浅葱色に涙は散りぬ   

パァン!



乾いたピストルの音。若々しい小鹿のような足が一斉に地を蹴って駆けてゆく。

舞い上がる砂煙、甲高い歓声。

葛ノ葉小学校の運動会は、この地域のちょっとしたお祭りでもある。葛の葉小学校は歴史のあるこの地に古くからある学校で、昔から学校と地域が協力し合ってきた土地柄だった。運動会も地域の人が参加できる競技もあり、商店会の協力で景品も出て毎年、近隣のどの学校の運動会よりも盛り上がる。

今年も例外ではなかった。



優菜が受け持つ5年生の種目は、高学年のリレー2種目、50メートル走、そして、全クラスで行うマスゲームだ。

1組の担任の長嶋が学年主任、3組の藤木が体育主任という仕事を持っていたため、優菜はこのマスゲームを初めて担当し、曲の選定から振りつけ、隊形移動と全ての段取りを考え指揮してきた。今は昔と違って色々なデジタルや映像の素材があるため、一から全て考えるのではなくて、それは大いに助かったが。

曲はもともとの設定ではアニメの主題歌だったのだが、優菜の好みで現代風にアレンジしたセミクラッシックの曲に置き換えたため、一部の振り付けを変えて組み替えたのが大変といえば大変だったが、とても面白い仕事となった。

初めはダラダラと無秩序に動いていた100人余りの5年生が、次第に動きを覚え、生き生きとした「活動」を始め、団体演技になっていく。

昔はこういう事があまり得手ではなかった優菜にとって、みんなで創りあげることは珍しくもあり、興味深いものであった。





そして運動会。

朝は晴れていたのに昼前から雲行きが怪しくなって、どんよりとした空模様に。焼けることを嫌がる若い女性職員には有難たがられたが、体育主任の藤木等は、いつ降って来るかと空を見上げては気を揉んでいた。

しかし、藤木の願いが聞き届けられたか、昼休みにネットで見た天気予報によると、どうやら閉会式まで空は泣かずに我慢してくれそうだった。



ピィーーーーーッ!



朝礼台の上で、図工の時間にみんなでつくったフラッグを曇り空に向かって指し上げ、優菜は大きく笛を吹いた。

白いTシャツ、紺のジャージの小柄な体が伸び上がる。

タタタタッ

小気味よく回転した無数の白い運動靴がグラウンドの中央に集まる。フィナーレの位置取りは何回も練習した。優菜にも不安はなかった。曲が盛り上がる。



ピッ!



最後の笛の音と共に5年生たちは色とりどりのフラッグで締めくくりのポーズを取る。応援席の父兄からどっと拍手が湧いた。優菜はほっと息を抜いてゆっくりと腕を下ろした。自然に顔がほころぶ。隊形を解いた児童たちも汗まみれになりながら真っ赤な頬を輝かせて笑っている。



「5年生退場します!」

放送係りの先生の声で5年生たちは退場門に行進を始めた。優菜も朝礼台を下りた。

「ご苦労様〜〜!」

「いやぁ〜〜〜、よかったよ!お疲れさん」

後ろの本部テントでは長嶋も、藤木も他の学年の先生たちも皆、笑顔で優菜を迎えてくれた。暖かい拍手を受ける。

「ありがとうございました」

優菜も心からの言葉で返し、パイプ椅子にどさりと腰を落とした。藤木がペットボトルの茶を差し出す。

「いやぁ〜〜〜、がんばったな。初めはヒヤヒヤしたけど、こんなにいい物になるとは正直、俺もびっくりだよ。ごくろうさん」

「いえ・・・先生たちがたくさんアドヴァイスを下さったし・・・」

優菜は流れ落ちる汗を拭いながら、勢いよく茶の残りを飲み干した。いくら飲んでも渇いた喉は潤わない。頬も熱い。多分鮮やかに紅潮しているのだろう。自分で思っているより興奮しているようだった。

「羽山先生、お疲れ様でした。すごかったです!感動しまくりました!どうぞ!」

後ろから新しいペットボトルが差し出された。振り向くと実習生の松居かおりだった。

「ああ・・・ありがとう。でもあなたのじゃないの?松居さん」

「いえ、私は見てただけですから」

丸い顔をした実習生は自分の受け持った5年生の演技によほど感動したのか、目が赤く潤んでいる。

「ごめんね、じゃあ、遠慮なく。後で又貰ってくるわね」

実習生の素直な態度に微笑んで、優菜はボトルを受け取った。4週間の実習期間のほぼ真ん中に運動会があった。松居は、はじめ戸惑いがあって、子ども達からからかわれたりしていたが、元気よく真面目に実習し、学年の担当者からも評価されつつある。



