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凍った水面の上を、いくつもの可愛らしい姿がさざめきながら行き交う。
彼等は一様にコロコロと着ぶくれ、ゲートルを巻きつけた足に奇妙な金具を取り付けた靴を履いて氷の上を滑っているのだった。
「あはははは!」
「ほぅら、危ないぞ」
「そっちこそ転ぶなよ!」
空は雲が重く垂れこめ、セヴェレ山脈の尾根を隠しているが、今日の寒さは昨日ほどではない。
「ご一緒になさりたいのではありませんか?」
背の高い金髪の青年が、軍人とは思えないほど柔和な笑みを浮かべ、傍らの黒衣の人物に尋ねた。先日からファイザルが北の砦に出向しているので、このところご領主様のお相手はもっぱらジャヌーである。
彼等は凍った池の周りに廻らされた古い柵にもたれ、子どもたちを眺めている。二人の乗ってきた馬は背後の木に手綱を括りつけられ、おとなしくわずかに残った下生えを食んでいた。
「・・・いや?」
レーニエは帽子の下で小さく答えた。長年の習慣はなかなか抜けず、外に出る時には未だ、絹でできた仮面が顔の上部を覆っている。しかし、その眼は先ほどからずっと、氷滑りを楽しむ子供たち上にやさしく向けられていた。
彼等は寒さで真っ赤になった頬を首巻きに埋めながら、ある者は競争し、ある者は自分より小さい子供の手を引きながら、冬にしかできない氷滑りの遊びを心から楽しんでいるのだった。ここのところとみに冷え込み、池に張った氷が一気に厚みを増した。
子どもたちの熱心な依頼を受け、氷に穴をあけてその厚みを計測したアダンが確認した上で、氷滑りの許可を出したのはつい昨日の事だ。
だいたいにおいて女の子たちは2、3人で仲良く手をつないで滑る。それに対し、男の子たちはやたらと競争をしたがる傾向がある。池の周回をすさまじい速度で駆けまわるのだ。
ジャッジャッジャッ
氷を
掻く音が小気味よく響いて、体を斜めに倒しながら少年たちが猛スピードで過ぎていった。皆顔が判別できないくらいの速度を出している。
その中でも群を抜いてうまい少年が二人ほどいた。一人は体格の良い14歳のヒューイで、これはアダンの末の息子。そしてもう一人は、レーニエの小姓、フェルディナンドだった。彼はこの地で初めて氷滑りなどというものを知ったのだが、生来の運動神経の良さでぐんぐん上達し、今ではヒューイと肩を並べられるほどになっていた。
「うーん、フェルは上手くなりましたねぇ、レーニエ様」
「そうだな」
競争のルールは池を三周し、水面に立てられたまま凍りついた棒に挟んである赤い布を取った者が勝ちとなる。既に二週目を走り、最後の周回に向けて少年たちは勇ましく突進していった。
わぁっ!
程なくひときわ大きな歓声が上がる。
「おしい!僅かの差でフェルは敗れたようですよ」
いつの間にか自分が競争しているように拳を握りしめていたジャヌーが、少し悔しそうにレーニエを振り返った。
彼の視線の先では、赤い布を高々と掲げたヒューイが、慣性の速度を楽しみながら気持ちよく過ぎてゆく。
「そのようだな」
「まぁ、ヒューイはフェルより年上だし、かなり体が大きいですからね。しかも、奴は生まれてからずっとここで暮らしているんだし、氷滑りに慣れてる。フェルは負けても仕方がありません。だけど、彼等は仲良くなりましたね」
「ああ」
競争を終えた少年たちは息を切らせ、周りの少年たちに囲まれている。勝った少年もそれ以外の少年も、特に勝負にこだわることなく、お互いの健闘を称えあっているようだった。
「あ〜あ、俺も氷滑りやりたくなってきましたよ。これでも子供のころはヒューイと同じように負けたことがなかったんですから」
「どうぞ?ヨシュアには黙っておく。ただし、その大きな足に合う靴があったら・・・の話だが」
微笑ましく少年たちを見つめていたレーニエは、真面目な顔で若い軍人をからかった。りりしい金色の眉毛を思いっきり下げて、ジャヌーが己の大きな
軍靴を見下ろす。確かにこの靴に釣り合う金具を探すのは至難だろう。ジャヌーは諦めざるを得ないようだ。
「わぁ〜〜〜い、レーニエさまぁ」
可愛らしい声がするので後ろを向いてみると、10歳くらいの少女が一目で妹とわかる、小さな女の子の手を引いてレーニエのそばにやってきた。
「ミリア。マリも。こんにちは」
レーニエは帽子をとり、都で貴婦人にするのと同じ辞儀をした。妹の手を引いたミリアの顔がぱぁっと輝く。
「こんにちは!レーニエ様。ジャヌーさんも。」
