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エルファラン国の首都であり、この大陸最大級の大都市である都、ファラミアを見物する。ザカリエ大使シザーラの出した提案は確かに突拍子もなく―――しかし、大層魅力的なものだった。
「そっそれは・・・非常に興味深い・・・だけど、一体どうやって?!」
「しいい〜〜〜レーニエ様、声が大きい!」
居間の中にこそ入ってきてはいないが、扉の向こうには侍女が控えているのだ。因みに、この瑠璃宮の上層階には男性の立ち入りは基本的に認められていない。婚約者たるファイザルでさえ、その訪問には許可が必要だし、フェルディナンドが部屋を貰ってレーニエの世話をしているのは例外中の例外である。
「すっ、済まない!だけどそれは・・・」
慌てて両手で口を押さえ、レーニエはシザーラの隣に席を移った。離れていては自然と声高になると判断したからである。
「ああ勿論、レーニエ様がご無理とかおっしゃられるのでしたら私一人で参りますが・・・」
「なんだって?あなた一人で街に出るって・・・そんな、そんなこといけない・・・と思う・・・多分」
「勿論なりませんとも。シザーラ様」
フェルディナンドの声も鋭い。
「言うまでもなく、レーニエ様、レーニエ様もですよ。前代未聞、言語道断です!」
少年の灰青の瞳はこれまでになく鋭くなっている。彼は既に従順な侍従というだけではなく、士官学校で学ぶ将来の士官候補生なのだ。勿論フェルディナンド自身がそう望めばの話だが。
「・・・そこまで厳しく言わなくても・・・」
今までとは異なる顔をのぞかせた自分の侍従にレーニエの言葉は弱々しかった。嘗てレーニエを崇拝して見上げていた少年は、既に背も肩幅も主を追いこし、単身敵地に乗り込んで任務を果たして帰った一人前の男の顔になっている。
「そうですわよ、フェルディナンド。充分気をつけて計画を練り、それなりの護衛も同行すればそれほど危険な行為ではありません。現在のこの国のあり様を考えたら」
「一体全体閣下にはどのような計画をお持ちなのです?」
言葉の出なくなった主の代わりにフェルディナンドが厳しく詰問した。
「まぁ閣下などと・・・嫌味な子ねぇ・・・でもそうですわねぇ。先ず、護衛ともども市民の姿に身を
窶し、ファラミアの主な大通りや広場などを回って・・・人々の表情や、暮らし向きなどを窺い、お店なども覗いてみたいですわねぇ。後、出来たら食事なんかも・・・」
すらすらと紡がれるシザーラの計画を聞いているうちにレーニエの瞳が益々大きくなったが、それを見ないようにしてフェルディナンドが彼女を遮った。
「なんですって!?お馬車の中から、こっそり見物するならまだしも、街中に入り込むですって?ありえません。お二人とも今までファラミアの都に出たことがないのです。お許しなど出ませんでしょう」
「あら、私はこう見えても慣れております。隠遁生活をいいことに、私は幾度も我が国の首都、ザールの下町に出かけましたわ。宰相の家に生まれたからには民草の暮らしぶりや、街の治安など肌で感じて学ぶことは無意味なことではございません」
「それは確かにそうかもしれませんが・・・こう申しては失礼ながら、ザールとファラミアでは都市の規模が違います」
「フェル・・・無礼を申すでない。それにしても・・・シザーラ殿は以前からそのような事を試されておいでだったか・・・お一人で?」
レーニエは躊躇いがちに忠実な少年を
窘めたが、その瞳は強い興味の光を帯びて赤毛の娘を見つめている。
「・・・まぁ、護衛は付けてありました。腕の立つ信用できる者を二人ほど」
「はぁ・・・」
レーニエはほっと肩を落とした。
「町はおもしろうございましたわ。勿論フェルディナンドの言うとおり、ザカリエは都といえどもエルファランのそれの様に洗練されてはおりませぬし、地方の街に行くともっと
鄙びておりますけれども、それはそれで勉強にはなりますの。なにより宮廷の窮屈さから解放されますし・・・
