茜色は君の色 12







今日入荷した倉庫の商品はこれで確認し終えた。商品が注文した数だけ、きちんと所定の場所に納まっている。自分が考えた管理システムは、自分が店にいなくても滞りなく行われているらしい。今日は一日新しい店舗のことで走り回った。法務局で土地の登記も行い(かなり苦労した)、後はいい建築会社に新店舗建設の話を持っていけばいい。幸い中学の同級生に詳しい友人がいるから、そいつにまず打診してみよう。



―さて、閉めるか。



志郎は顔を上げた。

倉庫の入り口に優菜が立っている。裏通りの鈍い街灯に照らされて、細い姿が浮き上がって見えた。

「・・・・・・!」

驚きのあまり言葉が出ない。だが、志郎は五歩で優菜の元へ駆け寄った。

「こんばんは・・・・」

照れたように優菜は少し笑った。

「こんばんはって!今何時だと思っている!11時だぞ!」

ようやく言語能力を回復させた志郎が声を荒げる。

「知ってるわ」

けろりと優菜は頷いた。

「今まで仕事してたのか!残業手当も出ない公務員のクセに」

「ううん、仕事は今日は定時で上がったの。今日は私の研究授業で、とっても疲れちゃったから」

そういえばいつも通勤で着ているような地味だがかっちりとした服装ではない。ジーンズに被さるような大き目の木綿のシャツに紺地の春物のコートをはおっているだけ。おまけにソックスをはいているとはいえ、サンダル履きだった。

