インディゴ・クリスマス
― ・・・いいわよ。手伝ってあげる
電話の向こうの優菜の声はいつも通り落ち着いたものだった。志郎は割合気負っていた一件だっただけに、優菜があっけなく承諾してくれたことに拍子抜けする。だが、同時に思わず顔がにやけるほど嬉しかったのも事実。
「え!いいのか?マジ?助かる。いや〜〜〜、マジ助かる。実は場所が教会って聞いたんで、なんてゆーか俺、結構気を使ってたんだけど・・・・・・時間は6時から7時までの小一時間なんだけどな」
― ええ、知ってる
「へ?なんで?」
― だって私もクリスマス会に招待されているから
「・・・・・・かよ?」
受話器の向こうで志郎がもごもご言っているのが優菜はおかしかった。
― え?何?聞こえない
「いや・・・だってあの教会はお前にとってヤな場所かもって思ってたから・・・」
― 昔のことだわ。それに、もうその事は許してあげるって前に言わなかった?
「そう・・・そうだけどな・・・俺としても結構トラウマだったモンで・・・・・・」
志郎の語尾は煮え切らない。めずらしく錆びた声が弱々しい。
― あら、そうなんだ
「う・・・まぁいいや。じゃあ、悪いけど頼むわ。6時ごろには行けると思う」
― だけど一つ守って欲しい事があるの
「ああ。何?」
― 私に必要以上に話しかけたりしないでね?
「なんで?」
― だってあなたはここでは顔がしれているし、私は地区の小学校の教師で、親しくしてたら変に思われるかもだもの。うちのクラスの子も来るし、もしかしたら保護者に会うかもしれないし・・・
「俺たちって親しいのか?」
― どうだろう・・・?
「俺としてはもっと親密になりたいな〜〜なんて・・・・・・」
― とにかく!話しかけないで!
電話の向こうで優菜が焦った様子が見て取れた志郎は、思わず笑ってしまった。
「ふ〜〜ん、そんなものか?俺は気にしないけど」
― 私はするんです。それ、守れる?
「わかった」
― ん。ならいいわ。お手伝いします。だけど・・・あなたがサンタさんになるのかぁ・・・
「俺だってイヤだよ。ガラじゃねぇもん。だけど、しかたなくてさ。兄貴がウルサイし・・・」
― だけど、一旦引き受けたんなら・・・
「わかってるよ。子ども達に夢をあげるサンタクロースのおじさんに徹したる!」
生真面目な優菜の声に、志郎はヤケクソのように応じた。引き受けたんならやる事はやるべきだろう。
― 楽しみにしてるわ
「おお。・・・で、あのな?」
― はい?
「お前、何か欲しいものある?」
―ない
即答。
「こら、あっさり言うな!クリスマスだろ?サンタのおじさんになんかお願いとかないんかよ?」
― だって・・・う〜〜ん、別にないなぁ・・・しいて言えば、12月は忙しすぎたから、たまにはゆっくり休みたいって事ぐらいかな?
「ヤな女だな。こっちはかき入れ時だってのに」
― すみませんねぇ
「まぁいいさ。サンタの後も俺もまだ仕事あるし・・・。年末までは休みが取れそうに無い。元旦は休む予定だから・・・いいな?」
― 何の事かしら?
