「お戻りなさいませ」

いち早くエディールの気配を察知し、黒衣の青年が丁寧に膝をついた。

まっすぐ垂れた黒髪が肩をすべり、その横顔を隠す。

「うん、戻った。お待たせ」

太い円柱が立ち並ぶ、薄暗いモザイクタイルの床に元気な足音が響いた。

その様子を想像して、頭を垂れたヴァーノンの目元が微かに緩む。



ここはリューン神殿のもっとも外側。大門を入ってすぐの、云わばホールに当たる大きな前室だった。本来なら男性は入る事ができない。シュレジア国の巫祝は皆、王族の姫君で、この奥の部屋には歴代の巫女姫を奉る祭壇があり、司祭もそれに使えるものたちも皆女性ばかりで、参拝者も成人前の子どもと女性に限られている。

王族の参拝であろうと、護衛の騎士たちは大門の外で待たなければならないのであった。まぁ、そこはよくしたもので、そういう騎士たちや一般の参拝者の家族が神殿の外でゆったり過ごせるように、宿泊その他、様々な施設が立ち並び、ちょっとした門前町になっていたのだったが。

しかし、王女エディールの騎士、ヴァーノンは譲らなかった。2回ほど門前払いを食わされてから、彼は、神殿の構造を調べ上げ、危険の起きる可能性を(やや大げさに)述べ立て、たとえ一昼夜の参篭とはいえ、エディールの気配がまったくつかめないところで過ごすのなら、彼女を城から一歩も出さないとがんばったのだ。

珍しいヴァーノンからのたっての要請を受けて、ナリマセル王はしかたなく神殿の司祭長、ファラディア師に交渉し、絶対に中に仕える者たちや信者に話しかけず、またできるだけ、顔を隠すようにとくどくど言われて、やっと前室まで入る許可が下りたのだ。



「いかがでございましたか?今度目のご参篭は?」

黒い布で口元を覆ってはいるが、明晰な口調でヴァーノンは問うた。

「うん・・・あのね」

エディールは膝を折って、彼女の随身に顔を近づけた。

「は。」

「・・・お腹空いた・・・。」にーと笑う。

「・・・・・・」

「だって、朝ごはん食べたっきりなんだもん。しかも昨日からお野菜とスープだけだったし。お風呂ばっかり入れられるし。それに瞑想って集中するからけっこう体力使うんだよ?もう昼だし。はやく城へもどりたいな。・・・あ、別に街中でご飯にしてもいいけど?」

期待いっぱいで見つめる王女に仕方なく笑いかけ、ヴァーノンは立ち上がった。

「それではできるだけ早くお城へ戻りましょうか?」

「ち」

「なんでございますって?」これはマール。

「なんでもない。」

ぷいと横を向き、マントを跳ね上げて、エディールはすたすたと神殿の外に向かった。

たった今エディールが駆けてきた、円柱が並ぶ前室のその奥で、シュレジア師と他の司祭たちが丁寧に辞儀をしているのが見えた。二人の随身は主に代わって丁重にそれに答え、姫の後を追った。



大門のすぐ内側で、これまた特別に待機を許された騎士たちが頭を下げ、馬を引き、馬車を準備する。人数は少ないが、ヴァーノンが選りすぐった手だればかりだ。動きにまったく無駄がなく、瞬く間に出発の支度ができる。

「ねえ、ヴァル・・・」

「はい」

馬車の戸を開け放ち、胸の前でこぶしを作って頭を下げる彼女の御者の騎士の前でエディールはもじもじしている。

「城まで馬で駆けちゃだめ?」

「・・・」

「今日ね、私、鳥になったんだよ?そして、北へ向かう大きな隼に話しかけたんだ。ヤツ、意外と親切でいろんなこと教えてくれた・・・様な気がする。とにかくすごく自由で楽しそうだった。私、少し羨ましくて・・・ねぇ、ダメ?馬に乗っては。お前から離れないから。」

