浅葱色に涙は散りぬ 5
午後11時。優菜の携帯が鳴る。着信画面を見ると予想通りの人物だった。
ちょうど風呂から上がったばかりだった優菜は長い髪をタオルで包み、冷えないようにした。もう熱は真っ平だったからだ。
―もしもし?俺、志郎。今いいか?
低い、錆びた声が耳を打つ。この男の声は確かにいい。
「はい。このあいだは・・・」
―スマンな、今日、わざわざ店に寄ってくれたんだってな
いいかけた優菜を遮って志郎は続けた。
「ええ、早くクーラーボックスを返さなくちゃって思ったらから。お留守だったのでお兄さんに託けましたけど。直接お礼を言わなくてすみません。ありがとうございました。正直とても助かりました。受け取られた?」
ことさら丁寧に優菜は応対する。
―ああ。別にいつも使うものでもないから、いつでもよかったんだ。
「でも、いつまでも借りておけないし・・・」
―そうか。だけどなんだ、あれは。封筒に5千円も入っていたぞ
「あ〜、それもごめんなさい。大体でしか計算してなかったんで・・・」
―そういうことじゃなくてな!
「ええ、言いたい事わかります。人づてにお金を託けるなんてよくなかったです。お金だけ封筒に入れるなんて失礼だって思ったから、お手紙つけたんですけど・・・」
―大いにシツレイだね!封筒からイキナリ金出てきて驚いたじゃないか。大体貰いすぎだ。別に貰う気もなかったけどな!
携帯の向こうで志郎は憤慨しているのか、声が大きくなった。しかし、その声に威圧感はない。むしろ面白がっているような気配が感じられた。優菜も別にたじろぐ事もなく、むしろ会話に勢いがついた。
「ごめんなさい。私が冬木君でもそういうと思う。失礼にも程があるよね。だけど・・・私、こんな風にしか出来なくて、せめてもの気持ちで・・・」
―まぁ、お前の立場もわかるがな・・・・・・
志郎は意外に物わかりのいいところを見せた。
―じゃぁ、いいや。悪いと思うんなら、たまにはメシぐらい付き合えよ。この金で飲めば万事解決だ
「あ〜〜〜、お断りします」
―ち、間髪入れずかよ!そんなに俺が嫌か?
「ふふ・・・そういうわけでもないけど・・・すみません。ごめんなさい」
思わず優菜は笑っていた。声の調子で志郎にも伝わったらしい。優菜につられる様に喉の奥でクククと笑う音が聞こえた。
―まぁいい。・・・ところで兄貴がなんか変なこと言ってなかったか?
「え〜〜、特には・・・」
それは正確にはウソになるが、この頃の志郎が変だなんて言う話自体がどうも曖昧だし、今ここで話題にしても仕方がないだろうと優菜は判断した。
「なんでそんなことを聞くの?」
―や、兄貴があの先生キレイだなとか、なんでクーラーボックスを貸したんだ?とかなんとか余計なことを聞いてくるんでお前にもなんか聞いたのかなって思ったんだ。
「・・・・・・ああ、私も返す時に、ちょっと借りたんですとかしか言わなかったし・・・」
悟郎にキレイといわれたらしい事は不問にして、優菜はここは正直に話した。
―ふ〜〜ん。まぁいいか。・・・・・・俺な
突然志郎の声のトーンが落ちた。
「はい?」
―あいつと別れたんだよ
「・・・・・・」
少しだけ心の奥が波立つ。あいつとは勿論田畑頼子の事だろう。兄の悟郎がいろいろあってと言っていたのはこの事だったのか、と優菜は思いあたった。
―別になお前に言うことでもないんだけどな。俺も最近、女友達っていないからさ。ちょっとな、これでもいろいろあってな
「はぁ・・・・・・それは残念でしたね」
淡々と優菜は応じた。
―なんだよ、それ。ちょっとは同情とか理由を聞くとかないのかよ?