「さぁ、次は最後の種目。6年生の組みたて体操だわ。松居さんは学年の席に戻ってくれる?しっかり見ようね」

「はい!」





運動会は滞りなく終了した。小学生達は保護者に迎えられて帰宅し、4時ごろまでには最後のテントの撤去も終わり、今年度の運動会の日は暮れていった。



「では、これで終礼を終ります。先生方、ご苦労様でした。この後はゆっくりお休み下さい」

校長の挨拶に拍手とくすくす笑いが拡がる。この後、5時半から有志の打ち上げ会になっていたのだ。勤務時間後直ぐの、普通より早く始まるのは疲れている職員への配慮だった。いつもはあまり、こういうものに参加しない優菜も出席する予定で、ただし、この日まで授業に、練習に、頑張った実習生の松居にお茶を奢って労ってから会場に行くつもりにしていた。松居は学年主任の長嶋が指導教官だったが、優菜と歳が近く、大学が同じということもあって、この2週間の間にすっかり親しくなっていたのである。



ロッカーで私服のジーンズと白い開襟シャツに着替え、まだ少し暑かったのでジャケットは抱えると、待ち合わせてあった通用門まで歩く。空はいっそうどんよりと雲が厚みを増していた。しかし、優菜は開放感に満たされて、彼女にしては珍しく低いハミングが漏れる。しかし、門から一歩出て行ったところで優菜の足はぎくりと止まった。



「篠岡先生・・・・・・」

門の外に篠岡が立っていた。やぁと言うように片手を上げて挨拶をする。

「おつかれ、羽山君。今日はご苦労様。ボクも教え子の雄姿を見るために、少し前から来ていたんだ」

「雄姿だなんて・・・仕事ですから」

視線を泳がせて優菜は答える。

「あはは、君のことじゃない。松居君の事だよ?」

篠岡はいたずらっぽく笑った。視線は優菜から外さない。

「・・・・・・」

「終礼は終ったのかい?」

黙り込んだ優菜に篠岡は重ねて問うた。





「お待たせしました!」

優菜が答える前に、後ろの校舎から松居が走りよってきた。彼女もすっかり着替えている。

「わぁ篠岡先生!見に来てくださったんですか?」

優菜とは異なり、明るい声で松居は師に笑いかけた。

「ああ、すごくよかったよ。よく頑張ったね。子どもたちも懐いているようだったし」

「ありがとうございます!」

松居は素直にお辞儀をした。

「二人だけで打ち上げ会かい?」察しのいい篠岡は笑顔で尋ねる。

「ええ!前から羽山先生と約束していて・・・」

「へぇ〜〜〜。じゃあ、ボクから二人に食事を奢ってあげよう。二人とも僕の教え子だからね?」

「本当ですか?あ・・・でも・・・」

松居は少し途惑って優菜を振り返る。

「ああ、いいんです。私はお茶だけのつもりだったから・・・お二人で食事に行って来て下さい。私は、まだ後の予定もあるので、食事にはお供できません」

篠岡と食事だなんてとんでもないと感じた優菜は、コレ幸いと彼女としては極めて愛想良く説明した。

「ああ・・・。じゃあ、僕たちも三人でお茶会にしよう。雨も振りそうだし、まだ時間も早いしね?いいかい、松居さん」

優菜の辞退にも動じず、篠岡はあっさりと自分の提案を撤回する。







駅前の商店街に面したロータリーとは反対にある、新しく出来たショッピングビルの最上階にあるカフェテリア。この小さな町では気のきいた店と言ってもそうはなく、買い物帰りの家族連れで賑わうこの店が一番小洒落ていた。もっとも、ビル自体は、駅向こうの商店街組合からは強力なライバルと戦々恐々の目で見られていたが。

