黄金(きん)色の午後

天から降りそそいだ水は、岩でできた斜面を駆け下り、小さな流れを成す。流れは幾筋も集まり、集まっては別れ、やがて輝く湖水へとたどり着く。水底からは小さなあぶくが幾億個も立ち上り、透きとおった水草と絡みつきながら青い水面へと昇ってゆく。すぐ上を吹きわたる芳しい風は、鏡のような湖面にさざ波を立て、もっと大きな流れに誘う。流れは斜面をゆっくりと下り、遥かな旅に出―――たどり着いた先には―――







「姫様!姫様!」

ただ事ならぬその声に、姫様と呼ばれたエディールはゆっくりと目を開けた。ここはシュレジア国王宮、花耀宮の奥の奥、末娘のエディールの居城、金花宮付属の広い庭園である。

ここには警備上、背の高い木は植えられておらず、ほとんど潅木か、ブッシュの類であった。そのほとんどが花のつける種類で、ちょうど今の時期は金花宮のいわれにもなっている、金連花の黄金色の房状の花が鈴なりに庭を飾っている。他にもピンクの花をつける弦状の花や、青くけぶる無数の小花があちこちに咲き乱れ、甘い香りが庭園中に漂っていた。

エディールは、庭の奥にあるエダム樹の、低いがよく茂る葉陰で瞑想していたのであった。

「う・・・・・・なに?血相を変えて。」

彼女は白い簡単な衣装を身に付け、地面に足を組み、両手を広げた格好のまま訝しげに問うた。流れる金の髪が緑の芝にまで広がっている。問うた相手は勿論彼女の随身、ヴァーノン青年である。

「なにって・・・さっきからこちらにおいででしたか?」

「・・・うん、今日は午後はここにいたが?」

「・・・ずっと?」

「ずっと。」

金色の粒が浮かぶ翠の瞳は、やましいウソなぞついぞ知らぬかのように瞬いた。―――実際は、これでもなかなかしたたかエディールは、学問や他のめんどくさいことをサボりたい時に適当にウソをつく。しかし、相手はヴァーノン以外の人間に限られていた。彼が相手ではすぐに看破されてしまうからである。



「・・・左様でございますか・・・」

相変わらず黒衣に身を包んだヴァーノンは、エディールがウソをついていないとわかっていても、腑に落ちない面持ちで彼の主人を見下ろしている。

「なに?なにかあったの?」

「いえ・・・ご無礼を致しました。申し訳ございませぬ。・・・・・・で、こちらで何をしておいでで?」

「瞑想。今日は初めてうまくいった・・・というのかな?なんだか魂が風に乗って高く上がって・・・それから・・・そうだ!私、水の一粒になって旅をしていたんだ。こんなに深く潜れたのは初めて。今まではいろいろ考えすぎて上手くいかなくって・・・何?」

「・・・瞑想・・・でございますか・・・」

「そ。リューン神殿のファラディア師は一日一回は瞑想しろって言ってたし。・・・サボってた訳ではないぞ。これも巫祝になるためのれっきとした修行だもん。」

「・・・・・・・・・」

ヴァーノンは高い位置からゆっくりとエディールの目の前に顔を近づけた。腰を下ろしたのだ。

「せっかくうまくいってたのにぃ。」

エディールはけぶる金色の前髪の下から、物憂げにヴァーノンを見つめた。

「?・・・なに?何か心配事?」

「いえ・・・実は・・・貴方のことを見失ったと錯覚して・・・実際ヒヤリと致しました。」

「見失うってなに?どういうこと?」

「・・・・・・・・・う〜ん、どう言ったらいいのか・・・。」







表向きは宰相直属の執務室の下っ端役人、その実はエディールの随身(というか守り役)、そのまたウラの顔は自国はおろか、周辺各国の機密事項に精通する、言わば情報枢密院の元締め、ヴァーノンは珍しく口ごもった。



彼は以前、エディールに命を救われて以来、ある程度の距離、例えば王宮内部ぐらいなら彼女の姿が見えなくとも気配を察知できると言う能力を得た。

エディールが自己の能力を最大限に使って人の命を救ったことは、後にも先にもあれきりなのだが、その時彼女から与えられたものの中にきっとエディールの一部が入っていたのだとヴァーノンは思う。

