教会でのクリスマス会は初めての経験で、以前から本の挿絵などを見て外国のクリスマス風景に憧れていた優菜は、ずいぶん前から密かに楽しみにしていた。

町内のチラシによると新しく建ったカソリック教会が、近所に住む小学生以下の子供を無料招待すると言うのだ。普段、あまり優菜を構ってやれない母親も快く送り出してくれた。母親はクリスマスプレゼントにと買ってくれた青いサテンのリボンを彼女の長い髪に巻いてくれ、優菜は胸を高鳴らせて出かけたのだった。



結果は無残なものだった。

もしも思いだけで人が殺せるのなら、優菜は志郎を殺していたかもしれない。



それほど志郎を憎いと思った。



実際は、顔を上げて志郎の顔さえ見ていなかったから、つぶれたケーキの前に立つ、大きなズックを履いた少年がどんな顔をしていたかは知らないし、知りたくも無かった。

「かっわいそ〜〜〜シロちゃん、ひど〜〜い」

走り去る優菜の後ろから楽しげに囁いた女子は、頼子の声をしていた。

まっすぐ帰ると、どうしてそんなに早く帰ってきたのか母親にいぶかしまれるといけないので、家の近所の神社で1時間ほど過ごした。12月の寒さは苦にならなかった。ただ、教会のクリスマスに行こうと思った人間を、この神社の神様はお怒りにならないのかな、と不思議に感じたことはよく覚えていた。



―カミサマは私を笑わない。日本のカミサマだって、外国のカミサマだってみんな優しいはずだわ。

見上げた大きな大木の梢の向こうの空は曇っていて、今にも雪が降り出しそうだけれども。

―あれ?空が変・・・ああ・・・そうか、雪だ。雪が降ってきたんだわ。だって、空があんなに滲んで、近くにに見えるんだもの。

優菜は、冷たい鼻を空に向け、涙が流れないように大きく目を見開いた。







「あ・・・・・・あれ?」

目に入ってきたものは、自分の部屋の天井だった。窓を閉めてあったせいか、室温は高く、薄い上掛けは腰の辺りまでずり下がっていた。先ほどまで見ていた遠い日の12月の空は、天井に貼られた、ただの白いクロスだった。

優菜は大儀そうにまとわりつく長い髪をかき上げた。。もうすぐ入梅だと昨夜のニュースで言っていたが、確かに二三日前から少し蒸し暑いかもしれない。

「9時か・・・・・・イヤだ。なんであんな昔の夢を・・・」

季節だって今と全然違うのに、と優菜は大きくため息をつく。そのままごろんと反対方向に寝返りを打った。昨日の疲れが取れないのか、体がいささかだるい。

理由はわかっていた。忙しかった昨日の終わりに、かつての同級生二人に会ってしまったからだ。別に会いたくもないのに会って、聞きたくも無い話を聞かされた。それがフィードバックして自分に昔の夢を、それも嫌な思い出の夢を見させたに違いない。

あの日、優菜を取り巻いた、たくさんのくすくす笑いの中に頼子がいたかどうかは実のところ覚えていないが、夢で笑った少女は確かに昨日聞いた、大人の頼子の声だった。

―一人で勝手に気にしすぎなんだ・・・

狭い街のことだから、これからも顔をあわせることもあるかもしれないが、校外体験学習も終った今、あの二人のことは自分にはもう関係ないし、話も無い。気にすることは無いのだ。なのにつまらぬ夢まで見て、つくづく自分は情けないと優菜は思った。

―自分で思っているよりトラウマになっているのかな?

いけない、と優菜はベッドの上に無理に起き上がった。このまま行くと救いの無い堂々巡りの思考に発展しそうだった。

窓の外は昨日の曇天から一転し、良く晴れているようだった。マットレスに膝をつき、優菜は小さな出窓に寄りかかって窓を開ける。存外爽やかな風が滑り込んでくる。お気に入りのプリント模様の薄いカーテンが笑うように揺れた。

こういう日に閉じこもっているのはよくない。とりあえず朝食をきちんと摂る事だ。と、キッチンに向かう。食パンを焼いている間に落とし卵を作る。野菜を切るのが面倒だったので残っていたプチトマトを添えると簡単な朝食の出来あがりだ。

確か野菜ジュースがあったはずだと冷蔵庫を開けると、昨日志郎から貰った缶コーヒーが目に入った。

優菜は普段余りコーヒーを飲まない。職場で勧められると口にするが、普段は自分から飲もうとは思わない。寝つきが悪い方なので、特に夕方以降は絶対に飲まない。昨日の夕刻、志郎から出された缶コーヒーを飲まなかったのはそういう訳もあったのだ。

手に取るとすっきり低糖、ローカロリー等と書いてある。それは構わないが、夢見が悪かったせいで覚醒がしっくりこないこともあり、優菜はめったに飲まないそれを手に取った。

缶から直接飲むのは昔からした事がない。よく冷えた缶コーヒーはお行儀良くタンブラーグラスに注がれた。セピア色の液体が陽をはじいて揺れる。一口飲むと程よい苦味が体に染みとおって神経細胞がピンと張るような感じがした。それは快い感覚。



たっぷりとバターを塗ったトーストに噛り付いていると、後ろの電話が鳴った。

土曜の朝に優菜に電話をかけてくる人物の見当をつけながらディスプレイを覗くと意外なことに職場からだった。訝りながら受話器をとる。

「はい、羽山です」

「あ、羽山先生?俺です、藤木」

藤木は3組の担任である。優菜より5年先輩だが、休日なのに朝から出勤しているらしい。

「あ、おはようございます」

「おはよう。朝早くに悪いね。でも、2組のことだったんで」

「え!ウチのクラスの事ですか?何かあったんですか?」

急に体に緊張が走り、優菜は早口に尋ねた。

「いや・・・別に大した事が無いと言えばそうなんだけど。俺、今日中に資料のプリントつくろうと思って朝から来てたんだけど、さっき羽山先生のクラスの竹中な、あそこの母親から電話があって・・・」