市井のいろんなものを見られて、それは楽しゅうございましたわ。まだ少し自由が許された頃には、帰ってからその様子をアラメイン殿下にお話し申し上げたものでした。あの方もそれは喜んで聞いてくださって・・・」
「・・・」
落ちそうなほど見開かれた赤い瞳の煌めきを見て、シザーラはにっこりした。フェルディナンドの剣呑な
一瞥にも動じていない。
「レーニエ様はどう思われて?」
「・・・正直大層興味はある。こんな私とて、北の領地ノヴァでは、自由に屋敷の外に出て馬を駆っていたから。もっとも、初めはなかなか受け入れてもらえなかったし、私も王宮の外に出た事がなかったので、交流にはなかなかに戸惑うものがあったが」
レーニエはその頃の事を思い、懐かしそうに眼を細めた。
「それに橋渡しをしてくれたのがヨシュアで・・・ヨシュアと、そう・・・村の子供たちで。以前はどうしても外せなかった仮面も終に取る事が出来て・・・そうして次第に打ち解け、素朴な人々に囲まれて私は生まれて初めて深呼吸ができた心地持ちがしたものだった。それまで都と言うか、王宮にはあまりよい思い出がなくて・・・過去にはね。きっと今からは違ってくるのだと思うが・・・そう。母上のおっしゃる通り、私はあまりにも自分の生まれた場所を知らない」
「レーニエ様・・・」
「うん。だから私は知りたい。自分の生まれたこの地の事を。知って、自分に何ができるかほんの少しでも考えたい」
「・・・」
これはまずい、とフェルディナンドは思った。大人しいようでいて、好奇心の強いレーニエの気質を長く仕えてきたこの少年は知り尽くしている。主の真面目な気持ちは理解できるが、どうも宜しくない方向に話が進んでいる。
――さて困った。どうしたら思い留まって頂けるだろう・・・俺はこの方には究極のところ逆らえないし、姉さんに相談してみようか・・・だけど、姉さんなら反対にレーニエ様を煽ってしまいそうだしなぁ・・・だけどまぁ、こんな事まさか陛下がお許しにならないと思うけど・・・
「行きたい、行こう。でも・・・どうやってお許しを貰おうか?私は恥ずかしながらそういう段取り事も、都の地理も何も知らない」
「ええ、それは勿論。私にしてもこの街は初めてで土地カンもないですし」
フェルディナンドの感慨などそっちのけで、娘たちは額を突き合わせて計画を練り始める。
「ヨシュアに言ったら許してくれるだろうか?彼に付いてきてもらえたら一番安心なんだけど」
「それは・・・難しいですわねぇ。レーニエ様のおっしゃる通り、ファイザル様に護衛になって頂くのが一番安心なんでしょうけど。将軍を護衛に使うなんてそれこそ前代未聞ですし、例えファイザル様にその気持ちがあったとして、今現在のあの方を取り巻く環境がそれを許さないでしょうねぇ。お仕事に忙殺されているようですし・・・ええ、まず無理でございましょう」
――無理どころか、酷く叱られちゃうよ。最後の防波堤は(嫌だけど)やっぱりあの人か・・・
「だが、彼に黙って行っては後できっと、とんでもなく叱られる・・・と思う。フェルとサリアは連れて行くにしても・・・」
――あ〜〜流石にそれくらいは予見がお出来になるんだ・・・・・・って!俺はともかく、姉さんも連れて行くの?いやいやいや、行っちゃあいけないんだって!うっかり俺までその気になるところだった
「そうですわね。フェルディナンド達はある程度この街のことを知っているはずですし。でも、ファイザル様なら完璧な手配はお出来になると思います。お許しさえ出れば」
「うん。きっと」
「レーニエ様、残念ですが、あの人が許可を出さない事ぐらいは俺にだってわかります。ええ、ありえません」
「・・・そうかな・・・」
「そうです」
フェルディナンドが無慈悲に肯定した。
「まぁまぁ、フェルディナンド。いくらファイザル様が厳しくても、もしかしたら少しだけなら話くらいは聞いてもらえるかも知れませんわよ。彼の護衛は無理でも何か方法を考えてくれるかもしれないし。レーニエ様がご嘆願すればきっとお気持ちが和らぎますわ」
フェルディナンドが取り分けたまま、忘れ去られていたお菓子を考え深げに
