帰国の日
朝食のあと、ナユヤが用意してくれた長旅に向く衣装に身を整え、エディールはサリムの部屋へ向かった。部屋を出ると既に待機していたヴァーノンが音もなく後をついてくる。
エディールを見つけてからさらに七日の日が経とうとしていた。
この間、ナユヤの計らいで国許にもエディール自ら認めた書状と、ナユヤからの詫び状、ヴァーノンの経過報告などを早馬に持たせたので(さすがに大鷲は使えなかったので)、早晩サザラン宰相の下へ届くことだろう。宮廷中ほっとするに違いない。
また、これは思わぬ副産物であったが、ゾーイ達が持ち込んだ穀物の種はこの国の痩せた国土でも収穫が期待できるもので、この春にでも試験的に栽培し、うまく育つ事がわかれば、農民に種籾を分け与えることになった。穀物として収穫が増えれば、この国の民も少しは満たされることになり病に侵される者も減るだろう。また、シュレジア経由でナッシュバールとの交易に発展するであろうという見通しも持てる。こうした事が影でわさわさと動いていた。
エディールも精力的に働き、ヴァーノンが傷つけた、若い兵隊を癒してやったり、ナユヤに頼み込んで大鷲の住まう北の山中へ赴き、大飛に会いに行ったりした。
この鷲と会えた事をエディールは一生忘れまいと思った。
大鷲は、城の真北の岩山の奥に棲んでいる。森林と深い谷が複雑に入り組み、鷲遣いの者でなければ容易に踏み込めない場所だ。
勿論エディールに冬の岩山にのぼれる訳はない。以前ヴァーノンがしたように山のふもとで瞑想し、応えて降りてきてくれた大飛と対峙した。
彼は滅び行く自分たちの種のことをエディールに伝え、見守って欲しいと告げた。
ユクカ ミドリノヒメヨ
ソナタニアエテヨカッタ ソナタノヨウナモノガ マダ コノセカイニイルトシレテヨカッタ
ソナタハ イヤスモノ ワレラガカミニ アイサレシムスメ
サラバ―――
冬はその多くを終ろうとしていた
「お早う」
「・・・・・・」
光溢れる室内には既に香木の香りは希薄になっている。
「なんだ?挨拶もなしか?次期国主が」
「・・・お早う」
サリムはようやく言った。3日前からベッドから出て、車付きの椅子に腰掛けている。
「今日発つのか?」
「ああ」
「・・・これでお別れ?」
「・・・何も一生会えないわけではない」
「・・・それでもお別れなんだね・・・?」
「そういうこと」
「・・・いろいろごめんなさい。・・・ありがとう」
「どういたしまして」
「・・・私の言ったこと覚えている?」
「ああ、まずは長の旅ができるまで、体力をつけることだな」
「・・・こっちに来て」
「ん?」
エディールは遠慮せずにサリムの椅子の側まで近づいた。
「・・・これを」
サリムは小さな紫檀でできた小箱を差し出した。精緻なレリーフが施されたこの小箱だけでも充分値打ちがありそうだった。
エディールが小箱を開けると、中に大きな翡翠がはめ込まれた黒檀の髪留めが入っていた。
「・・・これを私に?」
「ええ、貴女の瞳と同じ色でしょう?それに黒い香木も金の髪によく映えると思って大急ぎで作らせた」
「・・・とてもキレイだ。ありがとう」
「・・・私につけさせてくれるか・・・?」
承諾の証にエディールは椅子の側にかがんで、頭を垂れた。
「・・・・・・」
サリムはその金の髪を何度か指で梳いた後、一房まとめてそこに髪飾りをさした。
「・・・これでいい。顔をあげて?」
「どお?」
「うん・・・とてもキレイだ・・・エディール・・・もっとこっちに来てよく見せて」
エディールが膝立ちになり、サリムを見上げた瞬間―――
意外に力強い手のひらが彼女の頤(おとがい)をすくい取り、口づけた。
「はい、そこまで!」
背後に控えていたヴァーノンがひっさらうようにエディールを抱えあげ、サリムを見下ろしている。
「・・・なんだ、この無粋な従者は・・・」
サリムは細い眉を思い切りしかめて、ヴァーノンをねめつけた。
「ああ・・・まぁ、こういうヤツなんだ・・・って!お前!勝手に口づけたな!」
「だって・・・当分会えないのだもの・・・」
表情がいきなり変わり、今度は懇願する甘えた目になった。
「だからって許可も得ず接吻するな!無礼者!」
エディールは翠の目を怒らせてガミガミ怒鳴った。
「では、聞いたら許可をくれたか?」
「やるものか!」
「ほら・・・じゃあ、こうするしかないではないか」
