「姫様・・・マールから聞きましたが、晩餐を召し上がられなかったそうですね・・・お加減でも・・・?」
ベッドのカーテンをそっと押し上げ、ヴァーノンが入ってきた。
彼の大事な姫は着替えもせず、ベッドにうつ伏せになっている。
「エディラ?」
「・・・・・・・」
「お腹は空いていないのですか?」
「・・・・・・・」」
「・・・何を拗ねておられるのです?」
拗ねる、その言葉にがばと起き上がり、緑の瞳は激しく瞬いてヴァーノンを射抜いた。
「・・・っお前は知っていたんだろう!?・・・今回の外遊の本当の目的を・・・!」
「・・・・・・否定はしません。」
「・・・!わたしはっ・・・政略結婚させられるのか・・・?」
「・・・もし、姫が本気でお嫌なら、お父上も母上も無理強いなされないとは思いますが・・・アルシュ様がお嫌いなのですか?」
「・・・いや・・・奴はそんなに嫌いでもない。・・・だけど夫にするつもりもない!」
「・・・すぐにでもという話ではなかったと思います・・・しかし、貴方もアルシュ殿下も、もう成人になられたのですから、いつまでも避けて通られる道ではないかとも。」
「・・・わかっている!・・・だけど今じゃない!」
叫ぶなりエディールがベッドに突っ伏してしまったので、見事な金髪は蝋燭の灯に煌きながら扇形にシーツの上に広がる。
ヴァーノンはベッドに腰をかけ、その髪を一房、掬い上げた。
「さわるな!・・・ウソツキ!」
「うそツキ?・・・わたしが?」
「そうだ!」さも意外そうな口ぶりに思わずまた顔が上がる。しかも今度は涙で瞳が曇っている。
「お前は以前言ったじゃないか!お前の思念の先は常に私に向けられているのだろう?・・・それなのに・・・その・・・き、今日・・・」この日の午後の微妙な出来事を説明しかねて言葉が詰まった時、ヴァーノンの静かな声が後を続けた。
「屋上庭園になぜ来なかったのか・・・?と?」
「!・・・・・・知っていた・・・・・・のか?」
「・・・はい、大方は想像がつきます。でも危険はないと判断しました・・・あの時アルシュ様にそれほど昏い感情は表出していなかったので・・・」
「危険だって?・・・私がどんなに嫌な気持ちだったか・・・!」
「・・・これもお二人とも乗り越えてゆく壁とも・・・」
「ヴァルのバカ!」
「ええ・・・そう、感情とはまた別なものです・・・。私は一つ間違えばとんでもないことをしてしまうところでした。」
「え・・・?何・・・ あ!」
急に昼間の光景が蘇った。
『なんか変な別の衝撃があったし・・・。脳みそがぶん殴られた感じがしたぞ・・・』
エディールが膝蹴りをお見舞いした瞬間、アルシュは急に態度が変わった。紅潮していたアルシュの顔が急に青ざめ、芝の上にへたり込んでいた。勿論膝蹴りの痛みもあったはずだが、所詮非力な彼女の力だし、彼が大げさに痛がったのは、別の衝撃をごまかしていたのかもしれないと思い当たる。
「まさか・・・?ヴァル?」
「・・・自分でも無意識のうちに殿下に強い思念をぶつけていました。あんなことは初めてです。」
「・・・」
「うっかり間違えれば殿下を廃人にしていたかもしれません。」
「・・・そんなに・・・?」
「・・・私は・・・」
半ば無意識にヴァーノンはベッドから王女を掬い上げ、膝の上に下ろした。びろうどのような黒い瞳は自らの思いに囚われたかのかのように中空を彷徨っている。
「ヴァル!・・・」
しがみつく体の重さでやっと我に返ったヴァーノンはエディールの頭の上にキスを一つ落とす。
「・・・・・・信じてください。もしアルシュ様があれ以上無体なまねをなさる気配があったとしたら、私はそもそも最初からお二人を置いて行きはしませんでした。」
「・・・」
「・・・あの方は見かけどおりの無鉄砲な方ではありません。感受性が豊かすぎて今は損をしていらっしゃいますが、ただまだ大人になりきれないだけで・・・。あなたも・・・。」
「・・・知っている。」
「・・・保護者面をして少しは成り行きに任そうとしてみたのですが・・・。」
厳しい鋭角をなす頬を金髪にすり合わせ、青年は続ける。「・・・結局、すぐくじけてしまった・・・私もまだまだです。貴方が口付けをされただけで動転してしまう。」
「ヴァル・・・私はこのままがいい。このままでいたい。・・・私には巫祝の血が流れているんだろう?ならば結婚なぞしないほうがいいのではないのか?父上にそう言って・・・」
