茜色は君の色 7
「しっかし、よく降るなぁ・・・昼から土砂降りじゃないか。今日は・・・寒いし、商売人はつらいな」
志郎は片手で器用にハンドルを操っている。もう一方の手は優菜の右手を握り締めたまま。抗議したのだが、まったく聞き入れてもらえなかったのだ。そんなわけで優菜は黙って志郎の手の暖かさを感じていた。
「なんだ・・・口数がすくないな、疲れているのか?」
「ううん、大して」
「又、風邪ひくんじゃねぇぞ」
「わかってるわ。体調管理はプロの鉄則です」
「はいはい」
再び落ちる沈黙。タイヤが散らす雨水とワイパーの音だけ。
「・・・・・・ねぇ、志郎?」
優菜は志郎に右手をあずけたままたずねた。
「ん?」
「男の子が女の子を苛めるときってどういう時?」
「はぁ?」志郎が間の抜けた声を無遠慮に上げる。
「だから」
聞きにくいことを二度も言わせた志郎に優菜はほんの少し苛立ちを覚えた。おかしい。普段の自分はこんなに気が短くはないはずだ。
「男の子がっ・・・」
「まぁ、どうでもいいような奴には無関心だろうな。そもそも興味も持たね〜〜し」
優菜の言葉を待たずに前を向いたまま志郎が答える。雨はフロントガラスを滝のように流れ、ワイパーがせわしなくそれをかき回している。
「ふ、ふぅ〜〜ん」
「まぁ、たまにマジにむかつくオンナもいるから、本気で苛めてることもあるだろうけどさ。」
「・・・・・・」
「あ、ヤなこと思い出すんじゃないぞ。何?センセイ。ひょっとしていじめ問題発生?」
「いえ、もう収まりました。正確には男の子はいじめてたわけじゃなくね。女の子の独り相撲みたいな感じだったんだけど・・・横山君。知ってるでしょ?前にお店に体験学習で来た大きな子」
「知ってる、知ってる。あいつはいい奴だぜ?知ってるか?あいつ今度ジュニアのキーパーやんだ。俺も昔入っていたサッカーチームの」
「へぇ〜〜、6年生がもうすぐ卒業だからね」
「そ。覚えてるか?昔おんなじクラスだった、大村。あいつの弟がコーチなんだけどな」
しゃべりながら志郎のざらざらした指の腹が優菜の指の付け根をいじっている。なんだか妙にくすぐったい。それだけならいいが、どういうわけか首筋がちりちりする。
「覚えてない」
少なくとも表面は平気な声で優菜は応じた。
「いいけどさ。同級生でも男のほうは結構地元にいる奴も多いんだ。半分くらいかな?農家継いだ奴もいるし」
「ふぅ〜〜ん」
「ま、どうでもいいや、こんな話。それより」
「?」
「お前さ、前にウチの酒飲みたいって言ってたろ?今度飲ましてやる」
「えっ?・・・って造り酒屋とかいう・・・」
「おぅ。ここから少し山に入ったところに醸造場があるんだ。いい湧き水があってな。規模は小さいが、そもそもは江戸時代からやってたらしい。と言っても俺の先祖じゃないけど」
志郎が言うには、明治時代に志郎の曽祖父が明治政府の酒造税制のあおりを食らって衰えた造り酒屋を買い取り、もともとの地酒を改良し、発展させたのが今の冬木リカーショップのオリジナル純米大吟醸「松柏」だという。
以前は細々と小売も行ってはいたらしい。それはただの地酒の販売で、店舗なども今とはぜんぜん違う場所にあった。それをその長男である志郎の父が店舗を街中に移し、さらには兄悟郎が引き継ぎ、今のような大型店舗にしたという訳だ。
ただ、「松柏」は年に5000本程度しか生産出来ないために、それほど名の知れた酒になっていない。通信販売も行っているが数量限定で、主としてこの酒が好きで、わざわざこの地に足を運んで買い付けに来てくれる客が多いのだった。
「へ〜〜、すごい。見せてくれるの?」
造り酒屋を見たことのない優菜は興味を持って訪ねた。今でも杉玉が軒下からぶら下がっていたりするのだろうか?
