茜色は君の色 5









五日後、水島奈緒がやっと登校してきた。通常のインフルエンザの欠席は大体三日ぐらいなので、五日というのはよほど悪かったのだ。事実、奈緒の顔色はまだ悪く、もともと痩せぎすだった体が一回りも縮んでしまったように見えた。

登校してからすぐに奈緒は職員室にやってきた。保護者からの体育の授業の見学届けを優菜に渡しに来たのだ。



「そう・・・まだ無理はできないのね。熱はどのくらいまで上がったの?」

「お母さんが言うには41度だって。私は寝てたからわからないんだけど」

「それは大変だったわね。もしもまた、しんどくなったら我慢せずに言ってね」

「はい」

細くなった体にかわいそうはほど大きく見えるランドセルを背負って、奈緒はお辞儀をして職員室から出て行った。すぐにチャイムがなり、職員朝礼が始まる。

教務主任の挨拶の声と共に職員が起立する。

「おはようございます、本日の連絡事項は・・・・・・」



「・・・・・なんか、あの子又小さくなったような気がするな」

藤木がメモも取らずに優菜に呟いた。

「ええ、普段からあまり食べない子ですし、いったん病気になったら抵抗力がないんでしょうね?」

優菜は律儀に連絡事項をいちいちメモりながら応じる。

「今日も欠席が多そうだなぁ・・・・・・」

朝礼の間も電話のベルが鳴りっぱなしだ。勿論保護者からの欠席連絡である。ピークは過ぎた今年の流行だったが、学校全体となるとまだまだ油断できない罹患率だった。

諸連絡が終わり、教具の準備をして優菜は廊下に出る。と、そこに奈緒が突っ立っていた。

「どうしたの?こんな寒い廊下に立っていては、また熱がでてしまうわ」

驚いて優菜が奈緒に駆け寄った。

「だって、長い間休んでいたから、ちょっと入りにくくて・・・ごめんなさい」

素直に奈緒は謝ったが、優菜はそれは奈緒の本音だろうと思った。もともと疎遠なクラスメイトにどのような顔を見せていいのか、途方にくれていたのだろう。教師と一緒に教室に入ればそのままホームルームが始まるから、余計な話をせずにすむ。優菜は自分もかつて、級友と余計なおしゃべりをしたくなくて、始業ぎりぎりに登校していたことを思い出した。

「いいわよ、一緒に行きましょ。でも、今日だけね。そんなことを続けていたら、ますます気まずくなっちゃうもの。わかるでしょ?」

「うん・・・・・・」

「みんなと話したくないの?」

いいきっかけかもしれないと、優菜は思い切って聞いてみた。

「誰かいじめてくる子とかいる?」

「・・・・・・いじめるっていうのはないけど・・・・・」

教室は三階だ。ゆっくりと階段を上る。

「みんなやたらよく話しかけてきて・・・・・・なんかうっとぉしい」

奈緒は前の学校でおそらくいじめられていた。それはおそらく無視するという形だったのだろうと優菜は推測していた。いくらなんでも言葉や暴力で、あからさまにいじめられていたら普通の教師だったら気がつく。そして何らかの対応をする

奈緒の母親は奈緒に友達がいなかったことを気にしていたが、特ににいじめがあったようには言及していなかった。と、言うことは、大人の目に触れないように陰湿に行われていた可能性が高い。

「この学校の子どもたちは、人懐こい子が多いからね。でもだからといってそんな風に思い込むのは良くないな。もしかしたら水島さんと友達になりたがっている子がいるかもしれないのに」

「ええ〜〜〜」

「男の子たちはどう?」

「時々からかってくるウザイ子はいるけど・・・気にしない」

そこまで話したところで3階に着いた。すでに他のクラスの担任が教室に入っているので廊下に出ている子供はいなかったが、優菜の教室からは騒がしく、楽しそうな声があふれていた。

そう、優菜も感じていた。この学校の子どもは割合開放的で、優菜も4月に受け持ったときにはたくさん話しかけられて戸惑ったものだ。今ではおしゃべりに付き合ったり、やり過ごしたりすることができるようになったが、4月当初はどのようにして受け流したらいいのかわからず、職員室に帰るとぐったりとしたものだった。

