領主の役割

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「フェルは元気にしているだろうか・・・?」

すっかり晴れ渡った荒野を馬で行きながら、レーニエは横を行くファイザルに尋ねた。雪はまだうず高く道の両側に残っていたが、それでも昨日よりかよほど(かさ)を減らしている。

「先ず間違いなく」

前方から視線を離さずにファイザルは答えた。

「そうそう、奴はしっかりしてますよ。俺たちが雪の中から掘り出した時も、寒さで歯の根は合っていませんでしたが、決して(おび)えちゃあいませんでしたからね」

「そう・・・」

ジャヌーも請け合うので、レーニエは馬車を御すサリアを振り向いた。サリアも大きく(うなづ)く。

「そうですわ、レーニエ様。あの子は大丈夫です。きっとレーニエ様を見て飛び出してくるに違いありませんから、どうぞこっぴどく叱ってやってくださいまし」

「あ・・・ああ」

なんで叱らなければいけないのかよくわからなかったが、とりあえずレーニエも頷き返した。森を(かす)めて砦の基地はもうそこだ。セヴェレ川の流れが聞こえてきた。



「あの吹雪の後、どんどん風が柔らかくなってきましたね。春が来るんだわ」歌うようにサリアが呟く。

「しかし・・・雪解けが急で川の水嵩(みずかさ)が増しているのではないか?・・・このあたりの治水は?」

「セヴェレの流れは深いですから大丈夫でしょうが、リーム川の方は50年ほど前に大氾濫(はんらん)がおきたと記録に」

「今回はどうなのだ?」

「あの後水嵩には常に注意を払っています。念のために土のうを積んでおくように指示は出しています。川岸の一方は周囲は畑ですが、今は種付け前です。万が一氾濫したら土壌は流されるでしょう」

「近くに住む者たちに伝達は?」

「既に」

「レーニエ様もすっかりご領主様らしくなられましたわね」

ファイザルとのやり取りを聞きながら嬉しそうにサリアは言った。優しい姉の顔つきである。

「・・・そう?」

「ええ、私なんて単に春が来るから嬉しくなってるのに、そんなことまでお考えになって・・・やっぱりちょっぴりでも、税金いただいた方がいいんじゃないでしょうか?」

「そんなことはない。皆は都に作物や材木、そして労働という高価な税を既に国に収めている。新たに税金など徴収しなくとも、私がひっそり暮らすのに不自由はない」

「天領の治水は国の事業ですからね」

冗談を真に受けて、生真面目に返答するレーニエに(なら)ってサリアも頷いた。道はぬかるんでいるが馬はあまり気にする風もない。右手に森を見ながら行程はどんどん捗った。

「さぁ、お二方。着きましたよ」

砦の城壁が眼前に迫ってきていた。





「レーニエ様!姉さん!」

城壁の門を抜けるとすぐ、待ち切れない様子でフェルディナンドが駆け寄ってくる。皆が受けあったとおり元気そうで、後ろにはヒューイや、二人の父親達も皆並んで立っていた。