「ヴァーノン!王子様ってみんなこんなに無礼なの!?」
怒ったエディールはもはや、威厳を取り繕うことも忘れている。
「は・・・いや・・・くく・・・・私は・・・・くっ」
ヴァーノンはエディールを抱き上げたまま、必死で笑いを堪えている。
「ヴァル、何を笑っている。」
「申し訳ございませぬ。・・・では別れの挨拶も終られたことですので・・・サリム様、これにて失礼いたしまする。御息災で」
エディールを抱いたまま、深々と礼をするとヴァーノンは踵を返した。彼女はまだ文句を言っている。
「だいたい・・・わかってるんなら事前に止めろ・・・あ、こら、もう下ろせったら・・・・・・サリム、またな!元気になってね!」
「エディール・・・・・・エディール!!!」
最後にその目を見せてとサリムがヴァーノンの背に向かって叫ぶ。
答えて、エディールが腕の隙間からちらりと顔を覗かすが、直ぐに女官の間に隠れてしまう。
扉が閉ざされた
「・・・では道中お気をつけて・・・此度のご恩・・・このナユヤ・カン、生涯忘れませぬ・・・」
ナユヤが頭を下げると艶やかに結い上げた黒髪がさらりと揺れた。ややつりあがったアーモンド型の目がエディールをひたと見据える。その黒い瞳はこのところの一番の苦悩から解放され、明るく澄んでいる。刺繍を施した緑青の絹の衣装を纏った姿は、とても12才の男の子を持つ父親には見えない不思議な魅力のある国主だった。
「できれば貴女をこの国にお留めしたかった・・・」
実際には月関国の置かれた状況はいまだに厳しい。ナユヤは国主としてこれからも重責に耐えてゆかなくてはいけないのだ。エディールの存在はナユヤにとっても微妙な意味のあるものだった。
「いい。もう、終ったことだ・・・・・・ナユヤ殿にも息災であられよ・・・。では、おいとまつかまつる、さらば・・・!」
深々と頭を下げる、国主ナユヤ・カンと主たる重臣の間をエディールは進んだ。後ろにヴァーノンと迎えに来ていたゾーイが続く。
エディールが月関国に来ていることは極秘だったから、華々しく送られるわけには行かなかった。ナユヤでさえ後宮の奥からは出られず、甚だ地味な別れの儀式となった。勿論エディールは気にも留めなかったが。
しかし、本丸の門を抜け、一の門まで差し掛かったとき、ヴァーノンが振り向くと、城壁の上にロク・ザンの姿がちらりと見えた。彼はわざと仰々しい様子で胸の前で掌を組み、礼をしたようだった。
「・・・・・・」
「ヴァル?どうしたの?何かいた?」
「・・・いいえ」
これでロク・ザンが詳しく報告をすれば、元冥関国出身の自分がシュレジアにいる事がわかってしまう。武陽国はともかく、冥関国の暗殺官吏は決して自分を許しはしないだろう。あの時、奇跡のように逃げおおせたのは、自分が死んだと思われたからに過ぎないのだから。もし、生きてシュレジアに仕えていると知れたら・・・・・・
今のところ、数年前の脱走者とヴァーノンが同一人物だとはロク・ザンは知らないはずである。しかし、その気になったら直ぐに調べは付くだろうし、あの夜彼を襲った死の旅団のリーダーの男から何か聞きだすかもしれない。
ロク・ザンの口を塞ぐのは容易い。しかし、ロク・ザンの変死はそれだけに終らないだろう。月関国が罪に問われ、ナユヤがもっとも恐れる、戦や、王家の断絶に繋がる。
―今はロク・ザンの言った、報告する気はないの一言を信じるしかないとは・・・
厄介なことになった・・・ヴァーノンの黒い瞳が深く翳った。
「ヴァル・・・?」
心配そうな声で我に返る。
もう、ここは城中ではない。城下町の大通りだ。人々が賑やかに市場に集うている。
「は、失礼致しました。何か?」
「唇を噛んで・・・・血が滲んでる。それに汗をかいているよ・・・」
「・・・・・・?」
言われて初めて気が付いたようにヴァーノンは腕で額をぬぐった。
「・・・なにか、屈託があるんだね」
エディールの澄んだ翠の目がヴァーノンの苦悩を見透かしたように見つめている。
「ヴァーノン様・・・?」
ゾーイも聞きつけて側に寄ってくる。ヴァーノンはしかたなく笑った。
「ええ、ございますよ。大きな屈託が。・・・姫様をどうやって陛下の元までお送りしようかとね」
「・・・なんだ、そんなこと」
決してごまかされたわけではないが、とり合えず今は追及するまいと、エディールは応じた。
「そんなこととは心外な。これでも悩んでおりますのに」