「・・・じゃあ、なんで・・・」

訳がわからない。

「急に会いたくなったからじゃあ、理由にならないかな?」

今度は悪戯っぽく笑う。優菜の少女めいた、こんな微笑を見るのは初めてだった。

「・・・・・・」

「・・・志郎?」

ふいに体が引き寄せられ、あっという間に胸の中に閉じ込められた。このところめきめきと暖かくなってきたが、まだ三月だ。日が落ちるとやはり大気は冷え込む。

「すっかり冷えてるじゃないか、いったい何があった」

「別に?」

「ウソつけ。授業・・・うまくいかなかったのか?」

体を曲げ、深くその胸に優菜を抱きこみながら志郎は静かに尋ねた。

「大成功でした」

志郎に体重をあずけて優菜は答える。その声にまで笑いが含まれていた。

「なんだよ・・・じゃあ、どうしたんだ」

「だから、会いたくなったって言ってるじゃない」

「・・・・・・」

「信じられない?」

志郎はしばらく疑わしそうに優菜を眺めていたが、やがて無言で優菜の顔を大きな両手で挟み込み、唇を重ねた。

「ん・・・ん」

いつもながら志郎の唇は熱い。そして口付けに技巧がない。やや肉厚のセクシーな唇が強く押し付けられる。優菜の上下の唇をきつく吸い上げた後、熱い塊が進入してくる。

頬を覆っていた掌はその熱さを増しながら滑り下り、優菜の腰を掴んで体を密着させる。

始めのうちはいつもその強引さに翻弄される。だが、彼の思いの深さが直に伝わるようなその行為に、優菜はいつしか自分から腕を伸ばして志郎の厚い体を抱きしめた。

ようやく唇が離れたとき、優菜は自分のそれが少し腫れているのを感じ、指で触れてみる。

「ふ・・・」

思わず、笑ってしまう。



―ヘタクソなキス。こんなんでこの人、女の人によくもてていたなぁ



「なんだよ、なにが可笑しい」

志郎は少し体を離したが、まだ両手は優菜の腰に回っている。

「別に?」

「又、別に?かよ」

「すみません」

「ちぇ・・・」

「一人なの?」

「ああ、とっくに皆帰った。店は閉まってたろ」

「うん、だからこちらに回ってみたの」

「こっちももう閉める所だったんだ・・・っておい、もしもう閉まっていたらどうするつもりだったんだ?」

「あっさりUターン」

こともなげに優菜は応じた。

「あのなぁ・・・おまえ、風呂入ったんだろ?髪が湿ってる。」

「乾かしたんだけどな」

「そういう問題じゃないだろ?風邪引いたらどうするんだ、年度末で忙しいんだろう?」

「うん」

「プロは体調管理が鉄則だって言ってなかったか?」

「言いました」

心なしか声が小さい。立て続けに正論をはかれて、いつもと立場が逆転したようだった。

「ダメモトで言うけど、部屋に入るか?ここは冷える」

志郎は優菜の体がほんの少し緊張するのを感じた。

「イヤならあっさり断ってくれていいぜ。送っていく」

「・・・・・・いいよ」

長い睫がゆっくり上がって志郎を見上げる。今度は志郎が緊張する番だった。

「子どもらの大切な担任の先生に風邪を引かすわけには行かないからな」

我ながら言い訳めいて聞こえるなぁ、と志郎は苦笑した。

「だけど、心配するな。お前の困ることは何もしないから」

これが自分の本心なのか、そうではないのか実のところ志郎にもよくはわからない。ただ、こんな夜中に自分に会いに来てくれた優菜をこのまま帰したくはなかった。

「自転車で来たのか」

「うん」

「こっちに入れな」

優菜が倉庫の入り口付近に自転車を止めると、志郎がスライド式の重い鉄の扉を押し閉めた。ガシャーンと鈍い音が倉庫に響く。内側から鎖のついた頑丈な錠前で戸締りをして、防犯センサーのスイッチを入れると志郎は振り返った。

「事務所の横にエレベーターがあるんだ」

倉庫の奥のドアもきちんと施錠する。今まで気がつかなかったが、暗い短い廊下の奥に小さなエレベーターがあった。6人ぐらいなら乗れるだろうか?4階が志郎の独占しているフロアになっている。

「志郎、ご飯は?」

「出先でファミレス」

「いそがしいんだ」

「お互いにな」

エレベーターのドアが静かに開く。そこは非常灯が灯っているだけの真っ暗な空間だった。空気も冷え冷えとしている。

「こっちだ」

エレベーターの正面が廊下になっていて、左右に二つずつドアがついている。志郎は右奥のドアを開けた。脇にあるスイッチを押して部屋の中が明らかになる。

「どうぞ」

「お邪魔します」

玄関と言っていいものかどうか、二畳ほどの殺風景なピータイルの空間にいくつかの靴が置いてあり、ジャケットやかばんが壁のフックに掛けてある。靴箱らしきものはない。バットとグローブ、様々な種類のボールになぜか鉄アレイまでもが床の上に無造作に置かれてあった。

「上がれよ。今エアコンを入れたから、すぐに暖かくなる。」

ものめずらしそうに見ている優菜に奥から志郎が声をかけた。

部屋の中に入ると、これまた広いことは広いが、突き当たりの壁にベッドとTV、右側の窓辺に本棚と座卓(パソコン付き)と冷蔵庫の他は、ほとんど家具らしきものが見られない、殺風景な部屋があった。

「何もないだろ?寝るだけの部屋だからな。まぁお茶くらいは淹れられる」

「キッチンは?」

「隣。けど、ほとんど使わない。食器やポットがおいてあるだけなんだ。」

部屋の左側に三つドアがあり、一番手前がキッチンらしく、志郎はカップを取りに行った。後は恐らくトイレとバス・洗面なのだろうと優菜は思った。

意外ときちんと片付いている。というより、志郎の言うとおり、この部屋にはほとんど寝に帰るだけなのだろう。椅子一つ見当たらない。

エアコンは最新型らしく、音もしないで暖かい空気を送り込んでくれる。優菜は仕方なく真ん中にかろうじて敷いてあるラグの上に座った。散らばっているCDを集めて脇に寄せる。

台所から水音とカチャカチャという音がするので、志郎が優菜のためにカップを洗っているに違いない。心配するなとは言っていたものの、なんとなく部屋に入ったらすぐに抱きしめられるものと想像していた優菜はちょっと反省した。まぁ、志郎ならきちんと言えば無理強いはしないと信じていたが。

目の前に志郎がいつも使っているベッドがある。乱雑に布団がめくられたままになっているのは朝起きたときのまんまなのだろう。パジャマにしているらしいイージーパンツが足元に丸まっている。なんとなく生々しい志郎の生活を想像してしまい、優菜は慌ててベッドから反対の向きに体をずらした。

「おまたせ、お茶。あ・・・酒のほうがよかったら、そこの冷蔵庫に入ってるぜ。ビールと缶チューハイだけど。何なら店から好きなのとって来るか?」

志郎は今夜初めて冗談らしきことを言った。

「ううん、お茶でいい。ありがとう・・・」

優菜は志郎の手からカップを受け取り、嬉しそうに啜った。熱いのは平気だ。寒くはなかったが体は冷えていたらしく、温もりがおなかの辺りに広がってゆく。

「さぁ・・・話せよ」

志郎がどかっと背中をベッドにもたせ掛けて促した。

「え?」

「今日のこと。話したかったんだろう?」

「・・・どうして・・・」

「わかるさ。お前のことならな・・・って気障っちぃな。言ってて自分で引くなぁ。あ、寒かったら言えよ」

照れた様子で志郎はお茶をあおった。

「うん。あのね、今更なんだけど、子ども達ってすごいの。この間までけんかしてた子が仲良くなったりね。私が研究授業で緊張させたのに文句も言わないで、ドッチボールで遊んでいるの。そりゃぁ、いいことばっかりでもないけど、頭にくることもあるけど、なんか、いろんなことをどんどん乗り越えていくのを見て、自分もがんばらなきゃあって思って」

