帰還

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呆気に取られるファイザルを前に女王はころころと笑った。



「へ、陛下・・・?」

「なんという顔をなされておられる、『掃討のセス殿』。いや愉快!」

最早(こら)えようともぜず、ソリル二世は笑い続ける。

「は・・・しかし、その・・・それでは」

なんと言っていいものか途方にくれてファイザルは口籠ったが、しかしここは押され続けていてはいけないと思い返し、きっと顔を上げた。

「それでは私の願いをお聞き届けて下さると言うのですか?あの方を私に・・・」

「あなたがこの辞令を収めてくださるならね」

どぉ?と言うように人差し指が上質の書紙を弾く。整った眉が悪戯っぽく上がる仕草も彼の愛しい娘そのままで。一体この親子は似ているのか そうでないのか理解に苦しみながらもファイザルはすっくりと立ち上がり、女王の椅子の前に跪き、辞令を頭上に押し頂いた。

「身に余る栄誉にございますが、謹んでお受けいたしまする」

「それでよい。我が騎士となり、この国の為に尽くしてください」

女王はいつの間にか隅に控えていた女官に頷いた。大柄な女官は辞儀をするといったん部屋から出てゆき、すぐに戻って来たがその手には先ほどファイザルが預けた彼の愛剣が捧げられていた。

「そなたの剣は既にあの者に捧げられているのやもしれぬが、構わぬな?同じ事(ゆえ)な」

「はっ!」

ファイザルは女官から剣を受け取ると、すらりと鞘から抜き去り、水平にして捧げ持つとソリル二世に差し出した。女王は両手で受け取り、刃に口づけをすると、ファイザルに返す。



キィン



鍔鳴りの音が室内に響いた。








「―――して、是非とも伺いたいのですが、ファイザル殿にはあの娘のどこがお気に召されたのです?母親の私が言うのも何ですが、あれは少々変わった娘であろ?」



二人は青の間の落ち着いた調度に囲まれて向き合って座っている。普段なら武器の持ち込みは固く制限されている瑠璃宮だが、ファイザルの剣は特別扱いとの事で女王自ら許可を出し、傍らに立て掛けてあった。

別の侍女が新たにお茶を入れ替えて出てゆく。今度はどういう訳か焼きたてのきれいな菓子まで添えられていた。(ようや)く笑いを収めた女王は、まだひくつく口元を押さえて向き合って座る男に尋ねた。

「何処か(つか)みどころがないと言うか、不思議ちゃんと言うか・・・本人はいたって真面目なのだけれども」

「それは・・・」

身も蓋もない形容にファイザルは返答に詰まる。しかし、流石に母親だけあって正鵠を得ている。ファイザルは思わず笑ってしまった。女王の前で初めて漏らす微笑みだった。

「確かに、そのようなところも」



――うん、厳しい練達の士が笑うと印象がずいぶん変わるわね。確かに魅力的な男ではある。あの娘はさぞこの微笑みを自分に向けたいと思ったのでしょうねぇ・・・よぉく分かる。母子二代して危険な男の魅力には弱い事



「で、しょう?」

女王は嘗てのアンゼリカ・ユールであった時の自分を思い出した。なんだか不思議に楽しくなる。彼女は一口大の菓子をつまみ上げて優雅に頬張った。甘い。

「いえ、失礼いたしました。自分は何分言葉を知らぬもので。その・・・なんと申しますか・・・あの方は・・・それは純粋で心根の優しいお方。私はあの方が北の地に参られたその日に初めてお目にかかったのです」

