「お世話になっております」
アーケードの脇に停めた自転車を慌しく降りて、優菜は店員に挨拶をした。
午前中の駅前商店街は比較的空いているとはいえ、駅のロータリーに面したこの大きな酒屋は結構な人通りのメインスペースを占めている。店頭には品物が溢れ、脇にはビールのダンボールケースがうず高く積まれていた。その間を動き回る小さな影が見える。
五月の最終週。曇り空の蒸し暑い日で、既に10軒近くの商店を廻ってきた優菜は額にしっとりと汗をかいていた。
「あっ、せんせぇ〜」
「俺たちがんばってるよぉ?」
途端に店頭でちょこまかしていた子ども達が一斉に優菜に声をかける。4人ともいっちょ前に店のロゴ入りのエプロンをして軍手をはめ、すっかり店員になりきっているようだ。
今日は、年度始めから取り組んできた、葛の葉小学校5年生の校外体験学習、本番の日。
「せんせい、来てくれたんだ」
「大丈夫?お店にご迷惑をかけていませんか?」
「大丈夫、大丈夫。オレなんか、ビールのケース何回運んだと思ってるよ?」
「アタシはこの商品全部キレイに並べたんよ」
心配して声をかけた優菜に口々に元気な声が返ってくる。この店に来たのは男子二名、女子二名、いずれも新興住宅地の子ども達だった。
「お客さんはたくさん来る?」
「うん、結構来ました」と小柄な竹中君。
「竹中君なんかお母さんが心配して来たんだよね〜。ビール3ケースも注文しちゃってさ。」はしっこそうな小柄な女子の小林さんがちゃっかり報告する。
「うわ!言うなよ〜」
「はいはい。午後は感想文と活動内容を書いてもらう予定だから、しっかり動いて、物をよく見て、よく考えてね」
他の店で活動している児童たちにも与えた注意を繰り返して、優菜は子ども達を励ますように微笑んだ。
「みんながんばってくれていますよ」
おそらくパートの店員であろう、店頭のレジに立っていた小太りの中年の主婦がニコニコして優菜に応じた。
「あ、ありがとうございます。あの・・・店長さんにご挨拶したいのですが、中におられますか?」
優菜は尋ねた。この店で優菜の受け持ちの店は最後となる。今日が午前中いっぱいを使って90名余りの5年生全員が体験学習をするため、この広い校区中に散っている。
優菜たち、5年生担当者はクラスの枠を離れて、それぞれ地区に分けて分担した子ども達の様子を見に朝から走り回っていると言う訳だ。車通勤の担当者は農家の方を廻ってくれるので、自転車組の優菜は比較的学校から近い、駅前商店街を担当させてもらった。
「ああ、はい。さっき配達からかえってこられたと思いますよ〜奥からどうぞ?あ、いらっしゃいませ」
店員はレジの前にカゴを置いたお客に対応し始めたので、優菜は急いでその場を離れた。
「・・・・・・失礼します」
ちょっと躊躇いがちなノックと共に優菜は事務所に入った。
「やぁ、いらっしゃい」
「よぉ」
二つの声が重なる。
優菜の予想通り、社長とその弟の店長が事務所にいた。
「こんにちは、葛の葉小学校の羽山です。子ども達がお世話になっております」
優菜はさり気なく視線を泳がせながら、ぺこりと頭を下げる。
「ああ・・・よくやっているようですよ?最初は声が小さかったみたいだけど、さっき見たら大きな声で『いらっいしゃませ』って言ってましたから」
パソコンに向かっていた、志郎の兄が朗らかに答える。
「ああ、あの身体の大きなヤツな。横山とか言う子。アイツ見込みありそうだな」
カーキ色の作業着を着て、いつも以上に大きく見える志郎が近寄ってくる。優菜は我知らず一歩退いた。
「ありがとうございます。体験学習は11時半までですので、時間になったら声をかけてやってくださいますか?」
志郎に向かって頭を下げたが、声は店長に掛けられたものだ。
「はい、いいですよ?それまで御預かりします。先生もご苦労様です」
「いいえ。では、もう少しの間、子ども達をお願いいたします」
温厚な店長はおっとりと応じたので、優菜ももう一度礼を言って、その場を辞そうとした。
「おーい」
そそくさと事務所を出た優菜の後を、のんびりとした低い声が追いかけてくる。
「はい?」
既に事務所のドアは閉められている。優菜は声に少しだけ迷惑そうな色を滲ませた。
「これ持って行けよ」
差し出されたスーパー袋にはお菓子やジュースなどが山ほど入っている。
「は?いいえ、そういうことは遠慮させていただくことに・・・」
「いいからいいから。職員室で分けたらいいだろう?どうせ賞味期限迫ってるんだし、持って行ってくれると助かるんだ」
へどもど断ろうとする優菜に無理やりビニール袋を押し付け、大きな体を折って志郎はすばやく囁いた。
「今日、迎えに行くから・・・あそこで待ってろ」
「!」
ビニール袋を持ったまま、驚愕で固まってしまった優菜の鼻先でドアが閉まった。
「次は商店街地区の報告を。羽山先生?」5年生の学年主任の永嶋が声をかけた。
「はい。こちらには一番多くの児童が体験をしましたが、特に混乱はなかったようです。一軒に4人という配置も妥当だったと思われます。商店はやる事がわかりやすいので、殆んどの児童は店の人の指示を受けて活動できたと聞いています。あ、一件。鮮魚店に行った、3組の寺井君が魚のエラで少し指を切ったそうですが・・・」
「寺井か・・・アイツは元気だけど、おっちょこちょいだからなあ・・・」
