騎馬の一団が深い森を進んでいた。





この黒森に入って既に十日。この先に伐採基地があるため、かろうじて道は切り開かれており、馬が二頭、轡を並べて並走できるようにはなっているが、その左右は樹齢数百年を経た大木がひしめき合い、自然の要塞となってシュレジアの東の国境を守っている。

そして、東に近づくにつれ行き交う旅人は少なくなり、腕に覚えのある警護のものを従えた、度胸のある商人に率いられた隊商のみに限られてくる。

黒森を抜けるに、できうる限り馬を駆って進んでも後二十日。その先は武陽国の版図となる。

常人の軽く倍以上の速度でこの深い森を踏破しているはずなのに、一旦解き放たれたヴァーノンの心は先へ先へと焦るばかりだった。





さらに二週間が過ぎ、その間に二頭の馬が疲労でつぶれてしまい、ヴァーノンは悔しがる乗り手に後から付いてくるように言い残し、さらに東へ東へと突き進んだ。

若いゾーイにとっては初めての長期の国外行であるが、来る日も来る日も続く同じ森の風景に、肉体よりも精神が疲労の限界に達していた。

簡単な食事を兼ねた僅かな休息と、殆んど疲れの取れない睡眠を交替でとるときのほかは、一日の殆んどを馬上で過ごす。

その上、こんなに激しく馬を駆っているのに、周りの風景に変化がないため、まるで進んでいないように見える。シュレジア国の起伏に飛んだ美しい風景に慣れ親しんでいるものからすれば、昼でも薄暗い大木の根元をひたすら突き進む行軍はかなりの苦痛を伴った。



そのことを隣を行く年上の同輩、ザッカリーに告白すると、日頃無口な彼がぼそりと呟いた。

「・・・戦場ではこんなものではない・・・人間を切らぬだけましと思え」

そして、先頭を行くヴァーノンの方へ顎をしゃくる。ヴァーノンはこの数日、休息の指示を出す時のほかは一言も口をきいていない。それでも、彼らはヴァーノンを信じている。






数年前、ゾーイはそれまで所属していた隊から突然異動を命じられ、普段足を踏み入れたことのない王宮の一室に呼ばれた。

そこには数十人の男たちが既に集まっていて、聞けば所属の軍はばらばらで、さらに軍人でない者も、貴族でない者も混じっているようだった。

そして、そこに現れたのは畏れ多いことに宰相サザランで「お前達はこれから訓練を受け、ある目的のために働くことになる」と告げられたのであった。

その日から異様なほど厳しい訓練が始まった。

ゾーイは、少数だが腕が立ち、頭脳明晰な人材を選んで新たな騎士団が結成されるのだと考えた。それに選ばれるのは非常に名誉なことだと。しかし、そこには軍の人間だけでなく、文官も民間人もいた。身分や年齢は意に介されなかった。そして、それらの人材を選別し、訓練を重ね、統率しているのがヴァーノンであった。

その訓練内容は武術は言うに及ばず、各国の歴史や習慣、国の制度に至るまで多岐にわたった。当然数人の脱落者が現れ、訓練を受けたことすら口外せぬと誓わされ、元の部署に返されたのだった。





そして1年の後、50人の騎士が選ばれ、改めてその使命が言い渡された。







どんな旅にも終わりはある。

黒々とした巨木の向こう、次第に木々の向こうに峨峨たる山の嶺が見えてくる。武陽国の属国、八関国の一つ、月関国へ近づいた証だった。

月関国はその殆んどを山に囲まれ、囲まれていないところは黒森につながる鉄壁の守りを誇っている。八つの関国の中でも武陽の属国になったのは比較的新しいはずだった。それでもざっと200年は経っているが。

とはいえ、そんなに大きな国ではない。国に入りさえすれば、首府、月府(げつふ)まですぐに辿り付ける。問題はどのようにして潜入するかだが、そこも抜かりなく、商人の通行手形を用意しているし、後は身なりを整え、一目で軍馬とわかる馬をどこかに預けるだけでよかった。





