浅葱色に涙は散りぬ 2
前をふらふらと歩いているのは彼女。
背中で、無造作に束ねた長い髪が揺れている。この髪を昔、手に取った事がある。その後のしっぺ返しはキツイものだったけれど。
細い肩に不吊り合いな、大荷物。バッグがてらてらと光るビニール素材なのも体育会系みたいで似つかわしくない。まるで荷物に追い立てられているように見える。
―声をかけないほうがいいのか
志郎は思った。
竹中という子供の件以来、この2カ月、優菜を見ることはなかった。自分が仕事に打ち込んでいたせいもあるが、おそらく優菜のほうでも顔を合わさないように気を使っていたのではないか?
確かに配達や、取引の件で店を空ける事は多いが、一番忙しい夕暮れ時―――つまり公務員の帰宅時間―――には比較的店にいる事が多いから、彼女が何も拘っていないなら、一度や二度は顔を合わしてもおかしくない距離だから。
―もしも、拘っているという事なら、つまり・・・・・・悪い意味でも俺のことを気にかけているということになるんだろうか・・・?
いやいやいや、まったくもってありえない。志郎は首を振った。
羽山優菜は明らかに変な足取りで、駅に向かって歩いてゆく。
先ほど、藤木という先輩教師の車から降りたときは、正直少し驚いたが、大きな荷物を持っている優菜を見て納得はした。そういえば地区の小学校は毎年この時期、宿泊学習に出かける。先刻、大きなリュックを背たらって店の前を通る小学生を見かけたような気もする。おそらく彼女は駅まで送ってもらったのだろう。
してみるとあの二人は、特になんでもない関係なのだろう。と、志郎は考えた。もしも恋人同士であるなら、当然家まで送って行くはずだから。勿論優菜が夕飯と思しき、惣菜の入ったビニール袋を持って出てくる訳もない。
―ち、どうでもいいことを
志郎は自分に唾棄したい気分に襲われる。
しかし、どうも様子がおかしい。ふらふらしているのは荷物が重いせいだけでは無いかもしれない。
志郎は急いでいつも側に停めてある、軽トラックに飛び乗った。幸い、店にはバイトが二人いる。行って来ると声をかけるだけで、彼らは直ぐに納得する。
「おい」と声をかける。瞬間、優菜の体が強張るようすが見て取れた。
ぎくりとする。
振り返らなくても声で誰かがわかる。
だけど、振り返らなくては。無視をするのも子供っぽくて、又からかわれるだろう。それに、もっと大きな声で呼び止められるかも知れない。それはまずい。大変にまずい。
この数ヶ月。自分なりに気をつけて、志郎と顔を合わさないようにしてきたつもりだった。普段は電車で二駅の距離を、自転車で通勤し、駅の手前で線路を越えるから全然平気だったが、どうしても駅を使わなくてはならない時もあり、そんな時でも反対の改札から入ったりしていた。
やむをえず、ロータリーを周る時も反対の側から周ったり、我ながらおかしいくらい、志郎にあわないようにしていたはずなのに。
今日まったくたまたま送ってもらっただけで、なんでこうなるのか?
優菜はゆっくり振り返った。
まるでゆっくりすることで、自分の気持ちを整えられるかのように。
目が合った。
「よぉ、久しぶり。どした?ふらふらしているじゃないか」
「こんにちは」
弱々しく、挨拶をする。志郎のせいではなく、スーパーを出てから急速に気分が悪くなっていくようだった。ドクドクとこめかみが痛み、頭痛の兆しがあった。
「ああ。重そうな荷物だな。乗っていくか?」
「いえ、大丈夫。ありがとう。ちょっと急ぐので、これで失礼します」
失礼にならないように会釈し、優菜はそのまま駅のほうへと回れ右をした。
歩こうとしているのに、景色がまわるのが止まらない。
―あれ?
肩に背負っていた大きなスポーツショルダーがどさりと足元に落ちたのが見えた。
「おいおいおい!」
「・・・・・・?」
「ちっとも大丈夫じゃないじゃないか」
気がつくと脇を支えられている。
「・・・離して」
「ああ、離してやるよ。ちゃんと一人で立てるんならな」
「?」
―それでは私は立っていないの?