「うん」

優菜がこんなにしゃべるのは珍しい志郎はベッドに背中をあずけただらしない姿勢のまま、目を細めていた。

「今日はほんとに頑張ったんだ。いろいろ準備もして、何回もチェックもしたし。そりゃあ、普段の授業が大事なんだけど、こういった機会ってそうないから、いつもやってることをきちんと整理しておこうと思って・・・算数の授業だったんだけど」

「へぇ〜〜、算数かよ。いっがい〜〜」

優菜は思い起こして少し興奮してきたのか、いつものような理路整然とした話方ではない。が、志郎にはよくわかった。

「うん、いろいろ自分なりに工夫した教材を使って図形をやったの。土曜日には藤木先生に模擬授業を見てもらったりしてね」

「二人きりでか?」

「うん、休日なのに来て下さって・・・・・・でも、おかげであんまりつっかえたりしなくて・・・」

そうじゃないだろ!という突っ込みを辛うじて堪えて、志郎は再びお茶を飲み下した。

「授業は割とうまくいったの。子ども達もちゃんとついてきてくれて」

「それは・・・よかったじゃないか」

指導案・・・・って授業の計画書みたいなもんだけど・・・も上手に書けてたって教育委員会の指導主事の先生からもほめられちゃった」

「なぁんだ、いいことばっかりじゃんかよ」

「えへへ・・・ほめてもらったっていうことを言いたかったんだ」




コイツ・・・変わったな、と志郎は思った。以前の優菜だったら、自分一人で出来るだけの準備をしただろう。人に頼ったりせず一人でがんばり、その結果がどうであっても一人で受け止めて自分のものとし、結果を他人に話すなんていうこと等絶対にしなかったに違いない。

優菜を変えたのは何だろう・・・子ども達か、藤木か、それとも自分なのか・・・?自分であってほしい、そう思って志郎は優菜を見つめた。



「それでね〜〜、あの〜〜〜、隠したくないから言うんだけど」

急に言いにくそうにもじもじとした優菜の声が、志郎の密かな感慨を破った。

「は?なんだよ?」

「篠岡先生が参観にいらしったの」

「ナニ!?」

がばと身を起こす。

「篠岡って、アイツだろ?」

志郎が密かに嫉妬していたあの男―――

「あ〜〜でも、何にもなかったんだよ。ただ、見に来てくださっただけで・・・やっぱりほめてくださって・・・さっさとお帰りになったし」

「お帰りって、丁寧語なんか使うな!お前な・・・・・・大概にせぇよ。さっきから黙って聞いてりゃ、男の話ばっかりじゃないか」

「うん?」

「土日は一つも連絡よこさないと思ったら、若い同僚と二人きり。ほんでもって今日は昔の男にほめられて喜んでる」

「・・・・・・でも、本当のことだから・・・っていうか、今の話のテーマは私の授業のことで・・・」

「うるさい!」

「それに、志郎は忙しくしてるから煩わせてはいけないと思って・・・」

平然と優菜は志郎の抗議を受け流す。

「ちが〜〜う!」

辛抱溜まらず、志郎はカップを置いて優菜の肩に両手を置いた。

「俺はマジ、妬いてんの!お前の口から他の男の話なんか聞きたくねぇの!」

「? 妬く根拠はなにもないわ」

「黙ってろ。こういうのは理屈じゃねぇ!」

志郎は優菜の手からカップを取り上げ、そばに置いた。そのまま覆いかぶさるつもりで腕を取る。

「あ、そうそう。もう一つだけ伝えたいことがあったの。聞いてくれる?」

手首を捕らえられ、志郎に引き寄せながらもしれっとして優菜は志郎を見つめた。

「なんだよ!男の話ならもう絶対聞かねぇぞ」

「この週末ね、志郎のおうちの造り酒屋に行くわ」

「・・・!」

「行ってもいい?連れて行ってくれる?」

「おまっ・・・」

言葉をなくして志郎は優菜を見下ろした。

「私ね、自信がなかった。昔からいろんな事、いつもいつもね。でも、子ども達や志郎を見ていて、あんまり背伸びしないで一つ一つ乗り越えて行こうって思ったの・・・それで、気が重かった研究授業をがんばって乗り越えたらみんなが認めてくれて・・・すごく嬉しかった」