「うっせ!いいから空けておけ・・・・・・いてくださいね?」
―はいはい、わかりました
「・・・・・・OK。じゃあ24日にな。恩に着るわ」
―はい。おやすみなさい
パチン。と志郎は携帯を閉じ、ダッシュボードの上に投げ出した。ほう〜〜っと大きな息が漏れる。
「さぁて・・・お姫さんのお許しは頂けたし・・・どうするべぇか?俺」
事の顛末は、地元で唯一のキリスト教会から商店会に対し、プレゼントを配る時だけサンタの役をやってくれる人はいないかと打診され、志郎の兄の悟郎が弟に白羽の矢を立てた事からはじまる。
商店会は毎年地元の教会のクリスマス会に、お菓子の寄付をしている。サンタは毎年神父さんがその役目をするのだが、今年は持病の腰痛がひどくてあまり身動きが出来ず、ミサだけで手一杯。大学生のボランティアは女の子ばかり。又、子ども達の父兄に頼もうにも壮年の働き手は年末でどこも忙しく、かといって子どもの扱いに慣れない年配の商店主でもよろしくない。
という訳で、適当な候補者が出なかったのだった。
志郎も勿論忙しい身で、無愛想な自分がサンタの役など不適格だと兄に申し立てたが、抜け目の無い悟郎から子ども達は大事なお客さんだし、保護者への宣伝になる。これは重要な営業活動だと丸め込まれ、しぶしぶ承知をしたという訳だった。
だが酒屋も当然、クリスマスや年末はかき入れ時で、ギリギリまで配達がある。クリスマス会の段取りの打ち合わせもできない。
だから、志郎はダメモトで優菜に応援を頼んだ。
ところが、優菜はもともとクラスの子ども達から頼まれ、クリスマス会の準備を手伝うことになっていた。優菜にしても教会の中に入るのはほぼ10年ぶりだったのだが、クラスの児童で教会の信徒の子どもがいて、クラスメイトと優菜を招待してくれたのだった。
正直言って、クリスマス会自体は優菜にとって特に興味のあるものではなかったが、大人しくもしっかりした受け持ち生徒、石野さんの珍しい頼み事をことわる訳には行かないと思った。
ただ、招待されるだけというのも手持ち無沙汰なので、少し手伝うことにしたのだった。準備と劇の裏方を。
そしてその予定を先ほど志郎が知ったと言う訳だ。
優菜への依頼はギリギリで駆け込む志郎にサンタの衣装を着付け、こっそり必要な指示を出して欲しいということだった。
教会では、クリスマスに信者であるか否かに関係なく、地区の子ども達を集めてクリスマス会が開かれる。最初に神父さんのお話を聞き、賛美歌を歌った後は大学生を中心とした信者達による劇を見て、お楽しみのケーキとプレゼント交換、そしてお菓子の詰め合わせを貰えるのだ。
家の居間ではなかなか置けないような大きな樅の木、洒落たオーナメント、厳かな聖堂、晴れがましい顔をしたシスターや信徒の人たち。何もかもが非日常的で、子ども達を夢の世界へ誘う。
それは今も昔も変わる事なく―――
クリスマスは子ども達にとってドキドキする季節なのだった。
子どもの頃の優菜はガキ大将だった志郎に、そのクリスマスをとんでもないイジワルをされて台無しになり、心に刺さった棘のような思い出となっていたのだが、二ヶ月前の夕焼けの日を境に、その棘は溶けて流れていった。
優菜も志郎も忙しい身で、しかも休日が余り重ならないため、なかなかゆっくり話をする時間も取れなかったが、優菜は志郎が最初の印象よりずっと優しく、よく気のつく人間だと思うようになった。
言葉遣いはあいかわらず雑で、態度も洗練されているとはいい難たかったが。
そうしてイヴの夜を迎えようとしていた。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
『あなたが雪の女王様・・・?』
『そうですゲルダ。よくここまでやってきましたね?』
『カイを返してください!』
『それは、あなたの心次第です。さぁ・・・私に真実を見せてください・・・・・・』
集会室の壇上で繰り広げられる劇は限られたスペースながら、衣装、小道具など、なかなか凝ったものになっていた。特に衣装は手先の器用な学生がいたのだろう。北欧の物語に沿ったものになっていて、女王様の真っ白なトレインを観客の女の子たちはうっとりと見入っている。
優菜も一番後ろの長椅子の後ろに立って、いつの間にか夢中で劇を見ていた。出演者は皆女学生で、主人公のゲルダを小学校で実習生をしていた松居かおりが演じている。彼女がこちらのボランティアだったことも、今日はじめて知った。
