−領主の憂鬱−

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「あなたには出来ると思います」



ファイザル指揮官の湖のように深い青い目が自分を見つめてそう言った。寝室に残されたレーニエは、しばし呆然と彼が閉ざした扉を見つめていた。



―いったいどういうつもりであの人は、あんなことを言ったのだろうか?



彼は世慣れた大人で、経験豊富な軍人だということぐらい世間知らずのレーニエにもわかる。だからその言葉は決して軽はずみな心情から口をついたものではないことも。

大嫌いで、ひた隠しにしてきた顔を明らかにされ、自分が女であることも知られてしまった。彼はこれから自分をどうするつもりなんだろうか?ゆっくりと衣服を身につけながら思いは複雑である。



―あの人は疑っていたと言っていた。鋭い眼をもつあの人には、私の浅はかな魂胆などすぐに見破られるはずだったのだ・・・・・・なんて恥ずかしい・・・



レーニエは彼が触れた頬のあたりを自分で触ってみる。ざらざらした厚い皮膚をもつ手のひらの感触を思い出し、胸が妙に苦しい。こんな感情は初めてだった。思わず腕をまわし自分を抱きしめる。



―貧弱な体。あの人はどう思ったのだろうか・・・・



長い睫毛がギュッと閉じられる。



だけど―――――



彼の態度は変わらなかった。いつもと変わらず、大きくて優しかった。そして、自分を諭し、励ましてくれた。レーニエがへたり込んでいる質素だが大きな寝台は、ファイザルがいつも使っているものだろう。それは仄かに大人の男の香りがして、まるで彼そのもののようにレーニエを包み込むような気がした。





今はそれ以上考えられない。





寝室と次の間を挟んだ執務室は、その主の性格を反映しているのか、同じように広くて飾り気のない部屋だった。寝室へ通じる扉の正面の壁には大きな書庫があり、左側には観音開きの正面扉、両側には重々しい肖像画がひっそりと掛けられている。

右の壁際に据えられた大きなデスクには書類が積んであり、その後ろには大きな窓に挟まれる形で国の地図が懸っている。手前に応接用のゆったりした長椅子のセットが置いてあった。寒さを防ぐためだろう、厚いカーテンが窓に下げられているが、今は開けてあり、暗くはなかった。

部屋の中央にはファイザルが突っ立ったまま、ジャヌーからなにやら報告を受けていた。他の人物がいるとは予想していなかったレーニエはぎくりと立ち止まるが、すぐに気がついた二人は同時にこちらを見た。

「ああ・・・できましたね。もう午後も過ぎました。空腹ではありませんか?兵舎の食堂でご一緒に昼食でもいかがです?」

レーニエが仮面を外しているのを、さも当たり前であるかのように話すファイザルの後ろでジャヌーが硬直していた。持っていた書類の束がばさりと落ちる。

「あ・・・あ・・・」

ぽかんと口を開けたまま、何やら言わんとしている。視線の先には白銀の髪をおろし、胴衣姿のままの領主の姿。

「なんだ、ジャヌー、不作法だぞ。さっさと拾え、馬鹿者」

「こっ、これはっ!失礼いたしましたっ!」

慌てて書類を拾い集め、その陰から食い入るようにレーニをを凝視している。心なしか顔が真っ赤である。その様子をなるべく見ないようにして、レーニエは呟いた。

「あの・・・食事・・・こちらに運んでもらえないのか」

「そりゃお望みとあれば。そうなさいますか?俺は向こうで食いますが・・・では、ジャヌー、お前がお相手を・・・」

「う・・・」

「は?」

それは困る。というか、お互い大変気づまりだろう・・・とファイザル以外の二人が同時に口ごもった。

「おおおお俺!?俺ですか?あああの、指揮官殿、こちらは・・・?」

「何を言っている。ご領主様だ」

いささか面白そうに彼の上官は部下に流し眼をくれる。

「ご領主様!?・・・レーニエ様、ですか?」

「ほかにどなたがいる」

「・・・・・・いえ、あの・・・いつも帽子とマントをお召しになっていらして・・・その、お顔を見るのは初めてだったもので・・・まさかこんな・・・こんなにお美しい方だったとは・・・・・・や、これはとんだご無礼をっ、申し訳ございません」