齧りながらシザーラが呟いた。つられてレーニエもカップに手を伸ばす。冷めきったお茶も気にならない様子だ。どうやらダメでも元々と腹を括りかけているらしい。
「うん。シザーラ殿のおっしゃる事ももっともだ。黙って出かけるよりいいと思うし(後が怖いし)」
「な・・・!黙って出かけるなど、恐ろしい事をおっしゃらないでください!きっと酷く叱られますよ!聞いてみるだけ無駄です」
「はい!じゃあ聞いてみましょう!これで決まりましたわね。善は急げと申しますわ、無駄かどうか、早速軍務棟に参りましょ」
フェルディナンドの言葉尻を捉えて意気揚々とシザーラが言った。このあたりはさすがに政治家である。
「ちょっ・・・!何がどう決まったというのですか?」
流石に慌てて少年が一歩前に出る。
「それはいい、先ずは足を運んで聞いてみないと。忙しいヨシュアを呼びつけるのもどうかと思うし、手間が省けるというものだ。やっぱりシザーラ殿は頭が切れる」
レーニエは優雅に立ち上がり、シザーラの手を取った。
「まぁ、照れますわ。まるで恋人のよう・・・」
二人の娘はそのまま部屋を突っ切ってゆく。
「お二人とも人の話、お聞きになられてます?・・・って、ちょっと?お待ちください!レーニエ様、せめて帽子を!わあぁっ〜〜姉さん!ちょっと来て!」
朝方の雨は未だしとしとと降り続いているが、心なしか空は少し明るくなったようだった。
「なりません」
錆びた声が断固として告げる。
「・・・」
「その御様子では、私の答えを予想されていたようですね」
突然のレーニエの訪問。王宮の奥付きから、こんな端近な軍務棟へやってくるだけでも叱り飛ばしたい気分でファイザルは大きな執務机の上で手を組んだ。その上に乗っているのは彼女に甘い恋人のそれではなく、深く眉根を顰めた厳しい軍人の顔だった。会議の休憩中に御成りの先触れが密かに入り、彼が驚いているうちに本体が到着したという訳だ。
「それはそうだけれども・・・でも」
白い頬の横で脇髪が揺れた。
女王の許しを得て王宮内は自由に歩き回れるレーニエだったが、フェルディナンドの必死の配慮で目立たない黒い服に身を包んだいつもの男装である。長い髪は後ろで編んでマントと帽子で隠している。それでも男ばかりの軍務棟ではあれ?と振り返るほど、この娘の纏う空気は他と違っていた。
ここは王宮内でも軍関係の建物が集中している区域である。
勿論レーニエは初めて訪れる場所で何もかもが珍しい。渋るフェルディナンドを宥めすかして案内させ、レーニエが
訪ったのは、南に位置するその区域でも一番北の大きな棟である。四角い建物の並ぶ中で、その棟は将軍や高級将校達、その従僕達が使うもので一番宮殿らしい外観を持ち、事務的な職務を執る管理部門が収まっている。
他のもっと無粋な建物や、練兵場、馬場などに比べると、まだしも上品といえるのかもしれないが、それでも装飾的なものは殆ど皆無の質実剛健な官舎で、殆ど男ばかりの空間だ。ここに至るまでレーニエとシザーラ、フェルディナンドとサリアの4人の小集団は道中かなり目立っていた。
まさか目深に帽子をかぶった小柄な黒衣の少年が、国王の一人娘だとは誰も思わなかったに違いないが、赤毛のシザーラや侍女のお仕着せを着たサリアが颯爽と闊歩する様を、すれ違う兵士や召使達はみなあんぐりと口を開けて見送っていて、士官学校の制服を着たフェルディナンドは穴があったら入りたい様子で
俯いていたのだった。
因みに今、他の3人はファイザルの執務室にも入れてもらえず、控室を挟んだ隣の応接室でジャヌーがお相手をしている。
「あなたのような方を町に放しでもしたら、10分以内にとんでもない事になります。確実に」
「だから、目立たないようにするし、あなたがお忙しいのなら信用できる護衛をつけてもらえば・・・」
とんでもない事ってどういうことだろう、ちょっと見てみたい気がすると思いながらレーニエは嘆願する。
「一体どうやったらあなたを目立たなくできるか教えていただきたいものですな」
