またお父上に言いつけて、最前線に送られてそれっきりじゃないのかしら?」

「まぁ、お気の毒ねぇ。しかも、ここ数カ月の我が軍の戦況は、どんどん分が悪くなっているようでしょう?」

「まぁ、怖い。まさか・・・我が国が負けるなんてことは・・・」

「まさか、だって我が軍はあのカニンガムの熊、イワノヴァ・ドーミエ将軍に率いられているのよ。あの戦しか脳のないケダモノにね」

「あら、じゃあそのケダモノの娘であるオーラリア様はいったい何なのかしら?」

「さしずめ猛獣使いってところかしら?」

別の貴婦人も愉快そうに応じた。カチャカチャと茶器が鳴る。



――おやおや、熊将軍もご息女と同じく、随分とご婦人がたに嫌われているようだ



フェルディナンドは用を言いつかれればすぐに応じられるように衝立(ついたて)の蔭で控えている。それはいつものことだから婦人たちは気にも留めない。しかし、彼は完全に表情と気配を消し去っているその中で、婦人たちの四方山(よもやま)話に神経を集中させている。

「これ!滅多な事を言うと毒を盛られるわよ?知ってるでしょ?あの噂」



――噂?なんだろう?



フェルディナンドは耳をそばだてた。

「ああ、隠居を命ぜられてるヴァン・ジキスムント宰相の、亡くなられたご子息の話でしょ?かなり前の話だけど」

「あんなに若くして重篤(じゅうとく)な病に罹られるなんてねぇ。しかも原因不明の」



――蟄居(ちっきょ)させられている宰相の子息が毒を盛られたと言うのだろうか?



「しっ、単なる噂かも知れなくてよ。この話はやめましょう。フェルディナンド、お茶のお代わりをお願い」

「はい、ただ今」

少し年配の婦人が(なだ)める。せっかくの情報だったのにこの話はそこで打ち切られるようで、フェルディナンドは些か失望しながらも、御婦人たちの噂話などまったく聞こえてなかった風に衝立の蔭から顔を出した。

「それは確かに。だけど、ここ数年間、この宮廷はあの熊の親子が支配しているのも同然だわ」

「でも、確かに最初は飛ぶ鳥落とす勢いだったけど、最近はどうも・・・ね。エルファラン国は流石に伝統ある大国だわ。なかなか我が国の軍門に下りそうにないじゃないの」

「ここだけの話、私はエルファラン国に恨みなどありませんわよ。むしろ文化的で概ね平和主義で、新興国である我が国の手本になる国かと」

「美しい布や、美味しいお酒の産地でもありますしねぇ。まぁ、だからこそ我が国が欲しているのでしょうけど」



――当然でしょう



どうやら戦の趨勢(すうせい)とは別にエルファラン国は貴婦人達にとってはあこがれの国の様である。

「そんな事、ここだけの話になさいね。戦争で家族を亡くされたお家の方々もいらっしゃるのだから」

窘め役の婦人はやっぱりここでも思慮深い意見を述べた。

「ですが、元々は我が国から資源目当てに仕掛けた戦争でしょ?途中休戦期間は長かったけれど、この数年は以前より激しくなって・・・あのドーミエのおかげで」

「始まりがどうだったかなんて、あんまり昔のことでもうみんな忘れているんじゃない?」



「忘れてもらっては困るのだけど」

「!」

皆は一斉に声のした方を向いた。勿論フェルディナンドも―――



そこには厳しい顔をした細い娘が立っていた.









◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇








久しぶりにフェルディナンド君登場。







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