途端にくすくす笑いが満ちた。学校には会議室がないため、学年の打ち合わせや会議などは多くの場合、普通教室が利用されている。5年生の会議の場所はもっぱら1組の担任である学年主任の永嶋の教室だった。机の上には優菜が冬木リカーショップから貰ってきたジュースとお菓子が配られている。
「それで、一応販売からは離れて、もっぱら呼び込みをしていたそうです・・・」
くすくす笑いが大笑いに変わった。
「ははは!適材適所って訳ですね。面白い。」3組の担当者、つまりの話題の寺井君の担任の藤木が一番大きな声で笑った。
「アイツは接客業に向いていそうだわ」
散々準備を重ねた今日の行事を無事終えて、いつも長引く会議にもどこかほっとした雰囲気が流れている。5月初めの校外学習に続き、一学期の大きな行事が又一つ終った。初夏を迎えた季節の窓外はまだまだ明るく、校庭には球技に興じる児童たちの姿がまだ見えている。
「えっと一つ気になる事が・・・」おずおずと優菜が言い出した。
「何?羽山先生」
「今回概ね、児童の希望通りに体験場所を割り振りましたが、人数の関係で希望通りに行かなかった子もいます。そういう子の意見も、もう少し聞けたらと思うんですが・・・」
「なるほど。ウチの女子などは最初ぶーぶー言ってた子もいたな、でも受け入れてくださる体験場所には限りがあるし、それぞれの事情があるから、全て希望通りにとは、これからもいかないなぁ・・・後、必ずしも仲良しグループで、チームが組めないことも多いし・・・」と、主任。
「うん、それはある。」藤木は頷いた。
「でも、かえって仲良しグループでいくと、おしゃべりばっかりで、態度があまりよくなかったと前年度の反省にも書かれているから、これはしょうがないかも」
「そうですね・・・去年から男女混合グループにしましたが、これもよかったですね?」
「ハイ、お互い、いいところを見せようと張り切っていた様子が伺えました。」優菜も感想を述べた。
「では、今回の郊外体験学習は概ね成功したと言うことで・・・感想文にも前向きな意見が多かったようですし。この案件はこれで終わりにしますね・・・。羽山先生今回の記録を綴じて置いてくださいね、次は・・・」
学年の会議はいつも長引く。主任の永嶋が滞りなく案件を進めていったが、全ての懸案事項がすんだ時にはさすがに長い春の陽も傾きかけていた。
記録係の優菜はざっとファイルを見直して今日の出来事を反芻する。
―やっぱり、希望が叶えられなかった子はかわいそうだわ。せっかくやる気があるのに・・・私の決め方が悪かったのかもしれないし・・・このことは記録しておこう
―でも、みんな本当に楽しそうに活動してくれてた・・・できたら二学期にもう一度やれたらいいのにな・・・せっかくがんばったのに一度きりなんて勿体無い・・・・・・あ・・・
優菜ははっとなった、もしこの授業を繰り返せば、またもや志郎の世話になることになる。彼とは一ヶ月前に無理やり食事に付き合わされて以来、会っていないし、ケイタイのナンバーも教えていないから、今日久々に顔を合わせた訳だが・・・・・・
―どういうつもりなんだろう・・・・・・
『今日、迎えに行くから・・・あそこで待ってろ』志郎は確かに耳元でそう囁いた。
―大体あそこって、何?どこのことを言っているのかしら?
前に食事をした居酒屋のことか?そうではあるまい。それなら店の名前を言うはずだから。優菜は少し考えてから、バン、と音を立ててファイルを閉じた。
―なんだっていうんだろう?いつだって自分本位なヤツだわ。あそこなんて、あそこだなんて、二人のヒミツの場所みたいに・・・・・・気分が悪いったら・・・一体どういうつもりで・・・
つまり、子どもの頃優菜が志郎と別れ、先日志郎から、又はじめようといわれた何の変哲もないただの道端。路肩に地道の名残があって、古い用水路がそばを流れているだけの。
―しかも、校区だし。駅までの道順で通らなざるを得ないところだなんて・・・・・・
優菜は壁の時計を見上げた。
6時半。既に勤務時間を大幅にオーバーしている。それなのに職員室にはまだ半数ぐらいの教師が居残って忙しそうに立ち働いていた。
優菜はロッカーに会議録ファイルを放り込み、ついでに校門を見渡せる窓辺に立った。通学路でもあり、優菜の通勤路でもある、まっすぐに伸びた一本道が見える。道は駅の方角へと伸び、さらには宵闇の色に染まる山々に続いている。
―車は・・・・・・見えないな
目を凝らしても遠い前方に白い軽トラックは見えなかった。待ちくたびれて帰ったか、店の仕事が立て込んで来る事が出来なかったに違いなかった。なんとなく優菜はほっと肩を落とした。
―さあて、帰ろう。金曜日だし、今日は概ねうまくいった事だし、何かおいしい物を買って帰ろう。
そう思うと元気が出た。手早く荷物をまとめ、同僚に挨拶をして職員室を出る。昼間は蒸し暑かったが、、さすがに今は気持ちのいい風が夜のにおいを運んでいた。
優菜は今日は酷使した自転車に跨り、強くペダルを踏みしめた。
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お待たせしました・・・。第三部です。
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