帰還

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「お待たせいたしました。こちらへ」

年配の侍女が重々しく告げるのを合図に、ファイザルは立ち上がった。



広大な王宮のやや北側にある瑠璃宮。

他の豪壮な建造物に比べると些か地味な感の或る、比較的小さな宮殿だが、広大な王宮内でも最も厳重な警備態勢が敷かれている場所の一つだ。ここは国王の私邸であった。

建物は塔の部分を除いて四層からなっており、構造自体は単純で、内装も簡素な(こしら)えになっているが、壁や扉は分厚く堅固である。しかし、三階以上の階では少なくとも目につくところには男性の姿はない。ここは女王の私邸たる瑠璃宮内でも極めて個人的な空間で、仕えるものはすべて女ばかりとなっている。彼女が許した、あるいは呼び出した訪問者を除いて、男はたとえ実弟のルザラン摂政でさえ無断で立ち入ることはできなかった。



「国王陛下はこちらの部屋でお待ちです」

大柄な侍女はそう言うと特徴のある扉の金具を叩く。複雑な彫刻が施された観音開きの重厚な扉が内側からゆっくり開かれた。



ファイザルがハルベリに彼が指揮したあらゆる戦闘及び、その関連事項の情報を提供する見返りに国王ソリル二世への目通りを願ってから約2週間。王都ファラミアに凱旋してからでは3日目で謁見が実現したことは異例の速さだった。

この3日間レーニエには一度も会っていない。広い王宮内のどこにいるかも分からなかった。


今、開かれてゆく扉の前に立ち、運命に対峙する。

彼はゆっくり中央へ進んだ。背後で音もなく扉が閉ざされる。



この部屋は瑠璃宮内で女王が私的な謁見に使う部屋のようだった。広間と言うほど広くもなく、応接室と言うほど狭くもない。壁の一面に窓はあったが露台はなく、中央にかなり大きな卓が置いてあるほかは家具、調度の類は無い。勿論念入りに身体検査をされ、武器の持ち込みは一切許されないが、この大きな卓は、万が一のための防波堤の役も兼ねているのだろうとファイザルは思った。



正面の背の高い椅子に国王、ソリル二世はゆったりと腰かけていた。彼女の少し後方に先程扉を開けてくれた大柄な侍女二人が控えている他は、室内に誰もいない。

ファイザルが女王に会うのはこれが初めてではない。記憶に新しいファラミア凱旋の折に公式の祝賀の儀で既に面識を得ている。しかし、それは王宮内の広大な広場での公の祝賀の席だったし、彼は居並ぶ将の一人として列席しただけだから、女王と直接口をきいていないし、勿論きける立場でもなかった。ただ恭しく頭を垂れて、元老院議長が述べる祝辞を聞いていただけである。



「お初にお目もじいたしまする。この度は私のような卑しき者にお目通りをお許しくださいまして、幾重にも感謝申し上げます。我が名はヨシュア・セス・ファイザルと申しまする」

彼はいつものように気負いも、躊躇いもない平坦な声で拝謁の口上を述べた。敢えて肩書や階級は言わなかった。ファイザルは片膝をついて臣下のとる最深礼をしながら名乗りを終え、視線はやや前方の床に落としている。



「ファイザル少将、よく参られた」



落ち着いた低い、しかしよく通る声がもたらされる。声は娘に似ていないとファイザルは思った。

「顔を上げられるがよい。こちらへ」

「は。然らばご無礼仕ります」

促されてファイザルは立ち上がり、ゆっくりと進み出た。頭はやや垂れたまま、視線だけ女王に向ける。

「お背が高くてあられるな」

「・・・」

意外な問いかけに何と答えたものか分からない。よってファイザルは恭しく腰を屈めるに(とど)めた。

女王までの距離は約三リベルと言うところだろう。



――似ておられる・・・・・・



あの方に。

彼はレーニエを思った。

いや、正しくは娘のレーニエが母親である女王に似ているのだろうが、初めて見る人物に見知った人物を当てはめてしまうのは致し方がない。

女王は40代半ばと聞く。髪や瞳こそ明るめの鳶色だが、面差しはやはり似ている。しかし、彼女にはレーニエから受ける繊細な印象は全くなかった。体格はさほどでもないのに、堂々たる威厳が感じられるのは流石は二十年以上に渡ってこの国に君臨し続けてきた王者の所以であろうか。特に厳しい表情はしていないが、整った眉間からはやや冷い印象が感じられた。もしかしたらわざとそうしているのかもしれない。