昔は機械のようにただ与えられた命令を遂行し、四季の移り変わりはおろか、人の生き死にでさえ感情を動かされることなどなかったはずなのだが、今では季節のわずかな移ろいにも、魂が安らぐ事がある。これはきっと自分の中のエディールの一部を通して物を見たり、感じたりするようになったのではないかと。

しかし、あまり感傷的になってしまっては、大切な姫を守れない。ヴァーノンは気をつけてできるだけいつも己を研ぎ澄まし、エディールを感じる思念を絶やさないようにしている。わずかな睡眠をとる時でさえも。





その常人離れした感覚から今日の午後、エディールが消えたのだった。





「その瞑想・・・お続けになるおつもりですか?」

「ってゆーか、ここ一ヶ月ずっとやっていたぞ。でも、今日のようにうまくいったのは初めてだ。自分がこの肉体の檻から解放されて、風になったり水になったりしたような感じで・・・・・・なんてゆーか、すごく自由な気分になった。」

「う〜〜〜ん、だからかな?・・・なんと申しますか、姫様の気配が一瞬完全に消えてしまったので・・・・・・慌てました。」

「へぇ、じゃあすごくうまくいったんだな。ファラディア先生は瞑想がうまくゆくと、自然の現象と自身が、融けあう感じになるらしいとおっしゃっておられたからな。」

「・・・・・・ですが、私がアナタを見失うのは困ります。もし、危険分子どもが・・・」

「こんな広い王宮の中を、この奥つきまでお前に感知されず、侵入してこれる者がいるとは考えられないけど。」

「いいえ、油断はなりません。例えば我等のよく知っている人物になりすますとか、遠隔誘導するとか、手は幾つも考えられます。」

「・・・そんなこといつも考えてるの?よっく疲れないなあ。」

「性分でございますからね。これは。・・・ですが!」

ヴァーノンは大きな手をエディールの肩に置いた。

「うん?」

「その瞑想はこの金花宮の外では絶対になさってはいけませんよ。絶対に。」

「ええ〜〜なんで?ホントは神殿の奥の何とかって言う神聖な場所でやるのが一番だって言われたんだけど・・・」

「リューン神殿?とんでもない!あそこは男子禁制じゃないですか!私、入れません。しかもあそこは神域ですから、通常でもアナタの気配がかき消されてしまう。ダメです!絶対。こちらで瞑想なさるときも、できたら時刻を教えていただきたいもんです。」

「そんな・・・時間割どおりに瞑想なんかできるもんかい。・・・それにいつかは神殿に入らなきゃ、修行の仕上げができないし〜。」

「その時が来たら私も何か手を考えます。でもいまは絶対ダメですから。」

「う〜、もう。修行になんない〜。」

「・・・申し訳ございませんが・・・」

少しだけ視線を弱めてヴァーノンはかわいい唇を尖らしている彼の姫を見下ろした。

「・・・だって、だってさ、私の癒術は周りに満ち溢れている自然(じねん)というか、森羅万象の力を借りて、やっと外に少しだけ出せるもんなんだって思うんだけど。」

「・・・・・・」

「こないだ難産の猫を助けた時だって・・・木々や生き物達の想い・・・?よくわかんないけど・・・そんなものが私に流れ込んできて・・・なんていうか、私はただそういうものを集める、ただの道具なんじゃないかなって思えるくらいに・・・・・・。そのためには雑念があったらダメなんじゃないかなって・・・上手く言えないんだけど・・・。」