自分が何を言っているのか気づいたジャヌーは、ばね仕掛けのように腰を折り曲げた。

「・・・・・・」

レーニエはそんなジャヌーの様子を正視できないらしく、横を向いてうつむいている。

「・・・で、いかがなさいますか?お食事は」

いささか恨めしそうな領主の様子をまったく気に掛けない風で、ファイザルが再度尋ねた。

「・・・食堂にいく」

「左様でございますか。ちょうどいい具合に今頃は空いているはずです。ジャヌー、行くぞ」





「指揮官殿・・・帽子だけでも・・・」

長い廊下をファイザル達が通り過ぎると、すれ違う者たちは一礼しつつも、皆一様にぽかんとした顔をしてレーニエを見つめる。若い領主は身が縮こまりそうだった。

あのような視線はまだ子供だったころ、普段あまり行かない場所に出向いた折によく目にした。いつまでたっても慣れなくて、いかに自分がおかしな姿をしているか思い知らされた。その記憶がレーニエの身を竦ませている。

「いーや、ダメです。言ったでしょう?あなたがきれいだから皆見つめるのです。それとも、俺が信じられませんか?」

「そ、そう言う訳ではないが・・・」

「はい?」

「私の・・・」

か細い声。ファイザルはその意を解してようやく立ち止まった。

「承知しました。俺がすぐ前に立っています。どうしようもなくなったら横に来られるとよろしい。俺の腕でくるんで差し上げます。」

「・・・・・・それはイヤだ」

「ふ・・・それは残念。正直なお方だ。ではしっかり顔をあげて堂々としておいでなさい」

そうはいっても長年刷り込まれた感情はすぐに消し去れるわけもなく、レーニエはやはり顔をあまり上げられないまま、ファイザルとジャヌーに挟まれるようにして、兵士用の食堂に入った。





そこは一度に約200人が食事をできる設備で、料理人もまた兵士たちである。ずらりと並んだ大テーブルの上に、大皿に盛られた料理が所狭しと乗っており、各自皿をもって好みの料理を取ってゆく合理的な形式であった。

勿論高級将校たちは各々の個室で特別なメニューを摂ることもできるが、ファイザルはあまりそう言うことはせず、通常は一般の兵士と同じものをこの場所で摂るのが常であった。

だから、彼らが入ってきても誰もが驚くこともなく、ガヤガヤした雰囲気も特に静まる様子もなかったが、促されるようにして大柄な彼らの後ろから、ほっそりした長い銀髪の若者が姿を見せた時、気がついた近くの席にいた者が、隣の者を肘でこずいて彼らに注意を促した。



―おい、見ろよ。あの銀髪ビジン。誰だ?

―知らない。・・・けど、すげぇな。なんつー・・・・・

―ああ・・・麗人とはああいう人のことを言うんだろ?

―いったい男か女か?

―女がこんな殺風景なところに来んだろ。そう言えば、ひと月ほど前にノヴァに赴任した領主様が今日視察に来られるって言ってなかったか?午前の当番のやつが儀礼の槍の練習をさせられてたような・・・

―言ってた、言ってた。じゃあ、あれが・・・?若いな。まだ子供のようじゃないか。

―こんな辺境に来るなんてよっぽどもの好きか、あ、もしかして左遷・・・か?

―さぁな、お偉い方々の考えることなんざ、俺たちにわかるかよ。

―しかし、なんだ。・・・ってことはやっぱり男か。残念。

―馬鹿。男だって女だってお前なんか目にも入れて下さらねぇよ。

―ちげぇねぇ



「さ、こちらが盆で、この上に皿を置き、好きな料理を好きなだけ取り分けます」

あたりで交わされる囁きなど意にも介さず、ファイザルはまめまめしく食事の仕方を教えてやる。

「む・・・」

「やったことないのでしょう?できますか?」

「大丈夫だと・・・思う」

「しゃもじをどうぞ」ジャヌーが恭しく、木製のスプーンを差し出しす。



「・・・・・・」

レーニエは唖然として彼らの皿を見ていた。ファイザルもジャヌーも一皿では足りずに、大皿二つに料理をてんこ盛りにしている。それだけではなく、別の器にスープやパンも入れて、二往復もして自分の分を準備した。レーニエと言えば、大皿の中心に食べられそうな料理を二、三品、後は果物を入れただけだったのだ。

「それだけでいいのですか?ああ・・・やっぱり、こんなところの食事はお口に合わないとか・・・」申し訳なさそうにジャヌーが言いかけのを「そうじゃなくて、私はこれで普通の量だ」と、レーニエは大変言いにくそうに告白する。

「あ〜〜〜なるほど。流石に都の貴公子は俺たちとは体の造りが違うんですねぇ・・・」

ジャヌーは妙に納得している。その様子をファイザルは面白そうに見つめ、黙って食べている。勿論ジャヌーも実に気持ちよく自分の皿を攻撃してゆく。

「・・・」

こっそり周りの兵士たちを見ても、同じような分量の食事をきれいに平らげた後がある。飲み物もふんだんに用意されているが、自分の食べた分の食器は自分である程度きれいにして洗い場に運ばないといけないので、不精なものは同じ皿や杯に何回もお変わりをしているようだった。

