茜色は君の色 13





「本当にこんなバタコ(軽トラックのこと)でよかったのか?家から兄貴の車を借りてくるって言ったのに」

ガラ空きの県道を、白い軽トラックがリボンの上のてんとう虫のように進んでゆく。清々しい春の朝。朝露にぬれた新緑が日の光をはじく。斜面には山の花が萌えだした緑の中に色を添えている。桜はまだだが、つぼみはうっすらと色づき、あと何日かで咲き出しそうな陽気だった。

「これでいいの。この車が好きなの」

運転席で整った横顔を見せている志郎に、優菜は笑いかけた。志郎の祖父がやっているという酒造蔵までは車で一時間弱の行程だった。もっとも、祖父自身はいつもは志郎の実家に近い本宅にいるのだが、志郎が優菜を連れてくるというので昨日から、蔵のほうに来ているのだという。

「ひと山越えるだけだからな、意外と近いんだ。道が混む事はまずねぇし。」

志郎の言葉通り道は下りに入り、美しい谷間の風景が広がってきた。狭い田んぼが川沿いに広がり、民家が点在している。空や山の色はまだ少し淡い早春の風景だった。

「きれいね」

「だろ?もう少ししたら山桜や山ツツジが咲いて、もっときれいになる。この川の下流は学校の近くを流れてるだろ?」

「ああ、そうなるんだ」

「うん。夏には蛍が飛ぶぞ。見たことあるか?蛍」

「ああ・・・えっと昆虫資料館の展示では」

「なんだ、都会っ子だな。じゃあ夏になったら蛍狩りに来ようぜ」

「ほんとう?」

「ああ。・・・ほら見えてきた。あの奥の大きな建物だ」

道の奥のほうに大きな倉庫のようなものが見えてくる。どっしりとした白壁の屋根の重そうな日本建築だ。

「あれが土蔵なのね」

日本酒作りには適度な温度、湿度を要する。大手メーカーでは機械化されているが、このような小さな蔵元などでは壁のぶ厚い土蔵が今だ全国に残っており、日本の田舎の源風景の一つとなっている。土と木で出来た蔵はそれ自体がまるで生き物のように呼吸し、中の状態を一定に保つ仕組みになっている。

ほとんど都会で育ち、旅行することも少なかった優菜にとって、このような風景は珍しいらしく、うっとりと窓の外を見つめている。

そうこうしている内にトラックは小さな集落のメーンストリートに入り、小学校や幼稚園の前を通り過ぎて町の奥へと入って行く。

「ここだよ」

志郎が車を停めたのは、がっしりとした木組み格子の間口の広い、古い商家風の建物だった。両側には立派ななまこ壁がずっと続いており、門はないが奥行きの広さを感じさせる建物だった。

志郎は店の前の空き地まで車を進め、車を下りた。優菜もどきどきしながら続く。

玄関の庇の上に大きな「清酒松柏醸造蔵」という檜の看板が掲げられている。引き戸の横にもいかめしい毛筆書きの「冬木酒造」と縦に書かれた看板が懸かっており、歴史を感じさせた。看板の反対側にはお決まりの大きな杉玉が下がっている。興味を引かれて優菜は杉玉をつくづくと眺めた。

「すごいね・・・」

「こいつも直新しいものにつけ換わるんだ。青々としたものにな。さぁ、行こう。中も面白いぜ」

志郎が躊躇っている優菜の背中を押して、ずんずんと中へ入ってゆく。明るい日差しから屋内に入ってきたので一瞬暗く思えたが、そこはひろい店の中だった。

店の中は広い間口に合わせて細長く、踏み固められた土の床に敷石が敷いてありその部分は古いのだろうが、しつらいは洒落た和風で、現代的な感覚のディスプレイがなされている。

格子状の窓際の壁にはひな壇のような陳列台があり、漬物やちょっとした土産物の食品などが置かれている。カウンターの奥には酒瓶がずらりと並んだ棚。右手の奥には大きなシースルーの冷蔵庫、更に奥には一段高くなった和室があり、円座や座卓が置かれているが今は誰もいない。