「・・・じゃぁ・・・聞いてあげる。またなんで?キレイな人だったように思うけど」
取ってつけた風を装って優菜は尋ねてみた。
―まぁ、その、つまりあのお嬢様は見かけ通りというかなんというか、実はあんまり面白い奴ではなくて・・・まぁ、他にもいろいろあって・・・・・・コレはずっと一緒にはいられないって思ってしまったんだ
「ずっと・・・って、結婚するとか?」
―ぶっちゃけ、そう。こういう事は早く言ったほうがいいと思って。
それはまた、ずいぶん自分本位な理屈だと優菜は思った。男の身勝手というか、いかにも志郎らしく情け容赦のないというか・・・・・・しかし、何故だろう?優菜はなんとなくわかるような気がした。
頼子はこっちでの小学校時代のクラスメイトだというが、優菜の記憶には殆んどない。実は記憶力には自信がある自分だから、良くも悪くも田端頼子が印象的な子どもだったら絶対に覚えているはずだった。そう、志郎のように。
こちらに戻ってから二三度、それもすれ違うように会っただけだが、きれいで洋服のセンスもよかったけれど、今風で押しが強く、けれども平凡で、正直、自分ならあまり友だちにはなりたくないタイプだと言う直感があった。
子どもの頃から自己顕示欲が強い人物は苦手で、その点では昔の志郎も同類だったのだが。
ただ、頼子から間違いなく伝わってきたのは、志郎の事が好きだという、必死ささえ伝わる思いで、その点では彼女はとても可愛い女性だったのだと思う。志郎の言うような理由で、別れを切り出されたのだとしたらさぞかし傷ついたことだろう
だが・・・・・・志郎の肩を持つわけではないが、一緒にいてつまらない人間と、長時間過ごさなくてはならないしんどさもなんとなく理解できた。
昔から、そういう意味では両親を早くになくした自分もつまらない気苦労をしてきた。目立たないように、浮いてしまわないように立ち回り、苦手な相手には同調するふりはしても、ほどほどの距離を置き、できたらフェイドアウト。
それが優菜の処世術だったから。
だからもしも相手に過度の期待をされて、自分がこれ以上相手を思いやれないのであれば、そこに気づいた時点で、その思いを上手に伝えた方がいい。
自分をだまし、相手をだましていてもお互いの傷口が広がるだけだろう。まぁ、どうやって志郎が別れ話を切り出したのかはわからないが、どちらにしてもプライドの高そうな二人だろうだから、さぞや気まずい事になったろうとは思うが。志郎の選択自体は正しかったかもしれない。
苦々しく優菜は考えた。
志郎のことだ、優しい言葉を羅列しつくして伝えた訳ではないとは思うが、少なくとも彼なりの誠意はあったのだろうと、電話口の会話だけからだが、優菜は洞察できた。
相手に気を持たせるように振る舞い、期待させ、その結果、裏切るよりかはよほどいい。同じ傷つかせるにしても。おそらくは―――
「・・・だけど、そういう理由で別れたのだとしたら、傷つくわね。田端さんの方に同情しますね。同性としては」
優菜は次第にズキズキしてくる胸で考え込みながら、とりあえず妥当な返事を返した。
―やっぱ俺って最低?
「かもしれません」
―情け容赦なしかよ?同じ女でもずいぶん違うなぁ。
「っていうか、あんまり慣れてなくて・・・こういう話。実は人のそういう話あんまり好きじゃないし・・・自分のも嫌だけど」
ズンと優菜の胸奥が痛む。この電話はもう切るべきだ。
―へぇ、お前にもネタのある過去があるんだ・・・なんかほっとするな
「お役に立てて本望でしたわ。じゃ」
冷たく優菜は言い放った。
―おい!まだ切るなよ。お前教師だろ?子どもの悩みはもっとやさしく聞くんだろうにさ
「それは別。仕事だし、子どもは可愛いし」
―どうせ、俺は可愛くねぇよ
「ホントそうね」
―・・・・・・・・・
電話の向こうで志郎は黙り込む。だがその沈黙は笑いを含んでいるように感じられた。
「でも、ありがとう。あなたの事情はあんまり興味ないけど、あの時の事は本当に感謝しているの。私、病気で余裕がなくて嫌な態度を取ってごめんなさい」
これ以上苦々しい思いがこみ上げる前にこの話を打ち切ろうと思った優菜は、無理やり話題を元に戻した。
―・・・いいさ。もう、調子はいいのか?
「ええ、頑張って仕事してる」
―そうか。あんま、無理すンなよ。とりあえずあの金は預かっとく。あんまツンケンしないでたまには幼馴染に付き合えな。
会話の流れで優菜の気持ちを敏感に察したらしい志郎は、大人しく矛先を納めた。
「心がけときます」
―お、進歩、進歩。・・・じゃあな
電話が切れる。
―幼馴染ですって?ふふ・・・・・・冗談じゃないわね。
優菜は複雑な気持ちで携帯をベッドに放り投げた。
幼馴染などという、優しくセンチメンタルな言葉と、あの大きく、俺様な志郎がどうにも馴染む感じがしない。
―なんでそんな言葉を使ったのかしら?笑っちゃう。
優菜はすっかり湿ってしまったタオルをハンガーに干すと、勢いよくベッドに座って窓を開けた。9月になったというのにまだまだ夜まで暑かった。しかし、クーラーを入れるのもためらわれて、しばらく夜の風に吹かれる。
ゆるい風に吹かれていると、子どもの頃の様々な思い出が切れ切れに浮かんで彼女の眉を顰めさせる。それは窓から見える遠くの山並みがあまり昔と変わっていないせいかもしれなかった。
やがて優菜はふっと唇の端だけで笑ってみた。
「ダメよ?冬木君、私に慰めてもらおうとでも思ったの?甘いわね」
闇に沈む山々に向かって優菜は声をかけた。
明日も山ほどの授業に会議に、運動会の練習がある。優菜はカバンから明日の授業のノートを取り出し、机に向かった。もう既に何回も手直ししたが、まだまだわかりやすく教えられるかもしれない。そう思って赤ボールペンで行間を追ってゆく。
無性に仕事がしたかった。
よりよい指導法で成果を上げたい。子ども達にいろんなことを学んで欲しい。そして自分ももっともっと教師として、人間として、成長したかった。
ところどころチェックを入れながら優菜はノートを読み進めていった。
二週間後―――
教育実習生受け入れのガイダンスでのことだった。
優菜は会議室の壁際でファイルを胸に抱きしめたまま凍り付いている自分を知る。
―この街は鬼門なの?どうして会いたくない人たちとばかり巡り会ってしまうんだろう
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今回会話多かったですね。次はちょっと展開あるか!?
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