「食事を済まされたら、午後の訓練をご覧になりますか?」

「・・・」

レーニエは一生懸命に濃い味付けの料理を飲み込みながら必死で頷いた。







「驚きました・・・」

「ん?」



領主を無事に屋敷まで送り届けた後、ファイザルとジャヌーは、ほとんど濃い藍色に包まれた荒野に馬を進めていた。正面には巨大な山脈がそびえているが、背後を振り返ると、よく晴れたその日の最後の名残の陽が赤く地平線に残っている。

昼間は比較的暖かかった気温は一気に下がる。雪は降ってはいないが、日中溶け出した雪があちこちで凍りついているため、用心しないと剣呑だった。馬をあまり急がせられない。

「指揮官殿はご存じだったのですか?」

「何を」

「領主様があのようなお姿をしておられるということを」

「知らんよ。今日偶然に知った」

「すばらしく美しい方ですよね?俺あんな人を初めてみました。あ〜〜〜、夢に見そうだ〜〜。俺そっちの趣味はないはずなのに〜〜〜」

「趣味だって?何の?」

「だっていくら美しくとも、レーニエ様は男性なんでしょ?夢に見ちゃまずいです」

「・・・・・・」

これは真実を告げるべきか否か迷うところであったが、この男にとっては自分が告げるより本人が自然な形で知る方がいいかもしれないと、とりあえず黙っていることにする。

「まぁ・・・どちらにしても俺にはもったいないお方なんですけど、乗馬のお供をするようになってから、結構親しくさせていただいたと自惚れていたのかなぁ」

「親しくなって結構じゃないか」

「ええ、こういっちゃ不遜な言い方かもですけど、無口だけど、結構素直で可愛らしいお方と思ってたんで・・・あんなに冴え冴えとした美貌を見せつけられると、なんだか一気に話しかけづらくなってしまうっていうか、まともに目が合わせられないっていうか・・・・・・」

「なるほどな・・・そう言う訳であの方は誤解をされたのか・・・」

「は?」

「いや、お前は今まで通り振る舞え。あの方にはそれが何よりなんだ」

「はぁ・・・」

今日のところはこれ以上、レーニエに負荷をかけたくなかったので言わなかったが、ファイザルは近いうちに彼女としっかり話をし、この地の人々に彼女の真実を伝えていかねばならないと思う。これは自分などにはなかなか難しい仕事だが、レーニエの将来のためには自分がやらなければならない。



―溜息をつきたいのは俺の方なんだが



小刻みに震えていた細い肩や、大きく見開かれて彼を見上げた紅玉の瞳が思いだされて今更ながらに汗をかく心持だった。









ファイザルが執務室に戻れたのはその夜遅くなってからだった。

どっかりとデスクに腰を落とす。新たに机の上に積まれた書類にため息をつきながらも、明日までに目を通さなくてはならないものを取り上げた。

「・・・・・・?」

半時ほど経ってふと眼を上げたファイザルは、何気なく正面の壁に目をやり、急に何かに気がつたように勢いよく立ち上がる。大きな音がして椅子がひっくり返った。

「何事ですか!?」

控えていた当直の兵が慌てて駆け寄って来るのを手をかざして退ける。

「いい、なんでもない。おまえは下がっていろ」

「は・・・」

よく訓練された兵士はそれ以上の質問を一切せず、不審げな顔をしつつも敬礼して執務室を出てゆく。それを見定めてファイザルは大股で壁際に歩み寄った。

そこには王族や名高い過去の将軍、政治家などの肖像画が掛けてある。普段誰も気にしないそれらは、ほとんど埃を払われることもなく、あまり日が射さない壁に掛けられたまま忘れ去られている。その一つにファイザルは釘付けになった。





「なるほど・・・なるほどな・・・・・そう言う訳だったか・・・」

しばらくして彼はため息とともに肩を落としゆっくりと席に戻った。しかし、戻ってからもその視線は肖像画の一つをじっと見つめていた。


「・・・・・・・」

いつの間にか関節が白くなるまで拳を握りしめている。解くとじんわりと血の気が戻ってくる。自分の大きく傷だらけの無骨な手に昼間見た、白すぎる指先が重なった。



―明日にでも埃よけを理由に、あの壁に布を被せなくてはならんな・・・



彼は紙の隅にそのように走り書きをする。時刻は既に深更になっていた。冬の空は凍てついた星で飾られている。



―あの方は安らかに眠れているだろうか・・・・・・



昼間見た寝顔を思い出してファイザルは秘かに微笑んだ。





◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇





レーニエは傷ついた過去はあっても割合わかりやすい人だと思うんです。むしろ指揮官殿のほうが、見えている部分は少ないかも。


アルファポリス



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