この地域の子どもたちの持つエネルギーは大きい。昔も今も。それに慣れないものは、はじめの内しんどい思いをする。

優菜にはそれがよくわかっていた。









その日の昼休みのこと。



給食を終え職員室に戻って休憩をしていた優菜のところに、保健係の上野さんが駆け込んできた。

「先生っ!」

「何?どうしたの!?」

保健係が息を切らせてやってきたので、又誰かが倒れたのかと思った優菜はあわてて立ち上がった。

「横山君と水野さんが喧嘩をしていますっ!」



あわてて階段を駆け上がり、優菜が三階の廊下に飛び込んだときには教室の前は他のクラスの児童も数人、廊下の窓から覗き込む位の騒ぎとなっていた。

教室の中は優菜が聞いていた事情とまったく違う展開が繰り広げられており、優菜は一瞬唖然となった。

というのも、奈緒が喧嘩しているのは確かだが、その相手は横山君ではなく、クラスのリーダー格の女子数人で横山君はなんだか仲裁をしているように見えたからだ。おまけに給食の後片付けもまだおわっていなくて、あちこちに食器や、牛乳パックが放りっぱなしになっている。



「お前らもうやめろって!俺は別に・・・」

おろおろして横山君が小林さんにとりなしている。大柄な横山君がものすごく小さく見えた。

「横山君は黙ってて!私ら一回この子に言わなくちゃって思ってたの!」

小林さんは奈緒と同じくらい体が小さいが、声がとても大きい。いつもは横山君と同じく体育係りとしてクラスを引っ張ってくれている。だが、決して徒党を組んで周りが見えないタイプの女子ではない。普段は正義感が強く、さばさばした性格でいじめをするタイプには見えなかった。

その小林さんが顔を真っ赤にして奈緒をにらみつけていた。そして、小林さんと仲のいい大澤さんがそばで彼女を応援しているようだ。

「そうよ!お盆で頭どつかれたんだから、保健室にでも行って来れば?」

大澤さんも声を張り上げる。

「そんなにきつく叩いてないわ!ちゃんと加減してやってるわよ!」

と、これは奈緒。してみると、どうやら奈緒は給食のお盆で横山をぶったらしい。

「そーゆーモンダイじゃないでしょ!そんなモンで人のアタマ叩いていいと思ってんの?」

「それはコイツが悪いからでしょ!あんた達だって聞いてたくせに一方的に決め付けないでよ!」

「ちょぉっとまった!」

優菜が割り込んだのはそのときだった。

「あ!」

「先生!」

「先生、水島さんが・・・」

「いいから黙んなさい!みんなも黙ってね。廊下の窓を閉めてくれる?それからすぐに当番の班は給食の後片付けをしてください」

優菜はクラスを見渡しながら、指示を出した。内心は結構どきどきしていたが、ここは顔や態度に出してはいけない。

優菜が見たところ当事者は奈緒と横山君、そして小林さんと大澤さんの四人のようだった。まずは喧嘩の事情を聞かなくてはならない。だが、ここではまずいだろう。周り中、好奇心に満ちた顔に囲まれている。

事情によっては次の授業に少しずれ込むかも知れないが、相談室で話を聞いたほうがいいと優菜は判断した。

「まぁ、とりあえず四人とも先生と一緒に来てくれる?話を聞くから」

優菜が四人を伴って廊下に出ると、心配して見に来てくれたのだろう、藤木が廊下の交通整理をしてくれていた。

「おや」

「あ、すみません。とりあえず相談室で話を聞くことにしました」

優菜は小声で伝え、かすかに会釈をする。藤木も片目を瞑って了解の意を示した。後は任せろということだ。

「は〜〜い、皆さん、気持ちはわかるけど、散ってくださ〜〜い。先生が今からプリントを配りま〜す」

おどけた藤木の声に周りの空気が和んだ。










「なるほど。コトのはじめは給食の後片付けのときだったのね。」

「はい」

四人は異口同音に答えた。これには皆の意見が合うので間違いはないらしい。相談室は小さな部屋だったが普段は使わないので、優菜がストーブをつけてもなかなか暖まらない。

「初めは俺が水野をからかって・・・」

「どんな風に?」優菜は軽く聞いてみた。

横山は大柄でやや太り気味だが、運動が出来、クラスの人気者だ。それは大らかで明るく、誰にでも分け隔てなく接し、元気でふざけはしても度を越すことはないという彼の性格から来ていた。新興住宅地の子どもだったが、地の子どもたちとも仲良く出来てクラスの中心だった。優菜も彼の人柄は信頼している。

「水島があんまり少ししか食べないんで、そんでもってあんまりゆっくりでB班の奴らが後片付けができないって言うもんで『お前そんなだから、病気になってもなかなか直らないんだ』って俺が注意をして・・・」