「聞いています。なにか騒動があったとか」

女王は大層興味を引かれたように身を乗り出した。弾みで茶器がカタカタと揺れた。

「聞かせてください。あのたの目から見たあの子の姿を」

世慣れた男の目に娘がどう映ったか知りたい。こう言うところは世の母親達と大差ない。

「はい。初め新たな徴税を警戒した村人は徒党を組んでお馬車を取り囲み、ご領主を追い返そうとしました」

「・・・」

「レーニエ様は驚かれたようではありましたが冷静に対処され、村人たちもその度胸に呑まれたようで事態は驚くほど速やかに収束したのです」

「でも多分あなたが裏で操作していたのでしょ?」

「いえ、それほどの事は・・・。以来私はずっとお傍でお仕えして来ましたが・・・」

「うんうん」

「確かに初めはすべての事に経験がなく、戸惑いがちであられました。黒い仮面でお顔と心を(よろ)い、いつも自信なさげに俯いておられて。しかし、やがて蕾が綻ぶようにあの方は美しい性質を開花させられた。貧しいが素朴な人々に近づこうといつも努力され、新たに産業を興そうとも試みられて・・・今では子ども達を初め、(あまね)く領民から慕われておいでです」

「・・・・・・」

北の辺境ノヴァゼムーリャでのレーニエの様子はドルトンからも報告を受けている。ファイザルの言葉はそれを裏付けたに過ぎない。しかし、この平民出身の叩き上げの軍人の口からその事を聞くと、彼女の娘が王宮を去ってから如何に人間として成長したことを改めて認識させられた。

「領民も兵士も、老人も子供も皆、あの方を慕わずにおれません。そして・・・」

「いつしかあなたもあの子に魅入られたとな?ファイザル殿のように世間を知る経験豊かな殿方が、あの浮世離れした娘のどこに惹かれたというのです」

「さぁ・・・うまくは言えませぬ。お互いしんどい過去があったからかもしれませんが・・・気がついた時には既に抜き差しならないほど愛しい存在となっていました。身分違いだと幾度否定してみても抑えきれず。畏れ多い事なれど」

「あの子は自分が勝手にお慕い申し上げたのだと言っておりましたが」

「それは違います。レーニエ様がご自分の想いを自覚される前から私はあの方に惹かれて・・・いや、どうも・・・」

些か困った風でファイザルは視線を泳がせる。

「どうされました?」

「自分はこのような事を人に話すのに慣れていないもので・・・かなりその・・・戸惑うものが・・・」

「流石のファイザル殿も照れられますか?」

「どうもそのようです」

仕方なさそうに苦笑を浮かべ、男は前髪を掻き上げた。慣れない環境と感情を持て余しているようである。

「ふふふ・・・あの子はあなたに自分の事をどのように話したのですか?私や父上の事を」

「・・・それは」

ファイザルはすっと目を細めた。

あれは春の日だったか――

寝台に横たわる儚い影。薄い肩が酷い咳こみで震え、苦しい息の下からその告白は為されたのだった。

「私に遠慮は要りません。どうか教えておくれ。あなたが語るあの子の話が聞きたいのです」



ファイザルは語った。かつてレーニエが彼に語ったのと同じ話を、今度は彼の口から。ファイザルの再話の技量は優れており、女王はどのようにレーニエが彼に己が秘密を打ち明けたのかを手に取るように理解することができた。

「成程ね。あの娘はあまり隠し事には向いていないようですね」

「ええ、まったく」

「言いますねぇ。頭は悪くはないようだから、この際少しぐらい政治を教えようかとも思ったのですが・・・これでは向いているとは言えませんねぇ」

「ご領地では良きご領主だと慕われておいでですが」

「ええ。なんだか特産品だとかいう妙な乾燥させた花を持ってきましてね。お風呂に入れると肌にいいだとか、布を染めるときれいに染まって虫がつかないとか、私にもやいやい勧めるものだから仕方なく女官達に言うて試させております」

