−領主の憂鬱−

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その男はそびえ立つ城壁に立っていた。風は強く男の金髪を、マントを噴き上げる。逆光で彼の顔は見えない。

眼下の荒野は戦禍の余韻も禍々しく、所どころ黒煙が立ち、耳を澄ませば瀕死の兵士のうめき声さえも風に乗って聞こえてくるかのようだった。しかし男はその光景を見ていない。ただ空を見ている。

薄い唇が微かに動き、誰かの名を紡ぐ―――



―勝った・・・これで貴女の元に帰れる。もう二度と離すまい。人々に何と(そし)られようとも・・・



―愛しい、俺のアンゼリカ・・・我が・・・上・・・!



その時風を切って放たれた矢が、男の胴を深々と貫く。この風の中、過たず標的を射抜いたそれは、よほどの怖弓(こわゆみ)から放たれたものと思われた。

男の体がゆっくりと傾ぐ。金色の髪が流れた。不思議なことに死に至る降下に恐怖はなかった。

彼の瞳が最後に映したのは何であったか。



空か、石の壁か、それとも愛しい者の面影か――ー









「ん・・・・・・・」



幻は一瞬で霧散するが、覚醒の訪れは緩やかだった。





暖かい寝台の上で目覚めたとき、初めはここがどこかわからなかった。いつもはサリアが運んでくる洗顔用の湯におとされたハーブの香りで目が覚めるのだったが、この香りは知らない物だった。濃くて、猛々しいのにどこか心地が良い。掛け布に顔を押しつけて思いきり肺に吸い込む。次第に意識がしっかりしてくる。レーニエはゆっくり瞼を上げた。




―知らないところだ



瞳をめぐらしても自分の寝台の天蓋も見えない。広いだけの無趣味で無機質な部屋。それに日があんなに高い。

「・・・・・・・っ!」

急に前後の記憶がよみがえったレーニエは、寝台の上にがばと起き上がった。慌てて自分の身を確かめる。服は着ているが、上も下も単衣になっていた。

「お目覚めですか?ずいぶんお疲れだったようで、一刻近くも熟睡されておられましたよ」

そばのデスクで何やら書類を読んでいた背の高い男が立ち上がり、寝台を覗き込んだ。

「ファイザル指揮官!私は一体・・・・・・あ!」

顔に手をやって仮面を付けていないことに初めて気がつく。

「あ・・・」

思わず両手で顔を覆って俯くレーニエのそばに腰を下ろし、背中に腕を回すが、華奢な両肩は細かく震えていた。

「レーニエ様」

「いや!・・・・・・見るな・・・見ないで・・・」

顔を背けようとする細い肩を抱きこんでやる。

「申し開きは致しません。呼吸が苦しそうだったので着衣を緩める際に、わかってしまったのです。仮面は私が解きました。お許しくださらなくても仕方がありません」

レーニエは顔を上げようとはしない。以前にも言っていたようだが、よほど自分の容貌に心的外傷があるようだった。そして、それはおそらく、この謎だらけの貴族の過去と密接に結びついているに違いなかった。





「・・・い・・・んだ・・・」

長い沈黙の末、ようやくレーニエは小さな声を絞り出した。体はまだ震えている。

「レーニエ様?」

「・・・・・・。ただ・・・辛い・・・だけで・・・・・・」

おそらく顔を見られてしまったことに動揺し、もう一つもっと大切なこと、つまり自分が女であることも露見してしまったとに思いが至っていないようだった。

さぞ怒るか泣くかするだろうと思いきや、レーニエはただ彼の腕の中で体を固くして項垂(うなだ)れている。自分の顔が醜いと思い込んでいるのだろう。いったいどういう経緯(いきさつ)でこのような誤解が生まれたのか。ファイザルは話を聞いて誤解を取り除いてやりたい気持ちに駆られたが、今は黙ったまま安心させるように髪を撫でるだけに自分を留めた。