「それだけじゃないでしょ!だっ・・・」奈緒がまた大きな声を出しかけた。

「まぁ、待って。今は横山君の言い分を聞くから」

優菜は少し強い視線を奈緒に走らせ、口をつぐませた

「それから?」

「ええと、『お前普段から給食ほとんど食べないけど、それでいいと思ってんのか』とか『あんまりわがまま言うなよ、嫌われんぞ』とか言ったと思います。そしたら・・・」

「イキナリ水島さんが給食のお盆で横山君を叩いたんです!」

小林さんが割って入った。

「だよね?横山君」

「うん・・・」

「間違いはない?」優菜は今度は奈緒に聞いてみる。

奈緒はしぶしぶ頷いた。

「だって、何で私がワガママなんですか?給食を少ししかよそわないくらいで!残しているわけでもないのに!ゆっくりだったかもしれないけど努力して食べてんのに!私を嫌うのはそっちの勝手で、私は別に悪いことしてません!自分がちょっと人気があるからって、ヒトをバカにするのもほどほどにして欲しいわ!」

しゃべっている間に再び激して来たらしく、奈緒の声が高くなっていく。

優菜はひそかにため息をついた。確かに奈緒は気難しいところがある。大きくは間違ってはいないし、普段は無口だが、あまりにきついものの言い方をする。前の学校で苛められたのも、そのあたりが理解されなかった原因だろう。加えてプライドが高く、適当に話をあわせて人と気安く交わることが得意でない。

これは一見強さのように見えて、弱いところであると優菜は思った。横山君は言葉遣いは雑のようだが、おそらく奈緒のことを気に掛けてくれたのだ。彼は他者のことを考えられる子どもだった。

だが奈緒は―――

「横山君は水島さんをバカにしたの?」

優菜はあえて尋ねてみた。

「・・・・・・俺はそんなつもりは・・・別に・・・」

横山君は優菜の視線をそらしてしまった。

「バカにしたじゃない!アンタなんかから説教されたくないわよ!」

奈緒は言い放つ。その迫力に小林さんたちも目を丸くして、立ち尽くしている。もともとこの二人は義侠心から横山君に加勢しただけのことだろう。もともと奈緒が気に入らなかったかも知れないが、後できちんと話をすればいい。しかし奈緒はこのまま返せない。優菜は奈緒と、二人で話さなくてはならないと思った。





「横山君はバカにしたつもりじゃなかったと思うよ?」

相談室のいすに腰をかけて優菜は言った。少しじっくり奈緒と話すいい機会だと思ったからだ。

すでに後の三人は教室に返した。授業は藤木に頼んで、宿題にするはずのプリントを配布してもらい、とありあえずそれに取り組ませている。

「先生は水島さんより横山君のことを良く知ってる。たぶん長いこと欠席した水島さんを彼なりに気遣ってくれたんだよ」

「たとえそうでも、余計なお節介だと思います。せっかく・・・・・・」

「この学校では目立たないようにしてきたのに、おせっかいな横山君に台無しにされたって思ってるの?」

思い切って直球を投げてみる。思ったとおり図星だったらしく、奈緒がひるんだような表情を見せた。

「正直に言ってみて?水島さんが転校してきた一ヶ月の間に横山君が人をはっきり馬鹿にしたり、苛めてるところ見たことある?そりゃ男子だから、ふざけることは多いけども」

「・・・・・・」

「あんまり、人の言うことを悪い風に取ってはいけないわ?水島さん頭いいんだけど、ちょっと人に対して厳しいところあるよね?」

「じゃあ、センセイは私が悪いって思っているの?」

きっと顔を上げて奈緒が優菜を見据えた。その視線は子どもにしてはかなりのもので、同じことをされたら子どもだったら、非常に嫌な気持ちになるだろう。

「悪くはないわ。でも、みんなと仲良くしようと思っていなかったのも、その通りではない?」

優菜は言葉を選びながら奈緒に言った。相談室の片隅に立ったままの奈緒の肩が強がっている割にひどく薄く見えて痛々しい。

「前の学校で嫌なことがあったのね?」





じっと優菜を見上げていた奈緒がやがて唇を歪めてうなだれた。

「・・・・・・・・・・・・っ・・・・・・」





しばらくして奈緒が泣き出す。










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「ロミジュリ」に引き続き、今回は「赤毛のアン」的シーンでしたね。アンがギルバートをぶったのは石版でしたが。
同学年の小学生だったらたいていの場合女の子のほうが気が強い・・・のかな?
センセイ優菜の腕の見せ所。







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