「あそこは利き酒コーナーだ。全国からめずらしもん好きの酒飲みが集まる」

志郎は冗談めかして笑うが、伝統と格式が感じられ、いかにも蔵元という感じだった。

「お〜〜〜い!誰もいないの?来たぞ」

志郎が大声を上げるので優菜はびっくりしてしまった。携帯で事前に知らせたらよさそうなものだが、もしかしたら圏外なのかもしれない。

「はぁ〜〜い」

間延びした返事が聞こえ、割烹着を着た年配の主婦が出てくる。

「よ!おばちゃん久しぶり」

志郎は鷹揚な挨拶をした。

「なんね〜〜、シロちゃんじゃないの!ひさしぶりだぁ〜、おっきくなったね〜」

「大きくってもう24歳だぜ。おばちゃんも元気そうだな。まだ店任されてるんだ」

「そうなんよ〜、人手不足でね〜〜60前でもまだ現役よ〜」

丸い顔を笑顔でいっぱいにしながら主婦が優菜のほうを向いた。

「こんにちは」

優菜はぺこりと頭をさげた

「優菜、神場のおばちゃん、この店にずっと勤めてる」

「初めまして、羽山優菜といいます」

「あっらぁ〜〜〜べっぴんさんやね〜〜。こちら、シロちゃんの彼女さんね〜〜?」

「いえ・・・あの・・・」

「いいから!おばちゃん、奥へ入れてよ。爺ちゃん、いるんだろ」

「いるよ〜〜〜、待っててね。おお〜〜い、ご隠居さ〜〜ん、旦那さ〜〜ん、シロちゃん来ましたよ〜〜」

主婦は後ろの暖簾を開けて奥に呼ばわった。又のその声が大きくて甲高く、ますます優菜は驚いてしまう。田舎の人は声が大きいのだろうか?

「悪い、おばちゃん。後でゆっくり話すから先に叔父さんと爺ちゃんに挨拶するわ」

志郎は言葉をかけて優菜を促し、店の奥に入る。

「はいよ」

主婦はそのまま店番をするらしく、奥には入ってこなかった。

店の奥には細長い空間があり、そこも土間のたたきに敷石が敷いてある。左はガラス格子になっており、前栽が見られるようになっている。前栽といっても十分広く、優菜の部屋が四つぐらい入る大きさだ。

左手には漆喰の壁とガラス障子。上がり框がつくってあり、ここから屋内に入るようだった。

「いらっしゃい」

温厚そうな中年の男性が、後ろに奥さんであろうと思われる女性を伴って出てきた。

「おじさん今日は。ご無沙汰してます。こちらは・・・」

「志郎ちゃん、ようお越し。まぁまぁ話は後あと。さ、お上がり」

「いらっしゃい」

「初めまして・・・私、羽山優菜と申します。今日は突然お伺いいたしまして申し訳ありません」

名乗りもせずに入れるのは躊躇われ、優菜はここでも丁寧に挨拶をした。

「いやいや、志郎の叔父です。さぁ、上がって。今日はなにやら楽しいお話しがあるようで楽しみですわ」

「お邪魔いたします」

志郎は遠慮なく進んでいくが、はじめから言い含められているのか、叔父夫婦もついてこようとはしない。幾つかの和室を抜け、縁側に出る。目の前に築山や池が造られた本格的な日本庭園が広がる。

先ほど見た庭の何倍もの広さだ。本格的な豪農の邸宅。

志郎は障子の一つを開けて中に入っていった。屋内に入ったときからどきどきが止まらない優菜も敷居を踏まないように注意して続く。

「爺ちゃん?あれ?いない」

10畳ほどの和室には座布団が三つ伸べてあるだけで、無人だった。

「おーい、爺ちゃん?来たぞ〜」

志郎は遠慮なく奥の襖を開けて呼ばわる。だが、奥の部屋にも誰もいなかった。

「おかしいな・・・てっきり・・・」





「うぉい。志郎〜〜、よぉ来た」

優菜の背後、庭のほうから声がして剪定ばさみを手にした老人が築山の向こうから姿をあらわす。

「あっ・・・」

振り返った優菜は小さく声を上げた。

「はは!先生、久しぶりだね」

「あの時の・・・」

「なんだぁ〜〜〜〜?」

奥から出てきた志郎が二人を見比べ、訳がわからないといった声を上げた。

「何でお互い知ってんの?」

「いやぁ、志郎すまん。この間お前から話を聞いてからな、好奇心に負けて先生の顔をこっそり見に行ったんだよ」

「この間って・・・」

先月兄に優菜のことを話し、それから数日後祖父にも話した。祖父は引退したとはいえ、5期も県会議員を務め、いまだに地元では一目置かれている存在なのだ。志郎はこの祖父に昔はよくかわいがられた。