「それで、初めてまかされた授業は惨憺たるありさまで・・・泣きそうになって・・・その後一時間ぐらい教官の先生とミーティングをして・・・」

松居は元気よくこの二週間の出来事をゼミの担当者である篠岡に報告する。彼はあいかわらず面倒見がよく、学生たちから人気があるようだった。

「選抜されて来ている子ども達が通う付属の小学校と違って、こっちは大変だろう?」

松居の話をゆっくり聞いて、篠岡は頷く。

これだ、この自分の話を大切に聞いてくれるという態度に自分はやられたのだ、と優菜は苦々しく思い返した。一刻も早くこの場を立ち去りたい気分に駆られる。だが、そんなことをしてはせっかく喜んでいる後輩の松居の気持ちに水をさすだろうし、何より変に勘ぐられるかも知れない。優菜はテーブルの下で拳を握り締めた。

「ええ、でも先生に無理を言って母校に実習に来て後悔はしていません。だって、大学の付属校に勤められる人なんて、ごく僅かだし、私は地元に戻りたいんです」

「松居君は本当に熱心だね。そうなればいいね」

篠岡は穏かに微笑み、コーヒーを口にする。優菜の胸がまたしてもズキンと痛んだ。

「この羽山君・・・いや、もう羽山先生かな?・・・も、とても熱心な学生でね。一度試験に失敗したんだが、それをバネにすごく努力してね、難しい採用試験に二度目で合格だ。そして、今はもう立派な先生だ。ね?羽山先生?」

「はい、私もすごく色々な事を教えていただきました」と、松居は優菜を見て微笑んだ。

「・・・・・・・」

優菜は答えない、答えられない。先ほどから合槌を打つこと意外はしていないのではないか?松居は変に思うだろうか?篠岡は松居の話を聞きながらも時折こちらに視線を向けてくる。もう見たくもないのに。この思いは飲んでいるブラックコーヒーよりも苦い。優菜はこれ以上耐え切れなくなった。

「あの・・・お二人ともごゆっくり。私はそろそろ行かなくては・・・」

失礼にならないくらいの時間はもう過ぎたはずだ。優菜は時計を見る振りをして携帯を開いた。

「ホントだ。ゆっくりしてしまったね。もう直ぐ5時だ。僕たちも失礼しようか?松居さん」

「はい・・・正直ちょっと疲れましたし・・・今夜はすごくよく眠れそうです」

篠岡の言葉を合図に松居も立ち上がる。彼女は大きなパフェをぺろりと平らげていた。

「あはは、松居さんは自転車で来ていたね?おうちはこの近所なの?」

「ええ、駅のこちら側ですから近いんですけど」

「じゃあ送らなくても大丈夫かな?」

「はいっ!大丈夫です。ごちそうさまでした」



「羽山さんは、これから打ち上げ会かい?」

二人を少し先で待たせ、レジを済ませて篠岡は優菜に聞いた。

「はい」

「もう、大人だものね。でも、飲みすぎはダメだよ?」

ショッピングビルを出ると、三人がお茶を飲んでいる間に降り出していた雨が既に本降りになっており、街は灰色にけぶっていた。

「あ〜〜〜、終に降り出しちゃったか・・・だけど向こうの方は既に雲が切れているから、通り雨かもしれないけれど、結構ひどいね」

のんびりと篠岡が呟く。

そして、松居は傘を買えば?という優菜の提案を近いですからと笑い飛ばし、自転車に飛び乗って帰ってゆく。

優菜も実は、今日の大舞台のことで頭がいっぱいで、傘を忘れてきてしまっていたので、篠岡にそそくさと別れを告げ、傘を買おうとビルの一階の表通りに面した雑貨屋に入ろうとした途端腕を取られる。

「きゃっ・・・!」

「店まで送ろう。入って行きなさい、この傘は大きいから」

「あ・・・ありがとうございます。でも、いいんです。ビニール傘を買いますから」

即座に身を引いた優菜の声はまったく受け付けてもらえず、腕は掴まれたまま。駅の方へ篠岡は大またで歩いてゆく。

駅のこちら側は最近ようやく開発されだしたばかりで、駅との間には店が数件。真新しいアスファルトがインディゴブルーに濡れている。

「あのっ!・・・大丈夫ですから・・・走っていきます。・・・ですから離してください」

優菜は途切れ途切れに、なんとか断ろうとした。だが、困惑と拒絶を顔中に浮かべた彼女を物柔らかに見下ろし、篠岡が告げた言葉に優菜は愕然とする。





「君とやり直したい」









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ワンパターンの引きで相すみません。
志郎は何をしているんだって?ハイ、多分次回で・・・







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