組んだ指で口元を隠してファイザルはこっそりため息をついた。瑠璃宮や金剛宮と比べると味もそっけもないこのような無機的な空間の中でレーニエの周りだけが仄かに輝きを帯びて見えるのは、
強ち惚れた贔屓目ではないと彼は思う。5分もすれば町に
屯している暇な若者たちに目を付けられ、大騒ぎになるだろう。
「そんなに俺の寿命を縮めたいのですか?」
「そんなことない!」
「俺ももう若くはないのです。お願いですから、どうかもう無茶はなさらないでください」
「・・・あなたを困らせるつもりで言い出したのではないんだ・・・それにあなたは充分お若い・・・だから・・・お願い」
「・・・・・・」
あまりに能弁な沈黙。レーニエは恐る恐る大好きな青い瞳を覗きこんだ。
「絶対にだめ?」
「・・・ダメです」
「・・・・・・」
「レナ・・・」
鉄壁の無表情が僅かに崩れる。彼は内心かなり努力をしてそれを保っていたのだが、レーニエには分からない。
「ごめんなさい・・・もう言わない」
諦めたように小さく呟いて白銀の頭が下がった。
「私はあなたにいつも我儘ばかり言っているな・・・」
「我儘とまでは言いません。お気持ちは十分わかりますし、行かせて差し上げたいのは山々なんですが・・・お許しください」
もともと多くを望まぬ娘のたっての願いを聞き届けられぬ自分にファイザルは嫌気がさした。あの夢のような舞踏会の夜から既に五日は経っていた上、後数週間も恋人をほぼほったらかしにしてしまうのだ。どうしても負い目を感じてしまう。
――さて、どうしたものだか・・・
「・・・そんなに街に出かけてみたいのですか?」
しょんぼりと眉を下げてしまった娘を見て仕方なさそうにファイザルは尋ねた。この娘には本当に弱いと自分を叱咤しながら。
「・・・うん」
こくりと顎が下がる。
「・・・あと二週間もすれば少しは仕事も一段落します。そうしたら俺が国王陛下の許可を得てお連れいたしますから・・・」
「・・・」
二週間は長い。それにそんなに日が経ってしまっては婚礼の直前になり、そうなれば、再び儀式に纏わる何やかやで別の忙しさが待っているような気がする。そのくらいはレーニエにでも予測がついた。がっかりしたように更に眉が下がる。
「・・・そんな顔をしない・・・」
――このまま押し倒したくなるじゃないか・・・
ファイザルはやれやれと頭を振ると、よいしょと椅子から立ち上がる。机を回ってレーニエの傍に立つと、すっかり下がってしまった顎を指先で持ち上げた。半ば閉じた睫毛の下の瞳を覗きこんでやるが、娘は眼を合わせようとしない。
「あなたが悪いわけじゃない。俺の方こそお寂しい思いをさせて申し訳なく思っています。必ずお連れ致しますから、もう暫く御辛抱できませんか?」
可愛くてならないように頬に指が滑る。ゆっくりと唇が下り、泣きそうなレーニエのそれを塞いだ。
「・・・」
きつく巻き付く腕にレーニエは素直に身を委ねる。圧し掛かるように抱かれ、口腔を貪られても、もう戸惑いはしない。
「お約束いたします」
「ヨシュア・・・」
再び唇がお互いを求めようとしたその時―――
「お〜〜い!この嘘つき奴!」
「!」
ガコーンと大きな音がして観音開きの扉が思いきり開かれた。いきなり開いた異空間に赤毛の美丈夫が立っている。
「なんだお前、いきなり!」「セルバロー殿!」
恋人たちは慌てて体を離した。男はすかさず娘を背後に隠す。
「無礼だぞ、
弁えろ!」
たいていの兵士なら竦み上がってしまう氷点下の怒声にも一向に怯まず、雷神はずかずかと部屋に乱入した。
「わはははは!来てやったぞ!・・・と、これはこれはレーニエ殿下、ご機嫌麗しゅう、相変わらずお可愛らしいですな」
わざとらしく今やっとレーニエに気付いた風でセルバローは優雅に騎士の礼をする。その金色の瞳はにやにやしながら濡れた唇を眺めていた。
「ん?もしかしてお邪魔だったでしょうか?」
ファイザルの額に浮き出た血管を見ているくせにしゃあしゃあと言ってのける。大した心臓だ。
「べ、別に邪魔などでは・・・セルバロー殿もご壮健そうでなによりだ」
