「遅ぇよ・・・・・・」
「・・・!?」
気持ちよくこいでいた自転車の後ろからいきなり声をかけられ、優菜は驚いて振り返った。
ここは殆んど駅前と言える、ロータリーの少し手前の道だった。志郎が言っていた「あの場所」からはかなり離れている。実はさっき、その場所を通りがかった時、優菜は一応きょろきょろしながら2分ほど待ってみた。しかし、近くに軽トラックも志郎らしい人影もなかったので、同じように駅へと向かう同僚に見咎められる前に、立ち去った方がいいと判断し、そのまま普段どおり駅に自転車を置いて帰ろうと思った矢先のことだった。
「公務員だろう?残業手当も出ないくせに何やってんの」
彼は昼間と同じカーキ色の作業着だったが帽子は外している。しかし、見下ろされると不愉快この上ない圧迫感がある。
「・・・・・・」
なんで、この男はこういう断定的な言い方しかできないのだろうか?今も昔も。遅いといっても遊んでいたわけじゃないし、ましてや向こうから一方的に「待て」と言われただけで、自分は承諾した覚えはない。
普段人に対してあまり感情の波を見せない優菜だったが、志郎のものの言い方にだけはカチンとくるのを止められない。自分が一番偉いとでもいうような。かつてもそのような喋り方をよくしていたことを思い出す。それを聞くたびに心の底が冷え冷えとしたものだった。
―やっぱり、苦手だわ。
「すみません、でも私には私の仕事があるんです。今日は子ども達がお世話になり、ありがとうございました。では・・・!」
優菜は気持ちが顔に出ないように馬鹿丁寧に挨拶すると、風の様に髪を翻し、再び自転車をスタートさせようとした。途端に優菜のハンドルを大きな腕が捕らえる。
「すまん・・・」
灯り始めた街灯の下で、形のいい濃い眉が申し訳なさそうに下がった。その表情の変化の大きさに思わず優菜は見入ってしまう。
「・・・っはぁ?」
ついてゆけない、この男には。優菜の眉が大きく顰められた。
「や、別にどうと言うこともないんだが、仕事を抜け出してきたのに30分近くも待ってたもんだから・・・つい嫌味な言い方になったな。すまない」
リカーショップの奥の事務室。優菜が今日の午前中に一度訪ねたところだ。奥に置かれた応接セットのソファに浅く腰掛けた優菜の前に冷たい缶コーヒーを置きながら、志郎は言った。
「缶で悪いな。俺はコーヒーとか上手く淹れられないもんだから」
地区の有力者の家の志郎とこんな駅前で話しこんでいたら、目立って仕方がない。いつ、学校関係者や、志郎の店の顧客が通りがかるかもしれないのだ。かといって近所の喫茶店でもまずいだろう。「飯は?」と尋ねる志郎を如才なく断り、話があるなら志郎の店の事務所で、と優菜は折れたのだった。そこなら辛うじて仕事の打ち合わせの振りができるかもしれない。
既に店は品揃えを夜モードに切り替えている。つまり米や、ジュースよりも酒類や、お摘みにもなる菓子などが店頭の大部分を占めていた。レジ係りも午前中に見たパートの主婦の姿は既に無く、替わりに10代後半らしい男性アルバイトに変わっていた。
「でも、それはそちらの都合でしょう?」
出された缶コーヒーには手もつけず、そっけなく優菜は応えた。せめて、市販のアイスコーヒーと氷をグラスに入れて出せばいいのに・・・子どもじゃあるまいし、と優菜はこっそり眉根を寄せる。
「違いない」
「・・・で、なんのご用だったの?」
「いや・・・余計なお節介かもしれないが、今日のアレな」
「あれって校外体験学習のこと?」
話題が自分の守備範囲だったことにほっと胸をなでおろし、優菜は落ち着いて問い返した。
「ああ、それ。オレはシロウトだけど、なかなかいい企画だったと思うんだ。だけど聞いた話では年に一回きりだって言うじゃないか。俺たちの時代にゃなかったけどな」
「ええ、そう。5〜6年前から5年生で取り組んでいる活動。いろいろ試行錯誤して今の形に落ち着いたらしいわ」
「オレは授業のことはよくわからないが、あいつら、意外に真面目にやっていたと思うんだ。たった2時間ちょいのことだったけど、どんどん慣れてきて、特に最後の方のチームワークはなかなかのモンだったな?」
「・・・そうなの?」
興味を持って優菜は尋ねた。
「うん。はじめはあいつら、確かに途惑っていたし、オレだってめんどくさいなと感じたことは確かだ。だがオレがあまり気を使わず、普通のバイトに指示を出すようにズバズバ色々言ってやるとだんだんと動きがよくなった。」
「へぇ」
「聞いてみたけど、あいつら皆、若宮台の子等だってな?それは意図的にやったんか?」
若宮台というのは新興住宅地のことで、新しい地名である。この商店街は昔からの人が多いので、あえて地の人間ではない家庭の子ども達を、地の人々の間に交えたのだった。
それは学年の企画会議で何度も何度も話し合い、この体験学習がややもすれば親の世代で断絶しがちな元々の地元の人々と、新興住宅地の人々を結びつける一つのきっかけになればと、学年で決めたことだった。
しかし、まさか志郎がそこまで洞察したとは思わなかった優菜は内心驚いた。
「え?ええ・・・地域を知ろうというのが今回のねらいの一つだったから・・・サラリーマン家庭で核家族の多い地域の子ども達に、一家でお店を切りもりしている商店街の様子も知って欲しかったと言うのもあって・・・」
