「ん・・・」
エディールはうっすらと目を開けた。
視界に明るい緑と青が映った。でも、あんまり急いで瞳を開けてはいけない。溢れる光に目を射られてしまうから。
―――ゆっくり・・・そう、睫毛を覆いにしてゆっくりと―――ああ、これはエダムの木の梢と秋の空だった・・・
「お戻りになされましたか?」
王女付きの一の女官、マールは少し離れたところに置かれてある椅子から立ち上がり、主人の起き上がるのに手を貸そうとゆっくり歩を進めた。あまり慌てて物音を立てると覚醒がしっくりこないことがあると、以前、エディールが言ったせいだ。
マールがエダム樹の真下の地べたに座って瞑想していたエディールを助け起こすと、いつの間にか回りを囲んでいた司祭たち―――全て女性ばかり―――も立ち上がり、沐浴の支度を始める。
大きな古木をくりぬいた浴槽にはちょうどよく暖められた湯が張られ、様々な香草の束や干した果実が浮かんでいる。この湯に浸ると、深い瞑想からの覚醒がよりすっきりと定まり、同じ姿勢を保っていたことによる体の疲れを癒すのだ。
マールが手伝って衣服を脱がし、・・・いや、本当なら首からすとんと落とすだけの簡単な麻の衣で手伝う必要もないのだが、マールがこれみよがしに女司祭達にエディールを大事にしているところを見せつけたいが為と、エディールの裸身を誰にも見せたくないために、毎回大げさに手伝っている・・・そして清らかな亜麻布を華奢な体に巻きつけた。
エディールは、草の上に敷かれた麻布の上を歩いて浴槽の縁に手を掛け、ゆっくりと体を湯に中に浸し、そのまま仰向けに横たわった。解けたままの金色の髪が白い肢体を隠すかのようにふうわりと湯気の中に広がった。
「お湯の加減はいかがでございますか?」マールが微笑む。
「・・・いい」
見上げると梢の切れたところから空が見える。今日は一段と高い。上空は風があるらしく、雲が早く流れてゆくが、このリューン神殿の最も奥つき、神聖なるリューンの森の中までは風は流れては来なかった。今日のところは。
リューンの森は小さいが、余人は決して入って来られない。
神殿の最奥は切り立った崖につながり、たった一つある入り口は岩肌と見分けがつかず、見つけられたとしても、山をくりぬいて作られた次の間にはぐるりと更に奥へ、上へと通ずるトンネルがいくつも掘られており、そこでまた分岐した階段へ繋がる。正しい入り口を見つけられないと、抜けることはおろか、脱出でさえ難しいと言われている。そして、正しい道は極一部の上級司祭しか知らないことになっている。
そしてまた、階段を上りきったところ、つまり、山の頂きにリューンの森があるのだが、さほど標高は高くないにもかかわらず、小さな樹海を形成しており、その山と樹海そのものが自然の力を集めるアンテナの役目をしているらしい。だからここにいるだけで、下界とはまったく空気の色や密度が違って見えるとエディールは思っていた。
その樹海を正しくぬけた所に至高の祭壇があるのだった。ただし祭壇と言っても、ただの樹海の切れ目、吹きっさらしの小さな草地だったが。
リューン神殿には男子は入れない。
シュレジア国の巫祝は昔から女子のみに現れ、しかも純血の王族に限られている。一度現れると数世代は現れないと記録に残るが、一旦巫祝の能力が現れた姫でも、巫女になることは本人が望まぬ限り、強制はされない。そういった姫たちの能力は、成長し夫を向かえ、子どもを生むにしたがって消えてゆくのだった。その子女に巫祝の血を引き継ぎながら。
しかし、巫女になることを選択し、身を清め、さまざまな訓練をつんだ巫女姫たちも確かに存在した。一番最近の記録では3世代前、つまりエディールの曾祖母の一人が偉大な巫女姫になったと伝えられている。
かつてのシュレジア国は、大国の戦に巻き込まれ、王都もたびたび侵略を許したと記録は語る。巫女姫はそこで大勢の傷ついた人々の心と体を癒した。巫女の情けに触れたものは、病や傷が癒えるのが顕著に早くなると言う。
その力とは、自然(じねん)のもつ様々な力を巫女姫の肉体を媒体として注ぎ込まれるものだとエディ-ルは教えられた。だから、巫女姫たるもの常に身を清め、自然と対話し、調和を図らなければならないとも。
「でもさぁ、そんなに毎日毎日、おキレイに過ごしてられないって言うのもゲンジツだと思うんだけどなぁ」