「ええ、お陰をもちまして。・・・で、何ナニなーに?ヨシュア?二週間だって?お前それで机上業務にカタがつくと思ってるのか?分かっちゃあいるだろうが」
レーニエが立っているのに遠慮もなく、セルバローはどっかりと傍らの椅子に腰を下ろした。
「つけて見せるさ」
ファイザルは広い肩を竦めて言い捨てる。
「無理無理。お前はつけるつもりでも、後から後から仕事を押し付けられるって。あのね?レーニエ殿下、今こいつは、この国になくちゃならない男になってしまったようなんですわ」
「そ・・・そうなのか?」
「大概にしろよお前。王女殿下の前でなんという口を聞く」
苦り切った様子で盟友を窘めるもその甲斐はなく、雷神は益々増長してゆく。
「おや、これは大変失礼しましたな。シテ、レーニエ姫には私がご不快で?」
「いーや、ちっとも。仰々しければセルバロー殿らしくない。それにシザーラ殿にもお願いしたのだが、私を殿下とか姫とか呼ぶのはやめて。私でないみたいだから。レーニエでいい」
太陽の様な微笑みにつられ、さっきまで落涙寸前だった瞳がぱっと輝いた。ファイザルは面白くなさそうにその様子を見ている。
「御意。じゃあ、私のこともジャックジーンとお呼び捨てでお願いいたします。しかしてレーニエ様?」
「なにかな?・・・セ・・・ジャックジーン」
「先ほど別室でお付きの方から漏れ承ったところでは、レーニエ様には街中を見てみたいとお望みとか?」
何が漏れだ、こっそり聞いていたくせにと、既に将軍閣下の顔は雷神より雷雲のようであった。
「そうなのだが・・・」
「宜しければ私がお連れいたしましょうか?」
「え!?」
レーニエとファイザルが同時に声を上げた。
「いい加減にしろ、ジャックジーン!ふざけているとそっ首刎ねてしまうぞ」
レーニエの前であるが、ファイザルはついに声を荒げた。セルバローの傍若無人振りが余程腹に据えかねたと見える。
「そんなおっそろしい目でにらむなよ、ヨシュア・セス。お前こそ無礼だろう。レーニエ様の御前だぞ。・・・で、いかがですか?俺の護衛では役不足ですか?」
憤怒の視線にちっとも臆した風もなく、気持ち良さそうに椅子に
凭れかかりセルバローはレーニエに顔を向けた。
「いえ・・・光栄だ。しかし、勇名高い雷神のジャックジーン・セルバロー准将に私などの護衛に頼んでもいいものだろうか?」
どこから聞いたのか、レーニエはちゃんとセルバローの昇進も知っていた。
「レーニエ様!こんな奴の言う事をお聞きなっては・・・」
ファイザルは慌てて意気投合しかけるレーニエとセルバローの間に割って入ろうとしたが、意外にも素早い動作でレーニエが前に出た。
「ちょっと待ってね?ヨシュア。・・・うん、ジャックジーン、続けてくれないか」
「御意。ええ、私にしても、いささかまったりし過ぎた王宮の暮らしと、終わることのない机上の事務仕事にいい加減うんざりしておりましたので、レーニエ様のお供で都を案内して差し上げられるなんて、願ってもないことなのでございます」
「自分の都合でものを言うな!何が事務仕事だ。貴様など何時も勝手に仕事を切り上げているじゃないか!」
何とか割って入る隙間を見つけ、ファイザルは盛り上がりかけている二人の間を体ごと遮る。
「本気でここからつまみ出すぞ!・・・レーニエ様も御身分を御弁えください。あなたの身に何かあってからでは遅いのです」
「嫌だ。せっかくジャックジーンが護衛をかって出てくれているのに。彼はあなたに劣らぬ使い手なのだろう?」
「な!」
思いがけない反撃。
「おお!そうですとも、レーニエ様、その意気です。上に立つ者はそうでなくちゃ・・・ヨシュア、お前はじっと椅子に座って痔にでもなってりゃいいんだ・・・おや、失礼仕りました。貴人の前でしたな――おおっと」
セルバローが大仰に諸手を上げる。ファイザルが今度こそ青い目をいからせて胸ぐらをつかんでいたのだ。セルバローは特に抵抗しようとはしないが、レーニエが慌てて割って入る。
「ヨシュア・・・止めて!」
「あなたは黙っていなさい」