優菜は手首を掴まれたまま、志郎を見上げて話し続ける。心なしか大きな瞳が潤んでいた。

「子ども達だってあんなにがんばって強くなっていくんだもの。私だっていつまでもじめじめしていられないって・・・・・・だから」

「俺のヨメになってくれるって言うのか?」

「・・・はぁっ・・・!?」

今度は優菜が言葉をなくす番だった。

「・・・・・・なんでそうなるの?」

「嫌なのか」

「あ・・・いえ、そうじゃなくて・・・話が飛びすぎて見えません・・・」

「俺には見えている。つまり、俺はお前をヨメにしたいんだ」

いつの間にか二人は膝立ちになって向かい合っている。志郎が優菜の腰を引き寄せた。

「・・・・・・」

「・・・・・・優菜、お願いだ。うんと言ってくれ。あとで色々謝るから。お前なしじゃダメなんだ。俺がんばるから・・・」

大きな体をして仔犬のように志郎は嘆願したが、こんな急な形のプロポーズなんて禁じ手のルール違反だと優菜は思った。普通はもっとロマンチックなものじゃないのだろうか?

「・・・・・・」

「優菜ぁ〜・・・」

黙って考え込んだ優菜を恐る恐る志郎は覗き込む。精悍な男らしい容貌が困り果てているのを見て、優菜は吹き出しそうになってしまった。これがいつもやや強引で、自信ありげな志郎の姿だろうか?





「はい」

「それはどういう『はい』なんだ?」

「お受けしますの『はい』です」

「・・・・・・!」

「まぁ、大きな目ねぇ・・・落ちてきそう・・・」

「うるせ〜!ってか、本当か!優菜、いいのか?本当に!?」

突然志郎はがばりと優菜にしがみつき、不意をうたれてよろけた優菜と共に床に転がってしまった。

「きゃ!や・・・ちょ・・・っ重い」

「うわぁ〜〜〜〜!やった!優菜、愛してる、すっげぇ愛してる!」

志郎は優菜の抗議など聞いてはいなかった。優菜を抱きしめたまま、轟々と何やら吼えている。あきらめて優菜は志郎が静まるまで大人しくしていようと思い、力を抜いた。いったい、さっきまでのシリアスな自分の話はどうなってしまったのか理解に苦しむ。

「優菜・・・」

やがて興奮を無理に収めた志郎が上半身を起こして上から優菜を見つめる。志郎の目に、ラグの上に長い髪を乱した優菜がやや困った顔をして自分を見上げているのが映る。

なんていい女なんだろうか。なんて賢くて、強くて、優しい女なんだろうか。少女の頃の彼女を忘れられず、人知れず10年間想い続けた自分をほめてやりたいと志郎は思った。



「愛してる」



唇がゆっくり下りてくる。優菜は瞳を閉じた。

先ほどのそれとは違い、優菜の存在を確かめるような深い口付けに優菜はうっとりと志郎のなすがままにさせた。

志郎の存在に安心できた。この暖かさにもっと包まれていたいと、本当は思っていたのに。なかなか言えなくて、その分仕事に打ち込もうとしていた。それはそれでいいのだけれど、この存在感はやはり優菜を深々と包みこんで、今まで感じた事のない安らぎをくれる。

志郎の唇は首筋をたどり、優菜のシャツの胸元で躊躇うように彷徨っていた。





「優菜・・・抱きたい。抱かせて」

切羽詰ったかすれ声が訴える。熱い吐息が首筋から優菜のシャツの中に入り込んでくる。

「・・・・・・困ることはしないって言ったくせに」

「・・・・・・困ってるのか?・・・ならしない」

少しの間の後、真摯な瞳が優菜を見下ろす。

「ふ・・・素直ね・・・。でも、困っているのは部屋が明るいからよ・・・・・・」

「そうか。後で消してやる・・・もう少しお前を見ていたい」

シャツのボタンを外していきながら、志郎は細い鎖骨に軽く歯を立てた。

「っ・・・!志郎・・・!」





そうして優菜は志郎の頭を抱きしめたのだった








               ○●○●○●○●○●○●○








これってジゴクの引きになるんだろうか?でも、ここオモテだし・・・。
だけど・・・志郎、キス・・・ヘタクソだったんだね・・・今まで自分本位な恋愛しかしてこなかったのかも。




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