「ヴァーノン様!?」

突然手綱を引く先頭を行く騎馬に、次に続いていたゾーイが行き過ぎつつも自らも巧みに手綱をさばいて馬を止める。後の3人も従った。

「・・・?なにかございましたか?」

「前方から人が来る・・・少人数の隊のようだ・・・」

暗い森に続く道の奥を気がかりそうに見つめながら、ヴァーノンは呟いた。

「は?・・・人が・・・?」

ゾーイや、ザッカリーががいくら目を凝らしても、昼なお暗い森の道にそんな影は微かにも見えない。ましてや物音など耳を痛いほど澄ましても感じられなかった。

「三人・・・四人・・・・・・七人か?・・・それと荷馬車・・・商人か?」

少し首を傾げただけで、まるで目に映っているかのようにヴァーノンは判じた。

「身を隠す。静かに移動せよ」

「は!」

彼等は速やかに道を逸れ、大木が林立する中へ馬を乗り入れていった。少ない陽光と、太いナバール杉の幹のおかげで少し分け入れば、街道からはやすやすと身を隠す事ができる。

果たしてヴァーノンが言ったとおり、しばらくしてから、七人の騎馬の一行と、荷馬車がごろごろと通り過ぎていった。騎馬のほうは武装している様子で、どうやら警備のものと商人風の男が一人。これも一応武装している、と見える。荷馬車を引いている男は商人と似ているところから息子と見て間違いないだろう。積んでいるのは商売道具と思われた。

「怪しい者達ではないようですね?」

一行をやり過ごしてから、ゾーイは尚も彼等の去った方角を見つめているヴァーノンに声をかけた。

「・・・そろそろか」

「はい?」

「この先はますます人里に近づく。このあたりで我等も武装を解いた方がいい。」

「は・・・それはいいですが、馬はどうします?軍馬は目立つでしょうし、まさか置いてゆく訳にもまいりませんし・・・」

慎重なザッカリーが皆の危惧を感じ取って尋ねた。

「ん・・・これからは街道を逸れ、森の中を行軍する。森を抜けた時点で三人残す。馬も全て」

特にこともなげな無造作ないらえ。

「し、しかし、それでは残りは二人となってしまいます。」

「よい。月府へは私とゾーイ、二人だけで潜入する。」

「そっ、それはあまりに危険では・・・!」

この隊の中では一番年長で落ち着いているザッカリーが驚愕して叫んだ。

「王女殿下以上に危険なことなどない。」

「・・・・・・・・・」

静かなる断定に4人の騎士達は、気を飲まれたように暫し押し黙った。

「後、四日もすれば、月関国、最初の宿に着くだろう。ザッカリーとツァリス、そしてマイヨールは、後から来るものと合流し、構えて怪しまれぬよう、そのあたりの村落や、大鷲伝説のあった地方を洗え。何か情報を得たら、七日後、月府街道の最終の辻にゾーイを遣るので報告を。その場所が我等の落ち合う地点だ。よいか」

「は!」





ここで、シュレジアを出国した七人は馬を乗りつぶした二人を入れて、五人と二人の二手に別れ、それぞれ王女救出のため、隠密行動を取ることとなった。

一行は、商人の姿に身をやつし、武器類は上手に荷にくるみこんだ。商人として怪しまれないように扱う品物も用意してある。そこは貿易が盛んなシュレジアだけあって、こちらでは珍しいものもいくらでも用意できる。

あまり高価なものだと警備の人数が少ないことを怪しまれるので、念を入れて選び、かさばらず、それほど高価でもない品で収益性の高い、穀物の種を準備していた。高地の多い月関国では、狭い畑で多くを収穫できる穀物が重宝されると言うわけだ。

やっとのことで黒森を抜け、最初にたどり着いた宿場で馬を預け、武器も最小限に留め、小型の馬を二頭買うとヴァーノン達はいよいよ、月関国首府、月府を目指した。





月府の関はゾーイの得た感触では格別に厳しいこともなく、さりとておざなりでもなく、外国人と見えるものには通常より細かい検閲があった。武陽国は雑多な人種が混じった大国だが、月関国は概ね黒髪黒瞳、やや浅黒い肌の人種が多く、それはつまり、ヴァーノンとゾーイの風貌と同じだった。ゾーイは若い自分が何故この役目に選ばれたのか、やっと腑に落ちたのだった。

彼等が用意した通行手形は完璧なもので、荷物を全部ひっくり返えさせられたほかは一通りの調べで済んだ。もともとこの高地の国を行き来する者はさほど多くなく、商人はありがたい存在だったのかもしれない。





