双珠の枕辺

~ 父と母 ~

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エルファラン国の若き将軍、ファイザルはその青い双眸に、滅多にないほど柔かい色を湛えて窓際に座る妻に見蕩れていた。

執務に向かう時はその瞳は常に険しく顰められ、微笑む事すら少ない。ましてや、戦闘や訓練などで長剣が一旦その腰から引き抜かれると、普段から冴え冴えとしたその容姿は一層無表情に引き締まるのだ。

だが、今彼の眉間に伺えるのは厳格や冷酷とは無縁の柔和な色と、信じられぬ事だが、切なさにも似た憧憬の―――



ゆったりした大きな長椅子に深く腰かけた少女の様な妻は、絹の部屋着の合わせを寛げて赤子に乳を含ませている。その肌は生まれたての赤子よりも白い程で、ゆったりと後ろで結わえた髪が一筋落ちかかったその横顔はどんな女神を描いた絵画よりも美しい。

若い母はゆったりと微笑み、無心に乳を吸う赤子を見つめている。傍らの大きな揺り籠にはすやすやと眠る、彼女のもう一人の愛し児。

初夏の風が入るように窓は開け放たれており、常に解放感を求める妻の意向で帳さえも引いてはいない。露台の方へ張り出している、日除けの天幕に遮られた柔かい午後の光が母子を優しく包んでいた。

「みゅう」

やがて満足げな音と共に赤子――こちらは男の子のレストワルドの方である――が満足して乳首を離すと、母親は服を直し、赤子を縦に抱いて背中をトントンと叩いてやった。すると小さなげっぷが漏れて、小さな唇が乳で濡れた。

「ヨシュア・・・そこの濡らした手拭いを取って」

「あ、ああ、これか」

この世で最も美しいとも思える光景にうっとりしていたファイザルだったがその声に我に返り、脇の卓に用意してある布を取って妻の代わりに赤子の口元をそっと拭ってやった。最初、自分等が触ると壊してしまうのではないかとおっかなびっくりだった彼も、最近はようやく慣れてきて、父親らしい事ができるようになってきている。まだ首が坐らぬ時期なので、その大きな手を当てにされて沐浴させる事も多い。

「エルはまだ眠っているのか?」

ファイザルが揺り籠を覗きこむと、双子の妹であるエルフィールがぐっすりと眠っていた。

「そうなの。エルは眠りん坊で・・・でも一旦起きるとレスターより沢山お乳を飲むよ?」

「ふむ・・・大物だな」

「あなたの子だもの、二人とも大物だよ」

「そうかなぁ。あ、渡しなさい。俺が寝かしつけよう」

ファイザルは乳を飲み終えたレストワルドを妻の手から受け取り、すやすやと眠るエルフィールの横に横たえて布団で包み込んでやる。まだよく見えぬ目で、暫く両親の顔を追いかけていた彼だが、満腹したからか、心地よく揺れる揺り籠の中で直ぐに眠ってしまった。エルフィールが目覚めるのはもう少し後だろうから、これからしばらくファイザルは妻を独占できる。





彼の最愛の妻、レーニエが双子をこの世に送り出してから、二月が経とうとしていた。

夏はどちらかと言えばレーニエの苦手な季節である。それほど丈夫ではない彼女の身体が、二人の子を産んで元に戻らないのではないかと危惧したファイザルであったが、医師キンケイド女史の助言をレーニエが進んでよく受け入れ、養生に徹した結果、産後の肥立ちもそれほど悪くならずに、一月後には普通の生活が送れるようになっている。

ただ、乳の出は余り良くはなく、乳腺を指圧すれば改善の可能性はあるものの、キンケイドは無理をして与えぬ方がいいと判断した。乳とは母体を削って生み出すものであるから、体の弱い母親が無理をし続けると体力の回復に影響があると考えたからである。