「・・・・・・気味が悪かったろう」

「私をどう処分なさいますか?」

答えず、別の方面に話を向ける。

「しょ・・・ぶん?あなたを?・・・・・・・どうもしない。私に何の権限もない」

やや身じろいでレーニエは体を離した。まだ縮こまってはいるが、震えは少しずつ収まってきている。

「それでは権限があれば処分なさった?」

「・・・しない」

「では、ご温情におすがりして一つ尋ねしてもいいですか?お答は頂かなくっても構いません」

白銀の髪が僅かに揺れ、頷いたのだとわかる。

「何故女であることをお隠しに?・・・わかるような気はいたしますが」

「女・・・?ああ・・・・・・そうか」

言われて初めて、そちらの秘め事もこの男にわかってしまった事に気が付いたようだった。

「それは・・・・・・別に隠していた訳ではない。言わなかっただけで」

「・・・」

意外な答えが返ってくる。



―どういうことだ?



美しい娘は、その美しさが時には仇となる。それは身分の高い貴族や王族の姫君達にとっても同様で、美貌が自分を幸福にするとは限らないのだ。



―そう言うことではないのか?



男装し、仮面で顔を隠していたのは、てっきりそういう理由からだろうと理解していたファイザルは面喰ってしまった。



「隠していた訳ではない・・・?いえ、すみませぬ。お答は無用だと申し上げましたね」

「・・・」

レーニエは困ったように顔をそむけたまま横を向いて座りなおした。しばらく言葉を選んでいたようだったが、やがて決心したように顔をあげて、レーニエは振り返る。

息をのむほど美しい顔。涙を流してこそなかったが、その赤い瞳は今は陰り、憂いを濃く浮かべた暗赤色となっている。自分が傷つけてしまったのか?ファイザルは唇を噛んだ。



「私は醜いだろう?生まれに問題があったからなのだと思うが、生まれてすぐに母から離され、人の近づかぬ塔に閉じ込められて育った。その時は自分が男か女かということは誰も教えてくれたことがなかったし、自分の醜ささえも考えたことがなかった」

「・・・」

「しかし、自分が何か恐ろしい存在であるようなことは、その時に世話をしてくれた子守女がいつも言っていたことなので覚えている。殺されるから決して外に出て行ってはいけないとも」

「私にそんなことをお話になってよいのですか?」

いったいどんな理由で、その女がレーニエに数多くの嘘を吹き込んだのか、ファイザルは見当もつかない。ただ、これからこの少女が話そうとしていることは世にも奇妙な物語だということははっきりとわかった。

「・・・・・・こうなってしまったからは、あなたには知ってもらった方がいいのかもしれない。私が何故こんな姿なのかを・・・いやな話だが」

華奢な指を握りしめてレーニエは淡々と続けた。

「・・・4歳の時にようやく母が私を見つけた。発見されたときは栄養状態が悪く、独歩(どくほ)もままならず、発語も殆どなく、おそらく長く生きられないのではと思われたそうだ。それからは母が私を助けてくれたが、あの方も(かせ)の多いお身の上。しかも私は生れていないことになっている為、公には会うこともかなわなかった」

淡々とした抑揚のない声だが、それだけにレーニエがどんなに感情を押し殺しているのかが分かる。普段長く喋ることのない人だけに、痛々しい努力をして言葉を選んでいるのだろう。

「しかし、母は出来るだけのことをしてくれたのだと思う。王宮の最も奥庭の片隅に小さな家をいただき、母の侍女であったオリイを遣わしてくださった。オリイとセバスト夫婦は優しく私を療育してくれ、私はやっと人並みに成長する事が出来た。ほとんど誰にも知られずに。ついこの間までは」

「・・・仮面は誰があなたに?」

「・・・・・・」

「答えたくないのなら構いませんが」

「・・・母だ・・・」

「お母上が?」

「あの方は年に数度も私に会いに来れなかったが、非常に美しい人だった。その母がある時、私を悲しそうに見つめ、仮面をくだされた。」

「あなたはお母上に似ておられるのでは?」

「・・・いいや」

「・・・」

「私はずっと隔離されて育ったが、それでもたまに外に出してもらえることもあった。しかし、皆私を見ると驚き、慌てて眼をそらす。初めのころは何故だろうと思っていたが、やがてこの禍々しい色の瞳と、白すぎる肌や髪のせいだと気がついた。母から仮面をいただいたのはその頃だったと思う。人前に出る時につけるようにと」