――この方がレーニエ様の母君



ファイザルがそう思った刹那、女王は表情をふと和らげた。

「この度はよう働いてくださったとか。話はフローレスから聞き及んでいる」

「恐れ入りまする」

「長引く戦は執政たる者の責任である。私に力がなかったばかりに多くの者たちに長の苦しみを味わわせた。あなたにも長くご苦労をかけたのであろう。すまぬ」



エルファラン国は王政の形をとってはいるが、政は各地方から選ばれた議員からなる元老院が最高議決機関である。議員は貴族が多いが、中には平民もいる。王家の意志は概ね摂政を通じてなされ、摂政は王族から選出される。現在の摂政はソリル二世の実弟ルザランであるが、王室の意志は出来うる限り尊重されるも必ずしも絶対ではない。国王も摂政も主たる会議には列席するし、場合によっては少人数で構成される評議員会や諮問委員会に出席する時もある。

この形態を取って既に50年以上の年月が流れているのだから、君主が戦争責任の全ての責めを負う訳ではないとは一般市民でも思うだろうが、女王はそのような言い方をした。

ソリル二世は内政において、陰気な性格で人気のなかった割りに辣腕(らつわん)であった彼女の父、先王アルフレド三世に並び、名君と評価されている。彼女の治政の間に街道は整備され、産業は盛んになった。以前は当たり前のようだった役人の汚職も激減し、あまり世間で騒がれなくなった。

ファイザルは軍人で政治に関しては素人だったが、指揮官となり、大軍を管理する地位になった時点で、ある程度は政治向きの事情にも詳しくはなる。

軍隊とは基本的には何も生み出さず、おまけに際限なく金のかかるものだから、資金の流れで大きな不正があると、即座に現場に影響する。ましてや戦場は南部だけとはいえ、紛れもなくこの国はここ数年は常時戦時下だったのだから、その辺りは上層部の組織がしっかりしていないと大変なことになるのだ。

そういう意味において女性とはいえ、この二十年余り、この人物は数々の重要な些末事(さまつじ)に心を砕いて来たのに違いない。自身も指揮官と言う立場に立っているファイザルのはその事はよくわかった。



「さぞや、中央の施政の無能を憤られていたことであろうな」

何条(なんじょう)をもって・・・そのような事は些かも」

「・・・改めて礼を言う。あなたが今度(こたび)の勝ち戦の最大の功労者である。この一年余の報告は仔細に受けていた。如何に多くの無辜(むこ)の若者が命を落としたか、あなたがどんな犠牲を払って勝利を勝ち取ったか・・・深く感謝申し上げる」

そう言って女王は立ち上がると、正式な礼をとった。それは優雅な所作ではあったが、深々と頭が下げられている。これは極めて異例の事であったのか、控えていた侍女たちが驚愕の表情も露わに腰を浮かせた。ファイザルも大いに驚き、あっと膝をつく。

「陛下、何卒そのような事は・・・」

彼にしてはめったにないほどの狼狽が声に滲み出ていた。

「私にはこうするしか感謝と陳謝の表わし方がない」

「それはあまりにもったいなきお言葉・・・私は軍人です。軍人が国の威信をかけて戦に臨むのは当然のこと。不幸にして命を落とした者もその覚悟で戦ったのでございまする」

このような場合にどのような態度を取ればよいのか、低く身を屈めたまま焦るファイザルの眼前に濃紺のドレスの裾が見えた。思わず顔を上げると、驚いた事にすぐ傍に女王が立っている。いつの間にか姿勢を正し、歩み寄って来たものらしかった。



ひたと目が合う。

「・・・!?」

これには侍女達も流石に慌てふためいた様子で女王の傍にまろび寄って来た。

「へ、陛下・・・何を!?」

「よい」

二人の侍女を視線で制し、女王はファイザルに向き直った。

「・・・・・・」

暫く誰も言葉を発しない。異様な緊張感が漂う中、女王は複雑な目つきでファイザルを見下ろしていた。



「これで貴殿の働きに対する礼は申した・・・。しかし、あなたの用事はまだ済んでおらぬな」

眼下の男をとっくりと観察した後、女王は言った。

「・・・少し話をしよう。よかろうの?」

「は」

片膝をついた姿勢のまま顔を上げ、ファイザルはまっすぐに主君を見上げた。望むところであった。

「ふ・・・なるほど。よい目をしておられる。それになかなかの好男子でもある」

「恐れ入りまする」

女王はさっと身を翻し、先ほどの椅子に戻るとゆったりと腰を下ろした。

「ファイザル殿には軍に入られてどのくらいになられる」

「そろそろ20年になろうかと存じまする」

とっくに調べはついているのだろうとは思ったが、ここは大人しく応える。

「それは長い経歴をお持ちだ。では殆ど子どもの頃からと言う事に?」

「はい。いつからどの軍の所属になったのかも定かではありませぬが、13の誕生日は前線の天幕の中で迎えた記憶がございます。そういう出鱈(でたらめ)目な出自で、後から送り込まれた士官学校も正規の年数を修めておりませぬ」