「・・・比較的うまくいったと言っていいのでしょうか?」

「ここまではな」

関所をやり過ごし、いよいよ月府に入った二人はやっと多くなった人通りの中を歩いていた。

物珍しいゾーイは目立たないように注意しながらも、瞳は忙しくあちこちを彷徨っている。

町には大きな建物は少なく、シュレジアの首都レジールに比べれば、地方の田舎町と言ってもいいくらいだった。町の印象は悪くはなく、大陸の西から来たものにとっては風変わりに見える意匠で飾られた家々の壁は美しく、全体に清潔だった。

そして、街の北側、広い高台に風変わりな尖塔の多い大きな建物が見える。きっとそれが、この地を治める国主と呼ばれる王、ナユヤ・カンの居城だろう。もし、エディールがその国主に拉致されたのだとしたら、あの美しくそびえる城のどこかにいる可能性が高い。

そう考えると、ゾーイは身が引き締まり、住民一人一人が敵に見えてくる。

しかし、ゾーイの緊張を他所に、主要な通りを歩いていて一見見る限りでは住人はおとなしそうで、礼儀正しく、人々は忙しく働いて日々のたつきを得たり、子どもを叱ったりしている。それは、ごく普通の街の情景だった。

「どちらで宿を取られますか」

「・・・」

付いて来い、と目で合図され、二人は表通りから外れ、細いが小綺麗に石畳を敷き詰めた小路に入っていった。



「ヴァーノンさまはこの国に来られた事があるのですか?」

まるで、街の地図が頭に入っているかのように、迷いなく進み続けるヴァーノンを見てゾーイが聞いた。

「・・・かつて、一度。短い間だったが・・・」

「それは・・・何故?・・・あ・・・申し訳ありません」

密やかな視線をあてられてゾーイは口ごもった。ヴァーノンの出目を知る者は王と宰相に限られていると言うのは、ゾーイの周辺ではよく知られた事実で、彼もヴァーノンについては極僅かなことしか知らない。

ただ、ゾーイの知る限り、彼はもっとも優れた手だれで、その剣技は並外れていた。もっとも、本人はあまり大剣は下げず、細く薄い小型の剣を目立たぬように帯びているだけだったが。

又、彼は剣だけでなく、体術にもすぐれ、特に跳躍は前に一度見て、どれだけ修練を積めば、このように跳べるのだろうと、自分より年上であるはずのヴァーノンに恐れさえ覚えた。

また、組織を動かす能力にも長けていて、かつてこの国にはなかった諜報活動を行う組織を創りあげたのも彼だったし、なにより何処で知ったか、ただの平騎士団員だったゾーイを目をつけて拾い上げ、直属の部下―――つまり宰相が直接管理するこの新たな騎士団の一員にしてくれたのも彼だったのである。

これは極秘の部署だったからゾーイも表向きはヴァーノンと同じく、宰相執務室の下っ端役人ということになっている。騎士団には名前すらない。また一応役人にも属しているから、そちらの公務も努めなくてはならない。しかし、かなり忙しい身になったと思う自分でさえ、ヴァーノンが休みを取ったり、休息している所は見た事がなかった。



―いったい、どういう人なのだろう・・・?



彼の心中を知る由もなく、その広い背を見せ、ヴァーノンは曲がりくねった路地を迷いもせずに進んでゆく。




やがて、ヴァーノンは足を止め、宿屋ともいえないような小さなしもた屋に案内も請わずに入っていった。その家もこの近辺のほかの家と同じく、小さくはあったが、きちんとしており、これと言って変わったところは感じられなかった。ただ、道に面して窓がなく、入り口も人一人がやっと屈んで通れるぐらい小さかった。

「・・・ここは・・・?」

うす暗い室内を見渡してゾーイが尋ねる。そこは玄関をかねた土間で、奥の隅には水まわりや火をおこす設備がある。どうやら台所のようだった。そして、奥の部屋へと続くらしいドアのない入り口がひっそりと見えた。





「・・・お久しぶりでございます。ヴァーノン殿。・・・よう参られた・・・こう、申してよろしいかな・・・?」

はっとゾーイが振り向くと、今彼等が入ってきた入り口から背の低い老人が籠を片手に立っている。逆光で顔はよく見えないが、相当高齢のようだ。とっくに気配を察していたらしいヴァーノンが驚きもせず、わずかに頭を下げる。

「おひさしゅうございます。・・・クリル・タイン殿・・・再びまかりこした無礼をどうかお許しください。」







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やっと、やーーーっとエディールの手掛かりを得られるかもしれない謎の国に到着。さて、月関国とはどのようなところなのか?そして、そこに待ち受けるものとは?








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