月府に入って三日目の夕刻、依然としてエディールの行方はわからない。ゾーイは商人に変装し、町中を足を棒の様にして探索し、それらしい噂を探ったが、これといって怪しげな一行を見かけたという情報はなかった。街中を探索するのは主としてゾーイでヴァーノンは日がな城の周りに目を光らせている。さすがに城の守りは堅固で城壁はほぼ垂直に高くそびえ、いかなヴァーノンでも単身、闇に紛れての侵入は難しい。

唯一の収穫は、森に残してきた部下が山中に入り、大鷲伝説の有力な噂を聞き込んだと今日、連絡が入ったことだった。

それによると、大鷲は神の使いとされる希少種で、かつて王家の直接統治下に置かれた大鷲使いの一族が極秘に、その生育を管理していたとの事だったが、今ではその一族は離散し、あるいは途絶え、古い土地神の信仰も、大鷲信仰も今では廃れ、鷲そのものも絶滅してしまったようだと言うことだった。

確かに大鷲は存在していた。少なくとも以前は。これだけでも、姫が月関国にとらわれたと言う確かな証となる。しかも、大鷲は王家の管理下に置かれていたのなら、やはりエディールは王家ゆかりの地に囚われている可能性が高いのだ。

連絡に下りてきた部下には二人を引き続き、大鷲の情報を調べるようにと命じ、後の三人はこの家の近くに宿を取らせた。さすがにこの小さな家に大人数では目立つからだった。そして、今まで得た事を総合してやはり、一番エディールがとらわれている可能性があるのは城中だとヴァーノンは判断した。

勿論、鷲の棲む場所であったらしい、城の北にあると言う、かつての霊山も可能性に残るが、エディールの目下の存在価値である、巫祝としての癒術を利用するのなら、首府であるこの地がふさわしいからだ。





「城に侵入することは昼夜を問わず難しいものがあります。」

ヴァーノンが拠点と決めた家の老主、クリル・タインは重々しく首を振った。

狭い居間。窓は中庭に面した小さいものだけ、しかし。炉は赤々と燃えて日の落ちた部屋を照らし、鉄瓶からはこの国の数少ない特産である月香茶の香りが立ち込めていた。

「城は、密かな監視下に置かれています。」

「それは・・・やはり・・・?」

ヴァーノンが低く呟く。その瞳はゾーイが今までに見た事がないほど暗い光が在った。

「はい・・・冥関国(めいぜきこく)の死の旅団。それも、おそらく複数」

クリル・タインは頷き、熱い茶をすする。

「ちょっと待ってください。し、死の・・・なんですって?それに冥関国?そんな国は聞いた事がありません」

ゾーイは不吉な言葉の数々に思わず叫んだ。若いゾーイの驚きにクリル・タインはターバンにくるまれた白髪頭をゆっくりと振りながら説明する。

「冥関国・・・それは武陽国の昏(くら)い部分の目的を果たすために造られた闇の国の名・・・・・・。それは国家と言うよりは、秘密結社・・・組織と言ったほうがよいのかもしれませぬ。どこにあるか、そもそも一つの国のように大地に存在するのか、ただ組織の体系のみを指すのか、それすらもわからないと言われています。ただ・・・その構成員は全世界にばら撒かれております。統治するのはどこにあるのかもわからない、冥府の国・・・」

「・・・・・・」

背中に冷たい水でも一筋流されたようにゾーイが黙る。

「そこからは様々に目的に応じて死の旅団が派遣されます。諜報活動のこともありますし、戦や争いの火種を巻くような活動を裏から工作することもあります。旅団は主に大陸東側の国々全てに密かに存在する・・・そして、属国たる関国を監視し、武陽国に対して少しでも怪しい動きがあるときにはそれを本国に伝え、必要とあらば旅団に命じ、その国の国王でさえ、闇に葬る・・・それが旅団の上の組織と言われている暗殺官吏です。旅団は官吏の命によって動きます。」

「死の旅団・・・暗殺官吏・・・そんな・・・そんな組織・・・いや国が存在していたのですか・・・?ヴァーノン様はこの事をご存知で・・・?」

「・・・・・・・・知っている・・・」

低く、静かにヴァーノンは応じた。

「え!?まことですか」

「かつて旅をしている間に見知った・・・もっともその上層部のことは殆んど知らない・・・・・・冥関国の真の姿は私にも謎だ・・・」

「・・・それは・・・それでは・・・」

「冥関国に使われるものがまず仕込まれるのが、感情をなくすことだ。したがってどんな非情なことも眉一つ動かさずにできるように訓練される。できなければその報いは死だ。」

