茜色は君の色 2








2月に入った頃から5年生にもインフルエンザが流行りはじめた。

学級閉鎖をするほどではなかったが、入れ替りたち替わり、常に2、3人が欠席する状態で、保健室からは風邪やインフルエンザ予防のためのプリントが二回ほど配布された。

2月初めに実施される予定だったマラソン大会も中止され、給食前は勿論、2時間目と5時間目の休み時間にはうがいと手洗いが励行された。

5年生もずいぶん欠席者が出たが、優菜のクラスは今のところ軽いほうで、三日間休んでいた竹中君が今日から出てきて全員出席となった。

二時間目は体育。

マラソン大会はなくなったが、この時期は持久走のシーズンで、グランドを自分のぺースで30分間走るのだ。この学校の運動場は小学校にしてはかなり広く、400メートルのトラックを取ってもまだまだ余裕がある。

今日も持久走と知って何人かの生徒からは不満の声が上がった。確かに走るだけでは面白くない。この授業ももう3回目だ。優菜は少し考えて、10分短縮し、残りの時間をポートボールか、ドッヂボールにすることを提案すると、児童から歓声が上がった。

「よーいドン!」

体育係りのスタートの合図でみんな一斉に走り出した。

優菜も走る。

子供の頃から体育はそんなに得意ではなかったが、持久力には自信があった。さすがに一番体力のある男子のグループにはかなわないが、先頭集団のやや後方から、更に後ろを励ましつつ、マイペースで走る。

遅くなっても構わないが、ずっと走らなければならないこの種目は、苦手な子どもにとっては苦痛以外の何物でもない、あまりに無理をさせてもいけない。優菜がややペースを落として子どもたちの様子を観察していると一番後ろの集団で走っていた、奈緒の体が急に傾ぐのが見えた。あっという間にその小さな体は沈み、運動場の土に転がった。



「水島さん!」

優菜の叫びに子どもたちが驚いて列が乱れる。

奈緒は横向きに倒れていた。変な風に体が捻じ曲がってはいなかったから、突然意識がなくなったのではなさそうだった。癲癇(てんかん)発作があるとは聞いていない。優菜は恐る恐る奈緒の顔に触れた。

触れてすぐ疑問は解決した。

体が熱かったのだ。顔が異様に赤く、呼吸が浅く速い。

1時間目の授業では、特に変わったところはなかったから、急に熱が上がったのかもしれない。そうすると可能性が高いのは流行性感冒、つまりインフルエンザだ。

「上野さん!保健の先生に知らせてきて!」

保健係の女の子に優菜が伝えると、上野さんはあまりに驚いたせいか返事もしないで走っていった。

このまま冷たい地面に寝かしておくわけにはいけない。幸い奈緒は小柄なので優菜でも抱き上げられた。上野さんが走ってくれたから、保健室ではすぐに体制を整えてくれるだろう。

「体育係!二人来て下さい」

保健室に向かいながら優菜は声をかけた。持久走を中断し、体育係りの男子と女子が優菜の前に走り出てくる。

「先生は水島さんを連れて保健室に行きますから、二人はドッヂボールの用意をしておいてくれる?持久走は中止です」

奈緒を横抱きにして優菜がてきぱきと伝達する。持久走が中止と知って、一部から歓声が上がりかけたが、優菜がじろりと視線を流すとすぐに収まった。

「集合!しゅうご〜〜〜う!」

体育係がばらばらになりかけたクラスメイトを集め、優菜の指示を伝えるのを後ろに聞きながら、優菜は奈緒を抱いて足早に運動場を横切った。保健室は運動場に近い校舎の出口のすぐ横にある。校舎に駆け込むとすぐに、養護教諭が走り出てきて鉢合わせになる。横に保健係りの上野さんもいた。

