リューン神殿の最上段の祭壇より王女、エディールが大鷲に攫われて三日が経っていた。彼女の行方は遥として知れていない。



鷲が現れたのは樹海がプツリと断ち切られ、切り立った崖を形成して谷に下っている、リューンの山の中でも絶対に侵入できないと思われる方位だった。

あのような巨大な鷲が存在するとは大陸西側の人間には思いもよらず、あわてて城中、そしてできうる限り集められた国中の学者、識者達が王立図書館、各施設に保管されている文書を調べるよう命じられた。





一夜にして、ヴァーノンの憔悴は見るも無残であった。

彼はリューン神殿で知らせを聞くやいなや、探索に向かったが、いかなヴァーノンといえども、空を飛んで消えた鷲を何の手がかりもなく探し出すのはさすがに不可能だったと見えて、日が暮れてからひっそりと城に戻ってきた。その時には既に手配されていた自分が訓練した部下達を城下だけでなく、もっと遠くに走らせ、嵐のように情報収集に当たらせた。そして、集まった情報を分析し、どこかに微かな手がかりはないものかと、一見無関係に見えるあらゆる報告に目を通していた。

彼が誰よりも忠実に献身的にその主に仕えていたことは、エディールの周りの人間なら皆知っていたから、心の内はどのようなものかは容易に察せられた。しかし、彼は普段の通り必要なことしか話さなかったし、その静かな物腰が崩れることもなかった。いつもの職場である、宰相付属の執務室の奥の小部屋に詰めている。



「エディール様が攫われる直前まで、そのような大鷲を見たという報告はない、というのは確かか?」

こう問うたのは、サザラン公。彼もこの三日で一気に老い込んだかのように見えた。彼は殆んど唯一の手がかりである、大鷲の情報のみを国中に流し、エディールが攫われたことは、今のところ外部には極力知られぬように画策したのである。

「確かです」

重々しく答えたのはヴァーノンが姫の護衛に選んだ騎士の一人、ゾーイである。

彼はまだ若いが、腕が立ち、責任感が強く中身の濃い仕事をするので、ヴァーノンの執務室内や、城外に出るときの補佐役のような形になってしまっている、首都レジール出身の軍人だった。

「しかし、ネイナやリューン司祭の話を聞くと、人が軽々乗れるような大きさだったと聞くぞ。そのような巨大なものが人目に触れずに飛び回ると言うのはいささか信じられぬな」

「は。しかしつい先ほどリューンの山に程近い、東のアルエの森の中に白い大きな羽が落ちているのを付近の猟師が発見したとの報告が。」

「何?それはまことか!?」

「おそらく、その鷲・・・は、よほど高く飛ぶ事ができるものと思われます。又、体全体が白っぽく、高く飛ぶと雲に紛れてしまいます。わが国の真冬に続く低い曇天を利用し、侵入したのではないかと。」

「む・・・」

「直ぐにその羽を運べと命じてあります。間もなく届くでしょう・・・が、鷲の行方はわかりませぬ。東の方向へ消えたとしか。」

「・・・陛下、妃殿下のご様子は・・・?」

「両陛下とも御気丈にこの難儀に耐えておられます。・・・妃殿下はお食事はされてはおられませんが。」国王夫妻付きの侍従が報告した。

「大鷲の消えた方角付近の町や村には既に多くの使者を走らせ、どんな手がかりでもよいから報告するように手はずはつけてあります。・・・が、今のところ・・・」ゾーイは口ごもった。

「そうか・・・」老宰相は肩を落とした。

「・・・これは・・・口にしたくもないが・・・姫に近い者の誰かが此度のことを手引きしたとか・・・そういう可能性は感じられぬか?」

サザランは振り返り、初めてヴァーノンに声をかけた。彼は厚いカーテンの襞の影で一番近くの窓を見上げていたが、サザランの問いかけに、視線をようやく人々に向けた。

「・・・我が姫が、巫祝に立つ御決意をされ、いつかはリューン神殿に赴かれる事がわかってから、私はこの件で姫に関係するであろう人物の素性を全て洗い出しました。お召し物の準備係、警備の騎士、神殿の司祭、用人に至るまですべて。その点に抜かりがあったとは思いたくはないですが、確かに万分の一の可能性がないとは言い切れませぬ。」