「どこを見ているんだ?ふらふらしているじゃないか。体が熱いぞ、熱があるな?」
「熱なんて・・・」
「いいから来い!」
そのまま否も応もなく腕を取られ、気がつくと優菜は軽トラックのベンチシートに乗せられていた。
「・・・・・・だろう?」
しばらくして志郎が何か聞いてきた。
「え?」
ドアにもたれてかかって、頬に窓ガラスの冷たさを感じていた優菜ははっとして聞き返した。思ったとおり頭痛が起きはじめている。
「もう・・・しっかりしろよ。今日は宿泊の帰りだったんだろ?」
「・・・・・・そう」
「だと思ったよ」
「・・・なぜ?」
「店の前を大荷物の子供が通っていったからな。今はどのあたりに行くんだ?」
「高峰山の・・・キャンプ場」
投げやりに優菜は応えた。
「ふーん。俺たちの頃はなんか、坊さんの宿坊みたいなところに泊まらされたけどな。なんか夜に法話みたいなのを聞かされてさ。お前も行ったっけ?」
「・・・・・・覚えて・・・ない」
目が回る。酒に酔ったみたいな感覚で優菜は舌足らずに返事をした。
息が苦しい。体は燃えるように熱いのに手指の先は氷のように冷たい。首の辺りに鎖でも巻きついているかのような圧迫感がある。
「あ〜あ、台無しじゃないか。いつものツンツン羽山先生はどうしたよ?」
「ツン・・・ン・・・してない」
「してるよ。って、もういい。喋べんな。相当具合が悪そうだ。今、医者に連れて行ってやる」
「いい!いらない」
途端にしゃんとして優菜は逆らった。
「いいから」
「やだ!お医者なら自分で行く。ここは校区だもの」
「なんだ、そんなこと気にしていたのか。しょうがねぇな。じゃあもう少し先にいい医者があるから」
「いいの!もう、ここで下ろして。ホントに大丈夫だから!」
「少し黙ってろ」
そのまま沈黙が続く。優菜は力を使い果たしたかのように、再びぐったりとしていた。
「・・・・・・・・・・・いや」
「羽山・・・?」
「・・・・・・・・・」
優菜は応えない。応えられない。顔を背けて俯いたままドアに寄りかかっている。
「おい・・・・・・・・・泣いてるのか?」
「・・・・・・・・・」
鼻の横を苦いものが滑り落ちていく。鼻だってジュルジュルする。だけどすすり上げたら、バレてしまう。優菜は手首で顔を拭った。
泣くなんて、プライドが許さない。だけど、そんなものがどうでもいいくらい、体が辛い。なんだって、こんなときにこんな目に合うんだろう?なんで、この人の前で弱みを見せなくちゃならない羽目になったんだろう?優菜は、気分の悪さと、意味のない理不尽さを呪い、まったく情けなく惨めな状態に陥っていた。
「お前が俺のこと嫌っているのは知ってるけどな、今は仕方ないだろ?誰だってこんな熱出してるやつほっとけないさ。俺に関わられるのは嫌だろうけど、我慢しろ。もう直ぐだから」
志郎の言葉どおり、優菜の家から10分ほどのところに白い瀟洒な建物があり、内藤医院と書かれた看板が上がっていた。
駐車場に車を停め、荷物は置いたままで、志郎は優菜を車から下ろし、腕を支える。玄関までいくと自動ドアが音もなく開いた。
受付時間にはまだ少しあったが、中で待たせてもらう事ができ、一番に診てくれるという。熱を計って置いてくださいと体温計が渡された。
「おい、何度だった?」
「だ、大丈夫。大したこと・・・あ!」
「39度もあるじゃないか。よく車を下りるとか言ったな」
あっという間に体温計を取り上げ、志郎は言った。
「・・・・・・・・・」
「羽山さん。羽山優菜さん、診察室へお入り下さい。」
しばらくして名前が呼ばれた。
「一人で大丈夫か」
さすがに診察室にまで付き添うのはためらわれて志郎は聞いた。
「大丈夫」
最後の気力でそっけなく言い捨て、優菜は白いドアの中に入ってゆく。
医院では結局かなりの時間がかかった。
診察をした医師から点滴を受けるよう指示をされ、優菜が何を言う間もなく、用意されたベットの横に200mlの透明なパックが吊るされた。
不本意ではあったが、何を言う気力もなくベットに横たわる。冷たいシーツが肌に心地よかった。
点滴を受ける20分の間にどうやら優菜は眠っていたらしい。ナースの声で目覚めると、側に志郎が立っていた。
「どうだ?歩けるか?」
「・・・・・・大丈夫」
あまりに気まづくて、優菜は顔を上げられない。しかし、点滴のおかげか、頭痛はひどかったが体に幾分力が戻り、ふらつきは少し収まった気がする。
水分と休息を充分取るように指示を受け、3種類の薬を貰って医院を出てきたときはすっかり日が落ちていた。
「行くぞ」
「すっかりお世話になってしまって、すみません。」
もはや、志郎に対抗する気力はなく、助かったのは事実なので優菜はぎこちなく礼を述べた。
「イヤに素直じゃないか。いや、慇懃無礼ってヤツかな?」
「・・・・・・」
「いいさ。なんでも。さぁ帰るぞ」
―帰るったって、あなたの家じゃないわ
心の中だけで優菜は口答えをする。
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この章を推敲している時に実際に自分の体に、異常が起きてリアルに書き足せたかもしれません。