「あ、羽山先生、この子ですね?このまま運べますか?」

養護教諭の河本がやや緊張してたずねた。

「大丈夫です。このままベッドに寝かします。上野さん、水島さんの靴をお願い」

「はい」

上野さんがそっと靴を脱がせて、保健室の靴入れに置いてくれている間に優菜は奈緒をベッドに寝かせて布団をかけた。すかさず、耳温計で河本教諭が体温を計る。

「38度5分ありますね。急に上がった感じですか?」

「そんなようです。一時間目は特に変わったことはなかった感じです。まぁ、あまり騒ぐほうではありませんが。あ、上野さん?」

優菜は保健係の上野さんのほうを振り返った。

「ありがとう。ご苦労様。先生もすぐに授業に戻るから、上野さんもとりあえず運動場に戻ってくれる?水島さんは風邪で早退するって伝えてね」

上野さんが礼をして出てゆくと、河本はジェルシートを奈緒の額に乗せてるところだった。

「羽山先生、この子の家に連絡取れるかな?もう今日は無理だし、ここでは寝かせる以上のことはできないから」

「そうですね、すぐに電話をします。確か共働きの家庭だったから、家には通じないかもですが」

「そこに名簿があるわ。仕事先も載っています」

案の定、家は留守電だけで、そこにも一応メッセージは置いてきたが、名簿に書いてある携帯の番号にかけるのも憚られて、優菜は思い切って母親の勤務先に掛けることにした。



「・・・・・・あ、水島さんのお母さんですか?私、葛の葉小学校の担任の羽山です」

職場に掛けると意外に早く取り次いでもらえ、二度会ったことのある水島の母親が恐縮して電話口に出た。

「ええ、おそらくインフルエンザだと思うんですが、熱が高くてこのままでは・・・・・・ええ・・・あ!すぐに迎えに来てもらえますか?ありがとうございます。はい、タクシーですね。はい正門のほうからお願いします。一階の保健室です。はい・・・・ああ、40分ほど・・・・・・。わかりました。それではお願いします」



「お母さんが仕事を休んですぐ来られるそうです」

ほっとして優菜は電話を置いた。

「よかったわね」

河本教諭もほっとしたように言った。ここ数日インフルエンザで急に熱が上がる子どもが何人かいたが、こんなに急に高熱になったのはさすがに珍しいらしかった。

「はい、仕事はどうにか事情を話して出させてもらえるようです。職場に電話したのがよかったのかもしれません」

優菜は横たわっている奈緒の小さな顔を見た。真っ赤に上気してかすかに口を開いて苦しそうにしていた。

「かわいそうに・・・・・・」

優菜は自分の冷たい指を奈緒の頬に滑らせ、カーテンを閉めた。

「先生、私はいったん授業に戻ります。40分ほどかかるそうなので、授業を終わらせたらこの子の荷物をまとめてまた来ますね。河本先生、しばらくお願いしてよろしいでしょうか?」

「はい、大丈夫ですよ。ご苦労様でした」






「ふ〜〜〜ん、大変だったな。ごくろうさん」

藤木はコーヒーを飲みながら眉をひそめた。

体育が終わり、次の授業の初めに母親がタクシーで迎えに来て奈緒は帰っていった。その後は特に変わったこともなく、給食が始まり、昼休みを迎えることができた。

「熱に弱い子なんかは急な体温の変化にまいっちまうからなぁ・・・それにしても今度のインフルエンザは熱がかなり高そうだな。オレんとこもまだ4人欠席だわ。あんまりひどいとなると学年閉鎖まで考えないといけないかもな」

「低学年はようやく下火になってきたらしいですけども」

優菜は職員室の前のホワイトボードの横にある出欠表を見ながら言った。一月の下旬は低学年では5人6人と欠席数が記入され、一年生は大事をとって学年閉鎖を二日間行ったのだった。

「う〜〜ん、こう雨が少ないと乾燥して風邪も流行るか・・・」

「とりあえず、今日の放課後、私水島さんのお家に行ってきますね。委員会が終わってから行きますが」

「羽山さんは予防接種は?」

向かいの席から学年主任の永嶋が聞いてきた。

「一応してもらいましたけど」

「そう。私もおとといやってもらったわ。遅いかもしれないけど自衛のために」

「えら!オレなんか、そんな時間もないもんね」

藤木が情けない声をあげる。

「だけど、引いてしまったらいくら軽くったって、勤務するわけには行かないじゃないですか」

「そだな、そーですよね〜〜。今晩あたりオレもやって貰おうかな?だけど、注射苦手なんだよな〜〜〜、昔から〜〜〜、やだな〜〜〜」

「そんな悲しそうな目で見ないでください」

女性教師二人が異口同音に返事をする。









優菜が自転車を止めたのは、新興住宅地の洒落た外観の建売住宅だった。

一区画同じような家が並んでいて、いかにも昔、田畑だった土地に建てられたような感じだった。このあたりにはこんな地域が田園風景の中に点在している。

ベルを押して名のるとすぐに母親が出てきて応対してくれた。聞くと医者にはまだかかっておらず、奈緒は奥の部屋で寝ていて、今日は父親が早く帰ってきてくれるはずなので、それから車で出かけるとのことだった。