ぽん!と優菜の肩に手が置かれる。
「や、スマン。遅くなった」
振り向くと志郎が立っている。配達の途中でいつもの作業着にジーパンという格好だ。
「あ・・・こんばんは。ご苦労様、車は?」
「ちょっと離れたところに止めたんだ。俺だってバレないように」
「そっか、衣装はあっちなの。急ごうか?劇はもうクライマックスだし」
優菜は集会室を出た所のホールの脇の小部屋に志郎を導きながら囁いた。
「・・・のようだな、けっこうがんばってんな」
志郎も感心したように呟く。
道具置き場にもなっている小さな部屋は寒かったが、志郎は衝立の後ろで手早くサンタの衣装を付けた。
「コレでいいか?・・・なんだよ?笑うな」
志郎は体が大きいので衣装がツンツルテンで、腕と足が赤いベロアの裾からニュッと突き出ている。サンタの衣装は縦は短いが、横は大きく作ってあり、お腹にクッションを詰め込めるようになているのだ。ツンツルテンなのにダブダブしていておかしな感じになっている。
「あ〜、だいぶ小さいね。まぁ手袋とブーツでなんとかなるかな。後は髭と帽子だわね」
言いながら、手早く優菜はクッションを志郎のお腹に詰め込み、ベルトを閉めた。白いボア付きのブーツと手袋をつけると短い裾も何とかカバーできた。次に銀色の巻き毛の髭つきカツラと口ひげを志郎に付ける。
「ちょっと、屈んで?」
「コウカ?」
志郎は真正面に来た優菜を見つめた。
優菜は髪をいつものように後ろで一つに結わえず、背中に波打たせている。白いシャツの襟を立てて、黒い半袖ニットを重ね着し、珍しくツイードのスカートにブーツを履いていた。
当の優菜は絡みつく巻き毛のカツラに難儀しながら、うまく被せようと上目遣いに志郎の額を見ている。
志郎の目の前にグロスの効いた紅を引いた唇があって、なんとなく視線が釘付けになる。
唇と、顎と、首のラインに―――
「うん・・・えっと、コレが前だから・・・こうなって・・・口ひげはこうで・・・よし!後は帽子ね・・・・・・おおお!結構似合うよ!
優菜は会心の作を見る芸術家のように晴ればれと笑った。
「そぉか?」
すっくと背を伸ばした志郎は少し照れながらポーズをとった。
「うん、冬木君は体が大きくて立派なサンタだわ!はい、プレゼントの袋はコレね。予備もあるから・・・・・・」
その時コンコンとノックの音がする。
「用意は大丈夫ですか?あと少しで出番ですよ?」
「はい!どうぞ」
「失礼・・・まぁ!ステキなサンタですね!」
入ってきたシスターは志郎のサンタを見て顔を輝かせた。
「駅前の酒屋さんの冬木さんですね?お忙しいのに無理をお願いして申し訳ありません」
「いえいえ、ボクでお役に立てるなら嬉しいですよ」
志郎も営業スマイルで応じる。
「じゃあ・・・寒くて申し訳ないんですけど、ホールで合図を待っててもらえますか?」
「はい」
ホールには集会室を見れる小窓が付いていて、そこから中の様子がよく見える。劇は最後の場面だった。
『カイ・・・お前の心がわかった今、私はもう何もいう事はありません・・・あなたを自由にしてあげます。ゲルダとふるさとへお帰りなさい』
真っ白な衣装を身につけた背の高い雪の女王は、威厳たっぷりに杖を振った。
『私は又、ここで一人で・・・・・一人で、遠くからあなた達を見ていましょう・・・・・・』
『女王様・・・!』
少年と少女が跪く。
『いいのです。さぁ・・・お行きなさい。その温かい心をなくさないように・・・!』
紙ふぶきと、チュールレースの吹雪が吹いて舞台の上には雪の女王が取り残される。ピンスポットが当たり、美しい女王を照らし出した。
「ちょっと!冬木君!」
「へ?」
いつの間にか志郎は小窓にべったり張り付いて劇を見ていたのだった。
「そんなにしてたら、中の子にバレるでしょうが!」
「お、ごめ・・・なんかキレイなもんだから」
「ええ、すごいでしょう?毎年学生さんが頑張ってくれるから・・・今年の劇は特にステキですね」
シスターも笑っている。
「じゃあ、私が中で合図をしますね。宜しくお願いします」
シスターは中に入っていった。
「おい」
「何?」
「お前、人前で話しかけないでって言っといて、俺の名前呼んでたぞ?いいのかなぁ?」
志郎がにやりと笑った。
