茜色は君の色 10
「おやま、将一さん、若い女性とデートかい?よろしなぁ」
子ども達に混じって作業をしていたお年寄り達が二人に寄って来て声をかけた。
「小学校の先生ですか?」
優しそうなおばあさんがボンネットの下から笑いかける。
「はい」
優菜も微笑んで頭を下げた。
「こりゃぁ美人の先生だ」
隣の人のよさそうなお爺さんも草刈の鎌をたたんで話に加わる。
「最近の子どもは大変でしょ?ウチの孫なんか見てたらねぇ」
「いえ・・・昔の自分と比べたら可愛らしいと思います」
正直に優菜は答えた。
「何小学校?」
「葛の葉小です」
「ああ、そら、結構遠いところから来たんだねぇ。歩いて?」
「はい」
「わざわざゴミ拾いにかい?」
若い女性教師と話をする機会が珍しいのか、優菜は3、4人の老人達に取り囲まれてしまった。
「はい、環境学習の一環で」
「難しそうに。今じゃあただのゴミ拾いにたいそうな名目をつけるもんだなぁ。昔じゃ考えられんよ」
考え深そうに将一と呼ばれた老人は言った。
「ハヤリですから」
「はっはっは!ハヤリか!なるほど。こりゃぁいい。見かけによらずなかなか面白い先生だな、あんた」
「将一さん、楽しそうだなぁ」
「いつもあんな奥に篭っていないで、もっと出てきたら良いんだよ」
「私しゃこれでも忙しいんだ」
大真面目に老人は答えた。
「おやぁ、とっくに引退したもんと思ってたよ」
「ふん、人間働けるうちは一生現役だわい」
「ほ〜〜〜、さすがだねえ。昔から将ちゃんはビンボ症ででさ」
「でも、たまには出てきてもらわんと、あたし等も寂しいよ」
「出てきたら、こんな風に子どもらとか、美人に会えていいことあるだろう?アンタだって楽しそうに笑っていたじゃないか」
この怖そうな将一さんは意外にも人気者らしい。しかし、本当に楽しいのかどうかは優菜にはわからなかった。
「お〜〜い!2組〜〜〜〜!集合〜〜〜!お昼にするぞ〜〜〜!」
向こうの方から藤木が声を張り上げた。とたんに子ども達から歓声が上がる。駆け出していくものもいる。
「ああ・・・こりゃ、年寄りの長話で仕事の邪魔をしてしまったかな?すみませんなぁ。さっき、嫌味を言ったばかりじゃというのにな」
将一と呼ばれた老人はいたずらっぽくにやりと笑った。とたんに強面の顔が親しみやすくなる。
「いいえ、私も皆さんとお話が出来てよかったです。それじゃぁ、失礼します」
一礼して優菜も子ども達の後を追った。
「・・・・・・ところで将一さん、アンタ、あのきれいな先生を知っとったんかいな?」
「いいや全然」
「そんでも、なんかほんまに嬉しげに話とったじゃないか、めずらしう」
「そらぁ、そうだよ。なんたって孫の嫁になる女子だからな」
「はぁ?将一さん、アンタなにを言っとるのかね?ぼけるのはまだ早かろうに」
「ははは、まぁな」
老人は向こうの方で子ども達に囲まれて笑っている優菜の姿を眺めて、又笑った。
―志郎よ、おまえにしちゃぁ、上出来だ
老人はなにかしら楽しげに頷いた。
「みんな、今日はご苦労様でした。週末はゆっくり休んでね」
帰りのホームルームで優菜は心から児童達をねぎらう。心なしか皆、うすく日に焼けているようだ。
「今日は宿題はなしね?そのかわり、月曜日の学級会では卒業式の歌のパート練習をするからね。家でしっかり練習をしておいて」
「はぁ〜い」
「うえ、宿題ないのはいいけど歌かぁ・・・」
「げろ〜〜」
「なんでよ!アンタ達だって、6年生とサッカーしてたじゃないんの。在校生代表なんだから!しっかり歌ってよ」
男子達が文句を言いかけるのを小林さんたちがピシリと牽制した。
「はい、号令!」
「きりぃ〜つ。礼!終わりまぁ〜〜す」
ガタガタガタ。
「行こ」
「今日は大澤さんのお母さんがケーキを焼くんで、みんなで手伝いに行くんよ」