「絶対に許しません。レナ、女史の言う事を聞くんだ」

最初、乳母を雇うと言う家族皆の意見に、嫌だ自分で与えると珍しく我儘を言い募ったレーニエに、最後通告を発して黙らせたのは矢張りファイザルだった。

「あなたの頬が真っ白いままなのは耐えられない。レナ、俺の胃をズタズタにしたいのか?」

「う~~~」

暫くひくひくと泣いていたレーニエだったが、見兼ねたキンケイド女史の「お乳が張ってくるような時は差し上げても構いません」というお赦しをもらい、渋々納得したのである。幸い領主村には、同じ時期に子を産んでたっぷりと乳の出る女が何人もいた。オリイから彼女達に乳母の話を持ってゆくと、皆喜んで引き受けたがり、結局領主館に程近い所に住む若い母親が二人程選ばれて、乳母として領主館に交代でやってくる事になった。泊まりの日もあるが報酬は出るし、我が子も館に連れて来られるしで彼女達にとっては願ってもない事だったのである。内、一人は去年結婚したナヴァルの妻であった。ナヴァルとは、4年前レーニエが初めてこの地を踏んだ時、小刀を投げつけた若者である。今ではすっかり落ち着いた彼は良き農夫となって、領主の館に新鮮な野菜や果物を届けに来てくれている。





と言う訳で、レーニエが乳をやれるのは一日に一度くらいがやっとである。相変わらずの多忙で、普段その貴重な時間に居合わせる事の少ないファイザルが、この午後は美しい母子像を前にうっとりとなっていたと言う訳だった。

「ねちゃったねぇ」

「ああ、寝つきがよいのはあなた譲りだな」

「そぉ?だけど起きていても、寝ていても可愛いと思うのは、所謂(いわゆる)親馬鹿ってものなのかな?」

セバストが(こしら)えた双子用の揺り籠を尚も覗きこみながら、レーニエは最近覚えたその言葉を口にした。

「さぁ・・・分からない。流石の俺も親としては新米だから。けれど、矢張り可愛いと思う。こんなに小さいのに一人前に指に爪がついている」

ファイザルは己の無骨な指先で、酷く小さく見える赤子達の握った手をちょんと(つつ)いた。

「不思議な褒め言葉だなぁ」

幸せそうにレーニエは笑う。

「けどね」

「うん?」

「確かに可愛いんだけど、どちらか一人くらいは、あなたと同じ髪の色がよかったと思うんだけど!」

双子はまだ美しいとも言えない小ささではあったが、赤子にしては豊かな髪がほやほやと伸びてきていている。二人とも金髪だった。だが、その色あいは微妙に違っていて、兄のレストワルドの方は些か濃く、妹のエルフィールの方は淡い黄色だ。成長にするにつれ、どう変化するかも楽しみの一つだが、間違いなく父の様な鍛えた鉄のような色にも、母の様な白っぽい銀色にもならないだろう。レーニエは夫の髪が大好きなので、その事が大いに不満らしく、唇を尖らせている。

「俺はこんな汚い髪色になどに似なくてよかったと思うが」

ファイザルは全く気にしていないので気楽に答える。

「あなたの髪はきれいだってば!さらさらで鋼色・・・羨ましい」

濃い色が好みのレーニエは自分の好きなものをその持ち主に貶されて少し憤慨し、ついと腕を伸ばすと揺り籠越しに夫の髪を梳いた。

「この色が好きなの」

「ありがたき幸せ」

自分の前髪を掻き上げる細い指を己の手で包み込み、その先を唇でなぞった。

「・・・けれど、まぁ瞳はどうやらあなたの色を受けついでくれたようだから」

「けど、二人とも矢張り微妙に色合いが違いますね」

ファイザルの瞳はやや碧がかった深い青である。こちらの色はエルフィールがそのまま受け継いだようだ。レストワルドの方はそれよりもう少し青味が濃い。つまり母親のレーニエの持つ銀と赤の不思議な色合いはどちらも継承していない。どちらかと言うとファイザルにはこの事の方が意外なのだった。

「俺はあなたそっくりの女の子を見てみたかったが」

「そうお?でも母上の方にもあまり似ていないなぁ。少なくとも髪と目の色は。オリイは赤子の顔はまだまだ変わってゆくって言うのだけど」

「もしかしたら、あなたのお父上に似たのかもしれない」

レーニエの母である女王アンゼリカは鳶色の明るい髪と目を持つ。そして父の故ブレスラウ公爵は絵姿しか残っていないが、豪華な金髪と青い瞳の派手な美男子だった。してみると、母系には全く似ていないと言う事だろうか。

「う~~~ん、どうかなぁ。母上に会わせてみないと・・・。でもまぁいいや。これからもっといっぱい子どもを作るんだから。その内あなたにそっくりな男の子もできるかもしれないし」