「あっ!思わず・・・しまったぁ」
「ええがな。自然なことなんだし・・・おあ!合図だ」
「わ!ほんとだ、じゃあ、がんばってね!」
優菜がドアを開け放った。
「わぁっ!」という歓声と共に、子ども達が椅子から立ち上がって志郎を取り囲んだ
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
クリスマス会は盛況の内に無事に終った。
暗い夜道を歩きながら優菜は微笑ましく今日のことを思い返していた。
子ども達に囲まれたサンタの志郎。配っているお菓子の入った袋は今日の午後優菜も手伝ってラッピングしたものだった。
志郎は立派に役目を果たし、皆で揃って写真ま撮った後、まだまだ続く配達のために帰っていった。
子ども達は幼稚園から低学年の子どもが大半だったが、中には高学年の子どもや男子中学生も混じっていて、でも雰囲気を壊す事無く会を盛り上げてくれた。
最後にみんなでジュースで乾杯し、ケーキを食べてクリスマスの賛美歌を歌うとお開きとなった。子ども達は迎えに来た保護者と共に、キャンドルをもって帰ってゆく。その列が暗闇の中に夢のように続いていた。そして優菜は、大学生の松居達と共に後片付けを手伝い、今、歩いて家路を辿っている。
暖冬だとの事でホワイトクリスマスなど望むべくも無かったが、空気は冷え切って澄み渡り、上気した頬に気持ちがいい。冷え込んではいたが風は無く、藍色の空に星がいくつか輝いている。このあたりは家々がまばらで街灯も少なく、星明りがよく見えた。
優菜はこんな冬の夜が好きだった。ブーツだが地道なので足音もしない。
静かだ。
優菜はオフホワイトのダウンコートのポケットに手を突っ込んでもくもくと歩いた。
もっと大きな道もあったが、優菜はわざと農道を選ぶ。大きな田んぼをはさんだ先には並行して車の通る道も走っているので、まったく真っ暗という訳でもなく、見通しもいいのでかえって安全だと思ったからだ。
「よぉ、ごくろうさん」
「きゃあ!」
農具倉庫らしいプレハブの小屋からの影から大きな男が現われ、優菜は尻餅をつきそうになった。
「おま、きゃあって、シツレイだろ?」
「冬木君!・・・ああ、びっくりした」
志郎は、はおっているカーキ色のキャンバス地のジャケットのおかげでいつもよりよほど大きく見える。寒さに強いのか前のファスナーも閉めないで、グレーのコットンタートルのみ身につけた体が引き締まっているのが見えた。
「今終わりか?遅くなったな。9時過ぎてんぞ」
「うん。片づけが終ってから、ボラのみんなでシャンパンで乾杯してたから・・・その後片付けもしてきたし・・・冬木君は?お仕事終ったの?よくこの道を通るってわかったね」
「仕事は終らせたよ。さすがに9時以降の配達は無いな。後の事は明日に回してきた。道路沿いに歩いてきたんだが、お前らしい白いコート暗闇に見えたもんでここで待ってた。」
「・・・迎えに来てくれたの?」
「まぁそういうこった。車は停められねぇかもって置いてきた。疲れたか?」
「ううん・・・歩きたかったからちょうどいい」
「そうか。なら、歩こう。寒くないか」
「平気」
志郎は優菜の肩に腕を回した。二人して黙々と歩き、農道を折れて道路を渡る。ここまで来ると優菜の家まであと少しだった。ここからならハイツの裏手の方から帰ることになる。
山のほうの空は暗く広い。けれども闇という感じはしなくて、深い藍色が拡がっている感じがした。
「ほら・・・コレ」
ハイツの裏の畑の脇で志郎はポケットから包みを取り出す。
「お前は欲しいものは無いって言ってたけど・・・」
「・・・・・・柔らかい。なんだろう?」
可愛らしいラッピングを施した包みは軽くて、優菜の両手の上にそっと乗せられた。
「ここで開けていい?」
控えめすぎる小さな街灯の下で優菜は呟く。
「ああ・・・カバンよこしな、持っててやる」
かさかさと音を立てて優菜は包み紙を丁寧に開いた。柔らかな不織布が現われ、その中から赤いマフラーが出てきた。カシミアなのか、とても柔らかな手触りのもので裾の部分に雪の結晶がニット刺繍されている。
「・・・・・・」
「どうだ?俺はこういうものよくわからないんだけど」
「キレイ。持ってない色だわ」
優菜は暖かそうなマフラーの手触りを頬で確かめながら答えた。
「そうだろ?俺はお前にはこういう色が似合うって思うんだけど、お前わりと黒とか白とかしか着ねぇから・・・」