「流石に王女殿下の前で殴らないだけの分別は残っているなぁ。なぁ、おい。俺はそれほど信用ならないかな」
「残念ながら、ならんな」
にべもない冷たい声に怯えたように、レーニエは彼の背後から広い背中に両手を当て、頬を寄せた。男がはっと振り向く。
「ヨシュア・・・お願い・・・私は生を受けたこの地の事を何も知らない。街に出て少しでもいろんなことを学んでみたいのだ。本当にそれだけだし、きっと大人しくするから。ヨシュアがいいと思うだけ護衛をつけるよ。それに危ない事は何もしない。約束する」
「レーニエ様・・・」
泣きそうな顔を見せられて、流石のファイザルの怒りの矛先も鈍る。流石に二週間の間、レーニエに瑠璃宮に閉じこもって何もするなと言うのも酷な話である。漸く積年の憂いが晴れて、
日向に出る事が許された姫君なのだから。
それにこの一見、派手で破天荒な朋輩が、その卓越した実力だけでなく、意外と細やかに気の廻る男だという事を彼は知っていた。口はいつも罵ってはいるが、自分以外にレーニエを托せられるのはこの男をおいて他はない。
「・・・」
ファイザルは仕方なくセルバローを掴んでいた腕を下ろした。雷神の口角がにっと上がる。
「・・・絶対に無茶はしませんね?」
「ヨシュア!はい。きっと約束する!ありがとう!」
レーニエの顔にぱっと喜色が広がったかと思うと、ファイザルの首に軽いものが巻きついた。レーニエが飛びついたのだ。
「他にもいくつかお約束して頂きますよ」
「うん・・・うん、ヨシュア」
レーニエは広い胸に顔をうずめたまま何度も頷く。
「決まりですな。こいつのこんな下がった眉は初めて見る」
「調子に乗るなよ。レーニエ様に何かあってみろ、その派手な赤頭を城壁に晒してやるからな」
「うへぇ、おっかねぇ。肝に命じますとも、肝に。将軍閣下」
セルバローはおどけた様子で首を竦めた。
「ヨシュア・・・ありがとう!私嬉しい!」
レーニエは音を立てて削げた頬に接吻した。雷神の前とはいえ、ファイザルは
窘める気にならない。そして・・・
「きゃあっ!」
「レーニエ様!」
再び扉が大きく開け放たれ、シザーラとサリアが雪崩れ込んできた。セルバローと同じく、扉の向こうで盗み聞きをしていたらしい。
「わ!」
ファイザルは呆気にとられて新たなる客人を迎えた。即座に執務室の扉をもっと機密性の高いものに取り換えさせなくてはならぬと心に誓う。それも早急にだ。これでは極秘事項も何もあったものではない。今まで一体何をしてきたのだ、ダダ漏れではないか。
「よかったですわ!こちらに伺った甲斐がありました」
「流石にファイザル様は懐がお深いですわねぇ」
「うん!」
「・・・」
きゃあきゃあと喜び合う三人の娘の後ろで自分と同じように苦い顔をしているのは黒髪の少年で。
「・・・フェルディナンド、頼むぞ。お前が一番分別がありそうだ」
ファイザルは進み寄ると渋面を作っている少年の肩に手を置いた。彼もファイザルに負けないくらい困惑しているのだろう。
「言われずとも分かっています。しかし・・・まさかあなたが御承知なさるとは思いませんでした」
この甘ちゃん
奴と言わんばかりのフェルディナンドの視線に、苦笑いでもってファイザルは応じる。
「そう睨むな。俺だって不本意なんだ。ただ、俺にも些か後ろめたさがあって、あの方のご不興をこれ以上買いたくはない」
「左様でございましょうとも」
フェルディナンドは冷たく言い放ち、ぷいと端正な横顔を見せた。
「さて、そうときまれば先ずは段取りを決めなくてはね。それにお色直しの御衣裳も。レーニエ様、あちらでゆっくり御相談いたしましょうか」
セルバローが晴れやかな顔で一同を見渡し、陽気にこの
顛末にケリをつけた。
その夜―――
「やっと戻ってきたか」
相変わらず執務室に詰めて報告書に目を通していたファイザルはぶらりと入ってきたセルバローに冷たい視線を向けた。雷神は既にどこかで一杯やってきたらしく、大変なご機嫌である。
「お前が俺の事を痺れを切らして待ち焦がれていると思ったもんでな。途中で切り上げてきた。感謝しろよ」
「別に貴様なんぞ待っちゃあいないさ。・・・言え」
