「エディール・・・!エディールはどこ?・・・今日は来てくれないの?」

細い声が薄暗い室内に響いた。あわてて、隅で控えていた侍女達が寝台に駆け寄ってくる。

広い部屋には磨かれた高価な黒檀の調度が並べられ、暖かすぎる室内には香が焚き染められていた。大きな窓には半遮光の布が掛けられ、それが部屋を薄暗くしている要因である。中央に大きな天蓋付きの寝台が置かれ、小さな影が横たわっている。そばに小さな脇机が置かれ、冷めきった食事が並んでいた。

「もうじきでございます。もう直にいらっしゃいます。」

「・・・ほら、まだ朝餉も全て召し上がっておられませぬ。早く召し上がらなくては又、エディール様にしかられますよ?」

「そうでございますとも。サラム様、どうかもう一口だけでも・・・」

そういって侍女は朝餉の粥を匙に掬い、細い体を大儀そうに大きな寝台に横たえているこの国の国子(王子)、サラム・カンに差し出した。

幼い国子の顔はびっくりするほど白く、子どもらしくないギスギスした線で囲まれていた。唇は白っぽく、寝てばかりいるので頭にへばりついた黒髪は細く薄かった。長すぎる真っ黒な睫毛が、濃い影を作り、一層やつれた感じを強めている。

「いらないっ!」

「あ!」

骨の浮き出ている鶏がらのような腕が振り払われ、粥と匙が宙を飛んだ。急いで侍女達が布で汚れたところをぬぐおうとしたり、落ちた匙を拾おうとぱたぱたと動き始める。

侍女が腰を屈め、手を伸ばして拾おうとした匙の先に水色の絹の靴が見えた。





「サラム、またそのように我が侭を言ってたのか」

言いながらその人は、侍女よりすばやく足元に転がった匙を拾い上げた。

「エディール!」

勿論、シュレジアの王女、エディール姫である。彼女は襟が詰まり、腰に房飾りのある布を巻いた月席国の衣装を身に付け、金髪を腰まで垂らしている。刺繍を施し、絹でできた緑青の衣装は彼女の瞳によく映えた。

「食物は投げるものではない。お前に給されるその粥は、厨房の料理人がお前に精をつけてもらおうと工夫したものと聞く。それをそのように気まぐれで投げてよいものか・・・」

「だって・・・今日は中々来てくれないもんだから・・・」

「私にだって用事はある。今朝はナユヤ殿に会って来た」

「お父上に・・・何故?」

「お前の回復の様子を伝えたり、我が帰国のことなどを伺いにな」

「帰国・・・帰国ってエディール・・・帰ってしまうの?私を置いて?」

「・・・それはいつかは。だいぶお前も回復してきたし」

さも当然のように答えるエディールに、サラムは苛立ったように掛け布団を握り締めた。

「エディールが帰ってしまうのなら私は決してよくならないよ。又、熱が出て、咳が止まらなくなる」

「そして、私はお前の父上に死刑にされる、と。ぞっとしないな」

「! 父上はエディールを死刑にしたりしないよ!なんでそんな事言うの!?」

「まぁ、それは冗談だ。だが、いつかは帰らなくてはならないのは事実だ。だからそれはサラムにも言っておく、と、今朝申し上げてきた」

「・・・父上はなんと・・・?」

「特に今は何も。ただ、私の話を聞いておられた。・・・しかし、ずいぶん大きな声が出せるようになったな。ここに来た時は、喉がぜいぜい鳴って口を聞くどころではなかったからな。」

話題を変えながらエディールはカーテンを開けた。

「あ!眩しい。強い光はキライだって言っているのに」

「それがよくないと言っているのに。朝の光は特に体にとって大切なのだ。さぁ」

さらさらと布が引かれ、冬の陽光が部屋いっぱいに注がれた。情け容赦もなく、窓も全開する。

「あ!寒い。又熱が出てしまう。」

「締め切って香を焚きすぎる部屋に閉じこもることの方がよっぽど体に毒だ。よいか、朝餉が済めば毎日ほんの一時だけでよいから布と窓を開けるのだ。一日少なくとも3度はそうすること。」