その祖父に志郎は正直に優菜のことを話した。昔自分がいじめていたことも、そして今彼女がどんな風に頑張っているかということも。

祖父は黙って聞いていた。志郎の話を聞き終わった後も特に反対も賛成もしなかったが、機会が出来たら連れてくるがいいとそう告げた。



「あれから優菜に会いに行ったのかよ?いったいどうやって?」

「私にだって情報網という物があるんだよ。知り合いにリサーチして、小学校の行事を調べてな」

志郎の祖父の将一はにっと笑った。

「まぁ、じゃあ校外活動の事はちゃんとわかっていらしたのですか?」

驚いて優菜も思わず尋ねてしまった。

「勿論。友人が会長をしているボランティアグループに頼んで、わざわざあの神社で活動してもらったんだよ。だが、あなたの顔までは知らんかったから、志郎の話から想像した印象の若い女先生を探していたところにわざわざそっちから飛び込んできてくれたんでな。助かった。今日びの先生はちゃんと名札をつけとるからすぐわかった。悪戯をしたあの坊主には感謝をしたいくらいだったな」

「・・・・・・そうでしたか・・・」

あまりの周到さに優菜は絶句する。

「なんだよ・・・じゃあ、爺ちゃんは優菜の人物鑑定に行ったのか」

「そういうこった。すまん、ご両人。だが、鑑定にいったんではないぞ、純粋な好奇心といってくれ」

「しかも仕事中に」

「仕事中だからよかったんじゃないか。おかげでこの人がきちんと仕事をし、尚且つちゃんとした人間だってわかっただからな」

「あの時は・・・でも・・・あんな少しで・・・」

困り果てて優菜が言いかけるのを遮って、将一は言った。

「わかるよ。これでも見る目はあるつもりだよ。子どもらは皆あなたを慕っておった。いかにも腕白そうな男の子も、真面目な女の子もみんな」













二人が蔵元を辞したときには、山奥の陽はすでに傾こうとしていた。

あれから将一と話をし、叔父夫婦にもきちんと挨拶をして改めて優菜を紹介した。優菜は志郎に将来の嫁さんだと紹介されるたびに、居心地が悪いような気持ちに襲われたが、将一も叔父夫婦も暖かく迎えてくれ、優菜の身寄りが少ないことなど気にしないでいいといってくれた。優菜もかろうじて残った父方の祖母が身元保証人になっていることを話した。

その後酒蔵を案内してもらい、優菜は酒造りの行程を説明して貰ったり、発酵が終わって寝かせている酒を利き酒させて貰ったりして楽しんだ。大吟醸というのは米を極限まで精製し、長期間じっくり醗酵させた酒のことをいうことも教えてもらった。味わいは淡白で果実のような香りがするのが特徴だ。

「これは中取り酒と言って絞り始めでも絞り終わりでもない、大吟醸の中でも一番いい部分なんだよ」

得意そうに将一が優菜に説明する。

「アンタは割合いける口と聞いたが・・・どうかな?」

そういいながら将一は切子のぐい飲みになみなみと香りの高い酒を注いだ。

「すごい・・・おいしい・・・」

酒を含み、ほんのり桜色になった優菜はうっとりとつぶやいた。

「メロンのような香りがするわ・・・・・」

「だろ?俺も早くイタダキたいよ」

志郎は露を乗せたような優菜の唇から目が離せない。

「ああ、車だから・・・ごめんね。私だけ頂いて」

「いやその・・・まぁ、俺も後でじっくり頂くから・・・」

将一はニヤニヤしながらそのやり取りを聞いている。

そして志郎のおばが腕を振るった心づくしの昼食を皆で頂き、いずれ改めて挨拶に来るということで山間の作り酒屋を辞した。




「楽しかったわ・・・皆気さくな方ばかりで」

「そうだろ?」

「お酒・・・頂いちゃったけど、これって値の張るものなんでしょう?」

「ところがそうでもない。それは5千円ぐらいかな?もっと高いのもあるけど、洋酒の高い奴よりかはよほど安い。本当ならもっと評価されてもいいくらいだとは思うんだ。酒の味も知らないやつが、やれドンペリだなんだと高い洋酒ばかりありがたがるのにな。今は日本酒は冬の時代だ・・・俺の店でも売り上げはビールとかワインで日本酒の割合は2割ぐらいだ。それも料理用も含めてだからな」

「こんなに美味しいのにね」

「爺ぃのヤツ、お前が酒の味がわかると知って、めちゃくちゃ喜んでいたな」

「そうかしら。呆れられなかったかしら」

「いやぁ、アレは内心飲み仲間が増えたって喜んでいた風だったな。意外に内の親父も、兄貴も量は飲まないからな。しかも二人とも平日にゃ絶対飲まない。俺と違って真面目だし」