とは、何事にもこだわらない闊達な性格の王女様の言い分だ。
彼女は、巫祝になる道を選んだが、そのために何もかも捨てたわけではなかった。
歴代の巫女姫は、掟というほどではなかったが、大体菜食を旨としていた。しかし、エディールは肉や魚も大好きで、ちっさな体のワリにはよく食べるし、日課の学問や修身が退屈だと勝手に判断した日は、仮病を使ったりゴマカシをしてサボリを決め込んでいる。
そして、マールや他の女官たち、教師、コトが大げさになったときは、じぃこと、宰相サザラン公や果ては父、ナリマセル王から小言を貰うこともあった。
―――そして、勿論彼女の騎士、ヴァーノンからも。
「お前は性格が暗いよ?しかも、貧乏性だし」
「申し訳ございませぬ。―――しかし、性分でございますれば」
「リューンの参篭だってもう何回もやってるじゃない。たかだか月に一度の礼拝に何でそこまで警戒するかなぁ」
「あの場所は私が入っていけないところでございます。しかも、神域であるのと、姫との距離が開きますのとで、姫のご気配がまったく掴めませぬ。この何回かのお渡りで、どんなにか守りにくい場所であるかを痛感いたしました。万が一・・・」
「あー、もう。わかった!父上にお願いして、下神殿まではお前と、お前の手の物を入れればいいんだな?あ〜、ファラディア師がなんていって口を尖らせるか目に見えるようだわ。でも、下神殿までだと思うよ?入れるのは」
「結構でございます。・・・それとマールを常におそばに」
「あ〜・・・
うぜ」
「なんとおっしゃられました?」
「何もおっしゃっていません!」
と、結構な騒ぎがあってから何回目かの今回の参篭であったのだ。
パシャン、と水面を叩くと、湯気がゆらゆらと青い空に立ち昇った。
香木でできた浴槽はそれ自体がほのかな香りを放つ。破魔の力があると言うその木はこの樹海にしか生えないそうだ。
今日はどこまで行ったのだったか・・・
その白い顔までも湯に浸け、長々と身を横たえながら水面越しに遠い空を見上げた。視界で雲が揺れる。木々も。
彼女の瞑想はかなり上達し、今では集中が切れることなく、魂が宙を漂う事ができる。そうして、様々な命の言葉に耳を傾け、理(ことわり)に触れ、自然の力の受け皿としての巫女の能力を高めていった。
彼女だって別に単にわがままや酔狂でこの道を選んだわけではない。
シュレジア王家は家系は古いがそんなに堅苦しい家柄ではなかったが、自分が母や叔母達のように、夫を持ち、子どもを作って王家の血を守って生きて行くという事がどうも自分の未来図としてまったく考えられなかった。
そしてなにより、彼女は助けを呼んでいる、生きとし生けるものの声を無意識に感じてしまう。王宮にいる時はそうでもないが、ひとたび外に出ると風に乗って、傷ついた小さき生き物や、果ては常に戦が耐えないという東の大国の地の唸りのようなものを魂で感じてしまい、いても立ってもいられぬ事があった。
しかし、全てのことに答えて癒術を使えるわけではないし、今はまだ自然の器としての己を高めなくてはならない時期であったのだ。
今日はずいぶん飛んだ、飛べた・・・
高く飛んで上空を流れるあの風に身を委ねて・・・確かにリューン神殿を眼下に見た。
あれほどはっきり見えたのは初めてかもしれない。
そして、どんどん流れて行き、北の方に住む鳥の話を聞いたような気がする。・・・北?北と言えばアイツ、白銀は元気なのかな?もう1年も会ってないけど・・・
「・・・って!ぶは!」
ザザザ、湯が浴槽から溢れ出る。
「きゃ!どうなされました?」
急にガバと前にのめったエディールを見て、マールが慌てて布を差し出した。
「って・・・、ハァ・・・息をするのを忘れてた・・・」
「はぁ!?」
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今、ブラッド+というアニメを見ているのですが、エディとヴァルの関係がサヤとハジの関係に少し似ている気が・・・?
でも、こっちが先にはじめたんだから、まねっこぢゃないもんね〜。
・・・でも、やっぱり主従と言うのは萌えの大きな要素なんだろうな〜、と妙に納得しているぷんでした。
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