「王陛下も妃殿下も、貴方の能力を秘し、女性として普通の幸せを得られることを望んでおいでなのです。出立する前に癒術の技は絶対に使うなとか誓わされたはずですね?・・・確かに巫祝として生きた方々は、生涯一人身を貫かれたそうですが。」
「でも、私は・・・そうか、私が巫祝だから夫を持つことを望まぬのだ、とは考えられないか?」
「・・・さぁ、私にはわかりません・・・」
「・・・巫祝とは癒者だとも聞く。・・・私のほんの少しの治癒の力はきっと何かの役に立つはずだ。それを失いたくない。・・・だからこのままでいる。父上にも話す。きっとわかってくださるはずだ。」
「・・・さぁ、それはどうかと。伝説の巫祝と呼ばれた姫君たちは必ずしも幸せとはいえない生涯を送られた人が多かったのです。」
「知っている。少しは学んだ。だがその人たちにはお前がいなかったんだ。乱世でもあった。・・・そうだろう?」
「・・・・・・姫は私にどうしろと・・・?」
「そばにいてくれるだけでいい、今までのように。ずっと守ってくれると言ったろう?」
「貴方がご結婚されても、ご家族ごとお守りすることぐらいはできますよ。」
「それじゃあダメだ。・・・ダメなんだ。ヴァルは私一人を・・・。」
「・・・」
「生涯守れ。・・・これは命令だ。」
「・・・」
強い口調の割りに緑の瞳には必死の涙が浮かぶ。この小さな姫に命を救われたのだ。自分の価値なぞまったく頭にない、純粋すぎる素直な魂。
おそらくエディールの魂の器には男も女も身分もない。稀有なまでに自由で純粋な存在なのだ。その存在が彼を一途に求めている。
ヴァーノンは静かに膝の上からエディールを下ろしてベッドに座らせ、自分は床の上で騎士の礼を取った。黒髪が肩を滑り落ち、その横顔を隠す。
「・・・承りましてございます・・・。我が主よ。」
白い着物の裾を持ち上げて口づける。その一瞬はどうしようもなく真実であった。
「・・・ヴァル!」ふわりと軽い体が飛びつく。
「ははは・・・やったー!アルシュそこのけの職権乱用だな!・・・あはは。」
「・・・お父上がなんと言われるか・・・知りませんよ?」
突然のエディールの態度の変容にも謹厳な態度を崩さず、ヴァーノンは小さな顔を覗き込んだ。
「いい、いい。・・・ところでお腹が空いた。ヴァルは?どうせまだなんだろう?一緒に何か食べよう。マール・・・マール!」
現金にも一気にいつもの調子を取り戻し、ベッドから飛び出していった。
「・・・はぁ・・・」ヴァーノンのため息は何故のものであったか・・・・・・。
「お前・・・ほんとに帰るのか〜?」
「帰る。」
「俺って・・・振られたわけ?」
「いいや?お前のことは好きだぞ?初めての同世代の友人として。この間のことは不問にしてやる。」
「・・・それが振ってるっていうんだよ。俺、結構お前を・・・す・・・気に入ってきたのに・・・。」
「じゃあ、今度はお前がウチに来ればいいじゃないか。」
「それもいいんだが・・・。なんかさ、また刺激のない日々が戻ると思うと・・・。」
「でも、剣の腕前は飛躍的に上がったってヴァルが言ってたぞ。もっともっと練習してみんなに認めてもらったら、そのうち何か仕事をもらえるさ。」
「・・・」
「私も・・・自分の力を磨く。なにか役に立つようなことをする。」
「ちぇ・・・結局お前、優等生じゃないか・・・、つまらん。」
「なんとでも。人間与えられた環境で、できるかぎりのことをするのがいいんだ。私だってこれから何があるかわからないし・・・。まだまだ大陸は安定しているとはいえないらしいからな。」
「まぁ・・・俺も少し地方を見て見たいと思うよ・・・あいつのようにな。」
「目標が出来たじゃないか。」
「まぁな、・・・その点は感謝している。・・・しっかしウチの国の人材不足は目を覆うばかりだな。」
「・・・お前がその人材になればいいだけのことじゃないか。」
「簡単に言うなよ・・・、お前・・・女にしとくには惜しいな。いつかまたちゃんと話をしようぜ。」
「いいよ。・・・それじゃ行く。・・・また会おう。」
「ああ、またな。・・・なぁ・・・お別れのキスぐらいさせろよ。」
「やーなこった。」
「ケチ!」
「ふん・・・北の鉱山からはこんなに収益が上がっているか・・・。それはいいが、かなりの数の汚職だな・・・。」
「一つ一つの規模は今のところ大きくはないようですが・・・。」
「人間の欲には限りがない。ほうっておけばすぐ中枢部にまで蔓延する。国の乱れる元だ。隣国が内紛の元を抱えているようでは困る。」
「は。」
「・・・それにしても下町の井戸役人の不審な態度を示しただけで、よくここまで調べられたな。・・・あの枯れた井戸の中には何があった?」