どういう段取りになったかという事を。
「別にどうという事もない。目立たないように市民の姿をして都の目抜き通りをご案内するだけだ。まぁ、姫君が望まれるのなら、食事ぐらいはさせてあげてもいいかと思っている」
「そうか」
意外にもファイザルは異を差し挟まなかった。一旦セルバローに任せた以上、彼の力を信頼することにしたらしい。
「だがくれぐれも店を選べよ?分かっているだろうが、あのお方の身に・・・」
「ああ、ああ皆まで言うな!俺はよく分かっている。昔お前がさんざん浮名を流したような店には絶対連れて行かないから・・・」
「おい!ジャックジーン!」
「あの頃の女の子たちもすっかり老けただろうなぁ・・・いい女将さんになっていたりしてな・・・いや、やり手婆ぁか?」
気持ち良さそうに半眼になって回想に
耽るセルバローであるが、からかわれた男の方は気が気でない。
「お前・・・やっぱり一度痛い目にあうか?」
「そんなの何回もあってらぁ。脅しにもならんわ」
「食事にお連れするのは許してやるが、妙な店には連れて行くな。出来るだけ人目に触れないように個室をとって・・・」
「はいはい。可愛いあの子をその辺の若い男の目に晒さないようにね。過保護なこった」
「過保護で丁度いいくらいだ。何かあったら貴様の首が飛ぶくらいでは済まないんだぞ」
雷神の言葉を無視してファイザルは容赦なく続けた。
「何かあったらな・・・いいよ?というか既に何かあったんじゃないの?あの子が急にあんなに色っぽくなったのはさ。今日久々に会ってびっくりしたぞ」
「・・・」
「既に
何方かが手をお出しに・・・なぁ?」
「言ってろ」
「あ、照れてるなお前」
心安だてにセルバローは朋友をからかった。
「照れていない」
「じゃあ言えよ。姫君のお味は?」
「味とか言うな!無礼者」
「ひゃあ!こらぁ本格的に惚れてるな。してみると、よっぽど良かったんだな。しかし。お前がオボコにこんなに夢中になるなんてなぁ・・・人生はわっかんないな」
「お前こそさっさと身を固めるがいい。その方が世のためだ」
「いや〜〜〜俺はお前のようにたった一人を選ぶなんてできないなぁ。生まれたての赤ん坊から、
皺しわの婆さんに至るまで、女はみな可愛い。可愛くてえらい。そんで俺を愛してくれる。誰か一人に絞るなんて、そんな非道な事」
「その漁色家を卒業しろって言ってるんだ。大体守備範囲広すぎだろ!その内刺されても知らないぞ」
「俺にはそんなコワイ女はいないの。だけどお前は・・・実のところ、俺なんかよりお前の方が怖いんじゃないの?」
「え?」
一瞬、セルバローの言った事が理解できないようにファイザルは言葉に詰まった。昔から彼の言葉は何も考えていないようでいて、時として心の死角に
楔を
穿つ。ファイザルは暫く考え、それから反芻するように呟いた。
「俺が怖いって?」
「怖くないの?」
「・・・ああ、確かにそうかも知れん。俺は怖いな」
「ふむ・・・言ってみろ」
雷神は面白そうに先を促した。
「俺のような男があの方を手に入れて・・・本当に幸せにできるのかどうか・・・」
「なんだ、そんな事か。陛下に誓ったんじゃないのか」
「ああそうだ」
「なら遂行しないとな。崇高な任務と思って完遂しろよ。肝に銘じろ。これは命ぜられてするものではなく、望んで行うものだってことをな」
「・・・」
「愛してるんだろ?あの子を」
「ああ・・・」
答えは簡単なものであったが、セルバローはそれがファイザルの初めて認める感情だと知っている。
「ならできるさ。お前が愚図愚図悩んでいる罪とやらも全てあの子が洗い流してくれる」
「そうかな?」
「なんだ、あの子はそうは言ってくれなかったのか?」
「ああ。だが、レナは俺の罪など全て受け入れてくれているのだろう」
「この野郎、早速
惚気けやがって」
「惚気になるのか?」
「なるわ!」
逞しい胸にぼすんと音を立てて拳がめり込んだ。
◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇
