その夜。
塔から後宮の一室に部屋を与えられたエディールは早めの夕餉をとり、湯浴みも済ませて、夜着のまま暖炉の前でくつろいでいた。ヴァーノンは遠慮し、少し離れて控えている。
ナユヤの計らいで、ゾーイ達は城中で夜を過ごさず、城下のクリル・タインの家に戻り、報告を受け家で待つ彼と城に上がらなかった騎士達に、その後の顛末と今夜は城に留まるということを伝えてくれる手はずがついたので、今夜だけは久しぶりに二人で過ごせるはずだった。
「さすがに・・・少し疲れたかもしれない・・・こんなに長く癒術を使い続けたのは初めてだから」
癒術とは自然(じねん)のもつエネルギーを体内に取り込み、癒しの力に変えて注ぐ能力のことである。それは治療と言うよりも、生き物が自ら持っている治癒能力や免疫能力を上げることに近い。したがって怪我や病気がある程度まで回復すれば、後はそんなに力を尽くさなくてもよい。しかし、以前瀕死のヴァーノンに使ったときはまだ幼いせいもあり、また彼の怪我の程度も重かったため、力を制御できずに自分もひどい目にあった。修行をはじめて1年、少しずつ力を押さえたり、開放する技も会得してきたが、やはり使い続けると体力も気力も消耗する。
病み衰えたサリムの体力を考慮して、負担にならないように慎重に少しずつ治療を進めていかなければならなかったことは結構大変なことであったが、エディールの体には負担が少なかったかもしれない。又、それには他の意図もあり、あまりに早く直してしまってはヴァーノンたちが救いに来るまでの時間稼ぎができない。が、結果的にはそのほうがエディールの為にもなったのである。
あまりに力を常時使い続けると、人の子たる巫祝自身の命を縮めるとも言われている。自然の力を変換し解放するということは、細い管に勢いよく水を流し続けることと似ているので、あまり酷使していると管、つまり肉体に亀裂が生じてしまうだろう。
歴史に名を残した伝説の巫女姫たちが共通して短命だったのは、このようなことも原因だったとされる。だから、ヴァーノンはじめ、エディールの周囲の者達は彼女が巫祝の道を選ぶのを強く反対したのだ。たとえ、今は大きな戦がない世だとしても。
現に
エディールはヴァーノンの鼻先から攫われてしまったのだ。今後もこの能力に目をつける者達が増えるに違いない。
危険は常にある。
「エディラ・・・?」
「・・・ん?」
「大丈夫ですか・・・?」
低い、労わるような声音。
湯浴みの後でとろんとしていたエディールは目を開けて部屋の隅に蟠(わだかま)っていたヴァーノンを見た。脇には衝立が置かれているが、背の高い彼の目隠しにはなっていない。
「ん・・・平気。体は少しけだるいけど、気分はいいの・・・」
「お疲れのところ・・・申し訳ありません・・・あの・・・お尋ねしたい事があって・・・いえ・・・別に明日でもよいのですが・・・」
疲れた主を慮ってヴァーノンは口ごもる。
「うん?」
大騒ぎの邂逅以来、昼、夕食は周りに人がいてロクに話ができなかったし、その後もサリムがせっかく部屋が近くになったのだからと眠る前にエディールを呼びつけたりでゆっくりできなかった。やっと二人で話せる機会にヴァーノンは確かめなくてはいけない事があった。
「・・・・・・」
珍しくヴァーノンが言いにくそうにしている。
エディールは興味を覚えて、ゆったりした椅子に座りなおした。
「どうしたの?・・・明日になればまた、邪魔が入るよ・・・今でいい。でも、大きな声を出したくないから、こっちに来て」
「はい・・・失礼を」
足音も立てずにヴァーノンは螺鈿細工の衝立をまわってエディールが寝そべっている大きな椅子の側に立った。
「何?」
成人したとはいえ、まだまだ無邪気な翠の目に見上げられてヴァーノンは何から切り出したらいいいか、少し躊躇したが、どうしても確かめなければいけない。
「貴女がこちらに来てなさったこと、・・・あるいはさせられた事はサリム様への癒術だけですか」
「そうだな・・・あの塔に軟禁されていたけど、・・・多分それだけ。厳しい尋問もされなかったし・・・勿論、手荒なことはされていない。」
「本当に・・・?」
「ん〜〜〜?他との連絡手段は絶たれたけど、後は結構普通に暮らしていたかな・・・?衣装を貰ったり・・・」
「ええと、そういうことだけではなくてですね・・・・・・体に触れられたりとか・・・変な薬を飲まされて意識がなくなったりとか・・・」
「ええ〜〜〜!そんなこと誰もしないってば!何考えてんの!?」
「いえ・・・それならばいいのですが・・・」
エディールは一見、自分のことには無頓着なようだが、決して考えなしではない。何か不信な部分があれば怪しく思うはずだから、今の言葉は一応信用していい。・・・しかし、例えばエディールの記憶を操作するような手立てがあるとして・・・もし何かをされていたとしたら・・・冥月国ならばそんなことも可能な気がする。ロク・ザンは食わせ物だ。
「されてないってば!」
ヴァーノンの心を読んだかのようにエディールがかわいい唇を尖らす。
「・・・もしそんなことをされていれば、体の痕跡に私が気が付く、絶対に。ナユヤ殿はその点、紳士だ」
「それは・・・しかし、そう軽々しく他国の国主を信用するものではございません。現に貴女を誘拐する指示をだした張本人です。・・・・・・もし万が一、貴女に何かされていたら私はたとえナユヤ様ご本人でも、容赦なく切り捨てていますよ」
一番の問題はナユヤ・カンではないのだが、ヴァーノンはそれ以上は追求しないでおくことにした。エディールの純潔は汚れていないと、今、ごく近くにいてヴァーノンには次第にわかってきたからだ。
「わー、おっかな〜い。つくづく敵に廻したくないヤツだな、お前は」
「お褒めの言葉と受け取っておきます」
「でも・・・あまりやりすぎないでね・・・血はキライだ」
「ええ・・・わかっておりまする」
本当は昨夜4人も屠ったと言ったらエディールはどうするだろう。今まで何人、いや何十人もの命を眉一つ動かさず奪ってきたと言ったら・・・・?ヴァーノンは己を嘲笑った。本当ならこの聖少女に触れることすらできぬはずの血塗られたこの身だというのに。
「・・・ところで・・・私が送った使者はわかった?」
ヴァーノンの昏い微笑をどのように見たのか、エディールは話題を変えた。
「あの大鷲のことですか?はい」
あの夜の不思議な感覚のことはヴァーノンもよく覚えている。
「彼は・・・大飛というんだが、私を攫ったヤツなんだけど、とても気高いヤツで・・・もう一人、飛竜という兄弟がいるんだ。交替でで私を運んでくれたんだけど。そして、彼等を司る、鷲遣いの一族なんてのがいて・・・秘密なんだそうだけど・・・道中もよくしてくれた。ずっと足に挟まれていたわけじゃないしね」
その時のことを思い出し、ふふふとエディールは笑った。
「あの時、ネイナはさぞびっくりしただろうなぁ。大丈夫とは言ってやったんだけど・・・聞こえなかったみたいだし。」
「帰国されたら、彼女にはお声を掛けてやってくださいね。かなり塞ぎこんでいました」
「うん、そうする。大飛はアルエの森の外れまで飛ぶと私をそっと下ろしてくれて、手荒なことをしてすまないと謝ってくれた。そこからは鷲達の体に結わえられた籠に乗せられてものすごく早くここまで飛んできた。アレはすごい経験だった。・・・」
エディールの事だ。危害が加えられないとわかると、その道中を楽しんだに違いない。その頃城中大騒ぎをしていたというのに。ヴァーノンは少しおかしくなった。
「あ・・・ヴァル笑ってる・・・それでな・・・聞いてみると、大鷲はかつてはこの国の神の使いと崇められていたそうだ・・・今は禁止されていて、山奥に密かに逃れた信心深い人たちが少なくなってしまった大鷲を保護しているって・・・」
「・・・・・・」
「私も少し興味を持ってこの国の歴史を少しサリムあたりに聞いてみたんだけど・・・・・・なかなか、大変なようだな・・・武陽国とか・・・・・・」
「・・・エディラがお気を煩わす必要はございませぬ・・・・この国のことはこの国に任せておけばよいのです」
「・・・そうかな?」
「ええ」
エディールは感慨深げに暖炉の火を見つめていたが、ふいにヴァーノンを振り返った。
「ヴァル?」
「・・・はい」
「今度のこと・・・怒ってる?私の迂闊さに皆を巻き込んで・・・」
「・・・いいえ」
「・・・マールは怒っているかな?」
「いいえ、ただ心配していました・・・勿論、陛下も妃殿下もサザラン様も」
「・・・そっか・・・そうだろうな・・・だれか咎めを受けた?ネイナは?」
「いいえ、誰も」
「・・・よかった・・・・」
エディールは少し身をずらしてヴァーノンに横に座るように促した。
「・・・でも、私が厄介ごとのタネになってみんなに迷惑をかけたね・・・」
「・・・・・・あなたが悪いことは何もありません。あまりに不可抗力でした」
大きな彼が横に座ると、椅子のクッションが少し傾く。エディールは投げ出していた足を抱え込み、丸く座りなおした。
「・・・でも・・・お前やマールの忠告を無視してリューンに行った」
「ふ・・・気にしていたのですか?」
「・・・少しは。・・・これからどうしたらいいかな・・・?」
「そうですね・・・哀れな従者を思いやってくださるなら、自分の直感で行動する前に少し考えていただいて、相談するとか、慎重に行動してくださったら・・・」
「やっぱり、怒ってるじゃない・・・もう、どこへも行きにくくなる?」
エディールは少しその瞳を翳らせて、ヴァーノンの腕に額を持たせかけた。
「・・・そんな心配はありませぬ・・・私がお守りいたします。もう二度とこのような事態にはさせませぬ」
ヴァーノンは腕を廻してエディールを中に収めた。
「・・・ヴァーノンは私が厄介者だと思う・・・?」
広い胸に身をゆだねてエディールは尋ねた。
「誰もあなたを厄介者だなどと思ってはいませんよ?」
「誰も・・・ではなくてお前は?」
「私がそんなことを思う訳がありません」
「・・・本当?」
「本当ですとも」
「・・・じゃあ・・・じゃあ・・・これからもずっと私のこと好きでいてくれる?」
「なんですって」
ヴァーノンは唇だけで笑った。自分が腕の中の幼い姫に、身も心も捧げつくしている事をこの少女はまだわかっていないのだろうか?自分はエディールのためだけに生きているのに。この複雑且つ、激しい想いが「好き」などという、ありふれた言葉で表せられるなどとはヴァーノンは到底思えなかった。
「好きじゃないの?」
甘えてますます身を寄せ、エディールは見つめてくる。ヴァーノンは仕方なく答えるしかなかった。
「好きですよ。この上なく・・・よいしょ」
あっという間にエディールは膝の上に抱え上げられ、ふわりと抱きしめられた。
「・・・ごめんね・・・」
「何が・・・ですか」
「いっぱい、心配かけて」
「本当に・・・一時は生きた心地がしませんでした」
一瞬この存在を失うかと思ったあの日の苦悩を思い出して、ヴァーノンは少しだけ腕に力を入れた。まだ少し濡れたままの金髪に口づけを落とす。
「ごめんね」
顔を上げてまっすぐヴァーノンを見つめ、エディールは心から詫びた。
「それ以上謝られると私が困ってしまいます」
口づけは額に・・・瞼に・・・耳にも落とされる。だが、ヴァーノンはそれ以上は自分を抑え、長い睫毛に覆われた翠の瞳を覗き込んだ。
「唇は・・・?」
可愛らしく小首を傾げて、小さな姫君は続きをねだる。
「・・・そこは姫の夫君のものですから・・・」ヴァーノンは微笑んだ。
「あ、そう?なら大丈夫。夫は一生持たないもの。」
そう言い放つと、エディールは自分からヴァーノンの厳しい口元に口付けた。突然のことでヴァーノンは避ける事ができなかった。
「ごめんね?きっとこれからもヴァルに迷惑をかけるね?・・・でも、離れないで。ずっとそばにいて」
エディールはむき出しの腕でヴァーノンの頭を抱きしめ、再び湿った柔らかな唇を押し付けた。
「・・・エディラ・・・」
されるがままにうっとりと目を閉じ、ヴァーノンも主をふわりと抱きしめる。如何に自分の身が汚れていようと、この姫はきっと気にも留めないに違いない、今はそんな想像に甘えていたかった。
「さぁ・・・疲れたでしょう・・・?お体が冷えます。寝台へ・・・ね?」
ヴァーノンはエディールを抱き上げると、静かな足取りで寝台へと向かい、柔らかな布の中にくるみこんだ。
「今夜は久しぶりに一緒に寝てくれない?」
眠りの国に誘われながら、それでもエディールはねだってみた。
「それは・・・無理かと」
しかたなく目元を少し顰めてヴァーノンは答えた。
「なぜ?」
「さぁ・・・多分、私が男で、エディラが女だからですよ」
「そんなの知ってる。それが理由?」
「そうですよ」
「ふーん・・・・・・なら眠るまでそばにいてくれる?」
少しだけ腕を伸ばしたエディールは既に半分夢の中のようだ。
「お望みのままに」
差し出された小さな手を取ってヴァーノンは頷く。
「明日は・・・多分・・・た・・・」
エディールの瞼がゆっくりと下がってゆき、翠の瞳が閉じられてゆく。細い指先から力が抜けた。ヴァーノンは愛しい主の吐息が深く静かになるまで身じろぎもせず、見守っていた。
しばらくして、エディールの頬にかかる一筋の髪をそっと撫でつけ、ほんの少し湿った額に口づけを一つ落とすとヴァーノンはゆっくりと立ち上がった。
「・・・お休みなさいませ。どうぞよい夢を」
ごく静かにヴァーノンは扉を閉じ、退出する。
柔らかな闇がエディールを包み込んだ。
▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲
あ・まーーーーーーーーい!
・・・・・・ですか?
どっかのシュヴァリエ(騎士)にほんの少し影響されてはいますが、ヴァーノンは彼よりは報いられているでしょう。エディちゃんの思いは恋というには幼すぎるかもしれませんが・・・。ひさびさに甘あまが書けてもうめっちゃ楽しかったです。思えば自分の読みたい恋物語を求めるあまり、様々な拙いお話を生み出してきたのでした。次回はいよいよ最終話です!
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