花耀宮、東の城壁
月も星も見えず、昏い雲は相変わらず低く、早い。一日のうちで今時分からが一番気温の低いときであろう。
「ここにいたか・・・」
背後の夜空と見分けの付かぬ、城壁の縁に佇む影に話しかける者があった。
「これは・・・ギュスタフ王太子様・・・であられましたか」
ヴァーノンは声で、先ほどからの気配の主が誰か認め、急いで膝をついた。
「今戻った。仔細もじぃから聞いた。父上からもな」
王太子ギュスタフはこの一月、収穫の少なかった北の街に支援物資を運搬するために出向し、耕作地の様子を検分したり、民の訴えを聞いたりしていたのだ。エディール拉致の知らせを受けて直ちに城に戻った所なのだろう。
「こっちも寒いな・・・北の街ほどではないが・・・風が強すぎる」
マントをきつく身に巻きつけ、ギュスタフは口の端で笑って見せた。
「・・・申し訳ありませぬ。私が付いていながら・・・」
「エディールなぁ・・・こともあろうにリューンからとはな・・・、お前もやりにくかろう。しかも、なんだ?大鷲とかが空から攫っていったと?・・・神話の時代でもあるまいに、誰がそんなこと想像できるか」
城壁のところどころに点された松明の元に、王太子の若々しい顔がしかめられるのが見えた。
彼はエディールより5歳年上の兄だが、妹と似たところは殆んどなかった。父王と同じ、茶色の髪に瞳、大柄な体。意思の強そうな口元が唯一の共通点といってよかった。とくに妻帯し、生まれたばかりの幼子もいるが、本人は城にいることは殆んどなく、常に地方の巡察に出かけている事が多い。
「いえ・・・鷲は神話ではなく、おそらく此度のような目的を遂げる手段として密かに計画された兵器かと・・・」
「・・・おそらくな。そうなれば、これは単にその辺の傭兵崩れだとか、盗賊団などにできることではない。れっきとした国家か、それに匹敵する大きな組織の仕業と言うことだ。・・・噂では武陽国とか月関国とか、あるいは・・・?」
「証拠はありませぬ。」
ヴァーノンはギュスタフの物問いたげな視線から視界を外した。
「だが、我等は殆んど彼の国々のことを知らん。・・・一応は友好国だが・・・なんだか得体が知れん。どちらかと言うと民間レベルでの交流の方が盛んだしな・・・」
「・・・・・・」
ギュスタフから見ても表情の読めない横顔からは何も応えが返ってこない。
王太子である彼から見ても、ヴァーノンには未だ謎な部分があることは否めない。父王も宰相も彼がまだ知らないヴァーノンの事情を知っているらしいが、彼には話してもらっていない。それは不満だが、だからといってあの食えないオヤジ二人の信頼を得ているヴァーノンを胡散臭いとは思わない。
ヴァーノンがこなす仕事の量は尋常なものではなく、それまでシュレジア国になかった諜報網を数年で作り上げ、国内外の情報を熟知し、エディールの守役まで引き受けている。
彼がギュスタフの前に現れたのは、ギュスタフがまだ成人する前のこと。妹のエディールがどこかで拾ってきたらしいのは知っているが、最初の一年ぐらいは殆んど誰にも姿を見せず、どこかに篭っていたらしい。あるいは、篭らされたか。そしていつの間にかエディールの守人となっていた。
「こんな時になんだが、少し手合わせを頼めぬか・・・?」
ギュスタフはマントを片方の肩に掛けた。腰に帯びた長剣が鈍く光った。
「・・・・・・」
「最近忙しくて、稽古もできぬでな。・・・いいか?」
言うが早いか、すらりと長剣を抜き放ち、片足を引いて構えた。ヴァーノンも無言で腰の剣を抜く。
「・・・ふふ・・・相変わらずぶらりと構えているようで微塵も隙がない。さて・・・体が凍えぬうちに行くぞ!」
鮮やかな突きがヴァーノンを襲う。が、既にヴァーノンの姿はそこになかった。
「上だ!」すかさず飛び退り、ギュスタフは構えを取り直す。瞬間、矢のような一撃、肩!