おそらく保守的な王宮では彼女の目立つ外見は、よほど奇妙に映ったのだろう。彼女の存在を知る者には生い立ちの不思議を思い起こさせ、存在を知らないものには好奇の的になったのだと想像できる。

「10才になった時、母から父のことを聞かされた・・・・・・お亡くなりになった時のご様子とか・・・だけど私は、聞くのが恐ろしくて・・・聞きたくないと母に懇願した。母は悲しそうな顔をしておられたが・・・。父と母は多分、許されない契りを結んだのだ。そしてその時から、この醜い姿が罰なのだとわかった。それから私は一人の時も、この面をずっとつけるようにした」

ファイザルは理解できた。

周囲の心ある者は、少女の数奇な運命と、あまりの風変りな美しさに彼女の身を案じ、あえてドレスや宝石で飾りたてなかったのに違いない。その上、念を入れてその顔を隠すための仮面までも・・・しかし、幼い少女はその意図を完全に誤解した。おそらく幼児期の塔での生活が心の闇になってしまったのだ。

彼女の母親が真実を語たろうとしたのは、母が真実彼女の父親を愛し、彼の忘れ形見であるレーニエに父のことを正しく知って欲しかったからだと想像できる。しかし、自己否定に陥っていた幼い心に、それは断罪の宣告のように聞こえてしまったのだろう。そして誰も彼女をその闇から救える者はいなかった。



「私など生まれなければよかったのだ。せめて男に生まれておれば・・・父上のようになれたかもしれないのに」

選択肢はなかった。いつもいつもギリギリの生き方を自分に強いてきたのだ。やりきれない思いをこめ、ファイザルは運命を淡々と語る少女を見つめた。

「・・・お母上にあなたが罪を受けて生まれたと教えられたのですか?」

「いや、母はご自分が罪を犯したとおっしゃられていた。しかし、子供の私が罪の中から生まれたことに変わりはない」

「ずっとそんなことを思ってこられたのですか・・・」

「・・・・・・」

レーニエの母親や父親がどんな身分だったのか、おそらく王室に(ゆかり)があるとしか想像できない。しかし、ファイザルは今これ以上、レーニエに両親の事を話させてはいけないと直感する。

「ご両親のことは聞きますまい。しかし、あなたはひどい思い違いをなさっておられる」

「思い違い?」

「確かにあなたのお姿は際立っている。ですが、正直に言って、俺は神にこれほど美しく作られた人間を見たことがない。俺のような者が神様などと言ってはいけないのだろうが」

「・・・美しいだって?一体あなたは何の話をしている?」

「あなたがおきれいだって話です。まぁ、俺は今までほとんど男ばかりを相手にしてきましたから、女性に対する審美眼には自信がありませんがね。しかし、どの兵士に聞いても同じことを言うでしょうよ。ためしにジャヌーを呼んできましょうか?奴め、腰を抜かすかもしれない」

ことさらに軽くファイザルは話し続ける。生い立ち故か、自分を卑下してばかりいるレーニエに、どうにかして明るい方向を向いてほしい、そんな気がして。

「何故?」

「あなたのことを・・・失礼ながら弟のように可愛がっているからですよ。素直でお可愛らしいご領主様だとね。乗馬の稽古の後はいつも楽しそうに基地に帰ってきました」

「ジャヌーが・・・そんな風に?」

やっと顔が上がる。

「ええ。嘘だと思うのなら、ご自分で確かめられますか?」

「それは・・・」

イヤだというように、レーニエは慌ててふるふると首を振った。その幼い仕草が先ほどまでの悲しみに満ちた痛々しい姿と妙に連動する。



―なんて、可愛らしい方なのだろう。俺などが触れてはいけないのだろうが・・・・・・



思わず大きな掌で頬を包み込んでやる。赤い瞳が驚いて見開かれた。

この少女は今まで一体どれだけ神経を尖らせて、自分を偽ってきたのだろう?仮面と大きな衣で身を隠し、澄んだ声をわざと低く落として。

「よろしい。仮面をつけてきたのには意味があったことはわかりました。あなたは誤解してらっしゃいますが、それはあなたを愛するが故なされたことなのだろうし、実際に今まであなたを守ってきたのだろうから」