小林さんと、大澤さん、そして奈緒が嬉しそうに報告に来た。
「大澤さんのお母さんは、昔都会のホテルで働いていたんだって。ケーキ作りもすごくうまいんよ?」
奈緒は自分のことのように自慢げに言った。
「へぇ〜〜、いいわねえ。おいしいのができるといいね」
「クッキーも焼くんだ。先生も来れたらいいのにね」
「ははは。先生はこれから、会議ですよ〜〜。じゃ、あまり遅くならないように帰ってね」
「は〜〜い」
「さよ〜〜なら〜」
今日は一日教室にいなかったので、一斉清掃も勘弁して貰い、子ども達は晴々と帰っていた。
一人残って教室の戸締りをしながら優菜はまだ日の高いグランドを眺める。すでにホームルームが終わったクラスの子ども達がまだまだ元気なのか、ボールを追いかけて遊んでいた。すぐに奈緒たちも出てくる。なにやら雑誌を見ながら楽しそうに校門へ向かっている。
「良かったなぁ・・・仲良くなれて・・・・・・」
しみじみと優菜はつぶやいた。
志郎と約束していた日は来週の週末だ。
あれから彼には会う機会がない。電話を一日おきぐらいにかけてくるほかはメールも来ない。それも決まって夜遅くで、きっと店のことで忙しくしているのだろうと優菜は思った。
―今度志郎に会ったらどうなるんだろうか?
優菜はぼんやりと考えた。
会いたいとは思う。今でも、今すぐにでも。
志郎の屈託のない、気持ちの良さそうなしゃべり方を聞いていると、信じられないがとても安心できる自分がもうしっかり存在する。
初めはとても認めたくなかったが、彼は大変神経の行き届いた人間なのだ。優菜を長い間苦しめた大昔の憂鬱ないきさつはとどのつまり、優菜が拘っていただけの事。今では優菜はそう感じ出ている。公平に見ても志郎は自分よりも大人だと思う。。本人はあまり自覚していないだろうけど。
それはとりもなおさず、彼の優しさなのだと今では優菜もその部分に強く惹かれている。
彼の大きな腕が巻きついてくると、戸惑いながらも胸が高鳴る。少し高めの体温、低く錆びた声、荒々しい吐息。そうして、そのままあの大きな体に身をゆだねてしまえば・・・・・・
「!」
一陣の強い風がカーテンを持ち上げる。暖かい春風に髪をなぶられ、優菜ははっとなった。
いつの間にか両腕で自身を抱きしめていた。
―いけない。勤務中なのに!
学年会議の時間がもうすぐだ。これでは職員室に戻ってお茶を飲む暇もないだろう。グランドには児童の姿はもうほとんど見えない。優菜は思い切りよく窓を閉めて教室を後にした。
3月。年度末なのでたくさんの仕事がある。所属する校務分掌や対外的な委員会のまとめ会議があったり、彼女自身、新規採用の職員なので来週はじめには研究授業が控えている。
教科は算数で、単元もテーマもすでに決まっているから特に焦ることはないのだが、市の教育委員会から指導主事が来るということだったし、校長をはじめ、学校の主だった教諭が参観に来る。そして授業の指導案の最終チェックを今日の学年会議で行うのだった。
「オトナはなかなか大変なんだぁ・・・ウチもソトも」
優菜はため息をついた。
「まぁ、これでいいと思います。指導案としては上出来ですよ。ねらいも留意点もよくかけていますし。ね?藤木先生」
永嶋がA4のプリントの束をとんとんと束ねて脇に置いた。よほど疲れたのか大きなため息を漏らし、おやつのロールケーキにかぶりつく。
「ああ〜そうですね。ちょっとっ文章がカタイ気がしますけど、まぁ、いいでしょう」
藤木も気楽に応じた。
「ありがとうございます。何度も見直していただいたおかげです」
「それにしても羽山さんも大変だよなぁ。本当は2月にするはずだった研究授業がインフルエンザの流行で延び延びになって、学年末のこのクソイソガシイ時になるなんてなぁ・・・来週からは6年生は卒業式の練習だし・・・」
