領主の恋

9へ | ノヴァTOPへ

  10  






馬で山道を下る二人を目ざとく見つけたのはフェルだった。

フェルの叫びを聞きつけて、サリアとジャヌーも駆け寄ってくる。

「レーニエ様!」



すっぽりマントを被せられ、馬上で片手で抱えられながらレーニエはファイザルにもたれていた。

ハーレイ号は軽い足取りで前庭の(ひさし)の下で止まる。ファイザルは彼女を(かか)え下ろし、サリアに託した。サリアに抱きしめられながらレーニエはちらりと彼を見たが、ファイザルはあえて彼女の方を見ようとはしない。



驚いている彼らの前でファイザルは手短に事情を説明した。



フェルは怒り心頭に達したように、青い目を怒らせてレーニエとファイザルを見比べていたが、まだ髪も乾ききっていない主の様子に言いたい事をぐっと堪え、すぐさまレーニエの部屋を整えに走る。

サリアも同じで、ファイザルのシャツにマントを引っ被ったままのレーニエを浴室まで引っ張って行くが、中に入る前にきっとファイザルを振り返った。

「ファイザル様!今しばらくここにお留まりを。よろしいですね」

それはジャヌーが青ざめてしまうほど激しい口調だった。





「後でたんと言い訳していただきますが、今はお身体を温めることが先決です。今日は寝台から一歩も出しませんからね」

サリアは有無を言わさず主を湯に放り込む。

「サリア・・・済まない」

肩まで湯に浸けられたレーニエは言葉もなく、素直に従う。顔を見られたくなくて、白い背を向たまま。

「いいえ、私だからこれくらいで済んでいるのですわ。フェルのお説教をお覚悟めされた方がいいですわよ。あの子、今朝がた、寝台が空なのを見て泣かんばかりに大騒ぎしてレーニエ様を探していましたもの。ちょうどジャヌーが昨夜が新月だったってことを思い出し、これから湖に出かけるところだったのです」

「・・・・・・」

「ファイザル様が通りかかってくださらなかったら。もっとひどいことになっていたかと思うと、ぞっといたします」

「・・・う」

「だけども、あの方となにかあったのでしょう?」

「・・・」

「あの後すぐ、いつになく険しい顔をなさって、すぐに砦に戻られようとなさっていたのですが私がお引き留めしました」

「・・・そうか・・・」

「でも、今日はもうお休みにならないといけませんよ」

言いながらサリアはレーニエの白い肌に異常がないか、つぶさに観察していた。首筋、肩、胸元、背中・・・いずれにも(あざ)一つない。



―やはりあの方はレーニエ様を大切に思ってくれているのだわ・・・・・・もしレーニエ様を悲しませたのなら、ただじゃおかないって引きとめたけども・・・



細かいことは後で聞けばいい、そう結論を下してサリアは明るく言った。

「後で、サリアにだけはちゃんとお話してくださいね。でないとフェルから守って差し上げませんよ?」



にっこり笑って片目をつぶったサリアはもういつものサリアだった。







「これ・・・いつもより多い・・・」

フェルが無表情で差し出した薬湯のカップを、寝台で(すす)りながらレーニエは顔をしかめた。

サリアが宣言した通り、問答無用で昼間から寝台に追いやられたかと思うと、空腹でもないのに粥を摂らされ、その後で黙りこくったフェルが薬湯の盆を持って来た。昼間だと言うのに窓には厚い布が引かれている。

サリアは昼餉の盆を下げ、壁際に控えている。弟があまりに言葉が過ぎるようなら、すぐさま(いさ)めるつもりだった。

「・・・」

フェルは答えない。ややつり上がった青い目がじっとレーニエを見つめている。その沈黙に負けてレーニエは再びカップに口をつけた。心なしか苦みまで増量されている気がする。

