浅葱色に涙は散りぬ 3







「ちょっとまってろ」

優菜のハイツに着いて、トラックを止めると志郎は外へ出て行った。しかし直ぐに戻ってきて、優菜のカバンになにやら詰めている。

さっき、自分の体温を聞いてから、どんどん体が痛くなってきている。こんなことなら知らないほうがよかったかもしれない。

「・・・・・・?」

自分のバックを開けられているというのに文句も言えず、優菜は志郎の手元を見た。どうやらペットボトルを詰め込んでいるらしい。

「ああ、スマン、ちょうど配達用のがあったんで。これはスポーツ飲料で、吸収率がいい。二本入れておくからこまめに飲めよ。さぁ」

志郎は2リットルのペットボトルを入れて更に重くなったバックを軽々と背負い、優菜の側のドアを開けた。腕を取って階段を上る。

どうか、誰も出てきませんように。こんな場面を見られたら確実に誤解される。だが、夕飯時のせいか誰も顔を出すものはいず、二人ともスニーカーなので、足音がしないのがもっけの幸いだと優菜は思った。

「鍵はどこに入ってるんだ?」

「外のファスナーの内ポケットの中・・・・・・自分であける」

「いいから・・・あったあった。」

志郎はバックから要領よく鈴つきの鍵を取り出すとバックと優菜を腕に支えたまま、器用にドアを開けた。

「真っ暗だな・・・・・・電気は・・・あ、これか」

ぱっと電気が灯る。玄関とそれに続く居間がまぶしく照らされた。案の定部屋の中はむっとする熱気が篭っている。志郎は足元にバッグを置いた。

「ありがと・・・・・・もう大丈夫だから」

「うるさい。いつもどこで寝ている・・・こっちか。こんなときだから失礼するぞ」

優菜の言葉を無視して、志郎はずかずかと奥に入っていく。

居間の奥のふすまを開けて、そこにベッドを確認すると、玄関脇の壁にもたれて成り行きを見ている優菜の足元に屈んだと思ったら、いきなり優菜を持ち上げた。

「・・・・・・ぇ!?」

そのままのしのしと部屋を横切り、志郎はベッドそっと優菜を横たえ、ついでに壁際の窓を開けた。

「エアコンのリモコンはどこ?」

「あ・・・・・・これ」

驚きから回復しないまま、優菜は枕元にあった、小さなリモコンに指を伸ばすと、その前に強引な手がそれを取り上げ、スイッチを入れた。

「このまましばらくいてやってもいいけど、お前が嫌だろ?俺はこれで帰る。居間の窓も開けておくから、空気が入れ替わったら閉めろな。飲み物なんかはオレが冷蔵庫に入れて置くから。ちゃんと飲めよ。鍵もかけられるか?」

「わかった・・・いろいろありがとう・・・迷惑かけてごめんなさい。」

しばらく居間の方でごそごそしている気配があったが、志郎は又戻ってきて、冷たいものを優菜の額に置いた。冷凍室にあった保冷材をタオルで包んできたらしい。

「じゃあな。いいか、食えたら食って薬を飲んで、きちんと休むんだぞ。」

「ありがとう・・・・・・」

「明日の朝電話するわ。携帯は枕元に置いとけよ。電源入れてな。じゃあ、お大事に」

「・・・・・・・・・」

ベッドの下に優菜のバックを置くと、そのまま優菜の返事も聞かずに志郎は部屋を出て行った。

玄関のドアが閉められた。しばらくしてバン!という音が鳴り、続いてクルルル・・・ズザザザといいながら車が遠ざかってゆくのを目を閉じて優菜は聞いていた。

「ふぅ〜〜〜」

大きなため息が漏れる。額に置かれた保冷材のおかげでよほど気分がよくなった気がして、優菜はそれを熱い頬や首筋にあてた。しかし、食品用の小さな保冷材なので、10分ほどすると直ぐに柔らかく溶けてしまう。

しばらくして、優菜は立ち上がる。とにかく薬を飲もう。汗ばんた体も流したい。本当ならばこのまま何も考えずに寝てしまうのがいいのだろうが、細かい事が気になると、気持ちがリラックスできない自分を優菜は知っている。

ゆっくりと身を起こした。

玄関の鍵をかけて、冷房の効いてきた部屋の窓を閉める。冷蔵庫を開けると、宿泊に備えて殆んど空にした冷蔵庫の中に、行儀よく夕方優菜が買った惣菜とデザートが収まっている。扉のポケットにはペットボトルも並んでいた。

食欲はなかったが、とりあえずジュレを取り出し、添えてあったスプーンで胃に流し込む。弱った力ではペットボトルのキャップをあけるのも困難だったが何とか捻り開けた。

貰った薬はカバンに入れたままだと思ったら、ちゃんとテーブルの上に置いてあった。飲み物はまだそんなに冷えてはなかったが、充分だった。グラスに注いで薬とともに嚥下する。飲み始めると、自分が如何に喉が渇いていたのかよくわかった。ごくごくと続けざまに二杯飲み干した。

どちらかというと熱には強い方だったと思う。子どもの頃は殆んど熱を出す事がなかったし、出してもすぐに収まっていた。母親が丈夫な子供でよかったと言うのを何度か聞いた事がある。彼女は身体の弱い人だったので。

今も熱と頭痛で体が熱く、目が回るが悪寒は無い。これならシャワーを浴びてもよさそうだった。

さすがに水ではまずいと思ったので、ぬるま湯で体を流す。ふらつくので情けなくも椅子にへたり込んだままだったが、体を流れる湯は心地よく、又ほんの少し気分がよくなった。