眉を顰めるヴァーノンがいけませんと言う前に、エディールは必死で頼んだ。普段花耀宮はおろか、自分の住む金花宮からもめったに外に出ることのできない彼女にとって、この月に一度の外出は、事にその道中は紛れもなく、数少ない楽しみだったのだ。

ヴァーノンは必死な面持ちの金緑色の瞳に思わず見入ってしまった。魂は誰よりも自由なのに、この姫はその背に重い荷を背負うているのだ。

誰よりも大切な彼の姫。大事で大事でならない―――





「わかりました・・・そのかわり私の馬に乗っていただきます。」

大きな金緑色の瞳の懇願に終に負けて、ヴァーノンは折れた。

「わ!いいの!?やった!」

「御髪は布に包んでくださいね。」

「うん!マール、ターバン!」

「・・・」

布を渡しながら、よろしいんですの?と言うようにマールはちら、とヴァーノンを横目で見た。

「・・・まぁ、街道は調べつくしてありますし・・・、最近の姫様はことのほか物わかりよくお過ごしでしたしね・・・たまには・・・マール、あなたは馬車に乗って影武者を努めてください」

いい訳をするようにヴァーノンは目を逸らし、近くの騎士に自分の馬を引いてくるように命じた。

「おーい、黒竜号!今日は私も乗るんだ〜、いいかな?」

マールに手伝わせて金髪を包みながら、引かれてきた巨大な軍馬にエディールは無邪気に挨拶をしている。黒竜号もブルルと愛想良く返事を返した。

「さ、参りますよ。お腹が空いているのでしょう?」

さっと黒馬に跨り、片腕でひょいとエディールを引っ張り上げてヴァーノンは手綱を引いた。

「申し訳ありませんが、私のマントの中に入ってくださいね」

「顔は出すよ」

「はいはい、・・・ゾーイ、お前が先駆けだ。私は馬車の前を行く。では出発!」

「は!」

ゾーイと呼ばれた若い騎士は、手馴れた様子で馬にだく足を命じた。





神殿から宮殿のある城下町、レジールの城壁までわずか10キンベル(5キロ)、優れた軍馬が駆け抜ければほんのひと時である。

その間はのどかな田園地帯で農家が点在し、街道もよく整備され、シュレジア国の主要な道の一つになっている。

かつては深い森の国だったシュレジア国だが、長い歴史の間に道が開かれ、いくつかの町ができた。しかし、町の外や国境付近にはまだ森は存在し、天然の城壁となって民を守っている。

目立たないように整えられた、10騎余りの騎馬と馬車は何事もなく、やや早めの並足で既に道程の半ばを越えようとしていた。

「ねえ、このまままっすぐ帰るの?」

ヴァーノンの黒いマントからひょっこりと顔だけ出して、馬の乗り心地を楽しんでいたエディールが周りの風景に視線を遊ばせながら何気なく聞いた。

「・・・お腹が空いているんでしょう?」呆れたようにヴァーノンは自分を見上げている無邪気な顔を見つめた。

「そりゃそうだけどさ・・・ちょっとだけ思いきり駆けたいな」

「そうおっしゃると思いました」

「ダメ?」

「うーん」

「あ〜あ、これから一ヶ月、またずっと、城で過ごすんだなぁ〜・・・・・・」

悲しげなため息が計算ずくとわかっていながら、またしてもヴァーノンは笑ってしまった。

「ふふ・・・あなたは・・・・・・それ!」

ヴァーノンは一気に先頭に詰め、先駆けをゆくゾーイに並ぶ。

「少し駆ける。北の第二門から戻ると伝えよ。後のこともな。お前達はこのまま、馬車を守って正面から戻れ。我々もすぐに戻る。」

「は!お気をつけて。」

そのままヴァーノンは街道を逸れ、遠くに見え始めた城壁を迂回するように、馬首を廻らせた。



黒竜号は解き放たれたかのように草原を一気に駆け抜ける。








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お久しぶりのヴァル君です。相変わらずエディちゃんに振り回されています。今回は彼の過去もわかってくる予定です。








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