「そうか、なるほどな?先生も色々考えているんだ。色々聞いてみたけど、夕飯はほとんど母親と二人だけで食べてる家の子が二人いたな。オヤジが単身赴任の家を含めてな。共稼ぎの家もあるし。平日に親が・・・親父が家にいて店をやってるなんてって、皆びっくりしてたな。」
「・・・・・・」
そう言えば今日の感想文の中にそういうのがあったっけ?と優菜は思い出した。
子ども達の驚きは素直だったが、協力者である志郎もそのように感じてくれたことに優菜は密かに感心する。
「色々話しているうちに結構仲良くなってさ、結構役にたってくれた。そんで、あいつら学校に帰る前に何つったと思う?」
「さぁ・・・なんて言ってたの」
「ああ、これから缶ジュースを飲むたびに、1ケースの重さを思い出すだろうってさ。なるほどなって俺は思ったんだ」
「へぇ〜〜〜〜〜〜・・・・・・そんなことを」
「ああ。俺もなるほどなって思った。きっと正直な気持ちを言ってくれたんだと思うんだ。二学期とかにもう一度取り組んだりはできないのか?」
「う〜〜〜ん、どうかな・・・冬木君のお店は好意的に受け止めてくれたかもしれないけど、中にはそうでないお店もあるかもしれないし。地域の大人の役割として、年に一度のボランティア活動だと割り切ってやってくれている人たちも、ないではなさそうだしね・・・。第一、カリキュラムの年間計画に今から割り込むのは難しいかも・・・。よほど強い保護者の要望があれば別かもしれないけど・・・・・・」
「ふ〜〜〜ん、そういうもんか。やっぱり大変だな」
話の中身よりも、珍しく優菜が長い話をしたことに驚いた志郎だが、そこは話を合わせる。
「はい。結構大変なのです」
ふっと優菜は笑った。おかしい。仕事の話の延長のはずなのに、なんとなく面白い。この男の正直な意見は。終ったばかりの体験学習だか、別な切り口が見えてくる。
いつの間にかテーブルに置かれた缶コーヒーが汗をかいていた。
「・・・羽山は真面目だな」
「・・・あたりまえでしょう?仕事なんだし」
「楽しいか?」
「え?」
何をまた、唐突に、この男は。
「だから、仕事が」
「あっ、ああ、楽しい・・・かな?うん、子ども達といる時はいろいろあっても楽しいかも。」
「へぇ・・・子どもが好きか?」
「うん、わりと」
優菜の眉が少し上がった。どうやら本心から言っているらしい。
「そんな風には見えないけどな。正直」
「って・・・冬木君には私はどんな風に見えるの?暗い女って?」
幾分固い声になって、優菜はちらりと志郎に視線を走らせた。志郎はそんな優菜の視線をしっかりと受け止める。
「そんなことは言ってない。ただ・・・どっちかっていうと、大人っぽい感じがするから、羽山って。昔から」
「私、全然大人じゃない・・・今でも・・・だから子どもといる方が気が楽かも」
「大人は嫌いか?」
「さぁ・・・人による」
慎重に優菜は答えた。あまり自分のことについて人に話すのは慣れてはいなかった。
「ただ・・・大人は、大人の方がめんどくさいんで・・・保護者も、教師も」
「同僚もか?」
意外そうに志郎が突っ込んできた。
「や、そうじゃなくって・・・えっと・・・」
「友だちとかにならないのか?同僚と」
「や、気の会う人はいるよ・・・仕事は好きだし。・・・えっと、別に・・・悪い意味で言ったんではないし・・・・・・なんで、こんな話に・・・・・・まぁいいわ。貴重なご意見ありがとう。学年に伝えておきます。・・・じゃぁ私、帰ります。コーヒーごちそうさまでした」
「飲んでないじゃないか」
「あ、じゃあ、いただいて行きます。ありがとう」
これで気まずい方向になってきた話題を何とか話を切り上げられそうだと、優菜はコーヒーをトートバックに入れながら、ちょっと笑って立ち上がった。
「待てよ・・・あのな・・・・・・」
志郎が口ごもる。
さっき、駅前の立ち話でひどい言葉が勝手に飛び出し、腹を立てた様子の優菜が立ち去ろうとした時、とっさに謝罪の言葉が出た。
優菜が後ろを向いたとき、以前に見たように髪が揺れながら翻った。街灯に照らされて、長い髪は密やかな赤い光沢を帯びて舞う。瞬間、あの遥かな夕焼けの時が鮮やかに蘇り、思わず引き止めずにいられなかったのだ。
明らかに迷惑そうな優菜に、何か話の継ぎ穂をと、優菜が興味を持つような話題を無理やり捻り出した。勿論、今日の5年生の取り組みについて感じたことは事実だが、それは別に学校から貰っているアンケート用紙に書けばすむことだったのだから。
今まであまりこのような経験をした事がない志郎は、自分にこんな面があったのかと、途惑っていた。
この無愛想で必死に自分を警戒している女に、少しでいいから自分と言う人間を認めてもらいたい。
芝居の台本のように、自分の気持ちにト書きをつけるとすればこんな感じになるだろうか?と、志郎は思った。
「あのな・・・」
「何?」
「今日はもう上がりなんだろ?」
「そうだけど・・・」
「やっぱりハラ減ってるだろ?前に行った・・・」
志郎が言い出しかけたとき、事務所のドアが開いた。
「こんばんは〜。シロちゃん、いるんだって?」
イキオイよく頼子が入ってきた。
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次回、修羅場・・・?(笑)
アハハ
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