「それにしては、なかなか見識に富んだ文辞であった」

「・・・?」

「実はハルベリ殿に提出させた、ここ一年余りの戦闘に関する資料を拝見させていただいた。あれはあなたが(したた)めたものであったな」

何のことだろうかと眉を寄せた男の様子を観察しながら、女王は説明する。

「左様にございます」

ああそうかと附に落ちたものの、意外そうにファイザルは答えた。ハルベリはファイザルの資料を女王にまで渡したのだろうか、それとも女王の方から要請があったのだろうか?

「私は戦や軍に関しては素人同然だが、戦闘の経過が克明に記されていて、こう申しては良くないのかもしれぬが、なまなかな戦記を読むよりもずっと興味深かった。のみならず、物資の調達手段や人選の事まで事細かに示されていて政治的にも有益とみた。とても直ぐに全てに目を通せる量ではなかったが。ファイザル殿は文官としても充分な才をお持ちのようだ」

「過分なお言葉を」

「聞けば、あなたはウルフィオーレ市のご出身とか。此度、停戦が結ばれたのも同市である。これも何かの(えにし)というべきか」

「縁・・・私にはあまりそのような感慨はないのですが。そう言うものなのでしょうか」

「私のような者の立場からするとな。そう言う思いも湧く。だがやはりあなたは生粋の武人であられるようだ。長らく戦に関わってこられた方の言葉は流石に乾いておられる。さぞ苦労されたのであろ」

「さ、幼き折より戦が日常の野人にございますれば、そのような自覚もなく」

男の言葉は淡々と紡がれる。一切の感情を排したその様子は、いっそ清々しく女王の目に映った。

「成程」

「ですが、畏れ多くも国を統べるお立場の陛下からそのような言葉を頂けると心満たされる思いであります」

「左様か。して、報告書の末尾には今後の軍の編成や、国境警備体制の見直し、犠牲者に対する補償の事まで提言されてあったな」

「・・・ハルベリ殿にはそんな部分まで陛下に提出を」

ファイザルは眉をひそめた。確かに報告書の終りには彼が考えたエルファラン国軍の様々な改革案を書き加えていたが、それはほぼ軍事の専門的な事柄で、ハルベリの立場から元老院にでも献策すればいいぐらいに考えていた。だから、女王の口から尋ねられるとは予想外であったのである。

「私が全て渡すように言うたからな」

「左様でしたか。・・・陛下にはさぞ不遜な輩と思われたでしょうが、長く現場におりました者の愚見の一つと思っていただければ、それで」

「無産組織である軍内部で生産自給構造を確立し、又積極的に駐屯地の土木事業に貢献せよとは画期的なご意見であった。十分参考にさせて頂く。現在複製を作らせている」

「・・・」

再びファイザルは恭しく頭を下げた。どうやら女王は実地の人のようである。このあたりも誰かに似ている。

「しかしまぁ、そなたはこのような事を聞きにここまでやってきたのではなかろう」

「・・・」

「ファイザル殿?」

女王の意志を測りかねたように黙ったファイザルを見据えて女王は促した。視線が強く絡む。ファイザルにはもう分かっていた。



――ここだ。今がその時なのだ



命を捧げる覚悟の願いを打ち明けるのは。



「は―――おっしゃる通り、私は陛下にお願いの儀があって無礼も顧みず、まかり越しました」

「うん」

「私は名も無き平民出身の軍人で、このような場合にどのように振る舞えば良いのかもわからぬ田夫野人(でんぷやじん)。単刀直入に申し上げます。不躾な点は幾重にもお詫びいたしまする」