キィン
冬の夜の空気より鋭い剣戟の音。
何とかかわす。が、すかさず第二撃、反対側の腰に。
―早い!
これもすんでのところで受けるが、攻撃する隙はまったくない。
なんと言う剣技の冴え。
ギュスタフとて、並みの腕ではないと自負しているが、これではまったく相手にならない。五合まで打ち合って、降参の証に左腕を上げた。
「いや・・・相変わらず凄いな・・・手が痺れる・・・」
先ほどまで寒さに凍えていたというのに今ではギュスタフは肩で息をし、額に汗をかいていた。
「お前・・・あんまり手加減しなかったろ・・・俺は鬱憤晴らしか・・・?」
「・・・・・・・・・いえ、ギュス様が強くなられたのです」
ヴァーノンは面白くもないように言った。
「・・・・・・何時(いつ)発つ?」
「明朝」
ヴァーノンの答えは短い。本当なら今すぐ探索に出たい心情なのだろう。そうと察してギュスタフは頷いた。
「できるなら俺も行きたいところだがな・・・手のものはどれほどだ?」
「少人数の方が機動性がありますので、ざっと7人」
「そうか・・・気をつけろよ」
「お言葉いたみいります」
「エディールを頼む。・・・アイツはお前の言うことならなんとか聞くそうだし。この国にアイツを御せられるのはお前だけだ」
「・・・恐れ入ります」
ヴァーノンは少し頭を下げた。
「明日は早いのだろう。俺ももう、引き上げる。仕事が溜まっているしな・・・手合わせありがとうな。又やろう」
「いつでも」
「じゃ・・・な・・・お前も早く休め」
「は・・・お休みなさいませ」
「お休み・・・うう〜寒・・・」
ギュスタフはマントを巻き直して城壁の中に戻っていき、後には夜と、夜にふさわしい男のみが残された。
藍花宮、王の居間。
「失礼致します、陛下」
「おお、サザランか」
「小姓に聞きましたところ、まだお休みになられていないとの事でしたので・・・ご心痛のところ、夜分に申し訳ございませぬ。その・・・特に目新しい情報とてももう無いのでございますが・・・」
ナリマセル王は寝室に続く居間でディヴァンに寄りかかり、寝酒を受け取ったところだった。既に部屋着に着替え、後は休むだけといったところか。
「かまわんよ。私もなんだかまだ気持ちが昂ぶって眠れぬのでな、こうして酒を貰ったところだ。私もそなたと話がしたいと思っていた」
「妃殿下は?」
「シェリルなら、先ほど医師に薬をもろうて、今しがた寝入ったところだ」
「さようでございますか・・・王太子殿下には会われましたか」
「ああ、ついさっき顔を出しよった。事件のことはあらまし聞いておったようだ」
「それは私から・・・」
「そうか」
王は杯を傾け温かい酒を少し口に含んだ。
「エディールのこと・・・すまぬ、今回のことはそもそもあれの我儘からでたことなのだからな」
「いえ、王女殿下が巫祝の道を選ばれ、御修養に努められますることはそれが運命であったのでございましょう」
「それにしても、今の御時世に巫祝とは・・・彼の存在は伝説で、もう忘れ去られたものと思うていたが・・・我が家系を恨みたくもなる。」
「私も最初はそうも思いましたが・・・しかし国どうしの大きな大きな争いごとこそ、この何十年はありませぬが、そのかわりに貧富の差が増大したり、今まではなかった病が流行したりと、大陸中を行き来する交易がもたらした思わぬ副産物によって別な苦しみを味わっている者もあると聞きます。」
「巫女姫の存在は意味があると?」
「はい。・・・ですがエディール様は私にとっても孫娘のようなお方・・・心の内が苦しゅうてなりませぬ。いっそ、この老骨が捜索に出たいような心持で・・・」
老宰相はこの二日間で一層眉間の皺が深くなり、眼窩は掘り下がったようになっていた。王も疲れて顔色が悪かったが、それでもサザランよりは元気そうに見えるくらいに。