「フェル・・・!心配したのよ?」

いち早く馬車を飛び降りたサリアだったが、弟を抱きしめようと伸ばした手をぐっとこらえた。フェルが唇を引き結んで、レーニエを見上げていたからだ。

「申し訳ございませんでした・・・」

フェルは膝が融けかけた雪で汚れるのも構わず、レーニエの前に膝をついた。

「私の判断の誤りでヒューイや大勢の人たちを危険に巻き込んでしまって・・・ご領主様にもご心配をお掛けして・・・どのようなお叱りでも受ける所存でございます」

「フェル・・・フェルディナンド・・・」

「どうぞいかようにも罰してください・・・」

「フェル・・・もういい・・・こうして無事だったのだから・・・」

「そうよ・・・あんただって好きで迷子になった訳じゃあないんだし・・・」

サリアはさっき言った事と逆のことを、何の疑念も持たずに口にした。目の前に弟の無事な姿を見て泣きそうになっている。彼女もオリイもそれはそれは心配していたのだ。

「フェル・・・顔を見せて」

レーニエはマントが汚れるもの構わず、腰を屈めてフェルディナンドを立たせる。その時、レーニエは二人の背がもうほとんど並んでいることを知った。

「・・・無事でよかった」

つややかな黒髪を引きよせた。少年も主の背中に腕をまわす。レーニエはもう少しで失うところだった幼いころからの友人をしっかり抱きしめて頬ずりする。



周りの人々から歓声と拍手がわき起こった。








帰り道も何という程の事もなかった。砦で昼食を取り、ファイザルに別れを告げて村に引き返す頃には午後も盛りで、朝から吹き続けている柔らかい風のせいで雪はどんどん水っぽさを増している。ぬかるんだ別れ道で挨拶を告げ、アダンとヒューイはそのまま馬車を借りて村まで帰っていった。

「じゃあな」

「ああ、またな」

まるで一人前の男のような挨拶をして、二人の少年たちはいったん別れた。この五日間、砦の兵士達と生活を共にして、彼等はなんだか大人びたように見えた。

「フェル・・・あんた、なんだか背が伸びたんじゃない?」

サリアは荷馬車の御者台の隣に座る弟を見てしみじみ言った。父親のセバストは荷台の方に腰かけている。

「なんだよ、たった五日しか経ってないのに、そうそう背が伸びてくれたら苦労はしないよ」

「そうかなぁ・・・そうだよね。だけどなんだか・・・雰囲気が違うような・・・」

「何をしていたの・・・?」

(くつわ)を横につけてレーニエも尋ねた。

「はい。剣の稽古をつけてもらったり、戦術の講義に参加したり・・・あとは雑用などをしていました」

「私は昔、軍にいたことがありますが、フェルにとってはまったく新しい環境でしたから・・・私も好きにさせておりました。」

セバストも感慨深げに呟く。サリアと違い、フェルは生まれた時から王宮で暮らしていたのであまり外の世界を知らないのだった。

「お父さんは何をしてたの?」

「私は、アダンさんや他の将校さん達と将棋をしたり・・・本を読んだり・・・つまらないことばかりしていたな。何しろ外は大吹雪だし」

「なぁんだ」

「砦の様子はどうだった?」これはレーニエ。

「さすがはファイザル指揮官様が()べる部隊だと思いました。あれだけの人数を(よう)しながら。指揮官が留守でも若い兵士に至るまで規律が行き届いている。ふつうはもう少し(たる)みが出るものですが」

「・・・そうなのか」

「あの基地は新兵の教育と訓練をも(にな)っているのですが、厳しい環境で鍛え上げられ、一年を過ぎたころには皆立派に兵士の顔になっているそうです。そうして他の部隊に配属されるようで・・・」

「・・・・・・」

そうやって、皆別れて行くのだろうか・・・?レーニエは不意に重いものを心に感じた。








「父さん、俺、都の軍の学校にはいっちゃダメかな?」



その夜、仕事を終えたフェルディナンドは、私室で書見をしていた父親に向かって言った。ゆっくりと彼は身を上げて息子を見た。

「・・・そう来ると思ったよ。お前の顔を見ててな。今頃はヒューイも同じことをアダンさんに言っているのだろう?」

「うん・・・二人で話したんだ。ダメかな?俺・・・ちゃんとした男になりたい」

「軍に入らなければちゃんとした男になれないのか?」

セバストはいたずらっぽい目をフェルディナンドに向けた。

「そう言う訳じゃないけど・・・」

「レーニエ様のことはどうする?」

「それは・・・俺にとってはレーニエ様はすごく大事なご主人で・・・だけどこのままじゃぁ、非力すぎてお守りすることもできないし・・・軍人になりたいと言う訳ではないけれど俺、もっと強く、賢くなりたいんだ」

青灰色の瞳は真剣な色を浮かべている。セバストは、これはきちんと聞かなければならないと感じた。

「今までだって、父さんがいろんな事を教えていただろう?学問も剣術の基礎も」

「うん、それはそうだけど・・・もっと他にいろいろ勉強することがあると思って・・・」

セバストも実のところはよくわかっていた。フェルディナンドとさほど年も違わない少年兵士達が、剣術や体術、そして希望や適性に応じて様々な分野で学んでいる姿をみて、フェルが何かを感じていたことを。軍は地方出身の平民の若者の重要な教育機関でもあるのだ。