「・・・悪いと思っている。もうしないから許してくれないか・・・フェル?」

やっとのことで薬湯を飲みほし、フェルの差し出す盆に戻してからレーニエは自分の小姓に懇願した。

「あたりまえです。つまらない伝説をいちいち本気にされて、お部屋を抜け出されたんじゃ、こっちの身がいくつあっても足りません」

「・・・二度としない」

「そう願いたいですね。一体何を女神に願われたのですか?」

知らず、詰問(きつもん)の口調になっているが、その問いはレーニエにとって今日二回目だった。

「・・・・・・あの人に会いたいと・・・」

黙っているのも卑怯な気がして、レーニエは素直に答えた。フェルディナンドの青い目が驚愕に見開かれる。薄暗い部屋に奇妙な沈黙が流れた。





「・・・そんなにあの人のことがお好きなのですか?」

少年にしては大人びたフェルの声が静かに尋ねる。こくん、と頭が下がった。

「そう・・・そうなんですか。・・・で、あの人にそう言ったんですか?」

再び主の頭が下がるのをフェルディナンドはみとめた。

「・・・尋ねられたから」

「・・・・・・」

少年は薄い唇を噛みしめた。整った顔が険しく(ひそ)められている。サリアは弟がどんなにかこの主のことを慕っているかよく知っているので、気遣わしげに彼を見やったが、沈黙を守った。

「・・・それで、あの人はなんと?」

「私の気持ちに応えることはできないと」







あの時―――







「畜生っ・・・!」

聞いたことのないような罵り言葉。自分が何も言う間もなく、息もできぬくらいきつく抱きしめられ、気が遠くなりそうになった。

どのくらい時間が経ったのか、ゆっくりと腕が緩み、熱い胸が離れてゆく。恐る恐る顔を上げると、恐ろしく(かげ)った瞳とぶつかった。いつもは静かな湖のような瞳が、これほど(くら)い光を(たた)えるなんて信じられなかった。



「・・・黙っているのは容易(たやす)い。だが、それでは、あなたに余計な重荷を掛けてしまうだろう」

苦しげな声が耳朶を打つ。

「・・・?」

レーニエには彼が何を、何のことを言っているのか分からなかった。ただ、その瞳が自分を捉えて離さない。

「あなたは自分の気持ちが私を苦しめるとおっしゃった・・・それは本当です。だが、あなたの言うような意味じゃない」

この娘はいつも自分が人にどう思われるか不安で、自信を持てないでいる。この頃になってようやく笑顔が増えてきたと言うのに、もし彼が自分の気持ちに封をしたまま無難にこの場をやり過ごせば、以前のように憂いを帯びた瞳に戻ってしまうかもしれない。優しい性質故に頭を垂れて。



それには耐えられなかった。自分などと違い、この娘には光のあたる場所で生きて行って欲しい。



「俺が苦しいのは、あなたの気持ちが重荷になるからではなく・・・」

「・・・・・・」

「俺も・・・確かにあなたを愛おしく思っているからです。それも、おそらくあなたよりも強く・・・」





「あなたを欲している・・・」

「あ・・・!」

レーニエは打たれたように瞳を閉じた。では・・・では・・・この人も・・・

ファイザルは華奢な手を自分の大きな掌で包み込むと、唇で桃色の指先の一つ一つに口づけた。熱い吐息をもっと間近に感じたくてレーニエはうっとりと頬を寄せる。その柔らかい頬を大きな手がゆっくりと撫でた。

「しかし、やはりそれは間違っている。あなたは高貴なお血筋の姫君で、俺は人殺しだ。この運命は変わらない。言った通り、俺はあなたの想いに相応しい男ではない」

言葉の厳しさとは裏腹に、頬を包んだ指は限りなく優しく、それはまるで愛撫と言ってもいいくらいで。唇は触れ合わんばかりに近づいて・・・

「・・・その意味で、あなたも私も誤りを犯している。俺たちはこれ以上近づいてはいけない。わかりますね、レーニエ様」

「いや・・・嫌だ。どうして?ヨシュア・・・」

いやいやと被りを振る様は童女のようにあどけないのに、その姿はファイザルの心に痛いほど食い込んだ。

「困った姫君だ・・・」

そう言うとファイザルはもう一度、今度は優しくレーニエを引きよせ、額に唇を落とした。

「レーニエ・・・レナ・・・あなたはお母上と同じ間違いをしてはならない。愛してはいけない男を想ってはならない。今度こそそれは罪です」



罪―――



静かな口調だが、その言葉は雷のようにレーニエの身を貫いた。

「あ―――!」

「そう。おわかりですね。いい子だ・・・」

透明な膜を(はら)んで見開かれた赤い瞳に吸い込まれそうになる。震える唇が愛しくてならない。

「可愛いレナ・・・・・・お許しください」



口づけは優しいものだった。ふんわりと押しつけれ、上下の唇を(つい)ばみ、離れたかと思うと熱い吐息と共に再び覆う。長い指が(うなじ)の髪に絡み、腕は腰を引きよせて―――