「確かにこの冬の森を踏破するのは、殿下にとっては楽ではないかもしれませんね」
ゾーイも考えながら呟く。
「なら、森を避けて南の街道を行けばいいのではない?」
簡単にエディールが提案する。
確かに、冬の森の街道は危険な上に暗く、面白みもない道である。エディールの趣味に合うとは思えない。ヴァーノン達でも往路は早馬で一月かかったが、何時までも変わることのない深い森の風景に、進んだ距離や時間もわからなくなり、若いゾーイなどは精神的にかなり参ったものだった。ましてや、高貴の姫君連れではもっとゆっくりの旅になるだろうし、山賊どもの危険がないとはいえない。
「うーん、どうしますか・・・」
ただでさえ、この国の中では目立つ風貌のエディールを連れて武陽国の版図を抜けるのは得策ではない。
ゾーイはいったいどうするつもりなのか、とちらりとヴァーノンを見たが、彼はいつもどおり表情が読めない普段の顔に戻っていた。
そうこうするうちに、そう大きくはない市中を抜け、城に上がれなかった他の騎士たちと落ち合う予定の辻に着いた。既に騎士達は今か今かと伸びをして待っている。馬も返してもらったらしく、結構目立つ一団になっていた。ヴァーノン達に宿を世話した老人、クリル・タインも見送りに出てきている。
あたりはよく晴れた冬の草原で、寒々しい風景ながら、間近に迫った春の気配も僅かに感じられるほんのり湿った風が吹き抜けている。男たちの一団はわっと駆け寄った。
「姫様・・・!」
「よくぞご無事で!」
「知らせを受けてからずっとお待ち申し上げておりました」
騎士達が喜色をおおっぴらに表して、エディールを囲んだ。
「うん、皆、ごめんね。私のために苦労をかけたね」
「なにをおっしゃいます!」
「さぁ、お国に帰りましょう、もう何も心配はございませぬ」ザッカリーが落ち着いて請合った。
「・・・それだけどな・・・」
「は・・・?」
「私、まっすぐ帰りたくない。」
「はぁっ!?」
「せっかく、本意とは言えないけれど、こんなところまで来たんだ・・・少し遠回りして帰りたいな。ちゃんと、気をつけるから。ねぇ、ヴァル?」
「何をおっしゃいます!」マイヨールが叫ぶ。
「陛下も妃殿下もどんなに心配されていらっしゃるか!」
「直ぐにも最短距離でご帰還になられる事が最優先です、ね、ヴァーノン様?」
ゾーイは仰天してこの突拍子もない姫君を嗜めた。
「・・・・・・・・・」
驚いたことにヴァーノンは何も言わなかった。
「ヴァーノンさま・・・?」
「・・・それも・・・いたしかたないかもしれませぬ」
ヴァーノンの密かな呟き。
「・・・へ?」
あまりのことに、ゾーイ達はあっけに取られて言葉を失ってしまった。
「・・・・・・うん、そのほうがいいかもしれない。決して殿下のワガママに従うわけではなく、私の判断だ」
この言葉にエディールは抗議しようと口を開きかけたが、そんなことをすればせっかくの面白そうな提案がご破算になるかもしれないと思いなおし、慌てて口を手で塞いだ。
「お前たちはこれから影武者を仕立てて、黒森を抜けてシュレジアに戻れ。・・・私はこのまま殿下と森を迂回して南の街道を行く。少し回り道になるが・・・ゾーイ、お前は伝令として同行せよ。」
「ほんと!?ヴァル!わぁい!」
名指しでわがままと評価されたことも忘れて、エディールは歓声を上げた。ヴァーノンは別に面白くもなさそうに今後の対策を考えている。
「・・・何をおっしゃいます!」
「そんなことをしては危険すぎます!」
浮かれているのはエディールだけである。
「・・・僭越ながら、私もそのほうがよいと思われまする」
後ろに控えていた老人が静かに呟いた。
「クリル・タイン殿まで・・・」
「ここは月関国とはいえ、武陽国の勢力圏内です。・・・いたるところに間諜、刺客が暗躍しております。・・・月関城内とて例外ではありませぬ。エディール殿下の一件は漏れていると見るのが、妥当かと・・・。万が一、暗殺者などに黒森で追跡されたら厄介です」
「・・・・・・・・・そんな・・・しかし・・・」
「・・・・・・もう一つある。お前達は先に国に帰り、陛下にご報告申し上げた上で、エディール様には病重篤であるとのふれを国の内外に流すのだ。」
「・・・できればほとぼりが冷めるまで1年ぐらい御身をお隠しになられたほうがよいと思われます・・・」クリルも頷く。
「ええ〜、私ピンピンしているよ?」