「・・・・・・」

「だから・・・・・・これから人々の役に立とうって思うんだったら、こういうことも乗り越えていかないといけないんじゃないの?大変だとは思うんだけどさ。」

エディールは問うようにすぐ上にある黒瞳を見つめた。

いつもは鋭い光を湛えた瞳は、いまはびろうどのような柔らかさで彼女を覗き込んでいる。その瞳がさっと翳り、眉がひどく歪んだ。

「・・・だから・・・!」

言葉と共に華奢な頤が掬い取られ、逞しい胸に引き寄せられた。





「だから言ったではないですか・・・!貴女はそのままのお姿で幸福になればいいのだと・・・。巫女になど・・・」

「ヴァル・・・?怒っているの?」

別段抵抗もせずエディールは尋ねる。

「まさか・・・・・・ですが多分、困りきっているのでしょう。畏れ多い事ながら・・・。貴女が普通に姫君としてお過ごしになれば・・・よかったのにと、未だに願わずにはいられません」

「・・・それで、適当な養子を貰って家族を持てと?」

「はい・・・。前にもそう申し上げましたが・・・。」

「絶対にいやだ。そういうのってちっとも私の未来図として考えられない。・・・それに父上も母上もやっと諦めてくれたのに・・・」

「ええ・・・」





『やれやれ・・・おまえはそういう風に生まれついてきたのだな・・・。これも我が王家の宿命やも知れぬ・・・。』

父のナリマセル王は散々怒ったり、脅したり、なだめすかしたりした結果、エディールの決心が変わらないのを見、長い溜め息と共に最後にこう言ったのであった。

『ただし、一度でも挫けたら、さっさと諦めて嫁に行ってもらう。』

こうクギをさして。





「だから私は、何が何でもやり遂げないといけないと思うんだ・・・」

「ええ・・・私だけが諦めきれないのです。・・・貴女が巫祝になどなれば、あなたの背負う重荷は・・・あなたの命を奪うことになる事になるかもしれないのですよ・・・?」

「でも、お前がいる。」

「・・・」

「仮に私が命を狙われる事があったとしても(そんなことないと思うんだけど)、ヴァルが守ってくれるもの。それに・・・そんなに悪いことばっかりでもないと思うんだけどなぁ。」

「私、とてもそんなに楽観的になれませんが。」

ヴァーノンは金の髪を指で梳きながら呻いた。髪はその主とは逆に、梳かれるままに素直に流れ落ちる。

「お前は性格が暗いよ?物事は前向きに考えなくちゃ。・・・うん、私が巫祝になったって多分何も変わらないと思うな。ま、奥に引っ込んでることもないとも思うけど。今までの歴代の巫女姫だって、けっこうお転婆っていうか、戦場に臨んだり、人々の中に飛び込んでいったっていうじゃない。私にもきっとそんな血が流れているんだと思う。しかも、今はこの国に戦はないし・・・お前もいる。」

「はぁ・・・。」

「情けない声を出すな。私の騎士だろう?溜息なぞ言語道断だぞ。」

「申し訳もございません、ございませんが・・・。今日のような事があると・・・。」

「あー、もう、うっとぉしい〜。わかったから!これからはお前のそばで瞑想する!」

「は・・・ええっ!?」

「それなら文句ないんだろう?・・・そのかわり私と過ごす時間を増やせよ。いいな!・・・・・・今日だって会うの二日ぶりじゃないか〜。」

いかにも不満そうにエディールは付け足した。

「そんなのでよく私を守るとか言えるな〜。」

「これでもほとんど不眠不休で働いているのですけれど・・・」

「今度じぃに文句を言って、私の騎士を私に返すように言ってみようかな?」

じぃと言うのは名宰相として、近隣諸国の王族、領主にその名を知らぬものはないというサザラン公のことである。ヴァーノンの素性を調べ上げた上、何もかも承知で彼を国の暗部に置き、さらには王女の護衛を任せたのも彼だった。

