宰相執務室。

近隣の国々に名宰相と名高い、サザラン公爵は外交関係の官僚を集め、最新の国際情勢の分析に余念がなかった。すでにその半ば以上が過ぎ、長い会議は終わりに近づこうとしていた。

「わが国を含め大陸西側の国々は、ここ数年大きな天災も戦も無く、比較的安定している状況が続いておりますが・・・」





大陸西側と一括りにされる国々には大国は無く、七つの王国、三つの公国、そして主たる街道沿いの要所で発展した幾つかの都市国家で構成されていた。それぞれの国境周辺は大きく自由国境地帯が取られており、無用の国境紛争を避けるように構成されている。かつて幾度かの大戦を経験した西大陸の人々が、長い間をかけて創りあげてきた知恵と言える。

大陸西側は概ね、人の子の住む土地として、世界の中でも最も穏やかな気候の地域の一つとして知られるが、シュレジアはその中でやや北方に位置し、さらに北に姻戚関係のあるセイシリア王国、大河ラールを下って西に海運国で商人ギルドの国、ナッシュヴァール、南に豊かな農業国、サンレモンとサントリノ、そして、東は広大な森林地帯に囲まれていた。黒森と呼ばれる深い森のさらに東には、大陸東側の超大国、武陽(ぶよう)。その周りを囲むように、関国(せきこく)と呼ばれる、八つの国々が控えていた。





「ナッシュヴァールの干拓工事は順調に行っておるのか?」

シュレジア国特産のナバール杉の大木の木口を磨き上げてそのまま使った大テーブルを囲んでの定例の会議は、ここ十数年続く平和のおかげでそれほど緊張感は見られなかった。

「はい、この何年来、全てのギルドを挙げての大工事でありましたが、一番の難関である、海面に打った杭に砂礫を入れる工事は既に完了し、建物を建造するに足る土台堅めに入っている様子でございます。」

「ふむ、これで港はさらに拡張するな。我が国の出島も増やさねばならんかも知れぬな。」

「は、海運はますますこれから栄えることでございましょう。船の建造も盛んになってきているようですし・・・」

「む。ギルド長のじじぃ達の、高笑いが聞こえるようだわ。・・・各国の軍艦の建造状況には、これからも目を配れよ。」

サザランは自分のじじぃを棚に上げて、したり顔をつくった。

「は。」

「次は書簡か・・・今日は数が少ないの」

「・・・こちらはセイシリア国、アルシュ第二王子殿下からエディールさまに寄こされたお手紙です。同時にダナン国王陛下、モリィ妃殿下から我が陛下にも。」

「内容は?・・・なんとなく予想はつくが・・・」

「御意。アルシュ殿下との婚約の根回しで。」

「・・・しかし、エディールさまは既にご自分の進む道を決められたようだからなあ・・・」

「セイシリア両陛下もそれはわかっておいでで。ただ・・・あまりにもご良縁でございますので諦めきれぬご様子。」

「それは、まことにその通りなのだが・・・あの方はなぁ・・・」

「・・・・・・・」

一同、しばらく天衣無縫な彼等の王女に思いを馳せ、しばらく無言であった。



「・・・ま、なるようになるとも思うが・・・この件は我が陛下にお任せしようかの。わしゃあどうもエディール様と話すのはダメじゃ。ついあの方のペースに乗せられてしもうて・・・昔かわいがり過ぎたか・・・・最近はずいぶん聞き分けよくなられたとは聞いているが・・・」