ヴァーノンの答えは冷静そのものである。

「・・・よい。お前が調べたというのなら、その点に落ち度はなかったのだ。・・・姫はお前の言うことならおとなしく聞いていたというではないか」

このような際ではあるが、サザラン公は唇の端で笑った。

「は・・・、いえ、姫はいつも自由人で在らせられました。いつも天の下、駆けまわられる事を夢見ておられた」

ヴァーノンは再び、よくエディールがしていたように窓の外を見上げた。空は相変わらず重苦しく雲が垂れ込めている。

「奇しくもその願いが叶ってしまったと言うことか。いや・・・これは失言。しかし、どのような目的であるにせよ、姫を例えば亡き者にしてしまっては、その者、あるいは機関に対して利益があるようには思えぬのだが・・・今のところ身代金、その他の要求は来ておらんな?」

「は、今のところそのような報告は何も」と、ゾーイ。

「これが・・・単に個人や一組織ではなく、国家が絡んでいると言う可能性はないか」

宰相は別の事務官に尋ねた。

「はい。現在大陸西側の国々には目立った争いは起きてはおりませぬ。それぞれお国事情は抱えておりまして、例えばナッシュバールの議会の裏での利権をめぐるいつもの派閥争いとか、サントリノで偶蹄目だけに感染する奇妙な伝染病が発生し、家畜が大量死したとか・・・」

「家畜の大量死・・・まさか、エディール様の能力を当て込んで・・・」

「まさか、一応友好国でそこまではしないと思いますが、どんな裏の組織や、不逞の奴ばらがいるかもしれませんので、そこは一応手を打ってあります」

「東・・・」

部屋の隅のくらがりでヴァーノンがひそ、と呟く。

「何か?」

聞きとがめて、サザランが鋭く言った。

「いえ、鷲は東を向いて飛び去ったと・・・アルエの森のさらに東には・・・」

机に広げられた大きな地図の上でゾーイが指先を滑らせた。

「なだらかな丘陵地帯に幾つかの町や村、そして大河ラールを遡ればやがて・・・」

「黒森」

ヴァーノンの低い応えに、人々ははっと目を見合わせた。

黒森。それはシュレジアの東の国境を守る深く広大な森林地帯である。勿論街道が切り開かれている部分もあり、幾つかの集落もあるが、それは主に森林警備隊や、木材産業の基地としてである。そして何日もかけて黒森を抜ければ、大陸東側の国々の領土に程近くなるのであった。

「まさか・・・まさか・・・ヴァーノン・・・」

「どんな可能性も捨て切れませぬ。大鷲がこちらの世界のものでないとすれば、西側より遙かに広い大陸東側の国々のこと。存在しないとは言い切れませぬ。」

勿論、東側の国々との国交が無いではない。しかし大国、武陽の強大な影響下の元、どちらかと言えばその関係は経済や文化の交易、交流と言うより、公式な使節の往来や、何年かに一度の大きな式典への参例など、儀礼に傾いた堅苦しいもので、国家間としては疎遠であり、内情を知らないことのほうが多かったのも事実であった。