これは侍女たちに放たれた言葉である。主の意思は無視と見える。侍女たちはひたすら畏まって腰を屈めていた。

「この国の冬はよいな。高地にあるせいか、寒いことは寒いが、空気が澄み切って、空が高い。わが国の冬は曇天が続き、青い空が見えることは稀なのだ。」

「そうなら、ずっとここにいればよい」

ふくれっつらでサラムはさっきの話題を蒸し返した。

「さぁ、朝餉のやり直しだ。すまないが替わりを貰ってきてもらいたい。暖かい物をな。それが済めば今日の勤めを行う。サラム・・・わかったな」

できるだけ年上の威厳を見せつけながらエディールは厳かに告げた。










エディールが大鷲に攫われ、月関国首府、月府に連れて来られたのが一月の前だった。拉致された最初の間こそ大鷲の爪の間でしばらく生きた心地もせず、一刻の間、空を運ばれたが、一気に黒森まで飛ぶと、その後はそこで隠れて待っていた鷲使いの一団に丁重に迎え入れられた。彼らは礼儀正しく、恐ろしい思いをさせて済まないと謝罪し、そして、自分たちはある国のほとんど知られていない一族だと名乗った。

エディールは小柄な初老の男に、これから彼女は一人の少女と共に鷲に乗り、彼らの国まで行くことになっていると教えられた。自分たちの使命はそのことについてだけで、エディールに一切危害を加える気はないと約束した。

しかし、それ以上は何も教えられずにエディールは大鷲―――大飛(だいひ)という名の―――に専用の籠を付け、そこに乗せられ、替えの大鷲、飛竜(ひりゅう)と交替で、なんとわずか七日の内にこの地に降り立つことになったのだ。

思いがけない空の旅は、しかし、快適だった。大鷲は雲を抜けたり、澄み切った冬の空を矢の様に飛翔する。

人が二人乗れる籠はほとんど揺れず、エディールが寒くならないように上等の毛皮が敷き詰められてあった。鷲使いの少女、リウとも仲良くなったし、最初に彼女を運んだ大鷲、大飛と心を通わすこともできたからだ。

七日間の空の旅の間、当然夜は森の中での野宿となったが、不思議なことにそこには必ず、迎えの者達が待ち構えており、タオと呼ばれる居心地のよい天幕や暖かい食事が用意され、これが攫われて故国からどんどん遠くなっているのでなければ、エディールは大いにこの旅を楽しめたはずだと考えた。

しかし、とりあえずの命の保障はされたものの、何故このような事態になったのかは、教えられなかった。おそらく、鷲使いの者も知らされてはいなかったのだろう。だから、目立たぬよう、陽が落ちる寸前、鷲がどこかの山陰に降り立ち、そこからはこの国の旅人の衣類を纏わされ、馬車に揺られて城に入るまでの間、エディールはここがどこなのかはっきりと知る事ができなかった。

太陽の位置で東へと飛んでいることだけはわかっていたので、大陸の東に来ているようだとは見当をつけていたのだが、あいにく東の国々のことはあまり学んではいなかったのだ。

やがて馬車は山道を抜け、緩やかな起伏の続く平原へと出た。程なく、あまり大きくはないが、風変わりで優雅な、おそらく城と思われる建物の裏手から小さな門を潜った。小さな荷下ろし場で馬車から下ろされる。

その間、二刻はかかったろうに、休むことも食事を取ることも許されなかった。馬車から下り、それからも隠し通路と思われる暗い廊下をあちこち歩き回らされ、やっと今いるところである、後宮に迎え入れられた時、エディールは空腹と疲労から来る怒りで頭がくらくらとしていた。



自分が拉致されたことはわかったが、それにしてもこの扱いは何だ!あまりに無礼ではないか。どこの誰が私を攫ったと言うのだ。事の次第によっては目に物を見せてやる!