やがて名残を惜しみながらファイザルは体を離した。



「レナ・・・私たちは今まで通りです。あなたは何も悪くない、このような事は忘れるべきです。いいですね」

言葉を失ったように彼を見つめるレーニエの頬を透明な雫が静かに流れた。

ファイザルは優しくレーニエを助けて立たせると、自分は膝まづいてその手を頭に押し頂いた。

「ノヴァゼムーリャのご領主。私はこの地にいる限りあなたをお守りする事を誓います」










「・・・なかなか常識家ではないですか。彼は」

冷たく言い捨てるフェルディナンドをレーニエは悲しそうに見つめた。

「フェル・・・!言葉が過ぎるわ。もう向こうへお行き」

「サリア・・・いいんだ。フェルの言うとおりなのだから・・・」

レーニエは寝台に膝を立て、僅かに唇の端を上げて見せた。

「大丈夫だ。初めからヨシュアに何かを望んだわけではない。ただ、この想いを告げたかっただけで・・」

俯く首筋から銀の髪が流れ落ち、敷布の上に渦をつくった。

「・・・・すまない、少し休みたい」

「レーニエ様・・・」

「心配をかけた。私がすることなんて、皆に心配をかけることぐらいだな・・・すまないが、天蓋の布を下ろして」





二人が部屋を出て行くと薄暗い部屋が一層暗くなったように感じた。上掛けを引っ被り胎児のように身を丸める。



――明日になれば元通りだ。別に何かを失ったわけじゃない。泣くなんて滑稽だ。



レーニエは漏れそうな嗚咽(おえつ)を無理やり飲みこんだ。



――でも、あの人は私をレナと呼んだ。



レナ―――



今まで愛称で自分を呼ぶ者など誰もいなかった。自分の名が愛称になるとも考えたことがなかった。

レーニエ。生まれてからずっとその名で呼ばれてきた。

その名は、王家のいつの時代の歴史にも存在しない名。男性の名でも女性のそれでもない、風変りな響きを持つこの名が好きではなかったのに―――



レナ。それは可憐な響きの、紛れもない女性の名前だった。










「あ・・・失礼します。ご一緒してもよろしいですか」

「ああ」

ジャヌーが若々しい裸身を晒して湯殿に入ってくるのに一瞥をくれ、ファイザルは遠くの山並みに目をやる。陽は中天をかなり過ぎていたが、まだ黄昏には暫く間があるだろう。

「指揮官殿と風呂を一緒にするのは初めてなような気がします」

「・・・男同士で風呂に入ってもつまらんだろう」

仕方がなさそうにファイザルは若い従卒に苦笑を向けた。

「すごい体ですね・・・こんなにたくさん・・・名誉の負傷が」

鍛え抜かれた筋肉の上を、縦横に走る無数の刀傷に感心したようにジャヌーは言った。上背のおかげで服を着ると割合細身に見える彼の体には、裸になっても、もちろん余分な肉はかけらもついてはいない。