「病篤く、当分巫祝の座につくことは無いとな。あくまで大げさにならず、自然に広まるように気をつけて」
エディールの抗議を無視してヴァーノンは続けた。
「・・・しかし、陛下にはなんと申し上げればよいか・・・」
「サザラン様に申し上げれば全てはわかっていただけるはずだ。ザッカリー、お前から申し上げよ。見聞きしたこと全てだ・・・いいな。書状は今は書かぬ。追跡されている可能性がゼロではないのでな。追ってゾーイに届けさせよう。」
「は・・・は。」
突然振られ、ザッカリーは返事はしたものの、なん言って国のお偉方に伝えたらいいのか早くも途方にくれている。歳こそこの騎士達の中では上だが、ひたすらに口の重い男である。
「殿下の居場所は私から連絡する。心配するな、絶対にお守りする。お前達は私の指示で、常に動けるように準備し、待機しておけ」
しかし、ゾーイはまだ不安そうである。
「・・・は・・・しかし、何かエディール様のご無事をお伝えする手立てが・・・その・・・必要かと。・・・ザッカリー殿等の言葉だけでは説得力というものに欠けまする」
「ん〜〜〜、なら、これを」
エディールは、やにわにゾーイの腰から短剣を引き抜くと、すばやく自らの髪を一房切り取った。
「あ!何をなさいます」
驚いたのはゾーイとヴァーノンである。
「なんでさ、これくらい。まだたっぷりあるもの。これを今、私の花押の形に編むからね。これは私にしかできないからきっとわかってもらえるよ・・・ちょっと待ってて。」
エディールは言いながら器用に自分の長い髪を編んだり、丸めたり、重ねたりしながら自分の紋章に形作った。
「・・・ほら。これ!」
男の片手ほどの大きさに美しく編みこまれた髪の紋章がゾーイに手渡される。
「・・・お預かりいたします」
ザッカリーはおずおずとそれを受け取った。大切に布でくるみ、上着の内側に入れる。
「これでいいよね?ヴァル?」
「・・・・・・我が姫には中々御利発でいらっしゃる・・・・・・」
あるかなきかの微笑を含んでヴァーノンはエディールを見つめた。
「・・・これからは私の言うとおりに行動できますか?」
「はいっ!」
敬礼をしてエディールは請合う。故郷にしばらく帰れないことをなんとも思っていないに違いない。
「・・・いつも髪と顔をフードで隠して、我慢をしなければなりませんよ」
「はい!」
「癒術は絶対にお使いになってはいけません。守れますか?」
「大丈夫!ねえ、ほんとに私を信用して?」
「・・・それでは・・・そのように致しましょう」
「ッター――ー!!!」
「ほら、直ぐそのように目立つお振る舞いです。・・・これからは本気で自重なさってくださいね」
「はぁい・・・・・・」
「よろしい。・・・さて、何時までもこのような街道の辻で立ち話していては、それこそ人目に立つ。ゾーイ、皆もいいか。これは全て我が判断、責任においての行動だ。帰国したら私が釈明しようほどに、構えて案ずるな。・・・よいか」
「はっ」
もはや騎士達に迷いはなかった。ヴァーノンがそう言いきるからには何か深慮があるに違いないのだ。
「・・・それではこれにて別れよう。・・・クリル殿にも・・・世話になった。」
「なにしに左様な・・・ヴァーノン様にも御息災で・・・厳しい風が吹きませぬようにそして・・・姫君・・・あなたは運命の子であられまする・・・どうか、お健やかで・・・」
クリルはそう言って、胸の前で拳を組む月関風の辞儀をした。
「ありがとう、ご老人。そなたも達者で。」
「・・・では・・・!」
「お気をつけて!」」
「お父様、お母様、じぃによろしくね!・・・あ、それからマールとみんな。兄上にも!」
月府の郊外、さほど賑わいもない辻で旅人達は三手に別れた。
一つはもと来た道を戻る老人。
もう一つは若い騎馬隊で、深い森へと続く道へ。
そして、長身痩躯の黒い人影は、大きな軍馬に小さな姿を庇うように乗せ、後ろに一騎を従え、南へとなだらかに下る街道へと歩み始めた。
冬の終わりの往来を又、湿った風が吹きぬけてゆく。
―― お わ り ――
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さて、どういうわけか旅は終わりにならないようですが、ひとまずお終い。
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