敏腕老宰相がこのように口ごもるのはエディールが話題になったときだけなので、周囲の者は思わず出かかる笑いをかみ殺した。

「・・・で、アルシュ殿下からは、なんと?ご本人から直接のお申し込みか?」

「いえ・・それがそうではなく、ただの近況報告のようで・・・でも、また会いたいとは書かれておりますが・・・それが・・・途方もなくくだけた文体で・・・」

「・・・あちらでは祐筆が代書しないのか?」

アルシュの手紙に目を通していた別の官僚が呆れて言った。手紙はいきなり『よぉ!』から始まっている。

「あ〜、よいよい、後でエディール様にお届けするがよい」

サザランは早くその件から手を引きたいかのように鷹揚に言った。



「・・・そして・・・こちらは・・・」

国の内外から届けられた幾つかの書簡にそれ相応の返書の内容を概ね決め、最後の書簡となった。会議はこれで終る予定である。

「おお。美しい・・・が、見慣れぬ書紙じゃな」

藍色に地模様を梳き込んだ、非常に手の込んだ美しい書紙が、よく鞣されて巻かれた皮の中から現れた。

「・・・こちらは月関国(げつせきこく)、国主ナユヤ・カン様からの書状でございます。」





「・・・それは・・・・・・また・・・珍しい・・・いや、珍しい。」

しばらく続いた沈黙を破ったのはやはりサザランだった。

「東の地とは主に盟主国、武陽を通じて幾つかの関国と交易がありますが、一関国の国主から直接の書状とは初めてでございます。しかも月関国とは」

月関国は武陽の西北に位置する、八つの関国の中では一番小さな国だった。

「武陽国の武醍帝はこのことは知らぬのでしょうな?」

「さぁて・・・」

「で?なんと申してきたのでしょうか?」

「はい・・・実はこれもエディール様に関することなのでございますが、要するに月関国にご招聘したいと・・・。」

「なんと・・・!」

「そんな途方もないこと、応じられるわけがないことくらい解りそうなものを・・・」

「勿論、丁重にお断りされるのでありましょうな?」

「・・・・・・」

宰相サザランは熱心に書状に目を通していた。一同は息を詰めて彼が口を開くのを待った。



「・・・なるほどな・・・」

ややもして、老宰相は考え深く溜息しながら書状をおいた。

「ご鄭重な御文である」

「・・・して、お返事は・・・どのように・・・?」

「ふむ」

彼は骨の浮いた手で丁寧に書状をたたむと、事務官に向けて顎をしゃくった。記録をとるようにとの合図である。

「わが国と親交を深めたいとの国主ナユヤ・カン殿の誠意に疑いは無くとも・・・やはり今の段階で、エディールさまを国外にお出しするのは非常に危険である。大国、武陽の思惑も現時点では計りがたい。しかも、エディール様には巫祝としての素養を身につけ始めたばかりの、云わば修行中の身。軽々しく外遊するにふさわしい立場と云えず。よって、この度の月関国の御招聘には応じられず。・・・返書にはこのことを最大級の礼節を持って認(したた)めよ」

「はは!」









「エディール様?こちらにおいでですか?」

マールは朝餐の間から露台(バルコニー)に向かって開かれた大きな窓から顔をだした。

「あら・・・?」

返事がない。露台の向こう、広葉樹の葉の茂る下のあたりに、籐で編んだ大きな寝椅子がこちらに背を向けて置かれている。エディールは朝餐後、そこで休息を取る事が多かった。

マールは秋の光溢れる露台を横切り、寝椅子の背から下を覗き込むと、金髪を乱して眠り込む主がいた。

そして、寝椅子の縁に浅く座り、その寝顔を愛おしそうに見つめている黒い姿は彼女の騎士であった。彼はマールを見ると指を口に当てて「しぃ」という仕草をしたが、果たして彼はその動作を意識して行ったか、どうか。

マールは満足そうに微笑みながら二人を見守った。

エディールの、やや厚めの生成りの簡素な白い木綿の衣装はいつものことであるが、あどけなさの残る面立ちに、最近は何かしら大人の気配が漂い始めたように感じる。濃い睫毛が影を作るその頬を撫でながら、これほど美しい娘は見た事がないとマールは飽かず眺めた。ヴァーノンと同じく、彼女にとってエディールは主であるとともに、妹のように可愛く、守り抜きたい存在の姫であった。

そして、忙しい仕事の合間を見つけてやってきたのであろう、ヴァーノンは肩まで垂れる黒髪にその端正な横顔を隠しながら、エディールに直接日の光があたらないように俯いていた。彼の黒すぎる髪と瞳、やや浅黒い肌はどこか異国の地を想起させる。しかし、ヴァーノンは何も語らず、マールも何も聞かないし、聞こうとも思わなかった。

