浅葱色に涙は散りぬ
夏が過ぎてゆく。
「ふぅ・・・」
優菜は汗ばむ額を拭った。
優菜にとってこの夏の最後にして最大の宿題とも言うべき、2泊3日の「宿泊学習」が先ほど終った。
子ども達は最後の集会で、家に帰りつくまで浮かれて気を緩めたりしないようになどと、あまり説得力のないような訓告を受けて解散し、三々五々にさざめきながら体育館を後に散って行った。荷物が重いだろうと、向かえに来た保護者もいたが今はもうその姿も無い。
児童が去った体育館では暑い中、当該学年の優菜たちや出迎えの職員がマイクやアンプ、キャンプファイヤー等の行事で使った道具をひとまとめにする作業が残っていた。バスが学校に戻ったのが4時過ぎで、今はもう5時に近く、本格的な片付けは土日をはさんで来週ということになっていた。
「あ・・・えとそのマイクはこっち貸してくれる?」
ワイヤレスマイクの数を確認していた優菜に藤木が声をかける。
「はい」
「マイクとアンプは俺が放送室に戻しておくわ。マイクの電池も抜かないとダメだし」
「あ、じゃあ、私が運んでおきます。」
「いいよ。放送室の管理責任者は俺だし。一人で持てるし」
「マイクが落ちたら壊れてしまいます。私も行きますよ」
「じゃあ、頼みます」
放送室は二階の職員室の向かいにある。藤木と優菜は手分けした荷物を持って体育館から校舎に向かった。暑さはまだ厳しいが、日差しは既に勢いを失っている。
「日の落ちるのが早くなったなぁ」
校舎の入り口で足を止め、誰もいない運動場を見渡しながら藤木が呟いた。
「夏休みもあと一週間ですからね」優菜も頷く。
職員室にはまだ人が残っていて、二人を見るとお疲れ様、などと声をかけてくれた。二学期はもう直ぐなのだ。
放送室の鍵を取ってアンプを運び込こみ、所定の場所に電池を抜いて片付ける。マイクやアンプの電池は抜き取っておかないと、締め切った室内の気温で電池が液漏れする事があるのだ。
「俺・・・嫌われたかな?」
黙々と作業をこなしていた優菜の背に藤木が問いかけた。ロッカーの扉の陰で華奢な肩がぴくりとするのが藤木の目に入る。
「・・・・・・いいえ」
一学期の半ば過ぎに藤木は優菜に交際を申し込んだ。最初驚いた優菜だったが、結論を出すのは意外に早く、その翌日には藤木に電話をかけてきちんと断ったのだ。
自分は去年、苦い恋からやっと立ち直ったばかりで、しばらくは男性と距離を置きたいと言うことを正直に藤木に告白した。そして、藤木も納得し、よき先輩でいることを約束したのだった。
それからはバタバタと学期末を向かえ、成績処理をやり遂げ、山のような宿題を製作したと思ったら夏休みに突入した。
この小学校の新任教員は優菜だけだったが、県と市の初任者研修に全て参加しなくてはならなかった。ほぼ毎日の研修、中には泊を伴うセミナーもあり、そのほぼ全てにレポートの作成が必要だった。また、その合間を縫って、夏休み中の校区訪問、プール開放及び、水泳指導等もあり、それらに追いまくられて藤木とゆっくり顔を合わす事はあまり無かった。
それやこれやで半ばこの件についてはうやむやにしてしまった感がある。最近になってようやく、宿泊学習の打ち合わせで学年会議があったり、校内研修が始まり、話す機会ができたが、主に仕事のことばかりで、優菜はいっそ気楽に思っていたのだった。
「今日の打ち上げ、羽山先生は行くの?」
「いえ・・・ちょっと疲れたので、今日は遠慮しようと思いますが」
マイクをケースにしまいこみながら優菜は応えた。
「じゃあ、俺も行かない。送っていこうか・・・」
放送室の出入り口と優菜の間に立ち、考え込みながら藤木が呟く。優菜ははっと振り返った。
「それはダメですよ、藤木先生は宿泊学習のチーフじゃないですか。管理職もくるっておっしゃってたし、藤木先生は出席しないと・・・」
「俺といたくないから?」
「そんな事ではなくて・・・言ったとおりです」
バタンと優菜はロッカーのスチール製の扉を閉めた。
「悪い、しつこかったね、俺。」
「いいえ、私の思いは以前お話したとおりで・・・まったく変わっていません。藤木先生のせいじゃありません」
「以前のこと・・・詳しくは聞いていないけど・・・」
「ええ、まだお話できるまでに自分が強くなっていなくて・・・すみません」
大儀そうに立ち上がる。自分が思っているより体は疲れているようだった。
「まぁ、いいさ。じゃあ、とりあえず駅まで送るよ。荷物あるし。今日はチャリンコないだろ?その後で俺は打ち上げに行くから」
「え?先生は今日車なんですか?お酒は?」
「俺は元々そんなに飲めないからね、酒無しでも平気だよ、食えりゃ。だいたいいつも飲み会終ってから送り役。別にいいんだけど」
「うわぁ・・・大変ですね」
