夏の肖像
1
「姫様、そろそろ自由国境地帯を抜けます。窓を開けてもいいですよ。」
馬車の外からヴァーノンが声をかける。
「ふぁ、ありがたい。息苦しくなってきたところだった。」
早速馬車の小窓を全開にし、シュレジア国王女エディールがその小さな顔を出し、羨ましそうに彼女の随身を見た。
彼―――ヴァーノンは表向き外交使節の事務官という端役だったが―――は騎馬で、鎧もつけず、気持ちよさそうにたくみな手綱さばきで黒馬を操っている。
一行はシュレジア国から北西の自由国境地帯を抜けた隣国、セイシリア国への親善使節であった。
セイシリア国への今年の親善大使には成人したばかりのエディール王女が選ばれ、護衛兵、侍女などを入れても30名足らずのこじんまりとした一行になった。
それも、シュレジア国とその友好国、セイシリア国との間の街道は極めてよく整備され、他の地ならば無法者が暴れまわる自由国境地帯でも、ここいらでは点在する村々の共同の自警団が行き届き、この10年間は国境地帯にありがちな盗賊団や、兵隊崩れが起こす略奪などは一件も起こっていなかったからである。
無論、何事にも慎重なヴァーノンがその情報網を使って念の上にも念を入れて準備していたことは言うまでもない。警備の近衛兵は選りすぐりの精鋭だし、女官も腕に覚えのあるもの達ばかりだったのだ。
セイシリア国には彼女の父の妹、つまり叔母にあたる、かつてのモリィ姫が嫁いでおり、エディールは去年成人を迎えた報告と避暑を兼ねて、夏の一月近くを北方のこの国で過ごすよう、父であるナリマセル王から熱心に薦められたのであった。
父の話の持っていき方になにやら胡散臭いものを感じないわけではなかったが、避暑というのに魅力を感じてエディールは出かけることに決めた。彼女にとって生まれて初めての国外行であった。
「あ、エディラ?、外を眺められるのは結構ですが、でもお顔は出さないでくださいね。」
さり気なく自身の身を盾にしながらヴァーノンが注意した。
「わかっている…!」
細心の心配りに守られているのだ、それはわかっているけれど…!
「お前がそんなに前にいるもんだから、外の景色も見えないじゃないか〜。まだセイシリア国内には入らないのか?」
「いえ、たった今、入りましたよ。後、半日で首都セイシリルナです。よくご辛抱なさいましたね。」
「いや、辛抱というほどのことはない。何もかも珍しいし。国境を出てからのこの2日間はさすがに少し緊張したが。…使者はもう送った?」
「先ほど貴方が転寝をしている間に。間もなく迎えが来るでしょう。」
(やな奴、人が緊張してたって言ってるのに。)
「ふ…ふーん、では今日の晩餐は叔母上といただけるわけだな。4年ぶりになるか…。お前も叔母上は知っているはずだな?」
「ええ、しかし、あの頃は私がお使えしてまだ間がありませんでしたので、お里帰りされた時に下役人の一人として末席でご挨拶させていただいただけでしたが。」
「そお?ま、闊達な方なんであんまりかしこまらなくてもいいと思う。お前も晩餐の席に付くように。」
「いいえ、それはなりませぬ。下役人風情が姫様と同席するなんて、それこそ不審を招きます。」
(あいかわらず、控えめなヤツ。いくら表向きは下級役人だからって皆は私の側近だと認めているのに…。わたしの隣に座ったって誰も文句なぞ言わないのに…。)
本当は少し離れていたほうが、目端が効くし、警備上も色々都合がよいからなのだが。
エディールの密かな不満はさておき、馬車はセイシリア国首都、セイシリルナへと快調に進んでいく。
やや北方の国らしく、開けた道の脇に見える木々はイトスギのように先端が尖った針葉樹が多い。
空の色は夏だというのに薄い瑠璃色でシュレジア国のものよりずいぶん高く見える。
やがて一行は赤い石で組まれた城壁をくぐり抜け、セイシリルナの城下町へと入った。
王城は街の真北にあり、背後に深い森と険しい山脈を控え、自然が鉄壁の砦となって城と城下町を守っている。
城までは緩やかな上り坂、セイシリルナは坂の街であった。
その日の夕刻王城、青水城に到着した一行は、早速国王夫妻から暖かい歓迎を受けた。
「まぁ!エディール、お久しぶりね!まぁ、なんてきれいになって…お兄様も鼻高々でしょうねえ。」
「お久しぶりでございます。ダナン叔父上、モリィ叔母上。エディールは先年15になり、成人いたしました。ご報告申し上げます。これからもなにとぞよろしくお導きくださいませ。」
「ははは、堅苦しい挨拶はせぬがましだよ。エディール、立って顔をよく見せておくれ。」