「だって無難だし・・・でも、そうね・・・こういう色もいいかも。似合う?」
優菜はマフラーを首に回して結わえた。
「おお!いいじゃんか。俺ってセンスいいな!」
「そぉねえ・・・ありがとう・・・人から物を貰うって慣れてなくて、どう言っていいのかよくわからないけど・・・ありがとう・・・・・・」
「うん」
「だけど、私何にも買っていないわ。私も男の人の欲しいものなんてわからないし・・・お返しはゴハンでいい?元旦だっけ?お休みって言ってたのは」
「そうだけど、欲しいものならいろいろあるぜ?」
「ほんとう?何?」
「おま・・・聞くか、ふつう」
「だって聞かなきゃわかんないじゃない」
「口で言えるモンなら言ってるわい。だから言わない・・・って、ほら!それ以上さがると畑に突っ込むぞ!」
後ろに下がった優菜が地道を踏み外す前に、志郎が優菜を引き戻した。
「わ・・・コートが台無しになる所だった・・・ありがと・・・お世話かけて・・・」
「俺はもっと世話したいの!だけどお前・・・自分でなんでもできるし・・・何にも頼ってこねーし、まぁソコがいいんだけど、俺はもっと・・・・・・ちぇっ」
キスされていると優菜が気が付いたのは、唇が重ねられてからしばらくしてからのことだった。
身長差がかなりあるので、志郎は腕で優菜の腰を支え、上半身をかなり折っている。
「ん・・・」
優菜は僅かに身じろぎ、志郎が一旦唇を離したが、熱い吐息がかかると感じる間もなく直ぐに又、塞がれてしまう。顎ががっしりとした指に掴まれているので逃げることも出来ない。それは熱を帯びて痛いほど熱く、甘いというよりは苦しいくらいの口づけだった。
「・・・・・・」
「わかったか?俺の欲しいもん」
やがて離れたとも思えない程至近距離で志郎は囁いた。優菜の腰を抱えて自分に押し付け、コートごときつく抱きしめる。優菜は答えられない、ただただ志郎を見上げている。
光の強い彼の瞳が苦しげに顰められたと思うと、いきなり優菜の体が突き離された。
「さぁ、とっとと部屋に入れ。俺が我慢できてるうちにな。お休み」
そう言って大きな掌が優菜の背中を押した。素直に優菜は従い、階段を上った。ドアが閉まり、優菜の部屋に明かりがつくのを見届け、志郎は歩き出した。
「バカか、俺」
紳士だというのも困りもんだ、と心の中でうそぶく。仕方がないので、できるだけ大またで歩く。
本当は我慢などせずに優菜をひっさらい、どこか暖かく柔らかい場所にもぐりこんで素肌を擦りあわせ、朝まで眠りたかった。
―くそ、ヤバイくらい、あいつの事が好きだ・・・。あんな冷たい雪の女王様をさ・・・・・・
今日はじめて見た劇の演目を思い出す。
自分の家まで、冬の空気の中をだいぶ歩かなくてはならない。志郎はポケットに両手を突っ込んだまま、ひたすらのしのしと進んだ。
夜空を見上げる。
吐く息がやたら白く吸い込まれる。だが、ちっとも寒くなどなかった。
しかし、志郎の熱を冷まさせるような雪は一片も降ってこず、頭上には限りなく黒に近い藍色の空が広がっていた。
カーテンを細く開け、優菜は振り返りもしないで去ってゆく志郎の後姿を見ていた。
何故こんなにドキドキするんだろう?さっき体を離された時、ダウン入りのコートを着ているというのに急に寒くなった。そうして少し悲しくなった。
優菜はそんな自分の気持ちをもてあます。
足の速い志郎の背中は既に夜に飲み込まれていく。
明日電話をしよう。そうしていろいろ話をしよう。そうしたらこの変な気持ちがきっと落ち着くだろう。
心の中で優菜はそう決めた。巻きつけたままの赤いマフラーに顔を埋め、瞳を凝らして志郎の去った方角を見つめる。しかし、もう何も見えはしなかった。
「メリィ・クリスマス・・・・・・」
夜空に向かって優菜は小さく呟いた。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
クリスマス企画でした。見てくださってありがとうございます!
暖かい応援に感謝を込めて新章前のエピソードです。
新章は今まで出てきた、たいていのキャラクラーが出てきて盛り上げると思います。どうぞもう少しお待ち下さい。
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