「・・・・・・」

形の良い眉がこれ以上ないくらいに下がる。ファイザルは親指で繊細な眉間を擦ってやる。

「実は俺は、あなたのことを女ではないのかと疑っていました。失礼ながら男のことはよく知っているのでね。いくら都の貴族様とはいえ、あなたは華奢すぎます。隠していないといわれたが、積極的に女であることを認めようともなさらなかった。ですが、いずれ皆に分かってしまうと思われます。あなたはまだまだ成長される。俺でなくともその内誰かが気がつく。俺が一番に気づいてよかったのかもしれない。いつか皆にきちんと話すべきです」

「だが・・・こんな姿の私は・・・」

「繰り返しますが、ご自分のことを貶めるのはやめたがいい。あなたもご自分で何かを決意されてこの地に来られたのでしょう?」

問われて、はっとしたようにレーニエは顎を上げた。窓から差し込む光を受けて片頬が白く輝く。

「そう・・・初めて自分で願い出た。王宮を出たいと」

「なら、いつまでも昔の桎梏(しっこく)に囚われていないで、この地で新しい生き方を見つけられたらいかがですか」

「・・・・・・」

「ご自分でもそのおつもりでいらしたのでしょう?・・・それに」

「・・・それに?」

「あなたには出来ると思います」

「・・・・・・」

言葉はなかったが、その紅玉の瞳はどうしてそう思う?とはっきり尋ねていた。

「あなたはここにきて既に、自分からたくさんのことをされたじゃないですか。自ら村人と交わって誤解を解こうと努力をし、俺や兵たちと言葉をかわし、馬具のつけ方から学習して馬にも乗れるようになった」

「・・・そう・・・かな?」

この地に来て一月余りでそれだけのことをしてきたのに、まったく気がついていなかったのか?真面目な表情で首を傾げる姿にファイザルは吹き出しそうになった。

「失礼ながら、お話の通りの環境でお育ちになってこられたとしたら、あなたはとても良い性質をお持ちの姫君だと思いますよ」

「・・・姫君・・・?」

ますます不思議そうに赤い瞳が彼を見つめた。

「ね?」

訝しげに自分を見つめる顔に、ファイザルは柄にもなく愛しさがこみ上げ、こつんと額を合わせた。レーニエがおとなしくしているので、そのまま片方の手で頬をなでてやる。まるで父親か兄にでもなったような心境だった。





「そろそろ皆が心配しています。起きられますか?」

「・・・あの・・・それではあなたは、私の顔を不快だと思わないの・・・?」

ファイザルに助けられ掛け布を出ながら、レ―ニエは一番気になっていた問いを発した。

「いつまでも見つめていたいお顔だと思います」

「本当に・・・?」

「本当ですとも。さぁ、立ち上がれますか?ご気分は?」

「特には・・・もう・・・大丈夫だ。あの時は・・・」

急にあの時の光景が思い出された。白い布がゆっくりと谷底に落ちてゆく様を見て、自分の中に誰かの記憶が再現されたようになって・・・・・・あれは・・・



「・・・服を着るでしょう?なんならお手伝いしましょうか」

ファイザルの声でレーニエは我に返る。彼は青い瞳に気遣わしげな色を浮かべ、レーニエを見つめていたが、やがて立ち上がった。そばの椅子の上からきちんと畳んだ黒い衣服を差し出す。

「いい、自分で出来る」

「お好きに。ただしこれらはお預かりいたします」

そう言うと、彼は帽子と仮面を小脇に抱えてさっさと部屋を出てゆく。

「あ・・・!それは・・・」

思わず取り返そうと寝台から滑り降りるのへ、ファイザルは振り向いて微笑んだ。

「ダメです。さぁ、俺は執務室にいますから、準備ができたらいらしてください。鏡はそちらです。めったに使わないから曇っているかもしれませんが。大丈夫、ゆっくりご準備なさってください。そして、できるだけきれいにして出ておいでなさい。すぐに昼食の時間です」


レーニエは大きな背中が扉に消えてゆくのを呆然と見送っていた。










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