「・・・・・・おそろしい」

「そうだ、旅団は恐怖によって支配されている。いかなる恐怖も日常となれば、次第に無感覚になる。そのようにして彼等は単に人を殺す機械のようになって行くのだ。」

「そんな奴等が月関国を監視しているわけですか?」

ゾーイの問いにクリルが応じた。

「正確には国主、ナユヤ・カンを、です。月関国は八つの関国のうちでもっとも新しく属国・・・つまり関国になりました。山に囲まれた地形が幸いし、東の大陸の中でも孤高の文明を長く誇ってきたのです。百二十年前、武陽国に支配されるまでは・・・。彼等は国土を荒らし、幾多の人々を殺した。そして、王家を存続させる代わりに、伝統ある神々を奪い、神殿を破壊しました。そして属国として武陽に毎年三月の間、国主が皇都、陽台(ようだい)に参勤しなくてはなりませぬ。数々の貢物を奉じるために・・・」

「・・・・・・」

「そして、武陽皇帝は関国主たちに委任統治をさせながら、彼らを常に監視下において支配している。そのために冥関国をつかっていると言うわけです。・・・特に月関国は関国となるに抵抗の激しかった地域ですから。山奥の村の中には密かに昔の神々を信仰しているところもあるという噂ですし・・・・・・もしかすると大鷲も細々と生き残り、密かに保護されているのかもしれません。見た事はありませんが・・・」

ゾーイはクリルの話に恐ろしげに聞き入りながら、頷くしかなかった。

「しかし・・・クリル殿は何故、そのようなことをくわしくご存知なのですか・・・?」

「・・・私はかつて、武陽国より役人として派遣され、長く城に起居していたものです。ある事件が起こり、冥関国の者に襲われ大怪我を負い、長い間瀕死の状態でした。武陽国には死亡したと報告され、今でも公式には死人です。その後、何とか一命を取りとめ・・・市井に下りました。ヴァーノン殿とも其の頃、少々ご縁がありましてな。だからこそ、城の構造もわかるのですが、内部、特に本丸内に侵入するのはほぼ不可能かと。警備なども昔より厳しくなっているくらいで・・・」