どうやらレーニエはこの間、自領の生産物の営業活動をしていたらしい。ファイザルはおかしくなった。

「はぁ。リルアの花のことですね。あれを一番先に試されたのは私でしたが」

吹雪の中行方不明になったフェルディナンドを助け出した後、領主館で風呂に入れられた時のことだ。

「おや!そうですか。あの子もなかなかやりますね」

女王は心から楽しそうに笑った。一番最初に見た時の印象とは大違いだが、あの重々しい素振りは君主と言う立場がそうさせるものだろう。普段の彼女は気さくな人柄なのに違いないとファイザルは思った。何しろ、天衣無縫、傍若無人と言われたブレスラウ公を愛した女性なのである。

「はい。それにウルフィオーレにおいても大変ご活躍で」

実のところ、活躍という言葉が正しくレーニエの取った行動を説明しているとはファイザルには思えなかった。あの娘は大体において直情的に行動していたし、聡明ではあったが、熟慮や慎重という観念からは外れているようだったからだ。ただ、彼女は常に公明正大で素直であったし、人々の役に立ちたいという純粋な気持ちは真実だった。それ以上何を求めようか。

「大体のところはドルトンから聞いていますが。あれの言葉は何時もあまりに主観が無さ過ぎてね。悪い人間ではないですが、ソツがなさ過ぎるきらいがあって・・・正確極まりなくて重宝しますが、面白くない。あなたの口から聞くと又全く別の印象があって、とても面白い。どうか話してください」

「あの方は老若男女から好かれる素質をお持ちのようです。海千山千の隣国の老宰相にその孫娘、我が軍の将軍、将校から、街の女まであの方に魅入られておりました。それはたぶん素直で、私欲の無いお人柄所以かと」

「まぁ、大賢は大愚に似ると言いますからね。聞きましたよ、あのジキスムント宰相に意見したとか」

「・・・ええ、しかし御髪を」

「まぁ、少し軽率なきらいはあったようですが、そのくらいは事後処理で何とかなるでしょう。この件は元老院議長のオリビエに既に報告済みです」

「左様でございましたか」

「いろいろ聞けて愉快でした。あの子はあまり自分の事は話さないのでね。でも、もうそろそろ限界かしら?」

「・・・?」

限界。いったいそれはどういう意味だろうかとファイザルは女王の様子を窺う。大きな瞳が冴え冴えと彼を見据えていた。

「・・・?」

「ファイザル殿?」

「は」

「もう一度聞きますが、あの子を・・・レーニエを幸せにしてもらえますか」

歌うような声音。

ファイザルは腕を伸ばして傍に置かれた愛剣の鞘に触れる。

「陛下に捧げたこの剣に誓って」





「・・・・・・だ、そうですよ。娘や?出ておいでなさい」

女王は急に大きな声を上げて背後を振り返った。

「!」

「随分待たせてしまいましたね。さぞやじりじりしていたのでしょう?もう入ってきていいですよ。レーニエや?」

奥にある小さな扉が開かれ、そこから小さな人物が顔を見せた。驚きのあまりファイザル思わず立ち上がり、よろめくように一歩下がったが、一拍遅れて胸にふわりと白い柔らかいものが飛び込んできた。

普段の彼ならば、例え部屋の外であっても隠れている人物の気配を察し、警戒していたであろうが、王宮であることと、女王の御前と言う事でかなり緊張していたのか、まったく気づかなかったようである。

「レーニエ様!?・・・陛下、これは・・・」

狼狽しながらレーニエを抱きとめ、ファイザルは、瞳を輝かせ愉快でならないように二人の様子を見守っている女王に問いかけた。

「見ての通りですよ。おや、この子は・・・これ、レーニエや、そのようにひしと取り(すが)っていてはファイザル殿がお困りになるだろう」

「・・・」

言葉もなくファイザルが見下ろしてもレーニエは彼の胸に顔を埋めたまま、離れようとしない。華奢な両手で軍服の厚い生地をぎゅうと握りしめたまま。そんな娘の姿を珍しそうに母が見ている。