「・・・勘弁して下さい」

まるで猫が子を産むような調子でやる気満々の妻に、辟易してファイザルはがっくりと肩を落とした。レーニエの陣痛が始まってから双子が生まれるまで、命が削られるような一夜を過ごした事が未だ忘れられないのだ。出産で命を落とす女性が珍しくはない世の中である。

「・・・あんな思いは二度としたくない」

「へいきだってば」

「俺が平気ではないんです。ま、ともかく今はまだ早い。この子たちがきちんと育つのを見届けないと」

「・・・うん」

ファイザルは旨く話の矛先を逸らせた。

「先ずは早く身体を元に戻して・・・」

「もうすっかり元通りだと思うんだけど」

「いいや、まだだ。その頬の下の小さな窪みがすっかり元に戻るまでは」

ファイザルはそう囁いて上体を傾けると軽く妻の唇に触れた。二人の下で嬰児(みどりご)がすやすやと眠っている。それをいい事に彼は細い顎を捉え、何度も啄ばむよう触れ合うだけの口づけを与えた。

コンコン

遠慮がちなノックと共に乳母の一人、ニーナが夫婦の居間に入って来た。洗濯し終えた予備の敷布を抱えている。

「失礼致します。・・・よろしゅうございましたでしょうか?」

二―ナはすっかり頬が染まっている領主の白い顔を不思議そうに見つめた。この若い娘はナヴァルの妻である。彼女は半年ほど前に元気な男の子の母親になっている。

「あ・・・ああ」

「ニーナ、少しの間ここを任して構わないか?俺はご領主と少し散歩に出てくる。正餐までには戻る」

恥じらうレーニエを横目で見ながら、ファイザルはす、と立ち上がりレーニエを促した。授乳のために結わえていた髪をはらりと解いてやる。

「レナ・・・行こう。裏の森に百合がたくさん咲いている」

「え、あ・・・うん。ニーナ、では頼むね。レスターは今お乳を飲んだのだけど、もしかしたらエルがお腹を空かせて目を覚ますかもしれない」

元より外に出るのが好きなレーニエである。母親になってからも好んで動きやすい男装を続けているので、直ぐに外に出られる。サリアに会うと、ショールだ帽子だと煩く世話を焼かれる為、二人は露台から庭に降りる事にした。

「あ・・・はい承りました。行ってらっしゃいませ」

二―ナは領主夫妻に崇拝の眼差しで丁寧に頭を下げ、仲良く部屋を出てゆく後姿を見送った。





領主館の裏手は小さな森になっていて、城壁を超えて外に出てもそれは奥へと続いている。レーニエ一人では決して行かせて貰えないところだが、ファイザルと言う無類の護衛を従えているので門衛たちも黙って通した。二人して小さな小道を行く。

ファイザルは妻の腰を抱いて森を歩いている。薄暮に近くなった時刻の森の中は初夏とはいえ、少し陽が翳っていた。かといって薄暗いと言う程でもなく、却って眩しくなくてそぞろ歩きにはもってこいの環境だった。乾いた空気は香ばしい下草の香りを含んでいる。少し行くと小さな池があり、白い花をつける池百合が岸辺に群生している。辺りは芳香に満ちていた。

「さて、やっと奥さんを返して貰えた」

ファイザルは白百合に囲まれて立つレーニエの腰を引き寄せて耳元で囁く。屋外を二人で歩くのも久しぶりだ。

「そんなことを言って・・・」

「俺は本気だ。子どもたちは可愛い、そして大切だ。だが、レナはそれとはまた違う」

ファイザルは一気に熱を持ってしまった耳たぶを唇で挟みながら言った。

「レナは特別だ」

「ひゃん」

熱く耳朶をねぶられてびくんと薄い肩が竦む。まさかこんな日のある内から屋外で抱こうとは思わないが、久々の休みにもう少し妻を堪能したい。さっきまではずっと子ども達と共有しているしかなかったのだから。それは家族と言うものに無縁だった彼にとって、かけがえのない穏やかな時間である。しかしながら男盛りとも言える年齢の彼が、若い妻をまだまだ可愛がりたいと思うのも致し方のない事だろう。