「やぁ、滑りにきたのかい?マリは危なくないかな?」
大きなジャヌーも身を屈めて挨拶する。憧れの素敵な二人に大人にするような挨拶をされて、幼い少女たちは有頂天になった。身分や年齢に関係なく、女性はいつも己を正しく扱ってほしいのだ。
「父さんは後から来るの。私、新しい靴を作ってもらったんで、古いのはマリに上げたの。で、今日はそれを試しに来たんだけど・・・」
ミリアはもったいぶって語尾を濁したが、その訳は一目瞭然だった。去年までミリアが履いていた靴は、6歳のマリにはまだ少し大きすぎる。
「私、マリは小さいからまだ無理だって言ったんだけどね、マリは言うことをきかなくて」
「なによぅ!大丈夫だわ!父さんが詰め物をしてくれたんだから!」
姉が大人ぶるのが
癪に障るらしく、マリは怒ってその手を振りほどいた。丸太を割って作られたベンチでマリははいてきた靴を脱ぎ、慣れない手つきで氷滑り用の靴を履こうとする。そこに休憩を取ろうと、少年たちが戻ってきた。
「よぅ!ミリア!遅かったな。マリも来たのか」
ヒューイが帽子をとってレーニエとジャヌーに挨拶をしてから、どさりとベンチに腰をろすと、悪戦苦闘しているマリを覗き込んだ。他の少年たちも、後に習って、粗末なベンチで一休みをする。皆、この寒いのに額に汗をかいていた。
「あれ?マリは今日から始めるのかい?」
「しっかり靴のひもを閉めないと足を痛めるぜ、俺が教えてやろう」
両親が共に働く貧しい村では、年が上の子どもが幼い者を見るのは当たり前だ。少年たちは寄ってたかって、幼いマリに自分の秘伝の靴ひもの締め方を伝授しようと、わらわらと取り囲んだ。少年たちに取り囲まれて、マリは得意そうに姉に横目をくれている。
「氷滑りをご覧ですか?」
物柔らかな声がした方向を振り向くと、中年の丸っこい男性が帽子を取って、丁寧に挨拶した。マリとミリア、二人の淑女の父ペイザンだった。二人は母を早く亡くしたのでこの父と祖母に育てられている。レーニエとも顔見知りで、村を通り過ぎる時に合うとよく挨拶をしあう。この世代の男性に親しい人物の少ないレーニエにとっては貴重な存在だった。
「ああ、なかなか楽しいものだな」
「そうでございましょう。私も子どもの頃は村一番の滑り手だったのですよ?」
「本当!?」
素直に驚いてレーニエは声を上げた。とたんにペイザンが吹き出す。
「いえいえ、大ウソです。私たちの世代はアダンにすべて持ってかれていましたからね。そして今はヒューイですかな?血は争えませんねぇ」
「・・・なんだ」
「ペイザンさん、今日はお姫様達の監督ですか?」ジャヌーも笑いながら人の良さそうな村人に尋ねた。
「ええ、まぁ、そんなところです。いつもなかなか遊んでやれませんのでね」
「レーニエ様」
控え目な声は後ろから掛けられた。
「ああ、フェル、お帰り。惜しかったな」ジャヌーが親しげに声をかけるのへ少し会釈し、フェルディナンドはレーニエだけを見つめて、申し訳なさそうに頭を下げた。
「すみません。朝の遠乗りにお供ができなくて・・・今日の氷滑りは昨日から約束してあったので・・・」
「いい。ジャヌーがいる。フェルはいつも私のことを気にかけ過ぎだ。もっと自由に遊んだり、楽しんでいい」
「ここに来てからかなりお休みをいただいています。これ以上自由な時間をいただいてもすることがありません」
フェルは傍らの切り株に腰かけて靴を脱ぎはじめた。その靴はヒューイから貰い、アダンが金具を研いでくれたものだ。鈍い日差しの中でも、金物はよく光っていた。
「そうではなく・・・フェルはもっと同じ歳の少年たちと過ごす方がいいと思う・・・うまくは言えないが」
レーニエは近頃背が伸び、すでに小姓とはいえないような少年を眺めて難しい顔をする。伸ばしてリボンで結わえた黒髪も、そろそろ切って大人っぽくした方がいいのかもしれない。
「そうそう、男は男どうして言うしな!あ・・・ご領主様も男か・・・いや、じゃあ子供は子供同士ってな!」
「俺は子供じゃない」
気の良いジャヌーが何気なく漏らした言葉に、一瞬レーニエ主従は固まってしまったが、すぐにフェルが言い返した。レーニエはこっそり苦笑を洩らす。
レーニエは自分が男だと言ったことはない。男だと思っているのはジャヌーや周囲の思い込みだが、まぁ別に今更、実は私は女なんですと、訂正して歩くのも妙な話なので、今のところはファイザルの助言もあって成行きに任せている。
「だから子供扱いはやめろ」
青灰のややつり上がった瞳が恐れげもなく、自分の倍ほど容積があるジャヌーを睨みつけた。