「それはわしとて同じぞ、サザラン。だが・・・マールが言っておったではないか。少なくともエディールは恐れてはいなかったのだ。あれは子どもの頃から不思議な娘だ・・・いつも予感を感じ、無鉄砲なようで、ちゃんと考えて動いておる。あれが泣いたり、怯えたりしたところを見た事がない。きっと無事でおる・・・そんな気がする・・・」
「さようでございますが・・・」
「もし、エディールに何事かがあれば・・・この私とてなまくらながら、巫祝の血を引く王族なのだ、何か伝わるものがあると信じておる。何かきっと感じられるはずだ。」
ナリマセル王は微かに笑った。
「・・・・・・」
「それに・・・あれを遣わすのだ・・・きっと無事に連れ帰る」
「ヴァーノン・・・」
「今思えばあの時エディールの懇願を聞き入れ、そなたの慧眼を信じ、あれを城に残したは正しい選択だった」
「・・・・・・恐れ入ります」
「・・・あれは今どうしておる」
「さ、あやつの事ですから、きっと入念な計画を立てることに専心しておるのではないかと」
「あれにとっては久方ぶりに武陽国勢力版図への侵入となるな。いや・・・帰還・・・か?」
「そうでございますが、やつに限って間違いはあるまいかと」
「誰もあやつの心底の心配はしとらん・・・ただ、相手とて馬鹿ではあるまいからな、見つかればただでは済むまい」
「・・・御意」
「奴等は暗殺、殺戮のために作られた機械のようなものだ・・・とあれは言っておった・・・命に背けば死」
「陛下はほんとうに此度のことに武陽国が絡んでいるとお思いですか?」
「それだがな、サザラン」
「は」
「もし武陽が本気でわが国に介入しようとしているならば、もう少しやり方がありそうに思うんだがな・・・手段が明朗すぎる」
「明朗ですか・・・」
面白いものの言い方だ、とサザランは思った。なるほど、さすがはあの自由闊達な心の持ち主の父親だ。
「そうは思わんか?ヴァーノンが言うのが本当ならば、冥関国などという謎の組織?結社なのか・・・を使って、いくらでも密かに物事を運べるような気がする。しかも、標的がエディール。あの馬鹿娘には悪いが、武陽国が狙うとしても価値がまだ小さすぎる。・・・それにそのような危機を感じていたのなら、エディールがもう少し用心すると思うのは親の欲目かな」
「む・・・」
それは確かにこの老宰相も感じてはいたことなので納得はできるが、あまりにあからさまに賛成するのも憚られるような、王の忌憚の無さ過ぎる意見であった。
「そうであろう?しかも」
「白昼堂々の大鷲を使っての大騒ぎ、ですからな。・・・しかし、どちらにしたところで殆んど確証もなく、何もわからぬと言うのが現状で」
「そうだ、だからあやつが参るのだ」
「ヴァーノンの腕を信ずるしかないと言うことですな」
「あれも苦労するのう・・・馬鹿娘のお守りをそなたに命ぜられて・・・」
「私奴などは、とてもそんなに楽天的に構えておられませんが・・・」
「いや・・・すまぬ。そなたと話しているうちに大分心持が定まってきたようだわ。心配するのを忘れておった。私は娘をかどわかされて悲嘆にくれておったのだった」
この父は・・・・・・大体この王家はこのような人物ばかりで構成されているのだ、と昔からこの家に仕えてきたサザランは密かに溜息した。
「よい。お前も疲れたであろう、明日は早い。お互い休んで英気を養おうぞ」
「は・・・」
「話ができてよかった。流石に頼りになる。礼を言う」
「・・・恐れ入りまする・・・お休みなされませ」
サザランは一礼して王の居間を去る。近習が大きな扉を静かに閉ざした。
王は空になった杯を脇机に置いて立ち上がった。厚い硝子越しに暗い空を見上げる。
―エディール・・・きっと無事でいるのだぞ・・・
上空では風が一段と強くなったようだ。
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王太子ギュス君やっと登場。(前に名前だけ出たことあり)。おじさんばっかり(え?)で申し訳ありませぬ。暫しご辛抱を。
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