「なるほど・・・そうでしたか・・・」





「・・・手は一つある」

黙って炉の火を見つめていたヴァーノンが静かに呟く。

「え・・・ヴァーノン様・・・それは」

「密かに城中に入るのが難しいとあれば、堂々と表から入るしかない。」

「なんですって!?」

「何のために我々は正式な通行手形を持っているのだ。ふ・・・これはお前の才覚にかかっている・・・ゾーイ」

初めてヴァーノンが唇の端で笑った。










深更。





「・・・お休みになられないのですか・・・?」

影のように中庭に佇む美丈夫は冬の凍てつく夜空を見上げている。クリルは心中、この人はまるで変わられぬようだ・・・と呟きながら声をかけた。

「・・・・・・」

黒い影は動かない。

「・・・あの青年に冥関国のことなど告げてよろしかったのですか・・・?」

「・・・・・・あれは使える人間だ・・・それに冥関国のことはれっきとした事実だ・・・シュレジアの重臣達にも伝えてある」

依然として夜空に目を向けたまま、ようやくヴァーノンは答えた。

「・・・私のことはあれでよかったのでしょうか」

「・・・ああ、まさかクリル殿が冥関国の旅団の一人で、殺そうとしたのが私であったとは、さすがに言えないからな・・・」

「殺そうとしたのではなく、助けてくださったのですが・・・」

「同じことだ・・・・・・だが、あなたのおかげで私にも生きる道が見えてきたのだ・・・」

「しかし、城に乗り込めばただでは済みますまい・・・せっかく・・・」

「・・・わかっている・・・」

「・・・・・・」

その時、不意にヴァーノンの肩がぴくりと震えた。

「・・・・・・・・・!」

「どうなさいました?」





「・・・・・・?エディラ・・・?」

突然ヴァーノンは北の方角に目を凝らした。まるで夜空と同じ漆黒の瞳になら何かが見えるとでも言うように。

「なにか・・・?」

「・・・城の北には霊山が・・・」

「はい、まず、深い渓谷が始まり、そこから山脈が続きます。かつての霊山は其の奥にあるとか・・・・・・」



「街の北に・・・行ってくる・・・朝までには戻る」






密かにクリルの隠れ家を抜け出したヴァーノンは、闇に紛れて城を目指した。

なぜか心が騒ぐ。

月府に入って三昼夜経つが、これまでになくエディールが近いところにいるような気がするのだ。昨夜はこのようなことはなかった。終にエディールの居場所がほぼ特定できたと言うこともあるが、確かにそれだけではない。それがヴァーノンを駆り立てる。

馬は蹄の音が石畳に響くので用いなかった。少し時間はかかるが、城までは僅かに一時。ヴァーノンの足を持ってすれば何ほどのこともない。

月は既に東に大きく傾いており、それを背景に巨大な城壁が黒々とそびえている。一箇所しかない城門は重々しく閉じあわされ、一人の人間が何も持たずに乗り越えられはしない。何度も確認した事だ。

もしかしたら、隠れた入り口がどこかにあるのかもしれないが、向こうもそんなに易々と手の内を明かすはずもなし、こちらも足繁くかぎまわって、怪しまれる危険を冒すつもりもなかった。そんなことをしたらますます警戒が厳重になるだけだろう。ヴァーノンは城壁にはこだわらなかった。

もう一度暗い城壁を見上げると、ヴァーノンは北へと走った。町並みは直ぐに切れ、街の外壁――これはさほど高くない――をそばに生えていた木を足がかりに一気に飛び越えると、荒涼とした冬の草原が広がった。よほどやせた土地柄なのだろう。田畑などの耕作地も殆んど見当たらない。

寒さは今が一番厳しい時間帯だった。雪こそほとんどないが、夜の空気はナイフのように尖っており、息が真白く流れる。

一刻も走るとぐんと山脈が近づいた。頂上付近に微かに白く光っているのは万年雪だろうか?さすがに高地の国だ。ふもとは針葉樹林と崖が織り成す谷となっている。見上げるとそろそろ山の端がほんのりと色づいてくる頃だった。

これ以上進むと真っ暗な森に入り、危険な亀裂が縦横に走る谷間を縫って進めば霊山に分け入ると言う。





ヴァーノンは森の端で歩みを止め、まだ暗い空を見上げる。星が最後の瞬きを放った。

「・・・・・・!?」

ぐらりとヴァーノンの頭が傾いだ。

不意にエディールがごく近くにいるかのような感覚にとらわれる。さきほどクリルの家で感じたのと同じ感覚―――





「エディ・・・・・・エディラ!いるのですか!?」



ヴァーノンは声を上げて呼んだ。声は微かに谷に響きながら昇華し、薄まりかけた闇に吸い込まれてゆく。



「私はここです!あなたを迎えに来ました。エディラ!返事をして!」



応えはない。しかし、ヴァーノンはそこを動くことが出来なかった。





その時―――





すっかり傾いた月と、底が僅かに染まり始めた空の間に何かが動いた。

まだごく遠く、しかし確実に大きくなってくる。平たく、長く、僅かな光を銀色にはじいている―――それは翼だった。





―鷲!大鷲か!





それは確かに巨大な影だった。遠くを飛んでいるはずなのに、その力強い羽ばたきまでも感じられるような。

鷲は、ぐんぐん近づいてくると思ったが、ある距離以上は間を詰めてこず、明らかにヴァーノンにだけわかるように、上空で二三度大きく旋回すると、再び山脈の方角へと飛び去ってゆく。彼は己の姿が人目についてはいけないことを知っているのだった。

しかし、彼は飛び去る瞬間に、あるイメージをヴァーノンに確かに送ってきた。

それは刹那の映像ではあったが、まごうことのない彼の愛する主のものだったのである。








ヴァーノンは明け染め始めた草原に立ち尽くしていた。











二日後、城門の前で謁見を求める人々の仲に、商都、ナッシュバールの高級商人の姿に身をやつしたゾーイ達の姿があった。







              ▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲







お話が動きました。いよいよクライマックスに入っていきます。







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