「おやめください。そんなことをされるとイジワルされてますます私、忙しくなりますので。」

「あちこちで苛められてるなぁ、お前。」

そのばら色の頬を黒い衣で覆われた広い胸に押し付けて、エディールは甘えるように笑った。

「あまりに有能すぎるのも楽ではなさそうだな。」

「・・・ともかく・・・!」

唇に浮かびかける微笑を苦労して引っ込め、ヴァーノンは断固として言い募った。

「瞑想は・・・わかりましたね。危険要素はできるだけ排除しなくては。」

「わかった。」

「・・・・・・はぁ〜・・・」

「なに?」

「誰か来ます・・・。そうだ、私、仕事の途中でした。」

「はぁ?」





金花宮の方からなにやらバタバタと駆けて来る気配がやっとエディールにも感じられる。やがて金花宮の藍色の御仕着せを纏った侍女マールが息せき切って現れた。

「あ!やっぱりこちらでしたのね?ヴァーノン様。」

やれやれと立ち上がったヴァーノンは、エディールを助けて立たせながら、憂鬱そうにマールを見た。

「要件は・・・言わなくてよろしいです・・・・」

「あら?極秘文書を握ったまま事務官の姿が消えたと・・・あちらでは静かに大騒ぎしていらしたようですが・・・ご自覚はありますのね?」

「ええ・・・しかし、国家機密よりも、姫君の御身のほうが皆様同様、私も大切でして・・・・・・やむを得ませんでした。・・・ある意味こちらの姫君ほど重要な国家機密はないですし・・・」

「お気持ちはわかりますけれど、あまりに鮮やかに姿を消しすぎるのも、やはり如何なものかと・・・。」

マールは、黒衣から少しだけはみ出ている書紙の様式をみやりながら、指摘した。

「おや?」

ヴァーノンは動じた風もなく、書紙を胸元に押し込みながら、マールをちらりと見た。

「きっと大目玉でしょうね?」

愉快そうにマールは付け足す。

「何?機密書類が丸出し?・・・お前そんなことやってんの?わー、恥ずかしい。」

「なに、奪われたとしても・・・1月や2月かかってもわからないような暗号で書かれていますけれどもね。その間に見直せるようにね。・・・ま、確かに失態は失態ですが・・・」

エディールにからかわれていささか憮然とした面持ちでヴァーノンは口答えをした。

「やれやれ・・・ここは素直にサザラン様あたりから、お小言を頂戴してきます。・・・しかし、マール、貴女もすごくなりましたね?」

「私もこれで、ヴァーノン様にいろいろ教えていただいていますから。」

「・・・・・・・・・」

なんとなく悄然とした様子でヴァーノンはこっそりと逞しい肩をすくめた。

「も〜う、で?結局この後はどうしてくれんの?ヴァル。また仕事に戻るのか?あ〜あ、せっかく修行がうまく行きかけていたのになぁ〜〜〜〜。」

「・・・はいはい。では、少しシツレイを致しまして、後片付けをしてきましたらこちらに戻ります。晩餐前には・・・多分。」

「ほんと?絶対だぞ〜。・・・ってもういないし。」





(どうした?かなり堪えているようだ・・・・・・)

影のように廊下を滑りながら、ヴァーノンは自問した。

(こんなに早く、”その時”が来ると予想していなかったか?俺もまだまだ甘い・・・。・・・しかし、これからも我が姫の成長は目覚しいものがあるだろう。お身の回りをもっと厳重に固めなければ・・・お気の毒だが、当分また窮屈な思いを忍んでいただくことになるな・・・・・・)

(あの方にもう少し自覚を持っていただくのはなかなか難しいようだし・・・)

我知らず、またもやため息が漏れる。

(ともかく、今後のことを練り直さなくてはな。あの方もいつまでも大人しくしてくれようもないし・・・、陛下にも近々ご相談申し上げなくては。)



王女の居城、金花宮をぬけ、さらに王族達の私的な住居がある広い後宮や、数々の庭園を抜けてゆくと、堂々たる威容の本丸、花耀宮が姿を現す。

黒衣の青年の姿は、どこに入り口があるようにも見えない高い塀の前で一瞬にして見えなくなった。







「・・・いい午後だったなぁ・・・。さて、明日は何をしようかな。」

エディールは大きく伸びをして立ち上がった。脱ぎ捨てていたサンダルをようやくつっかける。

さっきまで透明に降りそそいでいた陽の光が、ようやく少しだけその色を濃く染め替える。そのせいで咲き乱れる金連花が一層深い色に見えた。





黄金色の午後、二度と同じ日はめぐってこない少女時代の美しい午後は終わりを惜しむかのように、ゆっくりと過ぎてゆくのであった。







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別になんてーこともない、ある一日のスケッチでした。






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