「・・・申されよ」

「陛下が私のこの度の働きにお情けを掛けてくださるのならば・・・・・・一つ無心をお願いしとうございます」

「願いの儀とな?・・・申して見よ」

女王は椅子に深く腰を掛けて言った。鳶色の瞳がじっと男を見つめている。その口元はどういう訳か面白そうであった。

「は。では申し上げまする。願わくば・・・ある―――ある娘を、私に賜りたく・・・」

錆びた声は明瞭に女王の耳に流れ込んだ。



「ほう・・・娘と申されるか・・・」

整った眉をきりりと上げて女王はファイザルを見た。それから僅かに目を細める。言われた言葉をじっくりと反芻しているかのようだ。

「はい」

「それはおそらく―――我がよく知る娘であろうな?」

「御意」

鉄色の頭が下がる。

「・・・その者を・・・どうされるおつもりか」

「もしも叶うものなれば、我が生涯の伴侶としたく」

返す言葉は迅速かつ簡潔であった。

「―――つまり、愛しておられるのか?」

「この世の何よりも」

「これは又、大層なもの言いである。それで・・・その娘を幸せにできると申されるか」

「・・・誓って」

「・・・」

ファイザルは前方を睨んだまま返答を待った。しかし、否も応も、答えはなかなか降ってこなかい。

「何卒」

ファイザルは床に額づいた。男の広い肩をじっと見つめていた女王ソリル二世、アンゼリカ・ユール・ディ・エルフィオールはふっとその鳶色の目を細めた。



――なるほどな



ハルベリからファイザルの謁見の要請を聞いた時、彼女は酷く興味をそそられ異例の速さで許可を出した。彼はかなり驚いていたが、彼女はその訳を話さなかった。

「許す。早速にその者に会うと申し伝えよ」

沈着なハルベリが仰天したことに、彼女は愉快でならぬという様に唇を上げながらそう言ったのだ。





「顔を上げられよ。そう這いつくばっておられたのでは話もできぬ」



この会見がおそらくこのような話になって行くのであろうとは想定内だったが、まさかこれほど単純な言葉で申しこまれるとは意外だった。何の修辞も儀礼もない潔い態度は却って好ましく女王の目に映る。



――ふ・・・



彼女を見上げる碧がかった青い瞳には強い意志の光に輝いており、削げた頬に鉄色の髪がかかる様子は男らしい精悍な魅力にあふれている。



――この男が娘をあれほどまで必死にさせた張本人か



女王は悪戯っぽく笑った。ファイザルは初めてこの人物が笑ったのを見たが、笑うと大層若く見える。

「・・・」

「ここではどうしても声高になる。青の間にご案内するほどに・・・立たれよ。ロクサーヌ」

そう言うとソリル二世は驚く侍女に何事か耳打ちをし、自らファイザルの前に立って歩き出した。







青の間とはその名の通り、淡い青色の壁紙が張られた落ち着いたしつらいの居間だった。ここはもう紛れもなく女王の私的な生活空間の一つであるのだろう。趣味の良い調度品などもそこここに置かれ、部屋は居心地良い雰囲気で満たされている。

ただし、それはあくまでこの部屋を使う住人に対してであって、いきなりこのようなところまで通された部外者にとってはどこに立っていいものやら分からない。だが、ここまで来て儀礼に拘るのは却って無礼に当たるだろうと判断し、ファイザルは落ち着いて中央に進み出ると、マントの裾を(さば)いて示された大きな安楽椅子に座った。

暫く二人はお互いの様子を窺うように黙したまま座っている。間もなく先程の侍女の一人が茶の支度の乗った盆を捧げて現れ、これまた黙って茶を淹れると丁寧に辞儀をして立ち去る。





「遠慮なく(くつろ)がれるがよい。ファイザル少将殿」

女王は香りのよい茶を勧めた。

「恐れ入ります」

この茶の香りには覚えがあった。あの遥かなノヴァゼムーリャの領主館で飲んだことがある。淹れてくれたのは涼やかな瞳をした少年だったか。

「・・・」

女王も一口茶を啜ると尋ねるような顔をファイザルに向けた。話せという事だろうと解釈したファイザルは改めて姿勢を正す。

レーニエがどのように休戦協定の使者を努め上げたかは、ドルトンや将軍達から聞いていた。かつて王宮の森の奥で、全てを諦めた様子で空を見上げていたあの娘が、どんなに必死になってザカリエ宰相と渡り合ったかを。

しかし、この男の重い口から話を引き出したい。

「あの娘を妻にな・・・本気で申して居られるか」

「はい。身分の隔たりを顧みれば、空恐ろしい程大それた望みだとは充分承知してはおりますが」

「娘の父親は誰かご存じか」

「伺いました」

「そうか・・・ならば、その出生に(まつ)わる良くない話も聞き及んでおられような?」

「お噂には」

ファイザルは正直に答えた。

「そうか・・・ではもしその噂が真実なればなんとされる」



女王は冷厳と言いはなった。










◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇









最終章スタートです。のっけから、大物対決です。






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