「・・・ヴァーノン、何か心当たりでも・・・?もしや、お前の・・・」

サザランの疑念には理由があり、語尾が曖昧に濁る。しかし、ヴァーノンは微かに首を振った。

「いえ・・・それはわかりません。・・・ただの可能性として申し上げているのです。調べなければ。人数をお割きください」

「わかった、好きなだけ使うがよい・・・しかし・・・今のところは・・・」サザランは肩を落とした。

「これ以上の何らかの情報がもたらされるまで・・・・・・この状況が変わるまで待つしかないのか・・・」

「・・・・・・・」

「つらいな・・・」

サザランは痛々しい気持ちでその懐刀に呟いた。

「・・・・・・閣下、申し訳ございませんが、少し失礼を致しまして、私は今一度リューンに赴きたいと存じます」

今までいた部屋の隅からサザランの方へと歩を移し、ヴァーノンは静かに言った。

「おお、なるほど。もしかすると、お前の目で見れば何かわかるやも知れん。此度は神域のクソの言ってられないからな、充分に見聞するがよい。行って参れ」

「は。薄暮には戻りまする。何かあれば早馬を」

一礼し、ヴァーノンはマントを身に付け、大股で部屋を出て行った。

「頼むぞ・・・・・・」







彼は単騎出立した。

薄暗い執務室では何とかごまかせるものの、曇天とはいえ、昼間の光の中では目元が黒ずみ、唇に色がないのが歴然となる。

昨日、取り乱したネイナが転がるように前室へ駆け込み、急を告げた時、彼は一瞬で身を翻し、鷲の去った方角へと嵐のように馬を駆った。確かに数分間はエディールの気配があったが直ぐに消えた。もう追いつけない、そうとわかってからも数刻追い続けた。さすがの黒竜号が泡を吹き、悲しげに嘶くのを聞いて初めて我に返ったのだった。

夕刻、城に戻り、その頃には別で知らせが届き、騒然となっていた城中でサザラン公の名の下に様々な命令、指示を下し、次々に送られてくる報告に耳を傾け、今までなんとか平静を保って見せたが、もう限界だった。

今更リューンに行ったとしても何も見るものは残ってはいないであろう。しかし、エディールが最後に過ごした場所である。そして、ヴァーノンはそこに一度も入った事がないのであった。行ってみたい。是が非でも。



サザラン公が言ったとおり、エディールを亡き者にしても拉致者が蒙る利益は今のところ少ない。生かして、身代金を取るか、それとも未だ不確かな巫祝の能力を利用するか・・・

しかし、エディールの持つ癒術は使いようによっては諸刃の剣になりかねない。

かつて、ヴァーノンが彼女に拾われ、命を与えられた時、まだ幼かったエディールは、自身が命の危険に晒されたのだった。いくらあれから成長し、修養を積んだとはいえ、エディールはまだ若く、華奢だ。能力のみを強要され続けたとしたら・・・・・・いや、それよりもあの無垢な美しさを無視できる人間がいるだろうか?もしも・・・・・・





「――――――――っ!」





ヴァーノンは馬を駆りながら声にならない叫び声を上げた。あの日以来封じ込めていた恐ろしい想像が、今は関を切ったように脳内に流れ出す。



どこだ!?どこにいる?エディラ―――



我が血、我が肉、我が命の乙女



あの金の髪の一筋でも損なわれていたら・・・・・・





一陣の黒い風のようにリューン神殿の門を潜ると、ヴァーノンは黒竜号をそのままに、風をまいて神殿内に入った。疾走は片時も止まらない。神殿内の人間がたとえ止めたとしても、止めようもなかったに違いない。

およそ不可能とされる、断崖内の迷路を灯りも持たず、正確に駆け上った。道は一度マールに聞いている。彼には間違いようもなかった。

樹海をぬけ、祭壇のある草地に出たとき、雲の向こうの太陽が薄い影を作り、午後の中ほどである事がわかった。

この場所に来るのは初めてだったが、エディールは月に一度、この場所で瞑想の修行をしていたのだった。

ところどころに彼女の好きなエダムの木が立っている。きっとエディールはこれらの木の下にくつろいで座ったことだろう。ヴァーノンは一番形のいい木の下で膝を突いた。そこにエディールがいるかのように頭を下げ、滑らかな幹に顔を近づける。エダム樹に彼女の行方を問うかのように―――

ここでの風は静かだった。

ただ上空で空気の鳴る音が聞こえるだけで・・・

エディールも目を閉じてこの音を聞いただろうか。今日もあの日と同じような空の色、風の音だ。







「お前も来ていたか・・・・・・」

しばらくたってエダムの樹に額づいたまま、ヴァーノンは静かに声をかけた。

「・・・・・・・・・」

コソリと音がして、背後の樹海の影から女騎士の装束に身を包んだネイナが現れた。






「二日前、エディール様が瞑想された所はあちらでございました・・・」







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苦悩するヴァーノン。彼には申し訳ないですが、とてもよく似合います。(鬼)







   
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