そこは小さな部屋で、夜だというのに小さな明かりが一つ灯るだけで調度もほとんど置かれていなかった。

真ん中に長身の男が立っている。彼の後ろに二人、エディールの後ろにも二人男が控えていた。危険な匂いはしない、とエディールの感覚が告げている。

長身の男が恭しく頭を垂れ、自分は月関国国主、ナユヤ・カンだと名乗った。

「そなた!今、国主と名乗ったな。卑しくも一国の主が何故このような暴挙を行うのか!恥を知れ!」

自ら出迎えに来ていた国の丁重な名乗りと挨拶にも耳をかさず、エディールはまず、怒りをぶちまけた。





「・・・王女殿下の仰せはごもっともなれど、どうか・・・お許しくだされ」

声を荒げて問い詰める王女を思わず止めようとした近習を制し、ナユヤ・カンは再び丁重に頭を下げた。

「しかしながら・・・・・・エディール殿下には我が書面は読まれたのであろうか?」

「書面だと・・・?」

「御意・・・。やはり・・・姫ごには何も聞かされておられなかったか。私はそなたの国に、そなたをわが国に招聘したいと何度も書を送ったのだ」

「そは又、何故?」

普段の磊落な口調と態度をかなぐり捨て、一国をただ一人で背負うかのようにエディールは胸を張って詰問する。

「我がただ一人の息子、サリムが死にかけておる。・・・医師の申すに、後一月も持てば良いほうだと・・・」

「なに?」

「我が必死の思いを認めた書面を正式な経路を経て送ったのであったが・・・さすがに国子の病のことは書けなかった・・・わが書状は検閲される可能性があるでな・・・。だが、我が誠意を切々と綴ったつもりだった。二度送った。・・・が、殿下の国の重臣達は言を左右にはぐらかすのみで、我が焦燥は高まるばかり。・・・思い余ってこうするより他に打つ手がなかったのであれば・・・・・・」

苦しそうに語る国主、ナユヤ・カンは三十路になったかならぬかの若い国主あった。身の丈高く、長い黒髪をエディールのように結わえずにそのまま腰まで垂らしている。額に刺繍を施した帯を締めており、痩躯にゆったりした黒っぽい長衣を羽織っていた。その風貌は知らず、エディールの身近な人物を想起させるものであった。

「どうかお許しくだされい。・・・シュレジア国の姫にのみ出現する巫祝の噂はわが国にも届いておった。はじめは誰も信じなかったが、国の古老がかつて幼い頃、戦に巻き込まれれ西に逃げた折、自分の父がシュレジア国巫女姫を名乗る金髪の姫に命を助けられたと申しての、それで藁にもすがる思いで書面を認めたのだ」

「・・・・・・」

それはおそらく彼女の曾祖母、今では伝説となっている、リューリア姫のことではないかとエディールは思った。その頃、東から起きた戦で、大勢の難民が西に流れてきたと記録にあったからだ。

「我が公子の病はわが国に独特のもの。今まで多くの民草、王族がその病で命を落としていった。助かるものもいるが、病は人を選ばぬ。幼き子どもが発症した時にはその殆んどが命を落とす。西から来た姫よ・・・どうか、我が願いを聞き届け、サリムを治してやってくだされ」

「・・・しかし、事情はわこうたが、そなたの取った行いは、明らかにまちごうておる。今頃我が父母・・・それに・・・ヴァ・・・いや、我に仕えてくれるものたちはきっと恐慌に陥っておるぞ」

それは旅の間にも何度も考え、自分が無事でいることを何とかして伝えようと無駄な努力をしたものだった。残念ながら何も有効な手段を考え付けなかったし、シュレジアから距離が開きすぎていたため、如何ともしがたかったのだが。

「は・・・それは時機を見て幾重にもお詫びいたそう。お国にも、勿論。・・・私とて、このような手段は使いとうはなかった。だが・・・時間がないのだ。しかも、私が今ここにこうしていることさえ、危険なのだ。自らの城で何をのたまうかとさぞご不審であろうが、恥ずかしながらこれが真実での・・・。我等は常に監視されておる・・・・今のところははさほど厳しくはないもののな・・・」

ナユヤ・カンはここで居住まいを正した。

「よう参られた・・・シュレジア国巫女姫、エディール・ユーレリア王女殿下。月関国国主、ナユヤ・カン、厚く御礼を申し上げまする」










そんな訳でエディールは不本意ながら月関国の賓客となって、国子、サリムの病の治療に当たらなければならない羽目になったのだった。

国に使いを出したいとの望みは受け入れられたが、ともかくサリムに回復の兆候が見られてからという事を申し渡された。結局のところ賓客として丁重に扱われてはいても、事実は彼女は拉致されてきた虜であり、さしあたっての命の危険はなくとも、身の自由は公子のいる後宮と、自分が閉じ込められている入り口の無い塔に限られ、刃物や筆記用具をそばに置くことは厳しく禁じられた。

その日の内に引き合わされた国子、サリムはナユヤの言ったとおり、かなり重篤な状態で、高熱を発し、意識も朦朧としている極めて危険な病状だった。

さすがに同情を禁じえなかったエディールは即座に癒術を開始し、やみ衰えた体に負担にならぬよう、少しずつ自然の持つ力をサリムに注ぎ込んだ。

締め切った窓を開放し、風を入れ、光を呼び込んだ。最初難色を示していた医師団も二日目には早くも高熱が引き、呼吸がほぼ平常に戻った時には驚きを隠さず、エディールに主導権を譲ったのであった。