それにしてもこのままでは風邪を引くかもしれぬ。いかに暖かいと言えども秋である。マールは自分の肩掛けを外してエディールに掛けてやった。この手紙は後で見せてさし上げれば良い。言うまでもなく、それは昨日、サザラン宰相等の苦笑を誘った手紙である。



「姫様に手紙ですか?」

ヴァーノンは眠り姫を起こさぬよう、落とした声で囁く。

「ええ・・・誰からだと思います?」

「さぁて・・・判じ物は苦手です」

嘯(うそぶ)くヴァーノンだが、マールは彼がとっくの昔にその手紙の差出人を知っているのだと思う。

「アルシュ様ですよ。セイシリアの」

「おや・・・だとすると恋文かな」

「まぁ、気になりますの?」

「勿論。我が姫のことなら何でも」

あまりにあっさりと肯定され、マールは吹き出してしまった。



と、突然エディールはぱっちりと目を開いた。

「なに?もう、史学の先生が来たの?」

エディールが寝椅子に片手を付いて起き上がったときにはヴァーノンの姿はもうない。きっと本当に忙しい合間を縫ってやってきたのだろう。ここで、エディールにつかまればきっと今日の仕事はほぼできなくなることは必至だった。

「あら?・・・お目覚めですか?ずいぶん気持ちよさそうにお休みでしたわ」

「うん、昨夜調べ物をしていたら面白くて遅くまで起きていたんだ」

「まぁ、勉強家でいらしたのですね?」

「マール?さっき、ここにヴァルが来てなかった?」

「あら?ヴァーノン様?いいえ」

「あ、そう?声がしたと思ったんだけど・・・」

「姫様はいつでもヴァーノン様なのですね?」

マールはからかったが、当のエディールは「うん」とこれまたあっさり肯定してしまった。似たもの主従だとマールはおかしくなる。

「だって、ヴァルが一番私のこと気にかけてくれるもの、あ、マールもだよ。で・・・・・・なぁに?手紙?私に?」

直に手紙が来るのは珍しいことだ。俄然興味を持ってエディールはしゃんと起き上がった。

「左様でございます。こちらでご覧になりますか?」

「うん、頂戴・・・これは・・・白銀からだね!」

白銀と言うのは去年の夏避暑で過ごした姻戚国のセイシリア、第二王子アルシュのあだ名だった。

「・・・奴め・・・ずいぶんいろんな地方を廻っているみたいだな・・・一人の郡司をクビにしたとか書いてある・・・横領だって・・・やるなぁ・・・・・・お前の修行は進んでいるかだって?ほっとけ・・・大きなお世話だ。でも、いいなぁ。いろんなところに行けて・・・あ、でも、又遊びに来いだって。そりゃできれば行きたいけれども・・・ねぇ?」

「ふふふ・・・そうですわね」

なにやら楽しい様子のエディールに顔を綻ばせながらマールは応じた。

「まずは今やってることをもう少しがんばらなくっちゃなあ」

「いい心がけですわ.・・・ですが、アルシュ様に会いたいですか?」

「・・・そりゃぁ〜、会いたいけれども・・・」

「・・・アルシュ様の事、お好き?」

何気ない風を装ってマールは尋ねた。

「?うん、結構好き。強引だけど、いい奴だし・・・」

ぐうるりと視線をめぐらせ、エディールは考えながら言いかけた。

「・・・なに?マール、何か私に言わせたいな?」

「さぁ〜〜〜て、うふふ」

「ふん、その手にのるもんか。・・・でも、又いつかアイツに会いたいし、会えると思う。・・・でも、私たちはまだ発展途上だし・・・お互いもう少し大人になってからだな。さぁって、歴史の勉強、はじめようかな」



寝椅子から飛び降りて王女はサンダルを履きなおし、マールの頬をちょっとこずいて図書室に駆けて行った。自らの義務に相対するために。







                 ▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲







シュレジア国の置かれた位置など。TOPの地図を参考にしてください。(ほとんどいい加減ですけど)







           3へ         5へ          翠TOPへ