「彼がこの2年でしこたま溜め込んだ小金と、賄賂に使おうとしていた緑柱石の原石が。」
「・・・そこからは芋づる式か・・・礼を言う。」
「・・・いえ、私なぞ・・・お若い二人の殿下の気まぐれがあったればこそ・・・。」
「それもそうか・・・。だが・・・これからも頼む。」
「承知・・・!」
「このシダールの町から首都圏にいたる汚職のルートを内務大臣に伝えておこう。順調な時ほど気をつけなくてはならぬものだとな。・・・ご苦労、ナスカ。」
「父上、お呼びですか?」
「おや・・・お前から父上と呼んでもらえるのは何年ぶりかな?」
「(うっせー、クソ親父)ご用は・・・?」
「・・・この夏ずいぶんと剣術の稽古をしておったそうだの?・・・腕前は上がったか?」
「さぁ・・・。」
「まぁいい、エディールとはずいぶん気が合ったようだな。・・・どうだ?正式に婚約を申し入れようか?」
「・・・それはやめた方がいいですよ。はっきり言って。」
「む・・・?何故だな?」
「あいつ・・・じゃなくて姫君はもう決めた男がいるようです。本人はガキ・・・子供だから気がついていないだけで。」
「・・・そんなもの、あれも王国の娘。自分の役割ぐらいは承知していると思うが。」
「・・・ってゆーか、彼女はこれから自分の修行をすることに決めたって言ってたから。・・・・・・んーとな、親父。今まで結構好き放題やらかしてきたけど、まぁ俺も少しは色々考えたからな。心配すんな、この国はそんな姻戚関係に頼らなくても俺がちゃんと兄貴を補佐するさ。・・・今はまだ無理だけどな。」
「・・・」
「・・・とにかく!この話は今のところ終わりにしてくれ。(そのうち男を磨いて自分の力であいつを振り向かせるさ)あ、アイツ・・・シュレジアの事務官の何とか言うエラソーな男が北の町に仕事がありそうだって言ってたな?なんか俺にできそうなことがあったら言ってくれ。国境警備でも町長監査役でも何でもやってやるぞ。」
「・・・お前・・・本当にアルシュか?」
「はぁ?親父、ボケるにはまだ早いんじゃねーの?」
「あーあ、何だかんだいって一月が早かったかなあ?結構いろんなことができたし、友好にも努めたし。」
「第二王子に膝蹴りかましておいてですか?」
「そうとも!・・・でもやっぱり少しは剣とか体術とか学んじゃだめか?」
「必要ありません。」
「・・・ケチ!」
「あなたにはそれで無くともこれからたくさん学ぶことがあるのですよ、エディラ?」
「うーん、まずは古色蒼然たる先人の歩んだ道をたどるか?わー、黴臭そう。」
「がんばってくださいね・・・と言いたいところですが、私はやはり貴方を巫祝とはしたくない気持ちですが・・・。」
「わかってる。私だってまだ何をどうすればいいのかわかんないし〜。・・・しかし父上にはちょっと言ってやる事がある。」
「・・・言わない方が賢明だと思いますがねぇ・・・。」
「いーや、人に勝手に縁談なぞ画策してからに・・・。絶対、ぜーーったい、言ってやる。」
「・・・ほどほどになさいませね。誰よりもあなたの幸せを願っておられるのですから・・・。」
「ふん!」
「・・・」
「ねぇ、馬車から下りて、馬に乗っちゃだめ?乗らないと馬術も上達しないし・・・、少しだけでいいから。」
「絶対にいけません。」
「ケチ!もうお前とは話をしない!」
「・・・」
青年の鋭角な直線を描く眉がさがり、薄い唇にはゆったりとした微笑が湛えられ、
いまだ幼い紅潮した顔を愛しげに見つめた。
「とにかく・・・、しばらくの間は・・・だ!」
遠い山脈が高い空に薄青く引き立ち、北方の短い夏は終わりを告げようとしていた。
おわり
▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲
うーん、コレといって大した事件も起こらなかったかな?でもエディちゃんやアルシュ君がちょっと真剣に自分のたどる道を考え始めたってことで、必要な章だったって思います。
最後の方は場面ごとに会話形式でフィナーレでした。演出としてはどうだったかな?(かすかな伏線もあったことだし。)
・・・でも、今後どんな展開にしようかまったく思いつきません。次章はまた間が開くかと思いますが、気長にお待ちくださいませ。
読んでいただいた方、感想やご指摘をいただいた方、どうもありがとうございました。
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