「すばらしいお力でございます。エディール殿下。これなら国子様も救われましょう」

「癒術は医術とはちがう。私は自然(じねん)の力をほんの少しサリム殿の体に注ぎ込み、自身で回復する手伝いをしているだけだ。少し回復すれば当然、そなた達、医師の力が必要になる」

「・・・しかし、我々では病魔を食い止める事ができませなんだ。様々な薬石も、ある程度体力があってこそ、その効果を期待できるものでありますれば・・・殿下のお力があっての事だと存じまする」

「いや・・・私はまだ修行を始めたばかりの見習いなのだ。だからよくよく慎重に進めなければならぬ。しかも、あまりやりすぎると私のほうが先に参ってしまうのでな」

「おお・・・癒しの巫女姫には自分のお体を犠牲にして癒術を行うのであらせられるか・・・」

「おお・・・まことに・・・」

「・・・・・・う・・・・・・そうなのだ。此れは諸刃の剣ともいえる。うむ。」

本当は自分は自然の力を通す管となるだけで、よほど一気に力を注がない限り、自分のみがあやうくなる事はないので、医師たちの想像とは少し違うのだが、あんまり感心されるので、エディールは医師達にそのように思い込ませておくことにした。自分の存在を在り難い物にしておけば、この先何かと有利に交渉を進められるかもしれないとふんだからだ。



―今頃さぞや皆騒いでいることだろうな・・・母上は泣いているかしら?父上はまぁ、大丈夫か。・・・そしてヴァルは・・・ヴァルは・・・必死で私を探そうとしているに違いない。アイツのことだ、きっと自分を責めまくっているな・・・でも、いくらヴァルでも攫われた場所もわからないで、私を見つけ出す事ができるかしら・・・・・・?

いや・・・ナユヤ殿の話では、じぃ達は月関国からの書状を読んだに違いない。すぐに考えが及ばなくとも、ヴァーノンなら、そのことから何か手がかりを得るに違いない。アイツは何時だって妙にカンだけはいいんだ・・・。それにしても、私がここにいると伝える算段があればいいのだけれど・・・。こんなところにいたんじゃあなぁ



エディールの住まいとなった塔には入り口が無く、後宮に下りる時には大きな櫓が運び込まれ、護衛のものと共にそこを下りる。塔には屋上もあり、衣食に不自由は無く、求めるものは何でも与えられたが、外に出る手段や通信の手立ては何も考えつかないと言うのが現状だった。

しかし、公子サリムの病状は劇的に変化し、癒術は午前を費やして行われるのだが、三日目には意識が回復し、四日目にはわずかに重湯を口にしたのだった。

なにより、サリムがエディールになついた。わずか五才で母を亡くし、八才で病に侵されたサリムは体ばかりか、心まで相当に病んでいたのだったが、熱が下がって目を開けたその瞬間に見たエディールの事を今では姉のようにも慕っている。

治療を始めて半月余り、まだ寝台からは起き上がれないが、後十日も治療を続ければ、それも叶わぬことではないような見通しさえもてるまでになった。後は薬を飲み、滋養のあるものを食べ、時には日の光を浴び、衰えた肉や骨を作っていかねばならぬだけで、それは別にエディールがいなくてもできることだったのだ。





―これで、国を出てからほぼ一月。何とかして私が無事でいることだけでも伝えなければ・・・ヴァル・・・どうしてる?私を呼んでいるの・・・?ヴァル・・・!



開け放たれた窓から見える山に向かってエディールは念じた。



そうだ。「彼」ならば、もしかして私に力を貸してくれるかもしれない・・・もし、うまく「彼」の心に沿うことができれば・・・



一度決めたらエディールの行動は早い。屋上に設けられている、小さな庭に向かって走り出す。そこには僅かながら緑のものが植えられ、天気の好い日には、僅かな時間ながらそこを散歩する事が許されている。もちろん、召使いが常にそばに控えているので、今までは何かできるとは思っていなかった。

しかし、今日は散歩をする振りをして、意識を飛ばしてみよう。少しの時間なら怪しまれることもないかもしれない・・・しかし、短い時間で果たして「彼」までたどり着けるだろうか・・・?一度では無理でも何度か試していれば、あるいは・・・。



−とにかく、やってみないことには・・・・



エディールは小さな顎をぐっと上げた。







             ▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲







久々に登場!エディールちゃんです。あいかわらずヤケクソに前向き。エディール・ユーレリアというのは初登場ですが、彼女のフルネームです。この後に称号とか王家の名前が続くらしいです。久々の美形キャラ、ナユヤ様も初登場。







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