「父さんはお前がある程度の年齢になったら、レーニエ様にお願いして、都の学校にやろうとは思っていたんだが・・・」

「・・・そこはある程度の身分の奴らが推薦されて通うところなんだろ?甘やかされた貴族のお坊ちゃん達と気が合うとは思えないなぁ」

「・・・そうだな」

セバストは負けん気が強い息子の心情はよく分かる。この子は賢くて、誇り高い。いくらレーニエの推薦があったとしても、実力がないのに身分をカサにきて人を見下す、貴族の子弟達の中でうまくやっていけるとは思えなかった。

それならばいっそ、実力や適性でどんどんふるい分けられ、場合によっては科学院へも進むことができる、軍の教育施設に入ることの方がフェルディナンドにはむしろ向いているかもしれなかった。

「そうか、お前ももう子供じゃないんだし・・・・・・わかった、私からレーニエ様に話してみよう。しかし、そうなると数年間は都に行かなくてはならないぞ。レーニエ様をおいて」

「・・・わかってる。俺、努力をして出来るだけ短い期間で卒業してみせる」

父親の許しをもらっても、フェルディナンドは浮かれるでもなく淡々と答えた。

「ふ・・・いい根性だ」







「んん・・・」

レーニエは(ほの)かに赤く染まる湯の中で手足を伸ばした。浴室は階下の厨房のストーブとつながっているため、水を張ればすぐに湯が沸く。寒い地方の知恵のようでレーニエは大変気に入っていた。さほど広くもない室内はリルアの花の香りと湯気が満ち、寒さなどみじんも感じない。

サリアはレーニエの髪を洗い終え、寝室の様子を見に行ったようでレーニエはのんびりと一人湯に浸かっていた。



―少しは肉がついたかな



自分の白く、華奢な体が好きでない彼女は、腕を曲げても出ない力(こぶ)を出そうとしながら、昼見た兵士たちの様子を思い浮かべた。みんなよく食べて、よく動き、まだ冬の終わりだというのに既に半袖で走り回っている者もいた。そう言えばフェルも最近どんどん大きくなってきて、背などもう少しで追いつかれそうになっているのだ。昼間彼を久々に抱きしめた時、その体が思ったよりしっかりしているので、内心驚いていた。まだまだ子供だと思っていたのに。



―私も、たくさん食べてもっと大きくならないと・・・



根本的に性差があることをすっかり忘れたように、レーニエは自分の体を()でた。大体において、レーニエは見かけの大きなものや豊かなものが好きであった。

胸が少し(ふく)らんできたように思う。これは自分が女なのだからしようがないとしても、もう少し肉付きのいい体になりたいと思った。幼い頃、塔の中に閉じ込められ、日光を浴びることが少なく、栄養も行き届いていなかった痛手がまだ()えていないのかも知れない。

両手で乳房を覆って見る。片方の手のひらで包み込めるそれは、とても豊かとはいいがたい。脇腹だってまだ骨が浮いている。しかし、これでも都で暗澹(あんたん)と暮らしていたころよりは、マシになったのだ。空気が良いのと、馬に乗ったり、村を歩いたりして運動をしているせいで、前よりたくさん食べられるようになったからだとレーニエは思った。



―あの人は・・・いろんな事を知ってるのだろうな・・・私と違って色々な場所や物を見て、経験を積んで・・・



―大人なのだもの。きっとたくさんの女の人も見てきたに違いない。私のことはきっと、手のかかるだけの、つまらない貴族と思ってるんだろう・・・



「・・・あ・・・」

不意にあの吹雪の夜の口づけを思い出し、湯に浸かっているはずのに体が震えた。自らの唇を押さえ、体を抱きしめても、痛みとも疼きとも解らないものが下から這い上って来る。レーニエは身を(すく)め、正体のわからない疼痛(とうつう)に耐えた。

長く湯に浸りすぎたからだ。

そう思ったレーニエは勢いよく立ちあがる。傍らの布で体を(ぬぐ)おうとして、彼女は妙なことに気がついた。

「なに・・・?」

足の間を湯ではない、何かがつたい流れている。下を見ると、リルアの花で染まった湯の上に、さらに赤いものがくるくると渦を巻いていることに気がついた。そしてその赤いものは自分の足の間から流れている。