「ん、もうヨシュア、あなたが赤ん坊のようだ」

首筋に鼻先を埋めて肌を(まさぐ)る大きな息子の背中を仕方なさそうに撫でてレーニエは苦笑した。

「今はね。今夜泣き声を上げるのはあなたの方だが」

「もう!」

「レナ・・・接吻を」

腰を屈めて強請る。念のために断っておくがこの男は、国内最高の戦士である。

「百合を見ているのに」

「俺の百合が一番きれいだ。さ、レナ」

「ん・・・」

仕方なさそうにレーニエは夫の薄い唇に自分のそれを重ねた。削げた頬を両手で包んでしっとりと押しつける。離れようとすると直ぐに首を掴まれて歯列を割られた。きつく吸い上げられて唾液を啜られる。レーニエは大人しく逞しい腕に身を委ねていた。父と母になってもまだ恋人同士である。なかなか離れようとはしない二人を、乱れ咲く白い百合達がさざめきながら見守っていた。



「・・・ち」

「ん?」

不意に背後に忌々しそうな流し目をくれて体を起こしたファイザルの視線の先を、とろんとした赤い目が追う。

「なんだ」

二度も接吻を邪魔され吐き捨てる彼の声に応じて、木立の間から人影が現れた。息を上げたレーニエを覆い隠すように立ち上がり、無粋な闖入者を睨みつける。

「こちらにおいででしたか」

ジャヌーだった。彼も上官に従って休暇で砦から戻ってきていた。彼は領主館に程近い民家を買い取ってサリアと二人で住んでいる。最もサリアは殆ど館で過ごしているので、家に戻るのはファイザルと同じようにジャヌーが休暇を取った時だけである。

「二―ナさんからお二人で散歩に出られたと伺って」

でもお邪魔だったようですね、と言う言葉を飲みこんで彼は立ち止まった。

「やぁ、ジャヌー」

銀髪を揺らして百合の間に立つ彼女はまさに花の精である。いくら見慣れていても見飽きる事のないたおやかな姿を、ジャヌーはうっとりと眺めた。

「これは失礼致しました。レーニエ様、お久しぶりです。先ほど赤ちゃんをちょっとだけ見かけましたよ。いつ見ても可愛いなぁ」

「うふふふ・・・そうだろう?泣いてなかった?」

レーニエは既に母親の顔に戻っている。

「機嫌よしでしたよ」

「・・・で?何の知らせだ」

うんざりしたように前髪を掻きあげる上官に、苦笑を返してジャヌーは上着に手を突っ込んだ。

「流石に御聡い。・・・これです。お屋敷にお邪魔する時に早馬に出くわして、軍用馬でしたので俺が受け取っておきました。」

ひらひらと見せびらかすそれは手紙の様である。ジャヌーは一礼すると歩を進めて上官に書類を渡す。乱暴な宛名書きを見ただけでファイザルは呻いた。

「署名はないようでしたが、ノヴァゼムーリャ領主館付けファイザル将軍閣下と、あり得ない宛名書きだったので不思議に思いまして・・・悪い知らせですか?」

「ああ、この上なくな!」

苦り切って彼は言った。よく見ると「将軍閣下」の部分だけが嫌にわざとらしく大きな字で書いてある。

「ヨシュア・・・?」

「え?いやいやいや。レナ、そうではない」

どんな悪い知らせなのかと心配そうに自分を見上げるレーニエに気づき、慌てて誤魔化しながらファイザルはガサガサと封を破いた。中からとても書紙とは思えぬような厚ぼったい紙が出てくる。大きな太い文字が縦横無尽にのたうっているのが見えた。

「・・・・・・」

「なんなの?」

軍の知らせと憚って覗きこめないレーニエは依然として不安そうである。まさかまた夫はどこかの戦地に召喚されると言うのであろうか?

「あいつ・・・」

「あいつって?」

何方(どなた)です?」

ジャヌーも興味を示して聞いてくる。

「あいつと言えばあいつだ。JJ・・・ジャックジーン・セルバローの馬鹿だ!」

「ええええええええっ!?」



驚愕と、そして幾分喜色の混じった絶叫が森の中に響いた。



――― いよぅ、父ちゃん!明日着く レナちゃんによろしく JJ ―――



手紙にはそう記してあった。





                  ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇



第三章はほぼ育児日誌の様相に!?
今回は双子の誕生にまつわる人々の話題になるかと。






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