南部出身の人間らしく、やや浅黒い肌。逞しい首筋に鉄色の髪が張り付いている様子は、男の目から見ても酷く目を引く色気がある。



――この人は今までどんな戦場をくぐり抜けてきたのだろう・・・



しなやかな動作でジャヌーは湯に中に滑り込んだ。彼自身も大抵の男が羨ましがるような筋肉が、滑らかな肌にみっしりとついている。

「ただの醜い傷跡だ・・・名誉などないさ」

「そうでしょうか・・・勇敢であったことの証しで・・・」

「違う!」

ファイザルは鋭くジャヌーを遮った。

「ただの傷だ」

吐き捨てるように言う上官をジャヌーは複雑な表情で見つめた。彼は相変わらずこちらを見ようとしない。

「レーニエ様はどうしておられる」

「指揮官殿の前にお湯を使われて今は部屋で休んでおられます」

「・・・そうか」

何があったのか聞きたいのは山々だが、聞いてはいけない事もジャヌーはわかっている。少し考えて全く別の事をジャヌーは口にした。

「指揮官殿はレーニエ様のご身分をご存じなんですよね」

「・・・」

何故そんな事を?と言うようにはじめてファイザルがジャヌーを振り返った。

「あ・・・いえ、教えてほしいという訳ではないのです。ただ、指揮官殿はご存じなのかなと思っただけで・・・」

水面を波打たせてジャヌーは腕を振った。

「ああ。この間・・・伺ったな」

「え!?本当ですか・・・あ、いやその・・・それで指揮官殿は何と・・・?」

「別に何も・・・今までどおりだ」

「はぁ・・・」

「ジャヌー・・・」

「は」

「あの方に惚れるんじゃないぞ」

「は?いっ、いやまさか・・・俺などにはとてもそんな勇気は・・・」

「ふ・・・冗談だ・・・もう出ろよ。顔が真っ赤だぞ」

「は・・・はい!指揮官殿は・・・?」

「俺はもう少しここで疲れを落とす。出たらそうだな、冷たくした酒を・・・頼めるか」

「はい。ご用意しておきます」

そう言うとジャヌーは勢いよく湯から上がった。くしゃくしゃの金髪。引きしまった腰と長い手足。若さにあふれたその姿を目で追いながらファイザルは両腕を伸ばして岩にもたれかかる。



――あれでよかったのだ・・・



誘惑はあまりに甘美であった。自分がもう少し若ければ、あの可憐な花を欲望のままに手折っていたかもしれない。そう・・・・・・あの時自分は紛れもなく欲情していた。(すが)りついてくるようなあの瞳に応えることはどんなに容易(たやす)いことであったか。

白い首筋は溶けるように柔らかで、少し吸えばすぐに(あと)になっただろう。ついこの間まで少年でも通った程、か細かった体はいつしか匂いたつような娘らしい曲線に縁取られて・・・。

甘い唇から身をぎ取るように引き離し、僅かしか隠れていない肌がこれ以上目に触れないように、マントにくるんで馬に乗せた。レーニエも大人しく従った。元々素直で、罪を恐れる彼女の気質を利用してなんとか納得させたが、その実自分に対する防衛線だった。

レーニエが言うように罪の子かどうかは分からない。分かるのは紛れもなく彼女が現国王が唯一の子供だという事。

それに引き替え、自分は親の顔すら知らない野良犬で・・・。



――許されるわけがない・・・いくら愛していても



激しい水音を立てて、彼は両手で顔を覆った。



「レナ・・・」

飴玉を舌の上で転がすように呟く。










「・・・ん」

いつの間にか眠っていたらしい。レーニエは薄いシーツをめくって窓の方を見た。掛け布のおかげでよくは分からないが、日は既に少し(かげ)っているようだった。



――名を呼ばれたような気がした・・・あの人がくれた私の名・・・・・・



急いで頭を巡らす。

しかし、寝台の周りにも部屋の中にも人影はなく、もしやと思っていた心は急速に萎えていく。視界がぼやけた。

レーニエは真珠のような歯を食いしばり、崩れそうになる心を立て直そうとした。関節が白くなるほど敷布を握りしめる。細い肩が震えた。



――いけない。もう誰にもこれ以上無様な姿は見せられない。今だけ・・・今だけだ・・・



唇だけで笑って見る。きつく瞼を閉じると、押し止めることの出来なかった涙が一粒頬に溢れた。レーニエは指先でそれを(ぬぐ)い、そっと寝台を下りると窓辺に向かう。



シャッ



小気味いい音とともに、厚い窓掛けが脇に寄せられ、部屋はまだかなり明るい薄暮の光で満たされた。背の高い硝子窓を開けると、清々しい山の空気がどっと入り込み、肺を満たす。



露台からは彼女の領地、ノヴァゼムーリャが一望のもとに見下ろせた。優しい風が涙を乾かし、髪を(くしけず)った。



――あの人は忘れろと言った・・・・・・そんな事が出来るはずがない。忘れたくはない



――だけど無様に卑屈になりもすまい。あの人に私を見てもらうためにも、ふさわしい自分でなければ―――



――私はここで生きてゆくのだ。都を出る時に全ての桎梏(しつこく)は捨てたはず。そしてヨシュア、あなたから名を貰った。大丈夫、きっとできる。私は、この地で―――








ノヴァゼムーリャの領主は初夏の風の中にいつまでも佇んでいた。





◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇





4章おしまい。
レーニエは自分の想いに恋という名がつく事を知り、ファイザルは自分の中に愛の居場所があると知る。
色々な点で全く違う二人ですが、不器用という点では似ているかもしれません。ファイザルがヘタレなのか、否かは意見の分かれるところだと思いますが。
ガタイの良い男二人のハダカの描写は楽しかったです。
5章では大きな事件が起きます。新しい絆で結ばれた二人に何が起きるのか、どうか末永く見守ってやってくださいませ。


アルファポリス



9へ | ノヴァTOPへ