モリィ叔母も、その夫で国王であるダナン叔父もくだけた人柄である。このあたりはシュレジア王家とあまり変わりがない。
「これは我が第一王子、ハーモン。そして隣がその婚約者フェーミア。」
「おうわさはかねがね伺っておりましたよ、エディール王女。やっとお会いできて光栄です。先年は成人されたお祝いにわたしが駆けつけるはずだったのですが、思いがけず病を得てしまい失礼を致しました。」
進み出たハーモン王子は北方の血が色濃く現れた青年で、白っぽい金髪、薄青い目の、病後でやややつれているが穏やかな微笑を浮かべて手を差し出した。
「いいえ。ハーモン様、病はすっかり癒えられたのですか?」
「ええ、もうすっかり。ねえ、フェーミア?」
ハーモン王子は脇に控えた婚約者をやさしく見下ろしながら答えた。
この国の貴族の娘であるというフェーミアはおとなしそうな鳶色の眼をしたエディールより少し年長の娘だった。
「お初に御目文字いたします。エディール様、アルバラ公の娘フェーミアと申します。お近づきになれて嬉うございます。」
「ありがとう。申し送れましたが、ご婚約おめでとうございます。こちらこそ、仲良くして下されればありがたく存じます。」
「時にハーモン、アルシュは?」
ダナン王が困ったように問う。
「はぁ、父上。一応言ったことは言ったのですが…。」
「仕方のないやつだな、あとできつく言い聞かしておかねば。いや、お恥ずかしい次第だが、ウチの次男坊がただいま反抗期の真っ最中でね、どうやらまたどこかに抜け出してしまったらしい。後できちんと紹介させるほどにご無礼をお許しくだされい。…それでは姫、お疲れだろうし、晩餐まで少し休まれるとよろしかろう。」
「お心遣い感謝いたします。」
謁見の儀はあっさりと済み、エディールとその一行は謁見の間を辞去した。
「やれやれ、けっこう疲れるもんだな…。」
用意された部屋に入ったエディールは旅装を解きながらため息をついた。
女官のマールが甲斐甲斐しく世話を焼いている。
「どうだった?わたしは?うまくやれただろ?初めての外交にしては。」
少し声を上げてカーテンの陰にいるはずのヴァーノンに問いかける。
「…そうでございますね、少々言葉が少なかったようですが、ま、いいでしょう。」
「後は晩餐か…。面倒もなく済むと思うなぁ。この一月、ゆっくり遊べたらいいのに。」
「………」
ほんの少し空気の流れが変わり、ヴァーノンがそちらへ顔を向ける。
《ヴァーノン様…》
《お前か…報告を。》
エディールには聞き取れないほどの小声で言葉が交わされる。
《まずは心配はないかと。例の隠し子事件もでっち上げが確かなようですし…。》
「マール、やはり髪は上げないとダメか?」
「勿論でございます、姫は正式な特使なのでございますから。お衣装はこのピンク色のにいたしましょうね。」
「あ、これやだなあ。ひらひらしてて、動きにくいし…、ヴァーノンはどう思う?」
「…とてもよろしいのではないかと。」
《ふん…、半年前まではセイシリア王家も鼎が沸き立つ騒ぎだったのだが…。遺恨なく解決したのだな?》
《は…、ただ…》
「もう、他人事だと思って…。見てないくせにぃ。」
エディールはなかっ腹な様子である。
《なにか?》
《御次男のアルシュ王子の動きがなにやら…》
《うん…?》
《どうやら人望厚い兄上に対してあまりこのところ評判がよくありません。》
「いえ、お似合いだと申し上げているのですよ。」
穏やかにヴァーノンが請合う。
「そうかなあ」
《ふん?聞かなかったな。》
《つい最近のことでございますから、ま、今のところたいした事にはなっていませんが、どうやらかなり激しいめの反抗期のようで…私も何度か目に致しましたが・・・》
《ん…わかった。他のものにも引き続きそれぞれの監視を怠らないように伝えてくれ。》
《は…!》
「ヴァーノン!これでどうだ?文句はつけられまい。」
さっとカーテンが開かれ、久しぶりに正装したエディールが姿を現す。
エディールが見たのはあいかわらず黒づくめのひっそりと佇む一人の男。
ヴァーノンが見たのは金髪を高く結い、薄いレースが纏わりつく衣装に身を包んだ妖精のような少女だった。
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「翠の王国」シリーズの続編です。
これからしばらくお付き合いくださいますか?
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