「そう、それが良くないんだよ。大人になる第一歩は、自分が子供であることを認識できるかどうかだって言うぞ」ジャヌーは一向に気にした風もない。
「知ったようなことを・・・」
「フェル・・・」
窘めるような声にフェルはふいと横を向いた。
池の方ではミリアが滑り出し、小さなマリの手を取ってペイザンが滑り方を教えてやっている。
「・・・・・・」
「ジャヌーの言うとおりだ。大人か子供かはともかく、お前はもう少し大らかに羽を伸ばした方がいい。」
レーニエは黒髪の従者に淡く微笑む。そして、その肩ごしに曇った空と険しい山脈に目をやった。
この村に来て二ヵ月。
レーニエは自分なりによい領主になろうと努力をした。もっとも、長年領主が不在だったため、この地方には自治の仕組みがよく出来上がっていて、領主と言っても名ばかりの存在だったが。
しかし、ファイザルやジャヌーの助けを得、村を通る際には村人たちに自ら声をかけるように努めた。最初、垣根を破ってレーニエと仲良くなったのは、好奇心の強い子供たちで、特に女の子だった。
レーニエは口下手で、うまく言葉を操れない代わりに、子ども達を自分の馬に乗せてやったり、オリイの焼く都風の卵と砂糖をたっぷり使ったお菓子を与えたりした。女の子たちは、自分たちをレディのように扱ってくれるレーニエに、たちまち心を許し、いろんな話をしてくれた。
フェルの方は初め、なかなか同年代の子供たちに打ち解けられなかった。彼はいつもレーニエと行動を共にしていて、それを誇りに思っている。子ども達の方も、貴族のように髪を伸ばし、紺のお仕着せを着た彼を好奇心をこめてからかってきた。
ここに来て間もない頃、フェルはそういう少年たちを相手に、二度ほど盛大な喧嘩を演じて見せ、レーニエに厳しく注意をされた。フェルはその後も特に村の少年と親しくなる様子はなかったが、ある時ヒューイが通りかかったフェルディナンドを呼び止め、彼の曰く「正々堂々とした喧嘩」をしたらしい。
ヒューイにしてみれば、自分の村へやってきたよそ者が二つの喧嘩に勝利し、大きな顔をするのが気に入らないと言う気持ちからだったが、二年上で体格も大きな彼にほぼ互角の勝負をし、前の喧嘩の理由もよくわかったので、それからはフェルを許す気になった。
男の子の世界と言うものは実力がモノを言うらしく、いきなりお互いを認め合いだし、今では手が空いたときに誘い合って遊べる仲になっている。そして、フェルを通じてレーニエは少年たちとも言葉を交わすようになった。
子どもたちがそんな風なので、大人たちも次第に初めの警戒心や、不信感を解き、この風変りな若い貴族に親しみを感じるようになっていった。勿論そこにはファイザル達の仲立ちや、セバストとオリイの庶民感覚の根回しもあったのだが。
そうして、レーニエも少しずつ自分を変えていく。
都にいたころは王宮の奥で本を読んだり、フェルがセバストを相手に剣術の基礎を学んでいるところを見るくらいしかすることがなかった。王宮の主要部分には入ることは許されなかったから、最奥に与えられた離れから、ほとんど半径100リベル(100メートル)ぐらいが生活の場であった。それでも、幼い頃閉じ込められていた薄暗い塔の暮らしに比べると、嘘のように贅沢な日々であった。
未だにそのころの悪夢は自分を
苛む。高い所や、狭いところが苦手なのはそのせいだ。レーニエはそのことをよく自覚していた。
ファイザルのおかげで、自分がどうやら、傍目に醜い人間ではないということは理解できた。だが、生い立ちの複雑さ故、ともすれば自己否定になりがちなのは如何ともしようがない。しかし、この荒野と森と山しかない北のノヴァの地で、生まれて初めての自由を手に入れ、多くの人々と触れ合うようになってから、ようやく人生が始まったように感じているのもまた事実であった。
「フェル・・・見てごらん?雲が切れ始めた。光が漏れている」
「ああ、本当に。午後には晴れるでしょうね」
「彼は・・・ヨシュアは、元気だろうか・・・・・・」
ひそやかな呟きは、靴の具合を確かめている少年には聞こえない。レーニエは館に戻るため、馬の方に歩き出した。白い雪の中に唯一目立つ、赤いリルアの花が澄み切った空気の中に芳しい香気を放っていた。
◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇
冬の村の様子が少し伝わったでしょうか?わりと前向きに地味な努力をしているレーニエちんですね、えらいぞ。
アルファポリス