気がつくと彼女はいつもの黒い男物の服ではなく、淡い草色の簡素なドレスを纏っている。肩甲骨のすぐ下で結ばれた帯が腰までふわふわと広がった柔らかい絹。長い髪はおろしていたが両脇だけ編み込まれ、真珠の付いたピンが所々に挿されていて、まるで朝露に濡れる若葉のような姿であった。

「レーニエ様・・・」

ふわりと抱きしめる。髪から良い香りが立ち昇り、鼻腔をくすぐった。

「・・・待っていたの・・・ずっと・・・ヨシュア」

押し殺したような声が胸のあたりから漏れる。

「・・・とまぁ、こんな具合です。ファイザル殿。この子はもうずっとあなたに会いたがっておりました」

「陛下」

「この子はあなたの他には何も要らぬと申すのです。まったく似た者同士ですね。あなた方は」

そう言って彼女は首を竦めた。やれやれと言う呈である。。

「・・・」

「花嫁衣装は私が用意します」

断固とした宣言。

「陛下!・・・」

「・・・」

ようやく顔を上げてレーニエは彼女の母を見つめる。強かな母は娘に向かって片目を眇めて見せる。

「それと、式は王宮内で上げるように。無論、内輪で済ませることになりましょうが」

「母上・・・!」

ソリル二世アンゼリカは深い頬笑みを浮かべて頷いた。

「それから、どうせノヴァゼムーリャに帰りたいとか言いだすのでしょうが、とりあえずあと一月はここで私と過ごすこと。それと、一年に一度は都に戻ってくること。これが条件です。どうですか?」

「はい・・・はい」

こくこくと顎が下がる。母はその(なめ)らかな頬に指を(すべ)らせた。

「可愛いレーニエ。あなたの幸せだけがこの母の願いです。今まで辛かった分までファイザル殿に幸せにしてお貰い」

そう言ってサリア二世は微笑んだ。

「母上!」

レーニエは身を翻すと今度は母親の胸に飛び込んだ。自分に対して常に遠慮がちであった娘が、よもやこのような振る舞いをするとは思っていなかったアンゼリカは、非常に驚いていたが、やがてしっかりと腕を回す。

「・・・まさかあなたから抱きつかれるとは思ってもみませんでした。先ほどファイザル殿にそうした時も驚きましたが、ノヴァの地は本当にあなたにいろいろな事を教えてくれたようですね。ああ気持ちが良い事・・・」

すっかり母の顔に戻った女王はうっとりと愛し子をその胸に抱いた。

「・・・はい・・・あの地で私は・・・自分の心に素直になることを学びました」

レーニエは泣くまいとしたが、それは難しい事だった。母の首を抱きしめながら頬に熱いものが伝うままに任せる。

「そう・・・そのようですね。彼の地で得た縁を大切にされるがよい」

母は優しく娘の背中を撫で、指先で涙を拭ってやる。

「可愛い子。あなたもすっかり大人になられましたね」

そう言うと女王はまだ湿っている娘の白い頬に唇を寄せた。



そして娘を抱く女王の鳶色の瞳がファイザルを捉えた。その明確な意思に彼は大きく頷くと、胸に拳をあてて深々と腰を折った。そして、女王が娘の肩に両手を置いて優しく振り返らせる。ファイザルはレーニエの前で片膝をつき、その白い手を取った。



「姫。レーニエ姫・・・愛している・・・この世の何よりも。我が――我が妻になってください」

静かな、しかし強い眼差しがまっすぐにレーニエを見つめている。赤い瞳が万華鏡のようにざわめいた。



『運命など変えてみせる』



木枯らしの吹くノヴァの地で誓った言葉はこの時に繋がっていた。いや、もしかしたら二人が出会ったその日からこうなることは決まっていたのかもしれない。様々な出来事を布石として。



――愛している・・・愛している



レーニエはよろめくような思いで彼の言葉を受け止めた。



「・・・はい」

白銀の髪が揺れた。





運命は確かに変わったのだ。






◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇









求婚とは意外に淡々としているのかもしれません。





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