「竹中君!竹中君がどうかしましたか?」

「いや・・・本人は別にどうということも無い・・・今は多分。ってか、あの子普段おとなしいだろ?」

「ええ、大人しくってきちんとした児童ですが・・・」

優菜は小柄で温厚な竹中わたる君を頭の中で思い浮かべた。

「あの子な・・・昨日母親に将来店をやりたいって言い出したんだと」

「・・・店を?」

確か、竹中君は昨日の体験学習では志郎のリカーショップでがんばっていた様子だった。そういえば、確か心配した母親が様子を覗きに来たって言ってたっけ・・・優菜はその時の様子を思い出していた。

「うん、それであの子の家は一人っ子なんだって?」

「ええ、そうです」

竹中君の母親には4月の家庭訪問の折に一度しか会ったことはないが、確かに学習面でのことをくどくどと優菜に訴えてきた記憶がある。その時は、息子と同じように小柄だが、少し癇癖なきらいがある印象を受けた。温厚なわたる君とはずいぶん感じが違うので、優菜が父親のことを尋ねると急に不機嫌な顔になって話を逸らされたことも思い出した。

「・・・で、電話を受けた俺の印象では、お母さんは息子に過剰に期待しているらしい。主に勉強の分野で。それで、色々将来に夢を描いているのに、店をしたいとは何事だ、学校はなんていう体験をうちの子にさせてくれたんだ!って、簡単に言うと、まぁこういう訳で・・・」

「・・・・・・・・・」

「でな、ヒステリックにまくし立てるもんだから、とりあえず聞いとこうと思ってテキトウに相槌をうって聞いてたんだが」

「・・・そうでしたか・・・すみません。それでどうなりましたか?」

「いや、一通り聞いた後で、『そうですか、昨日の体験学習がよほど楽しかったんですね?だから、そんなふうに彼の気持ちに共感して、一緒に喜んであげて、将来の話はまた別にしようね〜とか言ってあげたらよかったんですよ』とか言って適当になだめておいた。」

「ああ・・・・・・ありがとうございます」

藤木は児童にも、保護者にも人気がある青年教師だ。指導する時にはきっぱりとした口調で話すが、普段は優しく、面白いお兄さん先生で、運動にも長けているため、良く休日にも地域のスポーツ少年団に引っ張り出される。きっと心配と憤慨で声が上ずっている母親を上手くなだめてくれたのに違いない。優菜は電話を取ってくれたのが藤木であったことを感謝した。

「いやぁ・・・なんつーか、休日なのに、一方的な電話をかけてくること自体が、ちょっと異様だって感じたんだが、まぁ大体わかったし。普段からああいう直情的で神経質な母親なんだな?」

「ええ・・・まぁそうです。で、竹中君の様子はわかりますか?」

「そうなんだよ。俺もそれは気になった。聞いたところでは、昨夜ハデに親子ゲンカして―――つか、親子ゲンカになったのもそれが初めてらしいんだが、今朝は早くから自転車で出かけたらしい、そのこともすごく心配していた。まぁ、腹が減ったら帰ってくるでしょうとは言っといたんだが」

「私、今からお家に電話をして、竹中君がいそうなところを聞いてみます」

「あ〜、よせよせ。母親の方はしばらくほっとけって。それより今から来れる?」

「はい!すぐに支度をします。30分ほどでいけると思います。」

「自転車?」

「はい。ダメですか?」

「いや、そのほうがいい。チャリンコの方が機動力があるからな。俺、今から近くの子に彼がいそうなところを聞いておくから一緒にその辺を廻らないか?まぁ心配ないとは思うが、一応話を聞いてしまったし、何かやっといたほうがいい。」

「はい!・・・でも、先生はお仕事があるんじゃ・・・私一人でも」

「まぁ、まだ大丈夫だろ。まずは竹中だ。一人より二人のほうがいい。俺はここ4年目だから、土地勘もあるしね。プリント作成は後で手伝ってくれたらいいから」

藤木の声は明るく、笑っているようだった。

「あ、わかりました。それではすぐに支度をします。お電話ありがとうございました」

優菜は受話器を置いた。汗をかいたグラスから勢い良くコーヒーだけを飲み干すと、手早く衣服を身につけ、身支度を整える。10分後には学校に向かって自転車を飛ばしていた。





―竹中君がケンカだって・・・・・・

優菜は自転車をこぐ足に力を込めながら、4月から今までの竹中わたるの事をできるだけ思い返していた。

Tシャツとハーフパンツから伸びた細い少年らしい手足。小さな顔の中の目はいつも笑っていて、余計な口を聞かず、目立たないがクラスの皆にしっとりと溶け込んでいる。イジメのようなことを受けている様子はないし、いじめる側になど間違っても立ちそうにない少年のことを優菜は微笑ましく思い返した。

彼は母親に何を言い、母親は彼に何を言い渡したのか?

親子関係だってコミュニケーションだ。話をして、話を聞いて共感したり、褒めたりするところから子どもは健やかに育つ。

さっき、藤木はそう言って適当に母親をなだめたと何気なく言っていたが、それはおそらく「適切」な助言だったと優菜は思う。母親がどう受け止めたかまではわからないが。



―とにかく、竹中君に会って話を聞かなきゃ



優菜の目の前に彼女の職場が見えてくる。





既に志郎の事も頼子のことも頭の中から消えてしまっていた。










               ○●○●○●○●○●○●










なかなからぶい展開にならないまま、藤木先生登場。









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トパーズ色の空の下