「私だって平日は飲みませんよ」

「まぁまぁ、そういうことにしておいて・・・・・・」

「シツレイな」

「あああ、見ろよ」

「え?」

車はカーブに差し掛かり、ちょうど峠に差し掛かった山の向こうに大きな夕日が落ちてゆくのがフロントガラスいっぱいに見えた。

「・・・・・・すごぉい。ちょっと停めてもらってもいい?」

優菜が問うまでもなく、志郎はカーブを曲がりきったところで車を路肩に寄せ、停車させた。

優菜が車を降りてカーブの頂点に歩いてゆく。その後姿を四郎は目で追った。

白いローヒール。優しいカーブ゙を描いて伸びる足、揺らめくスカートのすそ。背中に流れ落ちる美しい髪。薄いカーディでは少し寒いのか、自分を抱きしめる細い両腕と小さな頭。



― 昔、こんな夕日の中に消えてゆく小さな姿を見つめていたっけ・・・・・・あの時どうしても追いかけることが出来なかった、幼い自分



「きゃ!ど、どうしたの?びっくりした」

優菜は後ろから体をぶつけるようにして、自分を抱き寄せた志郎に驚いて振り返った。

「なんでもない。夕陽、きれいだな・・・・・・」

「うん」

「すげえ、お前まっかっかだぞ」

「え?ああ、ホンとだ。白っぽい服を着てるから染められちゃった」

優菜の服も、髪も、白い肌も皆夕陽の色を反映している。風が少し冷たくなったが、色合いだけは太陽の色に包み込まれ、とても暖かそうだった。

「なぁに?さっきから私の顔見てニヤニヤして」

「言ったらきっと怒る。怒られたくない」

「怒らないわ」

「なら言う。早く帰って酒を呑みたい。極上の肴もあることだし。いや、どちらかといえば肴が本命かな」

考え深げに優菜を見つめて志郎がつぶやく。

「なぁんだ、花・・・夕焼けより団子ですか?」

「いや、花だよ。勿論」

「言ってることわかりません」

「じゃあ先生、わかりやすく説明します」

「どうぞ。冬木君」

「俺はこれからもずっとお前と夕陽を見ていたい」

「はい」

「だけど今は早く帰って優菜さんを食べたいです」

「却下します」

そういって優菜は車と反対側へ身を翻した。

「うわっ、ひでぇ!なんでよぉ先生、俺ちゃんと言いました〜〜〜〜〜」

「絶対却下〜〜〜〜」

情けない声をだす志郎を尻目に声を立てて優菜は笑った。志郎も負けてはいない、ほんの一足で優菜を捕まえる。

「ほら、これでもう俺のもんだ」

やっと捕まえられた。もう逃がさない。大人しくなった優菜を深く抱き込みながら志郎は思う。





大きな夕陽がゆっくりと落ちてゆきながら、まるで二人ごと包み込むかのようにそのやさしい輝きを更に増した。








            ○●○●○●○   完   ●○●○●○








やっと完結いたしました。
え〜〜〜、調べてみると、この物語を初めてUPしたのが2006年の2月24日とありますから、完結までに足掛け2年以上の歳月が流れたわけです。その間、長いお休みがありました。それは他のお話を書くためであったり、切ないシュヴァリエに思い入れるあまり、怒涛の二次創作にやつした時期があったからなのですが、決してこの物語のことを忘れたわけではありませんでした。確かに、どうやってまとめようかと、悩んだことは多かったけれども。

だけど遅々とした歩みではありましたが、自分の中から出てくる最良の物を集めてこの物語を書き進めました。舞台のモデルは奈良の田舎の町。そして小学校。なかなか自分の周りにない環境でしたのでいろいろ間違いもあろうかと思いますが、この物語を好きといってくださり、更新のたびに温かい言葉を下さった方々のおかげで今日の完結にこぎつけました。どうもありがとうございます。

新しい物語に取り掛かるには又しばらくの猶予が必要かと思いますが、構想がまとまり次第進めていきたいと思います。
よろしかったら、今後どんな話(既存の話も含めて)が読みたいかなども添えてHOMEのフォームから一言送っていただければ嬉しいです。常にネタを探している筆者の参考にさせていただきます。


長い間お付き合いいただき、ありがとうございました。



                           2008.5.9 ぷんにゃご拝






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