優菜は熱が高いこともあって一刻も早く診てもらったほうがいいとも思ったが、どうやら母親は車の運転ができないようなので、家庭の事情もあることだし、その件については保護者の判断にゆだね、気になっていた奈緒の好き嫌いについて少したずねてみることにした。

「えっと、あのぅ・・・奈緒さんの給食に関して少しお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「え?ああ、あの子の偏食のことですね」

母親はこの件について教師から尋ねられるのは初めてではないらしく、特に驚いた風は感じられなかった。

「というと、前の学校でも何か言われたことありましたか?」

優菜はとりあえずそのように水を向けてみた。

「ええ、前の学校は地域的にもあんまりいい環境ではなくて、給食指導もあまりよくわからなかったんですが、奈緒は給食が嫌いでよく残していたらしく、しょっちゅうそのことでからかわれていたようです」

「それはクラスメイトからですね?いじめのような?」

「ええ、でも多分・・・そこまでは行かなかったと思うんですけど、もともと無口な子で家では何も言わないし、友達もあんまりいないようだったし・・・公然とかばってくれた子はいなかったと思います。」

「・・・そうですか」

こちらに来てからは残食をして、お椀のおかずを食缶に空けているのを見たことはほとんどないから、前の学校では頻繁に食べ残していたというのが今とは違う、と、優菜は思った。

おそらく、前の学校の級友たちからからかわれたことが嫌だったので、こちらではなるべく少なくよそって無理して食べているのだろう。自分でよそうと言うのもたまたまこちらの習慣というだけで、前の学校では違っていたのかもしれない。

「この間話をしてくれたんですが、ジャガイモとかニンジン、タマネギが嫌いだって・・・」

「ええ、家でもどろどろにして裏ごしにしたスープならやっと食べてくれますが、そのままでは食べませんね。私も働いているので、そうそうそんな手間の掛かることはできないし・・・」

「他に何か嫌いなものがありますか?」

「匂いのきつい野菜は全体的に嫌いだと思います。あと、豆、魚、パンもあんまり好きではないようですが」

「結構ありますね。ウチの学校では配膳は各自で行い、嫌いなものでも少しは食べるように指導はしていますが、どうしても食べられないものは残してもいいようにしています」

「ああ、それはあの子にとっては助かるルールです。それで・・・奈緒はこちらでお友達はできたようですか?」

「すごく親しい友達はまだいないようですが・・・」

奈緒は自分の周りにあまり人を寄せ付けない雰囲気を持っている。優菜は慎重に言葉を選びながら答えた。

「あの子、ちょっと変わってると思うんです」

「・・・どういうところがですか?」

「なんか、変に突っ張ってるというか・・・家でも本ばかり読んでいて、手は掛からないんですけど、時々何を考えているのか親でもわからないことがあって・・・」

「・・・・・・」

「転校にしたって、普通新学期からって思うでしょ?何もこんな3学期に・・・。私たちも奈緒に4月からにしてもいいよって話したんです。だけどあの子構わないから早く新しい家に住みたいって言い張って・・・まぁ、私たちもその方が好都合だったんで、急いで引越ししたわけなんですが、普通子どもだったらお友達とそんなに急に別れられないじゃないですか。だから多分親しい友達はいなかったんだって思うんです。」

「ええ・・・今も特に親しい友人はまだ出来てはいないようですが・・・」

「あの子・・・どうも、言葉使いがつっけんどんで、きつい感じなんで私でも腹の立つことあるんですよ。そんな言葉遣いでお友達喋ってたらいけないって、しょっちゅう注意してるんですけれどもね!どうも人の気持ちを察することが苦手なようで・・・・・・」

話しているうちにだんだん思いが募ってきたのか、母親は感情的にたくさんのことを話してくれた。



15分ほど話して優菜は奈緒の家を辞した。大したことはできなかったが、大体思っていたことは母親の口から確認できたと優菜は思った。

奈緒はおそらく前の学校で陰湿にいじめられていたのだ。それだから早く転校したがったと優菜は確信した。そして、今の学校でも目立たないように、なるべくソツのないように振舞っている。それは子どもにとって痛々しいほどの努力だろうと思う。うまくいっているかどうかはよくわからないが。

優菜は奈緒の気持ちがよくわかった。





自分もかつてそういう子どもだったから。










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ちょっと!志郎、アンタどこで何やってんの!?って突っ込まれた方。
スミマセン・・・もう少しお待ちください。
皆様、お風邪には十分ご注意を。








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