「そうでもないさ。羽山さんはけっこう飲めるほうでしょ?」
「そんなでもないですけれど」
二人が職員室に戻ると、既に飲み会参加組み以外の職員は帰っていて、優菜も勧められたが、さすがに皆、新任教員が初めての宿泊学習でどんなに気疲れするかを知っているので断るのにあまり苦労はしなかった。
会場を確認した藤木が、優菜を促して職員室を出る。校舎の外はようやく暮れなずんできていた。しかし、外はあいかわらずの残暑で、優菜はせっかく職員室のクーラーで乾きかけたTシャツとジャージが、重苦しく肌にまとわりつくのを感じる。
背負いなれたスポーツバックでさえ重く、藤木の車に乗り込んだときは正直送ってもらって助かったと思った。
「大丈夫?かなりしんどそうだよ?家まで送ろうか?」
空いた田舎道を4WDは快適に転がる。
今日一日直すこともなかった髪を手ぐしで整えている優菜を横目で見ながら、藤木は心配そうに尋ねた。
柔らかなウエーブを描く髪は、無造作に括られて、細い首がすんなりとTシャツから伸びている。あまり焼けない性質らしく、半袖の下がツートンカラーに別れていることもない。
「いいえ、駅までで〜。買い物もありますし。ありがとうございます」
少し元気を取り戻した優菜は笑って答えた。
「無理しないでいいよ?2泊3日はやっぱり、コタえるよなぁ。夜もあまり眠れないし。昼間はやれオリエンテーリングだ、川釣りだって、はしゃぎまわる奴等に怪我のないように、気を張るだろうし。ってキャンプファイヤーでドジったのは俺のクラスだけど」
「そうでしたね・・・」
「ねぇ、羽山さん」
「はい?」
「俺もまだ気持ち変わらないから。もし、羽山さんの気持ちが動きそうなら言って」
「・・・・・・・・・」
「悪い。こんな話が負担になるようなら、正直に言ってくれたらいいんだけど」
「そうではなくて・・・・・・なんか、今は仕事がしたいっていうか、そういう方面に気持ちが廻る余裕もないし・・・」
「俺に気を使ってはいない?」
「正直に言えばまったくという事は無いかもしれませんが、負担になるほどでもなくて・・・」
「でもちょっとは気兼ねしてるんだ」
「でも、余計な事は考えずに子供のことに取り組みたい、二学期が始まったら、直ぐ運動会の練習もあるし。スミマセン、本音はこんなところです」
「そっか〜〜〜、まぁ、そうかもな。俺も初年度はそうだっけ?いろいろ面白い事だらけでな、夢中でがんばったよ。いろいろ仕事も回されたし、自分から引き受けたり。あんまり仕事に打ち込みすぎて、そん時付き合ってた子から、『冷たい』って言われてあっさり振られた。」
「へぇ〜〜〜〜」
「って!妙なところで感心するなよ。アン時は俺も落ち込んだ。なにせ初めて付き合った子だったから。今でもトラウマだ」
「はぁ」
こんなときなんと言ったら良いのかわからなくて優菜はとりあえず相槌を打つ。
「それでも仕事は本当に面白かったからね。羽山さんの言うこともわかるんだ。残念だけれど」
「はい」
「ま、成るようにならぁな。でも、俺も希望は捨てないから。っと、はい!駅ですよ〜」
「あっ!ありがとうございます!失礼します。お疲れ様でした!」
「お疲れ様〜」
駅前のロータリーに滑るように車は停まり、優菜が降りると手を振って藤木は車をスタートさせ、表通りへと消えていった。
アスファルトに降り立ったとたん、圧し掛かるような熱気が優菜を包む。
4WDが見えなくなるまで見送り、優菜は夕飯でも買っていこうと、スーパーに寄ることにする。さすがに今日は料理をする気にならない。お盆も過ぎたというのに残暑は未だ厳しく、締め切ってあった部屋はさぞや暑いことだろう。日の落ちる時間だけが早くなっただけで。
駅前のスーパーは混み合っていた。なんとか売り切れ寸前のサラダ感覚の麺と、スイーツには新製品の青リンゴのジュレを購入すると、後はウロウロせずに優菜はさっさとレジに向かった。レジも混み合っていたが、大きな荷物を持っているのであまり身動きが取れない。
なんだか、体を動かすのがひどく億劫に思えた。やはりこの抜けるような疲れは尋常ではない。涼しいスーパーを出ると、再びロータリーを渦巻く熱い空気に晒され、思わず空を見上げると軽い眩暈を覚えた。
駅に向かうには後四分の一ほどロータリーを歩かねばならない。帰宅ラッシュの駅前を大儀そうにバックを背負いなおし、優菜はふらふらと歩き始める。
「おい、乗っていけよ」
斜め後ろから、声がかかる。聞き覚えのある低い声。
ゆっくりと振り返る。
志郎だった
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お待たせしました。4章のはじまりです。更新はゆっくりかと思いますが。