「ああ、来月の第二土曜に休みを取った。いけるか?」
「今のところ予定はないけど・・・そこは大きいの?」
「どうかな?昔は夏休みとかによく泊りがけで遊びに行ってたけどな。虫とかとりにさ。他の造り酒屋を知らないから比べようがない。そんで高校ぐらいからほとんど顔を出さなくなっちまって・・・古い蔵人さんなんかまだいるのかなぁ・・・事務のおばちゃんとかは元気かな。まだまだ自然が残っていていいところなんだぜ」
懐かしそうに志郎は一人ごちた。
「な、行こうぜ」
「ちょっと待って・・・・・・今はどなたがやっていらっしゃるの?」
性急な志郎に優菜の心のストッパーが働く。もともと彼女は用心深い。
「俺のじぃちゃん。実際に指揮を取っているのは叔父貴だけど」
叔父と言うのは彼の父の弟のことのようだ。
「御祖父さん?昔県会議員だったっていう・・・」
「とっくに引退したけどな。なんで?」
「・・・・・・気持ちは嬉しいけど・・・・・・・ごめんなさい、遠慮しとく」
優菜の煮え切らないものの言い方に何かを感じ、志郎は一瞬きりりと横を向いた。すでに車は優菜のハイツの前の道に差し掛かっている。後は直進するだけだ。雨のおかげですべての景色が暗い藍色に溶けている。ところどころに点っている街灯と、家々の灯りが滲んでいる。すでに7時近くだろうか?車がやっと二台すれ違える田舎の道には人通りもない。
「何故?」
「・・・・・・別に理由はないけど・・・ちょっと・・・」
「なんだ、はっきり言えよ」
「もしかして、志郎のお身内の人に会うかと思うと・・・」
「なんだよ?」
「ちょっと怖いような・・・だってとっても古いお家柄なんでしょう?」
―――ウチの家もそうだけど、シロちゃんの家も結構シガラミあるからね〜。だから、好きだったらちゃんとがんばらないとダメだからね。
この間の頼子の言葉が優菜を怖気づかせている。
「家柄ぁ?何?ソレ」
本当に驚いた志郎が思わず声を上げた。
「・・・・・・」
頼子の家も、志郎の家もこのあたりではわりと有名と言うか、古くからの地の住民の中では名家とされている。その二人が恋人同士だったと言うことはおそらく、歓迎されたことだったのではないだろうか?勿論将来的には・・・・・
それが、ダメになった。もしかしたら自分が現れたせいで。勿論自分にそんなつもりはまったくはなかったが、志郎の身内からしてみれば、優菜はせっかくのよい縁談をぶち壊した張本人に見えるかもしれない。ましてや県会議員まで努めた祖父ともあれば。
「・・・・・・イヤなのか?」
黙り込んだ優菜に志郎は静かに尋ねた。
「イヤって言うか・・・・・・・ちょっと気後れがして・・・・・・私・・・」
「そうか・・・・・・なら、よすか」
「ごめんなさい・・・・・・」
「気にするな。じゃあ、べつん所に遊びに行こうぜ」
志郎は無理強いしない。淡々と応じている。ちょっとは怒るか、残念がるかと思っていた優菜は些か拍子抜けがした。
「いいさ、別に。そんなに遠くないし、いつでも行けるしな。でもお前、俺のじぃちゃんのタイプだって思うんだけどな〜」
「え?」
「俺のばぁちゃんな、ちょっとお前に似てるんだ。若い頃に亡くなったから、写真でしか知らないけど」
「へぇええ本当?」
「本当。ビジン」
「ビジンは置いといて」
ぜんぜん違う角度から和ませる志郎に思わず優菜は笑ってしまった。
「・・・だけど志郎、私を連れて行ったとして、もしお身内に会ったらなんて言うつもりだったの?」
素朴な疑問をぶつけてみた。
「カノジョ」
あっさりと志郎が答える。車がとまった。優菜のハイツの横を入ったところ。いつもの畑のあぜ道だ。きりりと志郎がサイドブレーキを引き上げる。
「それ以外に何があんの?」
ぐるりと振り返って志郎はまともに優菜を見据えた。背後の窓ガラスの向こうで心細い街灯が雨にけぶっている。
「え?いや・・・なんとなく・・・聞いた・・・・・・だけ」
「じゃあ、俺も聞くけど、お前は俺のことなんだと思ってるんだ?」
視線をそらす優菜に容赦なく志郎は問いただす。
「う・・・・・・」
黙り込んでうつむいてしまった優菜の手元でカチャリと音がした。志郎がシートベルトを外したのだ。自分のと、優菜のを。
するすると乾いた音を立ててベルトが収納される。だが、優菜の左腕が引っかかってベルトは途中で止まっている。二人の間に流れる密度の濃さを感じ取った優菜は、これ幸いとベルトを外そうと左肩の方向に顔を向けた。
とたんに顎がつかまれて、引き戻される。志郎の顔が目の前にあった。
「優菜、答えろよ」
ほとんど息がかかるほどの至近距離で志郎は重ねて尋ねた。
―――ダメだ。逃れられない。