「まぁ、5年生が参加するのは再来週からなんで、まだ少し余裕がありますし・・・」
「成績処理と、研究授業が同時進行なんて信じられないよ〜〜、俺なら泣いちゃうね」
ずるずると藤木もコーヒーを啜った。
「大人も子供も評価されるってことですね」
優菜は真面目に頷いた。
「ああ、それからこれは内緒の話なんだけど・・・来年度のインターンシップの人がもう決まったらしいのよ」
「へぇ〜、そうなんですか」
インターンシップとは主として教師を目指す大学生達が、ほぼボランティアのような形で児童対応の補助をするというものであった。勿論単独での授業は行わないが、体育や家庭科の実技指導を手伝ったり、校内行事に参加できたりする。子ども達のいい相談相手になってくれるも者もいて、うまく使えばいい制度だと現場にも評価されていた。
「去年の秋に実習に来てくれた松居さんね?あの人。就活はしないで、試験に専念するんだって。そんで家も近いし、この間校長室に来ていたらしいわよ」
「そうなんですか?知らなかった・・・」
「羽山先生、出張の日だったんじゃなかったかしら?言うの忘れてたんだけど、決まったってさっき、市教委から連絡あったって」
「ウチの学年にも来てもらえるんですか?」
松居かおりは優菜の大学の後輩だ。教員採用試験は不合格だったので、就職するという手も勿論あったのだが、彼女の教師になるという決心は強く、教職浪人することに決めたのだった。4月から覚悟を決めて勉強に専念するらしい。優菜はいつかそう聞いたことを思い出した。
「まぁ、多分。週2回、3時までだから可能性はあるわね。ああ、それから・・・・・・」
永嶋はちょっとわらって言葉を切った。
「来週の貴女の研究授業、見せてくださいって校長先生に頼んだらしいわよ」
「えええええ〜〜〜っ」
「そ。校長もただでヘルプに来てくれる人の頼みをむげに断れなかったらしくて、OK出したんだって。さっき私に言いに来た、よろしくだって〜〜」
「別にいいんじゃないか?フツーに授業すればいいんだから・・・」
しれっと藤木が同意する。
「人事だと思って・・・ただでさえ、偉い人がいっぱい来て緊張するのに、この上後輩ですか?」
情けなそうに優菜はうなだれた。
「それが、それだけではないのよね。あなたの恩師の篠岡先生もいらっしゃるそうよ。松居さんから連絡を受けて、これも断れなかったらしいわ。まぁ、あまり部外者が多くなってもアレだから、これ以上は増えないと思うけど」
「・・・・・・!」
優菜の瞳がこれ以上ないというほど見開かれた。
「熱心な先生よねぇ・・・学生のみならず、卒業した教え子の研究授業まで見に来るなんて」
絶対に違います、と優菜は言おうとしたが、やめた。きっと、何かわけがあるのだ。さすがにもう口説いては来ないだろうが、彼の研究のデータを取るとかなんとか。優菜はすっかり憂鬱になった。
「あ〜あ、この土日は勉強と授業の練習三昧に終わりそうです〜」
「学校でやるんなら俺、付き合おうか?」
「・・・・・・お願いするかもしれません」
がっくりと肩を落として優菜は呟いた。
どうせ、週末も志郎とは会えまい。それなら一人で悶々と勉強するよりか、学校に来て前向きにがんばったほうがいいのかもしれない。余計なことを考えずに済むし、どうせなら、篠岡にここまでしっかりとした授業ができ、もう彼のことなどで何もわずらわせられない自分を見せ付けたい。
正直、以前のようにおびえる気持ちはなくなっていた。ただただ、面倒がなければいいとただそれだけで。
「がんばります」
本気を出そう。
優菜は心に決めた。
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