体をよく拭い、清潔なパジャマを身につけ、再びベッドに倒れこむ。カバンはベッドの側に持ってきておいた。薬が効いてきたのか、さっきより身体の痛みが取れた気がする。優菜はぼんやりと、志郎を思い出した。

今日も何かと強引で、気に触る男だった。





―まぁ、いいや。今は考えるのが億劫だ・・・・・・だけど・・・・・・





そのまま優菜は眠りに落ちた。

夢を見たのだろうか?何の映像も浮かんでこなかったが、熱のせいで思い出したくもない声が絶えず頭の中に繰り返された。



『すまない。君にしてやれることは、もうなにもない・・・なにもない・・・なにも・・・』



はっと目覚めると部屋はすっかり日差しで満ちていた。

ベッドの下で携帯の着信が鳴っている。バッグの外ポケットに入れっぱなしにしていたもので、腕を伸ばして引っ張り出すと志郎からだった。



―!でも何故?携帯の番号は教えていないはずじゃ・・・



かんぐりながらもとりあえず電話に出る。

「・・・もしもし」

―寝てたか?悪い。気分はどうだ。

「まだわからない・・・夕べはスミマセン。」

何はともあれ昨日の礼を言わなければ。

―「よく眠れたか」

時計を見ると10時だった。してみると15時間は少なくとも眠っていたことになる。つけっぱなしのエアコンのおかげで、暑さで目覚めることもなく、熟睡していたらしい。

「はい。あの・・・なんで携帯の番号・・・」

―ああ、すまん。昨日お前を寝かせてから、赤外線で・・・同じ機種だったからやりやすかったぜ。勝手にいじって悪かったな。いきなり押しかける訳にもイカンと思ってさ。そういう訳で、昼頃差し入れを届るから

「え?要りません。大丈夫です。食欲もないし」

携帯の番号を知られたと優菜が驚くヒマもなく、志郎はポンポン要件を告げてゆく。

―おお、いきなり元気な声だな。まぁでも、だけどいつかは腹減るだろ?安心しろ、部屋には入らない。ドアの外に保冷ボックスを置いておくよ。気が向いたときに取ればいい。

そういうと一方的に電話は切れた。

「まったく・・・いつもこうだわ、人の話なんて聞きやしない」

優菜は携帯を枕元におくと、ゆっくりと起き上がった。足に力が入らないが、何とか立てた。パジャマが汗でしっとりと湿っている。着替えた方がいいだろう。喉もからからだった。

冷蔵庫に残っていたサラダ麺のパックを取り出す。昨日のものだが、まぁ大丈夫だろう。麺だけを少し食べて、薬を飲む。熱は8度台前半。体温の低い優菜にしてはまだ高めだ。体のだるさもまだ残る。

「はぁ〜〜〜〜」

昨日開けて残っていた分のスポーツ飲料を一気に飲み干し、コップをカタリと置くと自然に大きな吐息が漏れた。歯を磨きたかったので洗面所に行くと、ひどくやつれた自分と目が合う。

「うわぁ〜〜〜ひど」

ゲンナリする。しかし今は病気なのだ、仕方がない。髪をとく気もしない。歯を磨き終え、なんとか着替えると大人しくベッドに戻った。シーツも替えたかったが、今は無理だ。

それにしても部屋が明るい。白いクロスの天井の方が暗いくらいだ。今日もいい天気なのだろう。暑さもあいかわらずなのに違いない。クーラーをつけっぱなしなのも気になるが、窓を開けたって部屋は涼しくならないだろうし・・・などと思っているうちに又も、うとうとし始める。あまり眠らなくとも平気な自分は、どこへ行ってしまったのだろう。










志郎が保冷ボックスを持ってハイツの階段を上ってきたのは1時を少し回った頃だった。土曜日はさすがに店も配達も忙しい。今だって直ぐに戻らなくてはならない。

優菜の部屋の前でしばらく様子を伺うが、中に動く人の気配は無い。思い切ってノックをしても同じだった。きっと眠り込んでいるに違いない。ベルは押さないほうがいい。携帯を鳴らして起こすのも気の毒だ。まぁ、大丈夫だろうと保冷ボックスとカムフラージュの古新聞をドアの前に置くと、志郎はそっとその場を離れた。



―アイツは今病気だからな、仕方がないんだ。



頼子と別れてからこの2カ月、周りからの非難や叱責にじっと耐え、仕事に打ち込んだ。

特に良縁だと喜んでいた母には言葉を尽くして説得され、別れた理由を知りたがられた。頼子の両親も志郎の家になにか言ってきたらしい。志郎が自分で謝罪しに行くと言うと、向こうは会いたくないと断ってきたということで「当然ね!」と母親がぷりぷりして報告した。

頼子自身はあれからしばらく泣き暮らしていたと地元の友人を介して知った。まったくすまないと思ったが、これ以上連絡するのも躊躇われたので、気になりながらも放ってある。以来、志郎は余り誰とも口を利かないで、朝も夜もひたすら仕事をした。大口を含めた新しい取引先を5軒も取ってきた時には、兄も母親も驚き、それからだんだん何も言わなくなった。



「やぁれやれ、今日もあっついなぁ。さぁ、これから隣の県まで爆走だ!」





志郎は腕を振り上げ、ぎらつく青空に向かって一人ごちた。









                 ○●○●○●○●○●○●








意外によく気がつく志郎。次男なのに。















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