観念した優菜は、今度はしっかりと志郎を見つめた。
「好き・・・かも」
言ったとたん目線が逸れてしまったが、小さい声ながらはっきりと優菜は答えた。とたんに、にぃ―っと志郎が歯を見せて笑う。優菜が横目でじろりと睨むと、並びのいい前歯が夜目にも白くむき出しになったのが見えた。
「かもは余計だけどな。でもまぁ、よくできました」
「ひどっ・・・・・・からかったのね?」
破顔した志郎に心なしかほっとして優菜がほっと力を抜く。
とたんに背中に回った大きな手のひらが華奢な体を引き寄せた。
「あ・・・・・・・」
「からかってなんか、ない」
低くかすれた声が耳朶をかすめたかと思うと、強く抱きしめられた。そのままゆっくりとベンチシートに横たえられる。
すぐに熱い唇が覆いかぶさってきた。外仕事で荒れた唇はかさかさに荒れていて、滑らかな優菜の唇とは大違いだ。最近では男性も平気でリップクリームを使用しているが、志郎は唇の荒れなど気にしたこともないに違いない。
志郎は優菜の唇に、耳朶に、そして顎をつたって首筋を這ってゆく。
ささくれたところが優菜の肌に引っかかると、どういうわけかぞくりとする。最初驚いて体をこわばらせた優菜だったが、やがてゆっくりと力を抜くことができた。それは努めてそうしたわけではなく、自然にそうなっていっていることに優菜は内心驚いていた。
「・・・っ」
優菜が力を抜いたと見るや、志郎が舌を滑りませてくる。雨の音しか聞こえてこなかった車内にそれとは別の湿った音が響いた。キャンバス地の分厚いジャケットを通してもわかる、志郎のたくましい腕が優菜を抱きすくめていた。
「好きだ」
口付けの合間に志郎が囁く。
「うん」
優菜もなんとか志郎の胸の間に折りたたんだ腕を伸ばして、おずおずと志郎の肩に添えた。いったん顔を上げ、またしてもにやりと笑った志郎が再び唇を落とす。
「ひゃっ!」
「なんだよ、シツレイなやつだな・・・」
「だって、だって、だって・・・」
志郎の大きな手のひらが、ジャケットの合わせから滑り込んで優菜の胸を覆ったのだ。中に着ている薄いニットのセーターは鎧と言うにはとても心もとない。
「やだ」
「まぁまぁ、俺もまだ仕事があるから残念ながらここまでだ。ちょっと我慢しろ」
「我慢、我慢って〜〜」
狼狽した優菜をおかしそうに覗き込みながら、志郎は遠慮なく指先に少し力を入れた。
「うっるさいな、ん?お前、細いクセに結構ムネあんな。柔らかくて気持ちいいや・・・・・・」
「〜〜〜〜〜〜っ」
「くっそ、今日が木曜日なんてな・・・・・・まぁ俺はいつでもOKだけど・・・」
必死で睨みつける優菜の視線を平然と受け止め、考え深げに志郎は呟いた。
「すっ、すぐに仕事に戻るんでしょ?さっきそう言ったっ・・・んっ」
またしても唇をきつく吸われた後、志郎は優菜の顔を両手で挟んだ。
「・・・じゃあ、来月はこの続きな・・・・・・」
優菜の部屋に明かりが点ったのを見届けてから、志郎はエンジンをスタートさせた。
唇に、手のひらに、腹に優菜の温もりが残っている。きっとあまり意識してしまうと、優菜を追いかけてしまいそうになるので、志郎は運転に集中しようとしたが、それは難しい話だった。
きっと優菜は自分を受け入れてくれる。まだ、未来の見通しは持てていないだけで、自分のことを好きだといってくれた。
志郎は少年の頃のような昂ぶりを抑えられない。
だが―――
突然脳裏に浮かんだ影。
ひやりと胸を刺すものがあった。
アイツ、なんていったか―――
あの日、今日と同じような雨の日。
頬を紅潮させて店に飛び込んできた彼女の後から、傘をさしかけて来た男。
優菜が以前付き合っていて、今はもう吹っ切ってしまったと宣言していた、かなり年上のように見えたあの男。
アイツは恐らく優菜を抱いたことがあるのに違いない。何度も、きっと―――
自分の知らない優菜を知っている。
それを思うと脳が煮えそうになってくる自分がいる。
「・・・ちっ、今更知らない奴相手に嫉妬かよ!」
志郎は思わず声に出して怒鳴っていた。そうでもしなければ、あらぬ妄想に支配されそうだった。
志郎は道がすいているのをいいことにアクセルを踏みこんだ。
フロントグラスの闇の向こうに駅前の通りからこぼれる光が見えてくる。
○●○●○●○●○●○●○
シロちゃん、がんばる!
本当に好きな女性を前にしたときには、男性はとっても慎重になる。そんな感じで。日本酒「松柏」って名前は勝手に付けたんだけど。大好きな奈良県の美術館の名前なんですよ。
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