「・・・っ!?」

レーニエは思わず指を伸ばして、自分のその部分を触ってみた。明らかに湯と違うぬるりとした感触があり、指を引き出して見ると、それは真っ赤に染まっていた。

バシャンと湯が鳴り、飛沫が浴室に飛び散る。

「どうなさいました!?」

物音を聞きつけてサリアが飛び込んでくる。レーニエは布にしがみつくように浴槽にへたり込んで縮こまっていた。

「サリア、サリア・・・何か変だ・・・・・・私はどうしたんだろう・・・」






ノヴァゼムーリャ領主、レーニエ・アミ・ドゥー・ワルシュタールはその日、遅い初潮を迎えたのであった。










7日後――ー




ほぼ雪が消えた荒野を見下ろす丘の上に、レーニエとファイザルは立っていた。ようやく萌えだした足もとの新芽を二頭の馬たちは大人しく食んでいる。



「春ですね」

「ああ・・・」

「これからレーニエ様は何をなさいますか?」

ファイザルは今すぐのことを言っているのではない、レーニエにはそれがよくわかった。

「・・・まだよくわからない・・・だけど、村の子ども達にお願いしてリルアの花の種を集めてもらっている」

「ほう・・・それは?」

いったいこの姫君は何を始めようとしているのか、口元に微笑を(たたえ)えながらファイザルは聞いてみた。

「あの花はこの地にしか咲かない。なのに、この地では荒れ地でもよく育つ、普通の雑草だ。だから今で誰も(かえり)みなかったが、香りもよいし、おそらく薬効成分があると思う。少し栽培してみていろいろ試してみようと思って」

「ああ・・・風呂に・・・」

「うん。香りがいいし、体を温める。保湿作用もある。染料としても使えるかもしれないし・・・」

「あなたは・・・商いを始めようと言うのですか?」

彼は非常に驚いた。こんな娘がそこまで考えるとは思いもよらなかったからだ。

「いや、そこまではさすがに。でも何か付加価値が見つかれば・・・もしかして・・・」

「この地方の特産品に?」

レーニエは何か自分が途方もなく変なことを口走ったような気がして口ごもったが、ファイザルは容赦なく切り込む。

「さぁ、そこまでの商品価値があるとよいが」

「それなら春の市にやってくる商人に聞いてみたらどうでしょうか?」

「そうだな、そうしよう。乾燥させた花だけでなく、生花からうまく抽出すれば、もしかするとよい香水ができるかもしれない。これも専門家に聞かないとわからないが・・・」

「この地によい産業が出来るかもしれませんね」

珍しいものを見る目でファイザルは傍らの一見世間知らずの貴族の娘を見た。自分の思いつきが余ほど奇妙に思われたのだろうかと、引っ込みじあんな領主は恥ずかしそうに(うつむ)いてしまった。

「・・・全然思いつきなのだけれど、試してみるのもいいかもしれないと思って。私が勝手にやる分には誰にも迷惑はかからない」

「あなたは・・・まったく風変りな方ですね」

少し伸びた鉄色の前髪をかきあげてファイザルは微笑んだ。

「ひどいな・・・」

「俺は好きですが」

好き。そんな言葉が自分の口から自然に漏れたことにファイザルはいささか(ひる)んだが、もう遅く、レーニエははっと顔をあげて自分を見ていた。

「好き・・・?」

小首が傾く。これは彼女の癖だと言う事をファイザルは既に知っている。彼は仕方なさそうに相好を崩した。

「はい。そのおきれいな顔の下で、思いもよらぬことを考えておいでになる、あなたのことがとても好きですよ」

「私を・・・?」

「ええ」

ファイザルは微かな風に髪を遊ばせている領主を見た。透きとおった赤い瞳に、数日前には見られなかった柔らかな光があった。薄青い空を背景に立つレーニエは若く、そして未来に希望を見出したかのように、黙って彼を見つめていた。





◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇





レーニエちん「まだ」だったんですね。ああ、それで体つきが華奢で、少年でも通っていたのかもしれません。うん。これからはたくさん食べて、ファイザルさんを悩殺できるほど、「ぐらまー」に育ってほしいものです。


アルファポリス



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